新自由主義 単語


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シンジユウシュギ

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新自由主義(英:Neoliberalism)とは、思想・信条の一類型である。

市場原理主義英:Market fundamentalism)と批判者に呼ばれることがある。
 

概要

辞書に記載されている定義

新自由主義について辞書に記載されている定義は次の通りとなっている。

政府の規制を緩和・撤廃して民間の自由な活力に任せ成長を促そうとする経済政策。

-知恵蔵(朝日新聞出版)より引用-

 

政府などによる規制の最小化と、自由競争を重んじる考え方。規制や過度な社会保障・福祉・富の再分配は政府の肥大化をまねき、企業や個人の自由な経済活動を妨げると批判。市場での自由競争により、富が増大し、社会全体に行き渡るとする。ネオリベラリズム。

-デジタル大辞泉(小学館)より引用-

 

性質その1 小さな政府

新自由主義者は政府の権力を弱体化させるのを好み、小さな政府を理想とする。政府の経済への介入を徹底的に嫌い、市場原理(market principle)や競争原理(competition principle)に委ねれば上手くいく、と力説する。

政府による社会保障・社会福祉・富の再分配を敵視し、「政府の肥大化をまねき、企業や個人の自由な経済活動を妨げる」と批判する。

新自由主義者の一部は「政府の権力を強くすると全体主義になる。戦前戦中の軍国主義日本やナチス・ドイツやソ連や北朝鮮や毛沢東時代の中国のようになる」というふうに全体主義への恐怖心を煽りつつ自らの主張を述べることがある。

新自由主義者の一部は、官僚を叩いて民間企業を褒め称えることに熱心である。そういう姿は民尊官卑と評される。

身を切る改革」と称して公務員や議員の給料を引き下げる緊縮財政を支持する傾向にある。公務員の給料を引き下げることで優秀な人材が民間企業へ流れるようになり、官公庁の士気と実力が低下する。また議員の給料を引き下げることで賄賂や接待に弱い議員が増える。新自由主義により政府や議会の弱体化が進んでいく。

「官から民へ」「民間でできることは民間で」という合言葉を好み、政府が手がける官営事業をことごとく民営化することを好む。利益追求を第一としない官営事業団体から、利益追求を第一とする民営企業に変貌させようとする。

新自由主義者は「政府というものは民間企業と同じような存在であり、利益追求をしなければならない」という信条を持っている。このため「官営事業は不採算部門そのものであり、政府の利益を食いつぶしていて、赤字垂れ流しの状態なので[1]、官営事業を削減するのが当然のことだ」と主張する。ちなみに、そうした主張に対して「政府というものは民間企業と全く異なる存在であり、利益追求をするのではなく公益追求をすることを義務づけられている。官営事業は公益の拡散装置である」という反論が寄せられることがある。

官営事業の中には低技能労働者を大量に雇用して安定した待遇を与える部門があり、低技能労働者を雇用して過酷な待遇を与える民間ブラック企業が出現しにくいようにしている。つまり官営事業には「世の中の労働待遇を維持する装置」「民間ブラック企業の出現を抑制する装置」「民間ブラック企業を漂白する装置」という一面がある。官営事業を民営化することで、低技能労働者を雇用して過酷な待遇を与える民間ブラック企業が出現しやすいようになり、雇用情勢の悪化、つまり賃下げと長時間労働の蔓延が進んでいく。
 

性質その2 自助論

新自由主義を信奉する人の中には、自助論を熱心に説いて回る人が見られる。

新自由主義者の一部は、「自助の精神を持つ人が多いと19世紀の英国のように繁栄する。自助の精神を持つ人が少ないと1970年代の英国のように没落する」と論じて、自助の精神が繁栄の要因であるかのように扱う。そういう姿は新・自助主義といっていいほどで、とにかく自助というものを重視する傾向がある。

新自由主義者の一部は、賃下げによって貧困に苦しむ人たちに対して「自助をするべきだ。他人を当てにするな。公助(政府の支援)は無いものと思え」と発言する傾向がある。

新自由主義者の一部は、低技能労働者が賃下げに苦しむことに対して、自己責任という言葉を使いつつ「努力をせず己の技能を磨かないからだ」と放言する傾向にある。

新自由主義者の一部は、「人は誰もが自助をするべきだ」と人々に自助を義務付けようとしたり、「人なら誰でも自助ができるはずだ」と人々に自助の可能性を指摘したりする。そういう言動を繰り返すことで、自らに課せられた「人を助ける義務」をできるかぎり縮小し、自らに課せられた「他人を助けるために時間とお金と労力を負担する債務」をできる限り縮小しようとする。
 

性質その3 労働意欲の刺激

新自由主義は、個人の自由を何より優先するリバタリアニズムと掛け持ちして支持する人が見られる。新自由主義は経済思想で、リバタリアニズムは政治思想なので、この2つの言葉は畑違いだが、累進課税を敵視するところなどの共通点がある。

所得税の累進課税を弱体化させ、労働意欲を活発化させ、国内の生産力・供給力を強めるのが大好きである。人々の労働意欲を刺激すること、つまりインセンティブ(刺激)を与えることを優先する傾向があり、「労働意欲至上主義」といった観がある。

また、終身雇用・年功序列の賃金体系を否定して成果主義・能力主義の賃金体系を導入し、労働意欲を刺激しようとする傾向もある。

「累進課税を弱体化させたり年功序列を否定したりして自由競争が過度に突き進むと、貧富の格差が拡大し、格差社会となり、大多数が貧困生活に陥って、ごく少数の人たちが富を独占してしまう」という批判に対しては、「トリクルダウンが発生し、社会全体に行き渡る」と反論する。

また、新自由主義者の一部は「貧困は人を助ける。貧困は人を成長させる。貧困に直面することで労働意欲が増えて人の可能性が呼び起こされる」という趣旨のことを言って、人々が貧困生活に転落すること自体を大いに肯定することがある。そうした姿は新・貧困主義と表現することができるだろう[2]

「才能を発揮すればするほどガッポガッポと稼げる夢のある社会を作り上げる」「才能を発揮する人に夢を見せる」といったふうに才能という綺麗な言葉を織り交ぜて語りかけ、人々の金銭欲を強烈に刺激する。

新自由主義者の一部は、「累進課税や年功序列によって、頑張った人が痛めつけられている」とか「頑張った人が報われていない現状を変えて、頑張った人が報われる社会を作ろう」とか「頑張る人が足を引っ張られている現状を変えて、頑張る人が足を引っ張られない社会を作ろう」という言い回しを非常に好む。いずれのスローガンも、「自分は頑張っている」と信じている人の被害者意識を強く刺激するものであり、わりと扇情的な言い回しである。

新自由主義者は勤勉を深く愛し、怠惰を激しく憎む。また、論争相手に対して「怠け者」というレッテル貼りをして論戦で優位を得ようとする傾向がある。

人は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてる生物であり、本質的に「怠惰」を必要とする生物なのだが、論戦に臨む新自由主義者はそのことを都合良く忘れて「自分は勤勉であり全く怠惰ではない」という態度で振る舞う。

新自由主義者は、労働意欲を抑制しようとする人を厳しく批判する傾向がある。「ほどほど」「適度」「無理のない範囲で」という言い回しをする人を非常に嫌い、そうした言葉を発する人に対して「衰退する、ダメになる、発展途上国に追い抜かれる、先進国から脱落する」といった警告をする。そして「とことん」「徹底」「どこまでも頑張る」という言い回しを非常に好む。そうした新自由主義者の言動は、結果として労働者に対する労働強化の鞭となる。新自由主義者が歩くところは労働強化の嵐が激しく吹き荒れる。ゆえに新自由主義は新・労働強化主義と表現することができる。

労働意欲が熾烈になればなるほど、「仕事すればするほど、お金が儲かる」とみんなが思いこむようになり、「休暇を取っている場合ではない、空いた時間をすべて仕事に注ぎ込もう」という仕事中毒(ワーカホリック)の心理状態となり、長時間労働が増えて労働者の余暇が減っていく。新自由主義に染まると仕事中毒(ワーカホリック)と長時間労働が蔓延する傾向にある。このため、新自由主義は新・仕事中毒主義と表現することができる。

仕事中毒(ワーカホリック)と長時間労働が蔓延すると、非婚化と少子化が進んだり、人口が減少したり、消費意欲が減退したり、需要が減ってデフレになったりする。新自由主義が広まるとデフレになるという傾向がある。
 

性質その4 直接金融

新自由主義は、銀行が貸し付けを行う間接金融についてやや否定的で、投資家が株式・社債を購入することで直接的に企業へ出資したり貸し付けしたりする直接金融に対してやや肯定的な一面がある。間接金融の割合を減らして直接金融の割合を増やすことに熱心であり、「間接金融から直接金融への転換を目指すべきだ」と主張することが多い。

バーゼル規制(BIS規制)を強化するなどして銀行の信用創造を制限することを好む。新自由主義が盛んになる時代は、銀行にとってやや辛い時代となる。

新自由主義が流行する国では、投資家が株式・社債を売買する直接金融が人気になるが、それと同時に、投資家が先物商品や外貨や暗号資産を売買する『投機商品売買』も人気になる。

新自由主義は、個人が投資しやすい環境を整えて、個人投資家が増えるように取りはからう傾向がある。個人投資家が直接金融や『投機商品売買』に簡単に参加してマネーゲームに熱中できるよう規制緩和することを目指す。「個人が努力して金儲けすることを奨励すべきだ。努力している人の足を引っ張るべきではない」という言い回しで個人投資家を増やそうとする。

個人投資家を増やす政策を実行すると、「寝ても覚めてもお金を増やすことばかり考える」という人や「10万円をもらったら消費に回さずに投資に使う」という人が増えやすくなるので、消費を冷え込ませてデフレをもたらす一因になりうる。

直接金融や『投機商品売買』の大きな欠点は、人々が本業に集中しなくなる、という点である。「ラーメン屋を経営する親父が株式投資に熱中してラーメンの味が落ちる」というようなことが起こりやすくなってしまう。本業を怠る人の割合が少しずつ増え、文明の発展というものに陰りがみられるようになる。

直接金融や『投機商品売買』は「賃下げすることで利益を稼ぎ出そうとする経営者」にとって望ましいものである。給料の少ない労働者に対して「給料が少なくて困っているのなら、株式や社債や先物商品や外貨や暗号資産を売買してマネーゲームをしてお金を増殖しろ」という態度をとりやすくなり、心理的に賃下げしやすくなる。
   

性質その5 株主至上主義

新自由主義の支持者には、「会社は株主・投資家のものであり、株主・投資家に利益をもたらすために存在する」と主張する者が多い。そうした考え方を株主至上主義とか株主資本主義という[3]

株主至上主義になると、従業員に対する給与を減らして利益を増やし、その利益で株主に対する配当金を増やし、株主や投資家からの評価を高めて株価を上げようとする。従業員に対する賃上げを嫌がるようになり、人材を長期にわたって雇用して熟練労働者に育て上げることを優先しなくなり、平気で従業員に対する賃下げに踏み切るようになる。その結果として労働分配率が低下し、一般的に給与が少ないとされる非正規労働者の割合が増え、貧困層の拡大につながっていく。

株主至上主義になると、法人税が増税されたときに消費者や従業員や協力企業に租税負担を転嫁するようになる。消費者へ高値で商品を売りつけたり、従業員の給料を賃下げしたり、協力企業へ支払う代金を削減したりする。法人税が直接税ではなく間接税に近い存在になっていく。

株式投資をしてA社の株を所有したうえで株主至上主義に染まると、A社の従業員の給料が下がって配当金が増えることを心の底から喜ぶようになる。またB社の従業員の給料が下がったり公的職場の給料が下がったりすると「世の中に賃下げの流れが起こっているのでA社の給料も下がるだろう」と考えて喜ぶ。

新自由主義の一部には、「株主至上主義は所有権の絶対性を尊重するので資本主義の本来の姿である。欧米では株主至上主義が一般的なのに、日本は株主至上主義を受け入れていない。ゆえに、欧米は資本主義を理解していて優れており、日本は資本主義を理解せず劣っている」という煽りをして、日本人の欧米コンプレックスを上手に刺激しつつ、株主至上主義を賞賛する者がいる[4]

ちなみに、1960年代までのアメリカ合衆国において株主至上主義は一般的ではなかったと指摘されることがあり[5]、「欧米では株主至上主義が一般的」という表現には疑わしいところがある。 
 

性質その6 関税の撤廃

新自由主義は国家意識の無い国際主義思想であり、国境と関税をひたすら敵視し、自由貿易を極限まで推し進めようとする傾向がある。FTAやTPPといった国境の壁を取り除く貿易協定を好み、EUのような国境の消滅を理想視する。いわゆるグローバリズムとの親和性がとても高い。

新自由主義者の一部は、関税を撤廃するような貿易協定を導入するとき、「世界に置いていかれる」「世界中の国が発展し、日本だけが取り残される」「バスに乗り遅れるな」というような、感情に訴えかける煽りを駆使する。

新自由主義者の一部は、「世界各国が関税を引き上げて保護主義に走ると戦争が起こる。第二次世界大戦の原因は関税である」と主張したり、「世界各国が関税を撤廃して自由貿易を促進すると世界平和が実現する」と主張したりする。このうち後者の主張に対しては「第一次世界大戦の直前においてイギリスとドイツの間における貿易は非常に規模が大きかった。貿易が活発に行われれば戦争を回避できるというわけではない」という反論が寄せられることがある[6]

自由貿易を促進すると、各企業は発展途上国の低賃金労働者が作った製品との価格競争にさらされるので、人件費の削減を目指すようになり、賃下げ(ちんさげ)が進んでいく。ゆえに自由貿易は賃下げ貿易といっていいものである。新自由主義は、そういう自由貿易を全面的に肯定する思想であるので、新・賃下げ主義といっていいだろう。

新自由主義が流行する先進国では、企業経営者が労働者に向かって「我々経営者は、君よりも安い賃金で君と同じ働きをする労働者を、発展途上国においていくらでも見つけることができる」と言って労働者に賃下げを受け入れることを迫ったり、「発展途上国の労働者に君たちと同じ賃金を支払うと、君たちよりもずっと活発に働いてくれる」と言って労働者に労働強化(実質的な賃下げ)を迫ったりする。そうした言葉を頻繁に聞かされる労働者たちは「自分たちは高い賃金をもらう資格があるのだろうか・・・」と自信を喪失していく。

自信を喪失した人間は自分以外の誰かを攻撃することで自信を取り戻そうとする習性があるのだが、先進国の労働者たちもそういう習性を持っている。ネット上で、あるいは政治活動で、もしくは経済論議で、対立相手を過度に攻撃する行為に傾倒するようになる。その結果として、先進国で社会の分断と憎悪が広がっていく。

新自由主義の蔓延により自信喪失と攻撃的言動と社会の分断が発生する。新自由主義は、新・自信喪失主義といっていいだろう。

新自由主義がはびこる国では、攻撃的言動を繰り返す政治指導者が大人気となる。外国に喧嘩腰で対応したり国内の対立政治勢力を痛烈に批判したりして「何かを攻め立てる姿」を見せつけると、新自由主義によって自信を破壊された労働者たちが熱心に支持してくれる。
 

名称

新自由主義英:Neoliberalism)という言葉を考案したのは、ドイツのアレクサンドル・リュストウという経済学者である。1938年に知識人が集まって開催されたウォルター・リップマン国際会議で、この言葉を発表した。
 

核となる経済思想

新自由主義の基礎となった経済学者は、フリードリヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンとされる。ミルトン・フリードマンはアメリカのシカゴ大学で教鞭を執り多くの弟子を育てたので、彼を慕う経済学者の一群をシカゴ学派(シカゴボーイズ)という。また新自由主義の基盤となる経済学を新古典派経済学と呼ぶこともある。

人々の労働意欲を刺激して国内の生産力・供給力を強めることを重視するサプライサイド経済学(供給者側経済学)も、新自由主義の基礎の1つとされる。これの支持者をサプライサイダーというが、主な人はロバート・マンデル、アーサー・ラッファーなどである。

ちなみにサプライサイド経済学の反対に位置するのはケインズ経済学で、需要・消費の活性化を重視するものである。

サプライサイド経済学は、ジャン=バティスト・セイが唱え始めたセイの法則(セーの法則、販路法則)を中核にしている。セイの法則とは、「供給は、それ自体が需要を創造する」と表現されるものである。


アダム・スミスは『国富論』という著作で「見えざる手」という経済思想を書いた。そして、後世の経済学者たちがアダム・スミスの言葉を引用しつつ「それぞれの個人が自分の利益だけを追求すると、見えざる手により導かれ、社会全体の利益が増進する」と説くようになった。

「それぞれの個人が自分の利益だけを追求すると、見えざる手により導かれ、社会全体の利益が増進する」という考えは、「それぞれの個人が自分の利益だけを追求するのを肯定しておけば、何もかもよくなっていく。政府の規制を緩和して、それぞれの個人を自由に活動させよう」という考え方となり、新自由主義の規制緩和を後押しするものとなった。
 

親和性の高い自己啓発本

サミュエル・スマイルズという英国の作家は1859年に『自助論』という作品を発表した。序文に「天は自ら助くる者を助く」という文章があり、そのあとはひたすら「努力すれば成功する」「成功者は他人の援助を当てにせずに努力をした」という内容が続く。新自由主義者のなかには『自助論』を絶賛するものがいる[7]
 

市場原理主義という表現

市場原理主義英:Market fundamentalism)という表現は、新自由主義(英:Neoliberalism)の別名称である。
  

命名者とされる人、学術誌における初出

Market fundamentalismという言葉は、イギリスの社会問題ジャーナリストであるジェレミー・シーブルックが生み出したものであるという。パラグミ・サイナートというインドの社会問題ジャーナリストが、そのように述べている(記事)。

ジェレミー・シーブルックは、『世界の貧困―1日1ドルで暮らす人びと』という著作を持っており、新自由主義を批判し、格差の拡大に警鐘を鳴らすタイプの人である。

1991年8月の『Anthropology Today(こんにちの人類学)』という人類学者向けの学術誌の1~2ページに、Market fundamentalismという言葉が載っている。

経済学者の八代尚宏は「市場原理主義という言葉は、そもそも経済学にはありません。」と『日刊サイゾー』の2011年10月29日版で語っている。

パラグミ・サイナートと八代尚宏の発言を総合すると、「Market fundamentalismという言葉は、経済学の外にいるジャーナリストが、新自由主義に対して独自の感覚で名付けたものであり、経済学者たちの議論から生まれた経済学用語ではない」ということになる。
 

蔑称の響きがある

市場原理主義(Market fundamentalism)という言葉には蔑称の響きがある。

原理主義(fundamentalism)というのは、天地創造など聖書の記述をすべて事実と扱う米国キリスト教運動のことを指す言葉である。そうした運動をする人たちを批判するときに使われた蔑称だという(臼杵 陽の論文)。

1979年にイランで革命が起こった。このとき政権を奪取した人たちをイスラム原理主義者(Islamic fundamentalist)と呼ぶようになった。このため、「○×原理主義」というのはイメージが悪い言葉で、これを自称する人はとても少ない。
 

批判者達に使用される

市場原理主義という言葉は、新自由主義を批判する立場の経済学者によって使われることがある。

ジョセフ・スティグリッツは、2001年にノーベル経済学賞を受賞したとき、次のような文章を書いている。

More broadly, the IMF was advocating a set of policies which is generally referred to alternatively as the Washington consensus, the neo-liberal doctrines, or market fundamentalism, based on an incorrect understanding of economic theory and (what I viewed) as an inadequate interpretation of the historical data.

-ジョセフ・スティグリッツ『Facts』-

 
the neo-liberal doctrines, or market fundamentalism と書いてある。「新自由主義の信条、言い換えると市場原理主義」といった意味であり、新自由主義をわざわざ言い直している。
 

歴史的背景

第二次世界大戦後、先進国で目指されたのは、第一次世界大戦と第二次世界大戦やその間に起きた世界恐慌を再び繰り返さないようにするべく、国際的・国内的な政治的平和と経済的安定化を確保するような秩序の構築だった。

この秩序を可能にする政治経済体制として多くの国々に合意されたものを、国際政治学者のジョン・ラギーは「埋め込まれた自由主義」と定義した。すなわち、市場を自由放任にすると不況や失業が生じるので、「調整的、緩衝的、規制的な諸制度の中に」これを「埋め込む」。つまり、国際的には「自由貿易体制によって国際経済の開放性を高め」つつ、他方で、国内的には「政府が国際競争に脆弱な国内の社会集団を保護する」福祉国家的政策を勧めた。いわゆる修正資本主義であり、ケインズ経済学はこれを後押しするものである。

この修正資本主義は、先進諸国の経済成長があった1960年代まではうまく機能してきたが、1960年代末頃から機能しなくなった。国際経済的には世界的規模のスタグフレーション(不景気とインフレーションの同時進行)が起き、各国の国内経済的には財政危機が起きた。それらの原因は、1965年~1975年のベトナム戦争、1973年の第一次オイルショック、1979年の第二次オイルショックとされる。

こうした深刻な危機に直面する中でいくつかの対案が出されたが、結局、国家によるコントロールをより徹底させるべきだとするケインズ経済学陣営と、市場の自由競争を活発化させるべきだとする新古典派経済学陣営に分かれることになり、後者の、新古典派経済学陣営が先進国の政治の中で影響力を持つようになった。これが市場原理主義とか新自由主義と呼ばれるものである。

1980年代のアメリカでロナルド・レーガンがレーガノミクスという経済政策を推し進め、同じ時期にイギリスでマーガレット・サッチャーがサッチャリズムという経済政策を採用した。いずれも、規制緩和と累進課税弱体化を組み合わせた経済政策で、新自由主義の影響を濃厚に受けている。また、日本においても、中曽根康弘首相が、国鉄、電電公社、専売公社、日本航空を相次いで民営化し、新自由主義的政策を実行している。

理論の柱

新自由主義は「埋め込まれた自由主義」から自由主義を解き放つことを主張する。すなわち、社会民主主義的福祉国家政策=大きな政府によって膨らんだ財政赤字を削減するための口実として小さな政府が謳われる。ここから国営事業、公営事業の民営化が進められた。また、国家による市場介入ではなく、市場を自由放任にすることが国民に公平と繁栄をもたらすという市場原理主義が求められた。この考えから市場の自由を妨げる様々な領域での規制を緩和していくことが目指された。

理論の実践

新自由主義的国家編成の最初の実験が行われたのは、1973年のチリである。民主的に選ばれた左翼社会主義政権が、アメリカのCIAとキッシンジャー国務長官によって支援されたピノチェト将軍によるクーデターで転覆させられたあと、ミルトン・フリードマンが拠点としていたシカゴ大学から送られた経済学者たち(シカゴ学派)によってピノチェト軍事政権下で新自由主義政策が、推進された。チリ経済は短期的には復興を見せたが、大半は国家の支配層と外国の投資家に利益をもたらしただけだった。

しかし、この実験を成功とみなした陣営が、1979年以降、イギリスのマーガレット・サッチャー政権とアメリカのロナルド・レーガン政権下で新自由主義政策を推進した。その後、アメリカで1990年代に加速された金融化が世界中に広がり、アメリカへと利益を還流させた。結果、アメリカ経済は好況を呈するようになる。

こうしてアメリカの新自由主義が様々な経済問題の解決策であるかのように振る舞うことが政治的に説得力を持つようになり、1990年代のワシントン・コンセンサス、WTOの創設で新自由主義は確立するようになる。更に、1990年代には発展途上国だけでなく、日本やヨーロッパも新自由主義的な道を選択するよう経済学や政治の場で主張されるようになる。

トリクルダウン

新自由主義理論の一つの理論的根拠として、トリクルダウン理論がある。トリクルダウンとは、社会民主主義的福祉国家のように、国家の財政を公共事業や福祉などを通じて貧困層や弱者に直接配分するよりは、大企業や富裕層の経済活動を活性化させることによって、富が貧困層や弱者へと「したたり落ちる」のを待つ方が有効であり、その方が国民全体の利益になるという考え方である。

税制の改正に関して言えば、これを根拠に富裕層の税金が軽減され、企業に対しておびただしい数の補助金や優遇税制が提供された。こうして富の配分比率が富裕層よりに変えられた。また、企業の経営方針の見直しが行われ、その延長線上で労働法の改正が行われた。日本では、その経営の特徴と言われた長期雇用と年功序列型賃金が見直され、アメリカ型とされた株主利益重視になった。これにより、リストラや労働者の賃下げをしてでも、株主への配当を優先することが動機づけられた。この労働者の賃金削減のために雇用の流動化が推進され、労働基準法改正、規制緩和が推進された。日本では2008年において労働者全体に占める非正規労働者の割合が三分の一を超えるまでになった。

富裕層への優遇は、投資をめぐる法解釈にも現れている。投資に関して、借り手より貸し手の権利を重視するようになった。例えば、貧しい者がその住居を差し押さえられる事を何とかするよりも、金融機関の保全と債権者への利払いを優先させる。実際、サブプライムローンの焦げ付きから端を発した2008年の金融危機では、多くのローン返済が困難になった貧困者が住居を追い出されたのに対して、アメリカの金融機関のいくつかは国家に救済された。

主な論者による批判

東京大学名誉教授の宇沢弘文は、「新自由主義は、企業の自由が最大限に保証されてはじめて、個人の能力が最大限に発揮され、さまざまな生産要素が効率的に利用できるという一種の信念に基づいており、そのためにすべての資源、生産要素を私有化し、すべてのものを市場を通じて取り引きするような制度をつくるという考え方である。新自由主義は、水や大気、教育や医療、公共的交通機関といった分野については、新しく市場をつくって、自由市場・自由貿易を追求していくものであり、社会的共通資本を根本から否定するものである」と指摘している。

ニューヨーク市立大学名誉教授のデヴィッド・ハーヴェイは、著書『新自由主義―その歴史的展開と現在』で、新自由主義とは国家権力によって特定企業に利益が集中するようなルールをつくることであると指摘し、著書『ネオリベラリズムとは何か』で、ネオリベラリズムとはグローバル化する新自由主義であり、国際格差や階級格差を激化させ、世界システムを危機に陥れようとしていると指摘している。また自由主義は、個人の自由な行為をそれがもたらすかもしれない代償の責任を負う限りにおいて認めるのに対して、新自由主義は、金融機関の場合、損害を被る貸し手を救済し、借り手には強く返済を求める点から、実現された新自由主義を階級権力の再生と定式化する。
 
ノーベル経済学賞受賞者であるジョセフ・ユージン・スティグリッツは、「ネオリベラリズムとは、市場とは自浄作用があり、資源を効率的に配分し、公共の利益にかなうように動くという原理主義的な考え方にもとづくアイデアをごちゃまぜにしたものだ。サッチャー、レーガン、いわゆる「ワシントン・コンセンサス」である民営化の促進にもとづいた市場原理主義である。4半世紀のあいだ、発展途上国のあいだでは争いがあって、負け組は明らかになった。ネオリベラリズムを追求した国々はあきらかに成長の果実を収穫できなかったし、成長したときでも、その成果は不均等に上位層に偏ることになった」と指摘している。また1990年代の資本還流によるアメリカ経済の好景気は、IMFと世界銀行によるものと説明する。つまり、この2つは、発展途上国が求める融資を提供することと引き換えに債権国やアメリカの意向を反映した、構造調整計画を、1980年代から1990年代を通じて実施要求してきた。しかしこの改革は、メキシコ、アジア通貨危機、ロシア、ブラジルの経済危機、アルゼンチンの全面破綻を引き起こした。結果が伴わない場合は、「改革が十分に実行されなかった」と、責任転嫁をしてきたという。

各国の議論

中国

思想家の汪暉は、中国における新自由主義の特徴の一つとして、国家の推進する国有企業改革を擁護する「国家退場論」を挙げる。1990年代以降、急速に進められてきた国有企業改革は、国有企業の資産や経営権を国から民間へ譲渡する「国退民進」として現れる。しかし、その過程自体が国家的に推進されているため、本来公有資産であったものが、国有企業指導者層ら既得権益者によって実質上私有化されるとして批判される[8]

新自由主義と共産主義の共通点

共産主義(社会主義)という経済思想がある。国内のすべての生産手段を国有化し、 国内のすべての企業を国営企業に変えてしまおうという思想である。

新自由主義は「小さな政府」を志向する思想で、共産主義は「大きな政府」を志向する思想であり、 両者は水と油のように正反対であるかのように見える。

ところが、新自由主義と共産主義には、共通点がいくつか見受けられる。 その共通点を挙げると、以下のようになる。

  • 経済格差が拡大する

新自由主義を採用すると、自由競争が激しくなることでごく一部の勝ち組が富を独占し、大部分の負け組との格差が広がっていく。

共産主義の経済格差も顕著である。国営企業の経営を一手に握る官僚は、富を独占して贅沢な暮らしをする。ソ連のノーメンクラトゥーラは特権階級として有名で、彼ら向けの百貨店も存在した。一方、庶民は配給の列に並んで、決まった量の粗末な品物を受け取る毎日になる。

経済格差を肯定的に扱い、決して修正しようとしないところが、新自由主義と共産主義の共通点である。
 

  • 市場の独占・寡占が進む

新自由主義を採用すると、自由競争が激しくなることで、企業の合併が進んでいく。「競争力を付けなければならない」といいつつ、同業の企業が合併していき、大きな市場シェアを抱える企業ばかりになる。市場を2~3社で寡占するようになる。

共産主義も同じで、国内のすべての企業を国有化することで、政府という超巨大企業1社が全業種の市場シェアを100%独占するようになる。

市場の独占・寡占を肯定的に扱うところが、新自由主義と共産主義の共通点である。
 


明確な共通点は、以上の2点となる。

また、「既得権益に対する嫉妬心を煽りつつ、既得権益の解体を目指す」という点も、曖昧ではあるが共通点の1つといえる。

新自由主義は「政府の規制に保護されている存在」に対する嫉妬心を煽る。公務員、農家、労働組合、正社員といった人たちを既得権益と呼び、そうした人たちが政府規制の保護を受けて不当な利益を享受していると論じたて、既得権益の解体を主張する。

共産主義は資本家・金持ちに対する嫉妬心を煽る。会社を所有する資本家・金持ちを既得権益と呼び、そうした人たちが労働者を搾取して不当な利益を享受していると論じたて、既得権益の解体を主張する。


富を生み出さないのに富を得ている存在、すなわちフリーライダーへの軽蔑と憎悪が強いことも、新自由主義と共産主義の共通点である。言い換えると、新自由主義も共産主義も「働かざる者食うべからず」の精神を強く持っており、働かない者を軽蔑・憎悪する傾向がある。

新自由主義は、払った税金の額よりも多くの額の利益を政府の福祉部門から受けている人を軽蔑する傾向にある。新自由主義の旗手であるロナルド・レーガンは、「福祉の女王(welfare queen)が存在していて、税金をロクに払わないのに福祉制度を悪用して高級車を乗り回している。納税者の富にただ乗りして、納税者を搾取している」と選挙の時に主張していた(批判者から「でっち上げ」と指摘されていた)。

共産主義というと労働価値説であり、そこから「会社の富を本当に作り出しているのは、労働者である」という論理を展開していた。その論理から、「株主である資本家は労働もしていないのに利潤を得ている。労働者の富にただ乗りして、労働者を搾取している」と主張していた。


「官と民が共存する」という思想を持っておらず、官と民の片方がもう片方を徹底的に攻撃することでも共通している。共産主義は典型的な官尊民卑で、民間企業の存在を決して許さないというものである。新自由主義は典型的な民尊官卑で、政府に回す予算を徹底的に削ることを好み、経済における政府の存在を決して許さないという傾向が非常に強い。

「巨大な団体に所属して人事権を振るう現役の権力者」に対する個人崇拝が発生するところも共通点である。共産主義国では独裁者の肖像画や彫刻を広場に設置して、「独裁者の超人的な判断能力が国を正しい方向に導いた」と宣伝して、民衆が崇拝するように仕向ける。新自由主義が流行って累進課税が弱体化した国では、大企業経営者が「カリスマ経営者」になって高額報酬を受け取ることを目指すようになり、経済雑誌に登場してロック歌手かアイドルであるかのように振る舞って、「経営者の超人的な判断能力が大企業を正しい方向に導いた」と宣伝して、民衆が自らを崇拝するように仕向ける[9]
 

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関連項目

  • 政治
  • 経済学
  • 資本主義
  • 新保守主義
  • 自由
  • 市場
  • 自助論
  • 自己責任
  • ブラック企業
  • 民尊官卑
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  • 累進課税
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  • リバタリアニズム
  • グローバル化(グローバリズム)
  • フリードリヒ・ハイエク
  • ミルトン・フリードマン
  • ロナルド・レーガン
  • マーガレット・サッチャー
  • 竹中平蔵
  • 小泉純一郎
  • デービッド・アトキンソン
  • 渡部昇一
  • 親米保守

脚注

  1. *「垂れ流し」とは汚水を排出する公害企業を連想させるネガティブな表現である。財政政策の論争では、相手のイメージを悪くさせるネガティブ表現を駆使するのが恒例である。
  2. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵や小泉純一郎が愛読して絶賛するサミュエル・スマイルズの『自助論』には、「貧困になっても成功できる。貧困が人を成長させる」という思想が随所に見られる。
  3. *株主至上主義(株主資本主義)の反対語をステークホルダー資本主義といい、企業が従業員・取引先・顧客・地域社会といったあらゆるステークホルダー(利害関係者)へ貢献することを目指すものである。
  4. *この典型が小室直樹であり、『日本人のための経済原論』などの著作で熱心に「日本人は株主至上主義と所有権の絶対性を理解していない」と主張していた
  5. *森生明は会社の値段(ちくま新書)の第二章の58ページあたりにおいて「1960年代頃までのアメリカ合衆国には『株主は黙って経営者のいうことを聞いていればよい』という風潮があった」と指摘している。また、アドルフ・バーリガーディナー・ミーンズが1932年に発表した『現代株式会社と私有財産』という論文を紹介していて、「現代の大企業を支配しているのは雇われ経営者であり、株主は会社の所有者であるにもかかわらず会社の支配とは無縁な存在になる」と論文の内容を要約している。
  6. *第一次世界大戦の直前、イギリスとドイツの間の貿易はとても盛んで、ドイツにとってイギリスが最大の貿易相手国であり、イギリスにとってドイツは第二の貿易相手国だった。中野剛志が『富国と強兵』の342ページでそのことを指摘している。ちなみに中野剛志は、ピーター・リバーマンの『Trading with the Enemy: Security and Relative Economic Gains』という論文を引用している。
  7. *【竹中平蔵の骨太対談】vol.29 天は自ら助くる者を助く 自助・自立の勧め/vs リンクアンドモチベーション社長 小笹芳央にて、竹中平蔵が「小泉純一郎にとって一番好きな本のうちの1つが『自助論』である」と証言している。また、竹中平蔵も『自助論』が好きで、「ゼミの学生に経済学の本よりも先に『自助論』を読ませる」と語っている。また、渡部昇一も『歴史の鉄則』などの自著で『自助論』を絶賛していた。マーガレット・サッチャーも『自助論』を愛読し、「英国の全ての小学生に『自助論』を贈りたい」と発言したという(記事
  8. *汪暉(著)、石井剛・羽根次郎(翻訳).『世界史のなかの中国:文革・琉球・チベット』.青土社,2011年,p.132
  9. *累進課税を弱体化させるとこうした大企業経営者の姿が見られることは、トマ・ピケティが『21世紀の資本』の532ページで、ポール・クルーグマンが『格差はつくられた』の101~104ページで、それぞれ指摘している。

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