宗教改革 単語


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シュウキョウカイカク

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宗教改革っていうのは、ルターって言う偉い人が免罪符って言う悪いものを批判して起こったヨーロッパのごたごただよ。

概要

えっとね、免罪符って言う罪を許してくれるお札をカトリック教会が発行したんだって。そのほかにもカトリック教会はいっぱいいっぱい悪いことをしていたんだって。そしたらね、マルティン・ルターって言う大学の先生が「お金儲けなんていけません!」って怒って教会に喧嘩売っちゃったんだって。そしてね、腐敗した教会とね、わかれちゃって、プロテスタントっていう新しい宗派が出来ちゃったんだって。えっとね、高校の教科書にそんな感じで書いてあったよ!

 

詳しく知りたい方のための説明

まぁぶっちゃけた話。こんな簡単な問題じゃない。

まず、教会が腐敗していたか、と言う問題なのだが、教会はむしろ「変化していなかった」といったほうが正しい。そりゃいくつか変化はあったけどね、そんなに大きな変化はしていないよ。

そして免罪符、というか贖宥状についてだが、これこそ大問題。教会発足当時からの大問題、『人効論』が出てきてしまう。これを出してくると本が一冊かけてしまうくらいに大変な問題なので適当にはしょって説明します。

宗教改革が本格化するのは16世紀からなのだが、これに先立つ時代はまさに「死」がそこにある時代であった。14世紀から15世紀にまたがる英仏の百年戦争、それに続く薔薇戦争、ウィーン包囲、黒死病、飢餓、天災などなど、人は容易に死を目にすることが出来る時代であった。これに対して人々はいかに感じたかといえば、

世界は終わりに近づいている。世界はよたよた歩く老人のようだ。

という言葉から分るとおり、怖くなったわけである。それまでの死とはすなわち、救いへの第一段階であった。これは人々が信仰を持っていれば必ずや救われるという想いを持っていたからであり、だからこそ教会は教会として存続することが出来ていた。また、宗教改革とほぼ同時代に起こったルネサンスにおいてもしばしば死は描写される。さらに、”Memento mori(死を思い出せ)”という言葉通り、人々は死を常に考えて生きるようになり、どうしようもない無常観が社会に蔓延していたとも考えられる。このことからそれまで死を根底にしていた信仰はマイナス方向へと変わり、信仰の揺らぎが生まれてしまったのである。

では何故「死」が恐怖になったか。それは「死」の個人化ゆえ、といえる。それまで楽観的に考えられてきた死は既に説明したとおり、信仰を持っているから救われるというものであったのだが、最後の審判などが描写されるようになると神の前で裁かれる自分、というものが生まれるようになる。それまでの自分の人生を神が審判し、天国か地獄か、行き先を決めるわけなのだが、これすなわち、死の床で自分の罪について考える、ということである。さて、あなたも考えてみてほしい。あなたは今まで清廉潔白な人生を歩んできた?罪は犯していない?悪いことは?たぶん、誰もが後ろ暗い部分を持っているものである。これが15から16世紀ごろ、顕著に現れだしたのである。

このときに人々は、恐怖し、恐れを持つようになる。そして教会はその対応を迫られるようになるのである。

次に罪、であるのだが、これには12世紀に生まれた概念、『煉獄』が深く関わってくる。これは生前に罪を犯した人間の魂は一度煉獄に置かれる。その間に生きている人々は彼のために祈りを捧げ、罪人を天国へと救い上げる、というものなのだが、既に語った罪の意識と関連し、これは人間が自らの罪を自覚し始めた時期でもある。それまで罪とはすなわちアダムとイヴの犯した原罪によって神から人に与えられた罪であったのに対して、この罪は人が自ら犯し、自ら背負った罪であった。そして人々はその罪の意識をどのように感じていたか、なのだが、次の詩を説明として引用する。

我らが主が全てを厳しく詮索しに

不意にやってきたとき

罪人にとっては何と言う恐れ

あぁ困った

どんな弁解をすればよいのか

どんな守護者に助けを求めようか

最も偉い聖人でさえ震えるというのに

(中略)

死んだ者が

自分の高慢さの裁きのために

棺桶から立ち上がるという

恐ろしい日!

―――Dies irae(ゼファニャ書1.15が元の詩『怒りの日』)

ようは、怖かったのである。

だが、もう一つ重要なのは、彼らが自らの罪に気付く、という精神的な独立を果たしたことでは無いだろうか。これはすなわち、後の信仰と理性の分離、という科学革命における重要問題へとつながっていくものであり、これなくしては、たぶん現代のような哲学や、社会は生まれ得なかったであろう。

腐敗

さて、最初に述べたが、腐敗はなかった、と言ってもいいわけなのだが・・・まぁね。あれ。もともと腐敗してたら、腐敗しようが無い、って感じでね、うん。

教皇が子持ちだったり、聖職者が奥さん連れてたり、托鉢修道会のエリートが司教とどっちが偉いか争ったりそんなこんなしてたんだ。実際。

だけど、重要なのはそこじゃない。それまでもあった腐敗を、人々が気付いた、と言うことこそが重要になってくる。そして人々はその腐敗を見て、教会を皮肉ったり、笑ったりしていたわけである。

笑いは恐れを無くす。恐れなくして信仰は成り立たぬ。悪魔への恐れなくば神はもはや必要とされぬ。神を笑うことが許されれば世界はカオスを迎える。

―――U・エーコ『薔薇の名前』より、ホルヘの台詞

この言葉は、笑い、というか恐れを無くしてしまったとき、すなわち、教会の権威が失われた時どうなるか、を簡単に説明した言葉なので引用している。つまり、信仰が揺らぐのに、教会はそれに答えるだけの権威をもはや失いつつあったわけである。また、トゥルの三部会での第一身分(聖職者)の発言の中でも教会、または聖職者の問題について触れており、

敬虔な生活を送る俗人は、悪い聖職者よりも本当の聖職者といえるのではないだろうか?

と語っている。このことからも、人々のレベルが非常に高度なものとなってきた、ということが見て取れる。

秘蹟

さて、先ほども語ったが、敬虔な俗人か、それとも聖職者か、と言う問題は古くは4世紀のドナートゥス派へとたどり着く。彼らは教会の授ける秘蹟について、『俗人でもその人間の徳が高いものであれば、秘蹟は授けられる。逆に堕落した聖職者の授けた秘蹟は無効である』という考えを示した。このドナートゥス派は異端となったものの、教会は常にこの問題を抱えることとなった。

さらに、11世紀にはグレゴリウス7世による、所謂『グレゴリウス改革』の中で再びこの問題は加熱し、グレゴリウス7世は堕落した聖職者の授けた秘蹟について、それは無効、という決断を下す。これはすなわちドナートゥス派の思想と同じであった。また、12世紀の民衆異端運動の中で、多くの異端は教会の秘蹟を無効としている。

そして、16世紀。ルターは贖宥状について、それが秘蹟の一部であると捉え、そこを批判するのである。すなわち、「今の教会は、秘蹟を与えるには余りにも堕落しているのではないか?」と。

解答

これまで語ってきた人々の不安はもはや臨界点へと近づきつつあり、というか、既に臨界点な訳だが、ルターはそこに一つの石を投じたのである。神学的な、非常に高度な問いかけと言う形で。

そしてルターは人々に対して言う。

神を恐れる必要は無い。神は厳しき審判人ではなく、優しき父のようなお方である。人は、その一生を通じて罪人であり続ける。だが、神を信じた時、それは既に救われているのである。神を信頼しなさい。

と。

 

宗教改革とは、これまでただただ与えられ続けてきた『信仰』を人々が獲得し、そしてその『信仰の形』、信仰とは何か、信じるとは何か、を争点に行われた、『信じる力』の回復運動でもあったのである。

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 関連項目

  • キリスト教
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