新井貴浩(あらい たかひろ、1977年1月30日-)とは、広島県出身のプロ野球選手(内野手)である。現在は広島東洋カープに所属。
また、阪神タイガースに所属する新井良太は実弟である。
| 広島東洋カープ #25 | |
|---|---|
| 新井貴浩 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 広島県広島市 |
| 生年月日 | 1977年1月30日 |
| 身長 体重 |
189cm 94kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 内野手 |
| プロ入り | 1998年 |
| 経歴 | |
|
|
| 基本情報 | |
| 代表チーム | |
| 五輪 | 2008年 |
| WBC | 2006年 |
| プロ野球選手テンプレート | |
野球一家に生まれ、広島工業高校で甲子園を目指すも自分がレギュラーの年には出られなかった(1年の頃スタンドで応援していた)。高校3年生の時には広陵高校に在籍していた福原忍、二岡智宏らと対戦したことがある。その後駒澤大学に進学する。
大学通算本塁打はわずか2本で、守備も下手だったため、ぶっちゃけドラフトにかかるレベルではなかったが、大学の先輩である野村謙二郎の自宅に突撃しアピールしたのが野村の目に留まり、新井を推薦したためドラフトにかかったらしい。
2007年まで広島東洋カープの中心選手として活躍する一方、ネタ成分の非常に強い選手であり、守備の粗さから「粗ゐ」と山本浩二監督にすらネタにされていた。
2007年オフFA宣言し、兄貴と慕う金本知憲のいる阪神タイガースに移籍(阪神移籍時参照)。この時の迷言により、「辛いさん」と呼ばれるようになる。
2008年シーズンは前半好調であったが、後に腰の骨折が発覚した。にも関わらずわしによって北京五輪の代表に召集され腰も悪化し、後半戦を棒に振る。移籍一年目は8本塁打、56打点と期待に応えたとは言い難かったが、ゴールデングラブ賞を初めて受賞。
2009年は、日本プロ野球選手会会長に就任するも、不振にあえぎフルイニング出場を続けるものの打撃成績は打率.260 15本 82打点とまたしても期待を裏切り、Bクラス転落の戦犯の一人になってしまった。
2010年はチーム打線が全体的に大爆発。1番マット・マートン、2番平野恵一が共に残した3割5分近い打率に応える形で、打率.311、100打点を記録。金本知憲のフルイニング出場ストップ以降4番に座り続け結果を出した。
2011年、東日本大震災発生後、選手会長として、開幕延期を訴え続けた。シーズンでは打点王を獲得。
2012年、リー兄弟以来の兄弟アベックホームランを達成。しかしこの年は打撃不振に陥り、「新井が悪い」といわれることが多くなった(人物・評価参照)。
2014年は新外国人マウロ・ゴメスが一塁手のレギュラーになり、新井は三塁を守ったりするなどするが、出場機会が大幅に減り、代打出場が多かった。オフに出場機会をもとめて自由契約になる。その後、古巣の広島への復帰が決まった。
2015年は開幕から故障の影響で代打での出場が続いていたが、4番でのスタメン出場が増える。後半戦にはレギュラーに定着し、規定打数に到達し打率.275、7本塁打、57打点を記録した。オフに背番号を25に変更した。通算2000本安打まであと29本、通算300本塁打まであと13本とした。
2016年4月26日の東京ヤクルトスワローズ戦で史上47人目の通算2000本安打を達成。8月2日の東京ヤクルトスワローズ戦にて史上42人目の通算300本塁打を達成。打撃好調を後半戦も維持し、広島の25年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献し、MVPとベストナインを受賞した。
2006年、黒田博樹が生涯広島宣言。このとき新井もそれに関して発言したようだが、マスコミによって「生涯広島宣言」と解釈されてしまう。新井がこの時どう思っていたかは不明である。(ファンからは「広島を出ることはない」と思われていたようである)。
そのため2007年オフに阪神タイガースに移籍する際、当然広島ファンから猛烈な反発があった(ちなみに、広島が提示した年俸は阪神より高かったとか・・・金に特にうるさい事に定評のある広島が他球団より高い年俸を提示するなんてことは余程の実績を持たない限り考えられないことである)。
また会見で「辛いです。カープが好きだから」「FAなんて(制度)なければよかったのに」などと涙を流しながら発言したことでむしろ広島ファンの心象を逆撫で。
この瞬間、新井が赤いユニホームを着ていたという歴史は抹消された。またこの逸話により、彼のあだ名として「辛いさん / ツライ」が定着することとなった。
※注釈するが、生涯広島宣言をしながら新井と同じ2007年オフにメジャー移籍で渡米した黒田が大きく非難されなかったのは、残留を願う横断幕を見た事(と黒田の父の病気)で4年メジャー挑戦権オプション付の形にて一応残留を決めた事、父の死去後メジャー挑戦権行使を表明した際、FAで他球団に入ることはないことと、日本復帰するならカープしか考えていないと表明していた面があったからである。
2015年、黒田ともども古巣の広島へ復帰することとなり、阪神移籍によって抹消されていた歴史が復活した。
なおカープ側は新井の再復帰に前向きで、自由契約後から呼びかけがあったと新井の自著などに記されている。
パワフルな打撃が持ち味で2000~2007年は本塁打二桁を記録しており、特に2005年は本塁打数43本を放ち、ホームラン王に輝いた。
守備位置はサードとファースト。広島入団当初は外野を守ることもあった。2008年シーズンはファーストメインで出場した結果一塁手としてゴールデングラブ賞を獲得している。本人はサードをメインとしたいようであるがエラーの数はかなり多く、苗字と掛けて「粗い」「粗いさん」というニックネームが野球板などで付けられていた。
なお、広島在籍当時監督をしていた山本浩二もこのニックネームで呼んでいた。
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| 広島 | 応援歌のピコカキコ一覧#539 | 10082 | |
| 阪神 | 応援歌のピコカキコ一覧#187 | 8812 |
(2016年終了時点)
| 通算:18年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 2220 | 8379 | 7577 | 1011 | 2107 | 370 | 21 | 306 | 1231 | 41 | 4 | 73 | 655 | 70 | 1611 | 231 | .278 | .338 |
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最終更新:2025/12/10(水) 09:00
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