後藤洋央紀とは、新日本プロレス所属のレスラーであり、ド天然である。
三重県立桑名工業高等学校出身。柴田勝頼とはそのころからの同級生である。
2002年に新日本プロレスに入団するが、肩を脱臼し、一旦新日本を退団。柴田の家に居候して病院に通い、リハビリにつとめ、2002年11月、新日本に再入団を果たした。
2006年メキシコへ無期限海外遠征に出発。
2007年8月圧倒的なヘビーの体を作って新日本へ帰還。棚橋とのIWGP戦において激闘を繰り広げるが敗退。
2008年は「夏の祭典」G1 CLIMAXに初出場し初優勝を取る。初出場で優勝を取るレスラーは第一回の蝶野を除けばこの時点では後藤が初めてであった。
2010までにプロレスリングNOAHの杉浦貴と3度戦うも3連敗。また、ここぞという大一番での勝負に連敗し、ファンからも「塩試合」、「落ち武者(彼のニックネームである荒武者にかけて)」と評価されてしまう。
2011年再びメキシコに遠征し本人曰く「NEW荒武者」として同年5月に凱旋。6月に棚橋のIWGPに挑戦し敗退するもベストバウト級の試合を見せた。
2012年1月4日、レッスルキングダムVIにおいて杉浦と一騎打ちを行う。昇天・改でピンフォール勝ちを収め、ついに杉浦から初勝利を収めた。
2月12日、THE NEW BEGINNINGにて、田中の所持するインターコンチネンタル王座に再度挑戦。勝利を収め、ヘビー級に転向してから初の王座奪取となり第3代IWGPインターコンチネンタル王者に戴冠した。
2013年 盟友・柴田勝頼が新日本マットに再登場。同級生対決として激しい試合を見せる。
2014年1月4日、レッスルキングダム8の舞台で、柴田勝頼を相手に復帰戦を行い本興行におけるベストバウトとの声が大きい。 試合は昇天・改でピンフォール勝ちを収め、柴田から初勝利した。試合後、グロッキー状態に陥った後藤の許に柴田が駆け寄り、二人は肩を組んで退場していった。ここは涙なしでは見られない
幾度となくIWGPに挑むも敗退。筆者は平成の木村健吾になってしまわないか非常に心配している。柴田とのタッグを機に巻き返しを期待したい。
・「G1のGは、後藤のG!」 ---G1においての決め台詞。
ほかにもWORLD TAG LEAGUE2012において優勝した際に、「万歳三唱」を行うなど、ファンや選手の間で物議を醸し出した。
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最終更新:2025/12/07(日) 07:00
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