「戻って…きたよ」
山風(やまかぜ)とは、大日本帝国海軍所属の白露型駆逐艦8番艦「山風」をモデルとした、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する艦娘(かんむす)である。
担当声優は未公表、担当絵師は玖条イチソ。
白露型姉妹の八女となる「山風」は、2016年11月に行われた秋イベント『発令!艦隊作戦第三法』の2面目および3面目のボスドロップとして先行実装された。例によって、運が悪いと徹底的に手に入らない艦娘の一人。
彼女の実装で、白露型姉妹は全員揃ったことになる。実装時点で揃っていた暁型を除けば、初の駆逐艦同型コンプリート達成である。
ちなみに図鑑番号はずっと空いていたNo.257に収まったのだが、なぜか姉の海風(No.258)の一つ前になっている。
制服は同じ海風型の海風、江風と同じ。珍しい緑髪をポニーテイルにしており、前髪はピンで左右に分けている。身長は白露型の中でも低い部類と思われるが、それとはアンバランスに胸部装甲は大きい(というか、改白露型では一番大きいのでは?)。なお、身長については、絵師がツイッターにて「史実で姉妹艦中で一番最初に沈んでしまった艦だから妹より身長が小さい」と述べている。
性格は割とダウナーな感じが否めない。特に戦闘になると投げ槍気味になるのは、史実で誰にも知られずに沈んでいったというトラウマからだろうか? それでも育てていくと提督には不器用ながら好意を向けるようになっていく。改になると追加される時報では、朝や昼を作ってくれたり、間宮に連れて行ってとせがんだりしている。そしてケッコンカッコカリをすると……。まぁ、なかなか懐かない猫を育てるつもりで気長に付き合っていくとよいだろう。
ちなみに姉の海風のことは優しいから好きで、妹の江風はやかましいけど嫌いじゃないとのこと。残念ながら涼風への言及は今のところ無い。他には、第五戦隊で共に活動した那智や羽黒からも気に掛けられている模様。
白露型8番艦、改白露型(海風型)としては2番艦になる〈山風〉は、浦賀船渠にて1936年2月21日に進水、翌1937年6月30日に竣工した。実は姉の〈海風〉よりも進水は先だったりするのだが、竣工は妹の〈江風〉が早かったりする。名前の「山風」は文字通りの山に吹く風のことだが、特に夜になって山から吹き下ろしてくる風のことをいう。
〈山風〉は、就役と同時に、先に就役していた〈海風〉〈江風〉で構成されていた第24駆逐隊に編入。8月31日に〈涼風〉が編入されて、4隻体制となった。その後、24駆は中国方面で初陣を飾り、二航戦(当時は〈加賀〉が所属)に編入された後も中国戦線で活動を続けた。
1941年2月、有明海で演習中に〈山風〉は〈涼風〉と衝突、艦首下部を失う損傷を受けてドック入りとなる。その頃、陽炎型16番艦〈嵐〉が竣工したのだが、「山風」を縦に続けて書くと「嵐」になってしまうため、両者の間で郵便物の誤配が多発した。同様に誤配が多かった〈雷〉と〈電〉は同じ駆逐隊なので、間違えてもまだ再配達が可能だったのだが、〈山風〉と〈嵐〉では所属駆逐隊も作戦場所も違い過ぎるため、〈山風〉側では「宛先の"山"と"風"の間には隙間を入れて書いてください」と通知し、一方の〈嵐〉では「宛先の嵐に"アラシ"とフリガナを振ってください」と通知している。
太平洋戦争の開戦後は、主に南方で活動。スラバヤ沖海戦では、〈山風〉と〈江風〉の2隻が一時的に第五戦隊に加わって戦闘を行っている。戦闘終了後、撃沈した英国艦の生存者を〈電〉と〈雷〉が救出したエピソードが知られているが、実は〈山風〉もこの救助活動に参加して、重巡〈エクセクター〉の生存者67名を救助している。
その後、24駆は1942年4月10日付けで〈阿武隈〉指揮下の一水戦に編入され、ミッドウェー海戦に参加。結果はご存知の通りで、6月17日に横須賀に帰投するが、21日に〈山風〉はタンカーの護衛をして横須賀から大湊に移動。そして23日に大湊を出て、柱島泊地に向かった。
そして、そのまま〈山風〉は消息を絶った。
戦後になって詳細が明らかになった。米潜水艦SS-168〈ノーチラス〉は、初哨戒でミッドウェー海戦に参加したが、〈霧島〉や〈加賀〉(炎上中だったという)に魚雷を撃つも初陣だったせいか外したり不発だったりで護衛の駆逐艦(〈霧島〉のときは〈嵐〉、〈加賀〉のときは〈萩風〉と〈巻雲〉だったという)に追い払われ、散々な結果であった。一旦補給後、今度は「葉山御用邸を砲撃しろ」と無茶振りされ、とりあえず日本近海まで哨戒範囲を広げていたところ、単独航行している駆逐艦を発見し、魚雷攻撃を仕掛けた。4発斉射した魚雷のうち2発が命中。駆逐艦は横転してそのまま沈んでいった。〈ノーチラス〉ではこの様子を写真に撮っており、帰投後に報告書に添えて渡したところ、後に宣伝に使われたという。
言うまでも無く、この駆逐艦こそが行方不明となっていた〈山風〉であった。沈没地点は房総半島沖約80キロ。横須賀鎮守府からも目と鼻の先であった。
なお、日本海軍側ではこのように記している。
日本沿岸附近といっても、行動予定を向かう先にちゃんと知らせ、かつ見張を厳重にしないと不覚をとることがある
駆逐艦山風は6月23日午後大湊港外に一時仮泊していた後、柱島泊地に向かって航行していたのだが、大湊警備府及び横須賀鎮守府はその行動を知らなかった。7月2日になって、初めて行方不明になっていることが判ったのだが、時既に一週間以上たっており、ついに何の手がかりも得られなかった。丸々一隻の駆逐艦が消息不明という奇怪な結果となってしまった。(以上、現代語訳(一部意訳)済み)
1942年8月20日、除籍。白露型駆逐艦では初の喪失艦となった。
ちなみに「山風」の名を持つ駆逐艦としては2代目。初代〈山風〉は海風型駆逐艦の2番艦、というところから判る通り、先代山風も海風の妹艦であった(ちなみに海風型は海風・山風の2隻のみで、次級の浦風型に移行する)。
| 白露型姉妹 / 白露型駆逐艦 |
| 1.白露 - 2.時雨 - 3.村雨 - 4.夕立 - 5.春雨 - 6.五月雨 - 7.海風 - 8.山風 - 9.江風 - 10.涼風 |
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最終更新:2025/12/15(月) 09:00
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