新井貴浩とは、阪神タイガースに所属するプロ野球選手である。背番号は一貫して25。
また同じ阪神タイガースに所属する新井良太は実弟である。
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野球一家に生まれ、広島工業高校で甲子園を目指すも自分がレギュラーの年には出られなかった。(1年の頃スタンドで応援していた)。その後駒澤大学に進学する。
大学通算本塁打はわずか2本で、守備も下手だったためぶっちゃけドラフトにかかるレベルではなかったが、大学の先輩である野村謙二郎の自宅に突撃しアピールしたのが野村の目に留まり、新井を推薦したためドラフトにかかったらしい。
2007年まで広島東洋カープの中心選手として活躍する一方、ネタ成分の非常に強い選手であり、守備の粗さから「粗ゐ」と山本浩二監督にすらネタにされていた。
2006年、黒田博樹が生涯広島宣言。このとき新井もそれに関して発言したようだがマスコミによって「生涯広島宣言」と解釈されてしまう。新井がこの時どう思っていたかは不明である。
2007年オフFA宣言するも広島ファンからは当然強烈な反発があった。が、兄貴と慕う金本のいる阪神タイガースに入団する。(ちなみに、カープが提示した年俸は阪神より高かったとか)
この瞬間、新井が赤いユニホームを着ていたという歴史は抹消された。
パワフルな打撃が持ち味で2000~2007年は本塁打二桁を記録しており、特に2005年は本塁打数43本を放ち、ホームラン王に輝いた。
守備位置はサードとファースト。広島入団当初は外野を守ることもあった。2008年シーズンはファーストメインで出場した結果一塁手としてゴールデングラブ賞を獲得している。本人はサードをメインとしたいようであるがエラーの数はかなり多く、苗字と掛けて「粗い」「粗いさん」というニックネームが野球板などで付けられていた。
なお、広島在籍当時監督をしていた山本浩二もこのニックネームで呼んでいた。
2008年シーズンは前半好調であったが、後に腰の骨折が発覚した。にも関わらずわしによって北京五輪の代表に召集され腰も悪化し、後半戦を棒に振る。移籍一年目は期待にこたえたとは言い難かった。
2009年は、日本プロ野球選手会会長に就任するも、不振にあえぎフルイニング出場を続けるものの打撃成績は.260 15本 82打点とまたしても期待を裏切り、Bクラス転落の戦犯の一人になってしまった。
2010年はチーム打線が全体的に大爆発。1番マット・マートン、2番平野恵一が共に残した3割5分近い打率に応える形で、打率.311、100打点を記録。金本知憲のフルイニング出場ストップ以降4番に座り続け結果を出した。
2009年オールスター直前の7月20日対ヤクルト戦、まさかの盗塁を敢行するもベースに全く手が届かない見事なヘッドスライディングを披露する。このスライディングは例の会見コメントから「ヘッドツライディング」 と呼ばれるようになる。
2010年も数字こそ残したものの、致命的寸前のボーンヘッドをやらかしたり(「犠牲ツライ」)肝心な局面で絶対に必要な一打が出なかったりと、何かと残念シーンが多くそれも目立った為、数字通りの評価をしてもらえないことも多い。
広島時代からの先輩である金本知憲のことを「お兄ちゃん」と呼ぶほど慕っており、金本のブログにもしょっちゅう登場している。
旧広島市民球場には選手全員のサインがあるが25番の選手のサインのみ消えている。
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最終更新:2025/12/10(水) 12:00
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