岸信介とは、第37代内閣総理大臣である。
安倍晋三元首相の母方の祖父として、そして日米新安保条約締結時の総理として有名。別名「昭和の妖怪」
実家は山口県田布施町の造り酒屋で、次男として誕生。母の茂世は教育熱心な女性でその為、息子たち三人は地元でも有名な秀才三兄弟として育つ。中学生の時、父の実家である岸家の養子になり、佐藤信介から岸信介となる。
当時のエリートのお決まりのコースであった一高→東大のルートを歩み、トップの成績で東大を卒業。憲法学の上杉慎吉教授や親友の我妻栄(後に民法学者として著名になる)に学者として東大に残るように言われていたが、これを振り切り、農商務省に入った。農商務省は大蔵省、内務省などに比べると落ちる省庁と見られていたこともあり、岸の農商務省入りは驚かれた。
その後、商工官僚として順調にキャリアを積み重ね、満州国建国後は満州で革新官僚の一人として辣腕をふるい、その名を轟かせる。満州時代からの仲である東条英機の内閣にて商工大臣として初入閣するが、昭和18年(1943年)に、商工省が軍需省に改組され、軍需大臣に東条が就き、軍需政務次官に降格すると、東条と対立するようになり、翌年、サイパン島陥落後の東条内閣倒閣運動に関わる。
戦後、A級戦犯として逮捕されるが最終的に不起訴となり(ただし、公職追放された)、公職追放解除後は衆議院議員になる。無所属だった彼は最初、社会党に入党しようとするが失敗、弟栄作のとりなしで自由党に入る。が、翌年吉田茂に反発し、除名される。その後、鳩山一郎と手を結んで日本民主党結成に参加、自民党成立後は初代幹事長となる。その後、鳩山内閣、石橋内閣を経てついに内閣総理大臣に上り詰めた。
内閣総理大臣としては、教科書では日米新安保条約の締結ばかりが目立つが、最低賃金制度の導入、国民皆保険、国民皆年金の制度を作るなど、現在も続く重要な福祉政策にも力を振るった。
首相退任後も20年近くにわたって衆議院議員を務め、昭和末期の昭和62年(1987年)に死去した。享年90歳。
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最終更新:2025/12/12(金) 22:00
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