新自由主義単語

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新自由主義英:Neoliberalism)とは、思想・信条の一類である。

市場原理主義英:Market fundamentalism)と批判者に呼ばれることがある。
 

概要

辞書に記載されている定義

新自由主義について辞書に記載されている定義は次の通りとなっている。

政府規制を緩和・撤して民間自由な活に任せ成長を促そうとする経済政策。

-知恵蔵(朝日新聞出版)より引用-

 

政府などによる規制の最小化と、自由競争を重んじる考え方。規制や過度な社会保障・福・富の再分配は政府の肥大化をまねき、企業や個人の自由経済活動を妨げると批判市場での自由競争により、富が増大し、社会全体に行き渡るとする。ネオリベラリズム

-デジタル大辞小学館)より引用-

 

性質その1 小さな政府

新自由主義者は政府の権弱体化させるのを好み、小さな政府を理想とする。政府経済への介入を底的に嫌い、市場原理(market principle)や競争原理(competition principle)に委ねれば上手くいく、と説する。

政府による社会保障社会・富の再分配を敵視し、「政府の肥大化をまねき、企業や個人の自由経済活動を妨げる」と批判する。

新自由主義者の一部は「政府の権を強くすると全体主義になる。戦前戦中の軍国主義日本ナチス・ドイツソ連北朝鮮毛沢東時代の中国のようになる」というふうに全体主義への恐怖心を煽りつつ自らのを述べることがある。

新自由主義者の一部は、官僚をいて民間企業を褒め称えることに熱心である。そういう姿は民尊官卑と評される。

身を切る」と称して公務員や議員の給料を引き下げる緊縮財政を支持する傾向にある。公務員の給料を引き下げることで優秀な人材が民間企業へ流れるようになり、官庁の士気と実が低下する。また議員の給料を引き下げることで賄賂や接待に弱い議員が増える。新自由主義により政府や議会の弱体化が進んでいく。

議員歳費を減らすことで、非・富裕層から立補して当選した議員の民意吸収が弱まっていく。議員歳費が少なくなるので、お金を払って地元民と交流を深めて民意を吸い上げることをとりやめて、ちょっとでもお金を稼ぐためテレビ番組やラジオ番組に出ようとするようになる。非・富裕層から立補して当選した議員たちの間で、民意を重視する民主主義デモクラシー)の気運が薄れていき、民意を視する貴族制(アリストクラシー)の気運が濃くなっていく。

議員歳費をゼロにすると、事業で大成功を収めたビジネスパーソンや、先代からの資産を大量に相続した世襲政治家のような[1]、資に余裕がある人のみが選挙に立補するようになり、非・富裕層の被選挙権を実質的に制限する制限選挙になり、典的な貴族制(アリストクラシー)になる。

新自由主義者は「革」という好ましいイメージが付着した言葉を使って自らの支持する政策のイメージを向上させる傾向がある。緊縮財政のことを構造革とか行政革とか財政革とか「身を切る革」と呼ぶ。

「官から民へ」「民間でできることは民間で」という合言葉を好み、政府が手がける官営事業をことごとく民営化することを好む。利益追求を第一としない官営事業団体から、利益追求を第一とする民営企業に変貌させようとする。

新自由主義者は「政府というものは民間企業と同じような存在であり、利益追求をしなければならない」という信条を持っている。このため「官営事業は不採算部門そのものであり、政府の利益を食いつぶしていて、赤字垂れ流しの状態なので[2]、官営事業を削減するのが当然のことだ」とする。ちなみに、そうしたに対して「政府というものは民間企業と全く異なる存在であり、利益追求をするのではなく追求をすることを義務づけられている。官営事業は益の拡散装置である」という反論が寄せられることがある。

官営事業の中には低技労働者を大量に雇用して安定した待遇を与える部門があり、低技労働者を雇用して過酷な待遇を与える民間ブラック企業が出現しにくいようにしている。つまり官営事業には「世の中の労働待遇を維持する装置」「民間ブラック企業の出現を抑制する装置」「民間ブラック企業を漂する装置」という一面がある。官営事業を民営化することで、低技労働者を雇用して過酷な待遇を与える民間ブラック企業が出現しやすいようになり、雇用情勢の悪化、つまり賃下げと長時間労働の蔓延が進んでいく。

新自由主義者の言うとおりにして官営事業を減らして低技労働者の雇用を減らすと、企業の経営者が低技労働者に向かって「君のような低技労働者を雇ってあげる企業は、が社の他には数えるほどしか存在しない」と威圧的に接することができるようになり、労働者に無理難題を押しつけやすくなり、パワハラパワーハラスメント)を楽しむことができるようになる。

政府が官営事業をして労働者に直接的に賃を支払うと、その官営事業が立地する地方において「官営事業よりも賃を多めにしないと官営事業に人が流れてしまう」と考える民間企業が増えて、民間企業労働者の賃が官営事業労働者の給与準付近まで上昇する流れになる。

新自由主義者の言う「民間でできることは民間で」という標のとおりにして、政府が官営事業を止して民間企業に事業を委託すると、民間企業がピンハネ(中間搾取・中抜き)に励むようになり、5次下請けとか8次下請けといった多重請負の状況に発展し、民間企業労働者の賃が下がっていく。
 

性質その2 自助論

新自由主義を信奉する人の中には、自助論を熱心に説いて回る人が見られる。

新自由主義者の一部は、「自助の精を持つ人が多いと19世紀の英国のように繁栄する。自助の精を持つ人が少ないと1970年代英国のように没落する」と論じて、自助の精が繁栄の要因であるかのように扱う。そういう姿は新・自助といっていいほどで、とにかく自助というものを重視する傾向がある。

新自由主義者の一部は、賃下げによって貧困に苦しむ人たちに対して「自助をするべきだ。他人を当てにするな。助(政府支援)はいものと思え」と発言する傾向がある。

新自由主義者の一部は、低技労働者が賃下げに苦しむことに対して、自己責任という言葉を使いつつ「をせず己の技を磨かないからだ」と放言する傾向にある。

新自由主義者の一部は、「人はもが自助をするべきだ」と人々に自助を義務付けようとしたり、「人ならでも自助ができるはずだ」と人々に自助の可性を摘したりする。そういう言動を繰り返すことで、自らに課せられた「人を助ける義務」をできるかぎり縮小し、自らに課せられた「他人を助けるために時間とお金と労を負担する債務」をできる限り縮小しようとする。

新自由主義者の一部は、不幸退廃に苦しむ人々を見たらをそむけ、見なかったことにして、幸福感に満ちあふれた楽天的で快活な気分を維持しようとする。そうすることで「人助けすべきという義務感」を削減し、己を助ける自助に集中しようとする[3]。こうした姿は新・現実逃避と表現することができる。

新自由主義者の一部は、「他人の援助を必要とする人」を門前払いしつつ「他人の援助を必要としない優れた人」を交際相手にして、「他人の援助を必要としない優れた人」同士で群れようとする。そうすることで「他人の援助を必要とする人」のことを全に忘却して、自分の心に残っている「人助けすべきという義務感」を削減して、己を助ける自助に全精を集中しようとする。つまり階級社会本質的に好む傾向がある[4]。こうした姿は新・階級ということができる。
 

性質その3 労働意欲の刺激

新自由主義は、個人の自由を何より優先するリバタリアニズムと掛け持ちして支持する人が見られる。新自由主義は経済思想で、リバタリアニズム政治思想なので、この2つの言葉は違いだが、累進課税を敵視するところなどの共通点がある。

所得税累進課税弱体化させ、労働意欲を活発化させ、内の生産・供給を強めるのが大好きである。人々の労働意欲を刺すること、つまりインセンティブ(刺)を与えることを優先する傾向があり、「労働意欲至上」といった観がある。

また、終身雇用・年功序列の賃体系を否定して成果義・義の賃体系を導入し、労働意欲を刺しようとする傾向もある。

累進課税弱体化させたり年功序列を否定したりして自由競争が過度に突き進むと、貧富の格差が拡大し、格差社会となり、大多数が貧困生活に陥って、ごく少数の人たちが富を独占してしまう」という批判に対しては、「トリクルダウンが発生し、社会全体に行き渡る」と反論する。あるいは、「大持ちを人為的に作りだし、その大持ちに際的な大活躍をしてもらって内に富を呼び込んでもらえばいい。優秀な大持ちに経済を引っってもらい、そのおこぼれをコバンザメのごとく拾っていけばいい」と論じる。いずれのにも「優秀な人への依存心」を見てとることができる。

また、新自由主義者の一部は「貧困は人を助ける。貧困は人を成長させる。貧困に直面することで労働意欲が増えて人の可性が呼び起こされる」という趣旨のことを言って、人々が貧困生活に転落すること自体を大いに肯定することがある。そうした姿は新・貧困と表現することができるだろう[5]

「才を発揮すればするほどガッガッポと稼げるのある社会を作り上げる」「才を発揮する人にを見せる」といったふうにという綺麗な言葉を織り交ぜてりかけ、人々の銭欲を強に刺する。

新自由主義者の一部は、「累進課税や年功序列によって、頑った人が痛めつけられている」とか「った人が報われていない現状を変えて、頑った人が報われる社会を作ろう」とか「頑る人が足を引っられている現状を変えて、頑る人が足を引っられない社会を作ろう」という言い回しを非常に好む。いずれのスローガンも、「自分は頑っている」と信じている人の被害者意識を強く刺するものであり、わりと扇情的な言い回しである。

新自由主義者は勤勉を深く愛し怠惰しく憎む。また、論争相手に対して「怠け者」というレッテル貼りをして論戦で優位を得ようとする傾向がある。

人は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてる生物であり、本質的に「怠惰」を必要とする生物なのだが、論戦に臨む新自由主義者はそのことを都合良く忘れて「自分は勤勉であり全く怠惰ではない」という態度で振る舞う。

新自由主義者は、労働意欲を抑制しようとする人を厳しく批判する傾向がある。「ほどほど」「適度」「理のない範囲で」という言い回しをする人を非常に嫌い、そうした言葉を発する人に対して「衰退する、ダメになる、発展途上国に追い抜かれる、先進国から脱落する」といった警告をする。そして「とことん」「底」「どこまでも頑る」という言い回しを非常に好む。そうした新自由主義者の言動は、結果として労働者に対する労働強化のとなる。新自由主義者が歩くところは労働強化のしく吹き荒れる。ゆえに新自由主義は新・労働強化と表現することができる。

新自由主義に心酔する企業経営者の一部は全感・万感に満ちあふれていて、「意志さえあれば何事も実現できる」と本気で信じ込む傾向があり、従業員に向かって「可」「不可能はない」「できる」「できないとはいわせない」とパワハラ気味に接する傾向がある。そういう言葉で従業員を労働強化して、会社全体の労働意欲をさらに盛んにさせようとする。そうすると多くの場合で「労働意欲の肥大化」というような状況になり、従業員を疲れさせ、従業員の精を与えることになる。

労働意欲が熾になればなるほど、「仕事すればするほど、お金かる」とみんなが思いこむようになり、「休暇を取っている場合ではない、いた時間をすべて仕事に注ぎ込もう」という仕事中毒ワーカホリック)の心理状態となり、長時間労働が増えて労働者の余暇が減っていく。新自由主義に染まると仕事中毒ワーカホリック)と長時間労働が蔓延する傾向にある。このため、新自由主義は新・仕事中毒と表現することができる。

仕事中毒ワーカホリック)と長時間労働が蔓延すると、非婚化と少子化が進んだり、人口が減少したり、消費意欲が減退したり、需要が減ってデフレになったりする。新自由主義が広まるとデフレになるという傾向がある。
 

性質その4 成果主義・能力主義

新自由主義の支持者は、成果義や義を導入した給与体系を好む傾向がある。成果義や義をごく簡単に表現すると、「優秀な人を賃上げして無能な人を賃下げする制度」となる。

優秀な人ほど自己評価が低くて「自分は劣っていてまだ努が必要な存在だ」と思い込む傾向があり[6]、「自分は優秀だ」と言い出さない傾向があり、あまり熱心に賃上げを要しない傾向がある。このため成果義や義によって優秀な人が賃上げされるとは限らない。

成果義や義を導入して「優秀な人を賃上げして無能な人を賃下げする制度」を導入すると、優秀な人の賃がさほど伸びず、無能な人の賃がはっきりと下落し、全体として賃下げが進む。

新自由主義の支持者が好む成果義や義を採用すると、企業の人事部(総務部)や経営者が「この従業員は無能である」と認定するだけで従業員の給料を下げることができるようになる。従業員の成果やを評価する人事部・経営者の権が非常に強くなり、従業員のもが人事部・経営者の顔色をうかがう社になり、従業員が萎縮するようになり、自由な社からほど遠い状態になる。

新自由主義の信奉者というと、「全体主義では自由が封殺される。そんなことが起こってはならず、自由を守り抜かねばならない。そのために政府の権を最小限にするべきだ」といったことを唱え、自由を尊重して権を制限することを高らかにする。

口先ではそのようなことをいうのだが、実際の新自由主義者は従業員の自由を制限して経営者の権を増大させる成果義・義を好む。そうした姿は新・権とか新・不自由と表現することができる。

成果義や義の対極に位置する給与体系というと年功序列である。新自由主義の支持者は年功序列の長所を一切認めず、年功序列を底的に批判する傾向がある。

年功序列の長所を1つだけ挙げると、経営者の恣意的な賃下げを防止できるところである。経営者が「こいつは気に入らないので『成果を挙げていない』と認定して賃下げしてやれ」と行動することができなくなる。

成果を出せていないとかを持っていないと認定した社員に対して賃下げするだけでなく簡単に解雇できるようにすることは、「解雇規制の緩和」とか「労働市場の流動化」と言う。そうした政策をする人たちは「規制に守られた正社員の既得権益を打破すべきだ」という言い回しをして、正社員の既得権益に対する人々の嫉妬心を煽るのが得意である。

解雇規制の緩和」とか「労働市場の流動化」も、経営者の権を劇的に増強して、従業員の自由一気に制限し、専制君のようなワンマン社長を増やす政策である。すべての従業員は経営者の機嫌を取ることを最優先に考えるようになり、仕事に対する集中を減らしていく。

解雇規制の緩和」とか「労働市場の流動化」の対極に位置する雇用体系というと終身雇用である。新自由主義の支持者は終身雇用の長所を一切認めず、終身雇用を底的に批判する傾向がある。

終身雇用の長所を1つだけ挙げると、従業員の不確実性を減らして消費意欲を活発化させる点である。

成果義・義の賃体系で賃が急落するリスクが増えたり、「解雇規制の緩和」や「労働市場の流動化」といった雇用体制で解雇されるリスクが増えたりして、将来の不確実性が増大した労働者は、不確実性に備えるため貯蓄に励むようになり、消費を嫌がるようになり、結婚・子作りを避けるようになる[7]。そういう労働者が増えると世の中の需要が減っていき、デフレになっていく。

成果義・義の賃体系を否定して賃が急落するリスクが減ったり、「解雇規制の緩和」や「労働市場の流動化」といった雇用体制を否定して解雇されるリスクが減ったりして、将来の不確実性が減少した労働者は、不確実性に備えるための貯蓄に励む必要性が薄れ、消費をする勇気を持つようになり、結婚・子作りに突き進むようになる。そういう労働者が増えると世の中の需要が増えていき、デフレから脱却するようになっていく。

新自由主義に中になる者は、「人というのは、どれだけ不確実性が増しても、本に従って必ず消費行動を起こすし、本に従って結婚や子作りをする」と楽観的に確信する傾向があり、そのため労働者の不確実性を増やす政策を気で支持する傾向がある。人の本に対して楽観的な期待をする新自由主義者の姿は、新・本と表現できる。

先述のように新自由主義者の言動からは「強大なお金持ちに対する期待感と依存心」が見え隠れするが、それだけではなく、「人の強大な本に対する期待感と依存心」も見え隠れする。新自由主義という思想は自由という言葉を看に掲げているため独立心・自立心が旺盛な思想であるかのようなイメージを与えるが、実際の新自由主義の支持者は依存心がだいぶ強い。このため新自由主義は新・依存と表現することができる。

基本的に新自由主義者は確実性を嫌い、不確実性をする。「確実性に恵まれている人は怠けて労働意欲を減らす傾向にあり、社会全体の生産性を落とす要因になる。不確実性がある人は努をして労働意欲を増やす傾向にあり、社会全体の生産性を増やす原因になる」といった言い回しをして、官営事業を止して公務員を減らして確実性に恵まれた人を減らし、民営化して競争に明け暮れる民間人を増やして不確実性に直面する人を増やす。「不確実性こそが社会の生産を高めて富を生むのだ」という信条を持って不確実性を強く肯定しつつ、不確実性の欠点を決して問題視しようとしない新自由主義者の姿は、新・不確実性と呼ぶことができる。

新自由主義者が成果義・義の給与体系を導入しようとしたり解雇規制を緩和しようとしたりするとき、常にしく抵抗するのが労働組合労組 ろうそ ろうくみ)である。新自由主義者にとって労働組合というのはの上のたんこぶのように邪魔な存在なので、「労働組合は正社員の既得権益なので打破すべきだ」などと労働組合を苛批判する新自由主義者が多い。

新自由主義と労働組合と油のように相性が悪いので、新自由主義が勃する時代では労働組合弱体化し、新自由主義が抑制される時代では労働組合が強化する、という関係性がある。

加齢によって成果を出せなくなったりを喪失したりした老人に対して政府お金を給付する制度を年金という。年金は年功序列の極致のような制度であり、成果義・義とは正反対に位置する制度である。

新自由主義に染まって成果義・義に心酔する人は老人に対する年金制度を嫌い、「既得権益者の老人が若者を痛めつけている」というような扇情的な論説をしたり、あるいは「現行の年金制度は制度疲労を起こしているので革すべきだ」というような回りくどい論説をしたりして、老人に対する年金を削減しようとする傾向がある。
  

性質その5 直接金融

新自由主義は、銀行が貸し付けを行う間接融についてやや否定的で、投資式・社債を購入することで直接的に企業へ出資したり貸し付けしたりする直接融に対してやや肯定的な一面がある。間接融の割合を減らして直接融の割合を増やすことに熱心であり、「間接融から直接融への転換をすべきだ」とすることが多い。

バーゼル合意(BIS規制)を強化するなどして銀行信用創造を制限することを好む。新自由主義が盛んになる時代は、銀行にとってやや辛い時代となる。

新自由主義が流行するでは、投資式・社債を売買する直接融が人気になるが、それと同時に、投資が先物商品や外貨や暗号資産を売買する『投機商品売買』も人気になる。

新自由主義は、個人が投資しやすい環境を整えて、個人投資が増えるように取りはからう傾向がある。個人投資が直接融や『投機商品売買』に簡単に参加してマネーゲームに熱中できるよう規制緩和することをす。「個人が努してけすることを奨励すべきだ。努している人の足を引っるべきではない」という言い回しで個人投資を増やそうとする。

個人投資を増やす政策を実行すると、「寝ても覚めてもお金を増やすことばかり考える」という人や「10万円をもらったら消費に回さずに投資に使う」という人が増えやすくなるので、消費を冷え込ませてデフレをもたらす一因になりうる。

直接融や『投機商品売買』の大きな欠点は、人々が本業に集中しなくなる、という点である。「ラーメン屋を経営する親父式投資に熱中してラーメンの味が落ちる」というようなことが起こりやすくなってしまう。本業を怠る人の割合が少しずつ増え、文明の発展というものに陰りがみられるようになる。

直接融や『投機商品売買』は「賃下げすることで利益を稼ぎ出そうとする経営者」にとって望ましいものである。給料の少ない労働者に対して「給料が少なくて困っているのなら、式や社債や先物商品や外貨や暗号資産を売買してマネーゲームをしてお金増殖しろ」という態度をとりやすくなり、心理的に賃下げしやすくなる。

間接融の長所を1つだけ挙げると、貸し手の銀行と借り手の企業の間で地域経済や周辺産業や為替レートや外事情に関する情報の交換が濃密に行われ、企業情報コストが安くなり、企業情報安価に入手できる点である[8]。直接融では、社債を購入した投資企業の間で情報の交換が濃密に行われるわけではなく、企業にとって情報コストが高いままになる。
 

性質その6 株主至上主義(株主資本主義)

新自由主義の支持者には、「会社は・投資のものであり、・投資に利益をもたらすために存在する」とする者が多い。そうした考え方を至上とか資本主義という[9]

価が上がれば・投資式譲渡益を与えることができるので、至上義に染まると価の上昇を第一に考えるようになる。このため至上義・資本主義は、至上とか資本主義ということもある。

至上義が幅をきかせるでは政治家がそれに染まり、価の上昇を最優先するようになり、価が上昇すると「経済が成長して発展し、すべてが良くなった」と満足する傾向にある[10]価というのは経済の様子を示す標のうちの1つに過ぎないのだが、とにかく価に偏重して価に一喜一憂する。

至上義が幅をきかせるでは市場関係者もやたらと強気になり、「政府というのは価を上げるために存在する」と本気で考えるようになる。政府価を下げるような政策を提案したら「そんなことをしたら価が下がる!そんな政策をするがどこにあるのか」と市場関係者が猛抗議するようになる。

至上義になると、従業員に対する給与を減らして利益を増やし、その利益でに対する配当を増やし、や投資からの評価を高めて価を上げようとする。従業員に対する賃上げを嫌がるようになり、人材を長期にわたって雇用して熟練労働者に育て上げることを優先しなくなり、気で従業員に対する賃下げに踏み切るようになる。その結果として労働分配率が低下し、一般的に給与が少ないとされる非正規労働者の割合が増え、貧困層の拡大と非婚率の上昇と少子化につながっていく。

至上義になると、法人税が増税されたときに消費者や従業員や協企業租税負担を転するようになる。消費者へ高値で商品を売りつけたり、従業員の給料を賃下げしたり、協企業へ支払う代を削減したりする。法人税直接税ではなく間接税に近い存在になっていく。

式投資をしてA社のを所有したうえで至上義に染まると、A社の従業員の給料が下がって配当が増えることを心の底から喜ぶようになる。またB社の従業員の給料が下がったり政府緊縮財政を導入して的職場の給料が下がったりすると「世の中に賃下げの流れが起こっているのでA社の給料も下がるだろう」と考えて喜ぶ。

人件費をひたすら削り、協会社へ払う原材料費を適正準から外して底的に減らし、利益を絞り出してへの配当を増やし、価を分不相応に釣り上げて、価を肥大化させる・・・というのが至上義であり、新自由主義である。こういう姿は新・価肥大化ということができる。

新自由主義者は、「労働者の賃上げをするには成長産業を創出することが大事だ。逆に言うと、成長産業を創出すれば労働者の賃が上がる」と論じつつ、その一方で、「至上義を弱体化させて労働者の賃が上がるようにすべきだ」と論じないことが多い。

新自由主義者の意向に従って、至上義を維持しながら成長産業の創出をすると、成長産業においてもが「従業員の賃上げをせずに利益をひねり出して、その利益をの配当に回せ」とし、そのが通っていき、成長産業を創出しても労働者の賃が上がらない事態になる。

新自由主義の一部には、「至上義は所有権の絶対性を尊重するので資本主義の本来の姿である。欧では至上義が一般的なのに、日本至上義を受け入れていない。ゆえに、欧資本主義を理解していて優れており、日本資本主義を理解せず劣っている」という煽りをして、日本人の欧コンプレックスを上手に刺しつつ、至上義を賞賛する者がいる[11]

ちなみに、1960年代までのアメリカ合衆国において至上義は一般的ではなかったと摘されることがあり[12]、「欧では至上義が一般的」という表現には疑わしいところがある。

至上義の天敵他者加原理である[13]

至上義はの所有権の絶対性から生ずるものであるが、商品購入者に対する値上げや従業員の賃下げや協会社への値下げを要する性質があり、商品購入者や従業員や協会社に損を与える性質がある。このため他者加原理に基づき、の所有権の絶対性を制限し、の基本的人権を制限し、至上義を弱体化させる必要がある」といった言い回しは、至上義の支持者にとって大きなになるものである。
 

性質その7 関税の撤廃

新自由主義は国家意識の義思想であり、関税をひたすら敵視し、自由貿易を極限まで推し進めようとする傾向がある。FTAやTPPといったの壁を取り除く貿易協定を好み、EUのようなの消滅を理想視する。いわゆるグローバリズムとの親和性がとても高い。

新自由主義者の一部は、関税を撤するような貿易協定を導入するとき、「世界に置いていかれる」「世界中のが発展し、日本だけが取り残される」「バスに乗り遅れるな」というような、感情に訴えかける煽りを駆使する。

新自由主義者の一部は、「世界関税を引き上げて保護義に走ると戦争が起こる。第二次世界大戦の原因は関税である」としたり、「世界関税を撤して自由貿易を促進すると世界平和が実現する」としたりする。このうち後者に対しては「第一次世界大戦の直前においてイギリスドイツの間における貿易は非常に規模が大きかった。貿易が活発に行われれば戦争を回避できるというわけではない」という反論が寄せられることがある[14]

自由貿易を促進すると、各企業発展途上国の低賃労働者が作った製品との価格競争にさらされるので、人件費の削減をすようになり、賃下げ(ちんさげ)が進んでいく。ゆえに自由貿易は賃下げ貿易といっていいものである。新自由主義は、そういう自由貿易を全面的に肯定する思想であるので、新・賃下げといっていいだろう。

新自由主義が流行する先進国では、企業経営者が労働者に向かって「々経営者は、君よりも安い賃で君と同じ働きをする労働者を、発展途上国においていくらでも見つけることができる」と言って労働者に賃下げを受け入れることを迫ったり、「発展途上国の労働者に君たちと同じ賃を支払うと、君たちよりもずっと活発に働いてくれる」と言って労働者に労働強化(実質的な賃下げ)を迫ったりする。そうした言葉を頻繁に聞かされる労働者たちは「自分たちは高い賃をもらう資格があるのだろうか・・・」と自信を喪失していく。

自信を喪失した人間は自分以外のかを攻撃することで自信を取り戻そうとする習性があるのだが、先進国の労働者たちもそういう習性を持っている。ネット上で、あるいは政治活動で、もしくは経済論議で、対立相手を過度に攻撃する行為に傾倒するようになる。その結果として、先進国社会の分断と憎悪が広がっていく。

新自由主義の蔓延により自信喪失と攻撃的言動と社会の分断が発生する。新自由主義は、新・自信喪失といっていいだろう。

新自由主義がはびこるでは、攻撃的言動を繰り返す政治導者が大人気となる。外喧嘩で対応したり内の対立政治を痛批判したりして「何かを攻め立てる姿」を見せつけると、新自由主義によって自信を破壊された労働者たちが熱心に支持してくれる。
 

性質その8 内需の軽視や「内需に対して国内企業が供給すること」の軽視

新自由主義が優勢になるでは、政府緊縮財政を採用することで内の官[15]が減少し、労働者の賃下げが進んだり労働者の不確実性が増して労働者が貯蓄志向に走ったりすることで内の民需[16]が減少し、内需[17]が減少していく。

新自由主義者の一部は「内需が増えると、内供給を増やすため原材料の輸入が増え、不足する内供給を補うため完成品の輸入が増え、結果として輸入が増え、外貨が外へ流出していく。また内需が増えると、輸出に回すべき商品が内需に食い潰されることで輸出が減って外貨の獲得が弱まる。ゆえに内需は外貨の減少をもたらすものであり、できるだけ削減すべきである」と論じて内需を敵視することがある[18]

新自由主義者が重視するのは外需[19]である。「外需に対応して輸出を増やせば外貨を獲得できる。外需は外貨の増加をもたらすものであり、できるだけ増加させるべきである」と論じて外需のことを宝石のように扱う。

そして「日本の人口は1億2512万人で、日本を除く全世界の人口は77億5000万人ぐらいである。ゆえに内需にこだわらず、狭苦しい日本市場に閉じこもらず、ひたすら外需を狙っていくのが経済戦略として正しいだ」とし、TPPやFTAといった貿易協定を結んで海外市場の開拓に励もうとする。このため、新自由主義者が経済導すると内需が縮小して外需が拡大していき、外需依存になる。

外需を拡大するためにTPPやFTAといった関税の貿易協定を結ぶと、貿易相手関税を引き下げて外需の拡大に成功するが、その代償として自関税も下がって、「内需に対して企業が供給する」ということが難しくなっていく。

新自由主義者は内需だけでなく「内需に対して企業が供給する」ということも敵視する傾向がある。「内需に対して企業だけが供給する状態だと、政府市場を統制したり民間人同士で談合したりして競争原理が働かなくなり、製品価格が上昇し、製品の品質が陳腐化していく。ゆえに内需に対して企業が供給することを削減し、内需に対して海外企業自由に参入できるようにしよう」とする。

ちなみに「内需に対して企業が供給する」というのは消費者と生産企業距離が近い形態である。内需に対して企業が欠陥商品・イマイチ商品を販売した場合、消費者と生産企業の間にの壁や言の壁がないので「欠陥商品・イマイチ商品を買わされた消費者が企業の本社に猛抗議する」ということが起こりやすい。消費者の苦情が生産企業に届きやすく、消費者の苛な要によって生産企業が鍛えられやすく、企業の製品の品質が向上する流れが起こりやすい。

いっぽう「外需に対して企業が供給する」とか「内需に対して海外企業が供給する」というのは消費者と生産企業距離が遠い形態である。外需に対して企業が欠陥商品・イマイチ商品を輸出したり内需に対して海外企業が欠陥商品・イマイチ商品を輸出したりした場合、消費者と生産企業の間にの壁や言の壁があるので「欠陥商品・イマイチ商品を買わされた消費者が企業の本社に猛抗議する」ということが起こりにくい。消費者の苦情が生産企業に届きにくく、消費者の苛な要によって生産企業が鍛えられることが起こりにくく、企業の製品の品質が向上する流れが起こりにくい。

「内需に対して企業が供給すると、消費者の苛な要によって企業が技術を高め、企業世界で通用する品質の製品を作るようになる。企業を内需でシゴいてから外需の開拓をさせるべきである」「内需で企業を鍛えることにより製品の品質が良くなり、自然と輸出が伸びる」「内需は企業にとって教師である」というのがひとつの考え方であるが、新自由主義者はそういう考え方をするのが苦手である。

新自由主義者は「消費者の苛な要によって生産企業が鍛えられる」と発想すること自体を苦手にしているようであり、「生産企業自身の決意や心がけによって生産企業が鍛えられる」という発想を好む傾向がある[20]

新自由主義者が好む経済理論較優位である。較優位とはイギリス経済学者デヴィッド・リカードが提唱した考え方で、ごく簡単に言うと「国家は、自の得意とする分野の生産に特化すべきであり、自が得意としない分野において自国生産をとりやめて貿易によって賄うべきである。つまり際分業をすべきである。そうすると世界全体の富が増大する」というものである[21]

これを言い換えると「国家は得意分野において『内需に対して企業が供給する』という形態と『外需に対して企業が輸出して供給する』という形態を行い、不得意分野において『内需に対して海外企業から輸入して供給する』という形態だけを行うべきだ」となる。

「消費者の苛な要により企業は製品の品質を向上させる」という考え方から論ずると「較優位の考え方に従うと、国家は不得意分野において『内需に対して海外企業から輸入して供給する』という形態に頼ることになり、消費者と企業距離が遠い形態になり、消費者の要企業に届きにくくなり、自消費者が自らの要するような高品質の製品を受けられなくなる危険が増える。自消費者は『望ましくない品質の製品で慢しよう』と考えるようになり、より好ましい品質の製品を欲しがる心が弱まり、文明の停滞が発生する。較優位の考えは望ましくない」ということになる。

「消費者の苛な要により企業は製品の品質を向上させる」という考え方は製品の品質を重視する考え方であり、較優位の考え方は製品の物量を重視する考え方である。較優位の考え方を好む新自由主義者の姿は新・物量と表現することができる。
  

性質その9 資本移動の自由

新自由主義は資本移動の自由追求する傾向がある。

国際金融のトリレンマに従うと3種類の国家のみが地球上に存在することになる。そのうち1種類が資本移動を制限する国家で、残りの2種類が資本移動を自由化する国家である。

ブレトンウッズ体制が健在だった1945年1971年は「資本移動を制限して、固定相場制または中間的為替相場制を採用し、自経済事情に合わせて融政策を実行する」の国家が多く、どこのも資本移動が制限されていて、新自由主義の出る幕がなかった。

ブレトンウッズ体制が崩壊して新自由主義が盛んになった1980年代以降は世界中で資本移動の自由化が進み、「自由な資本移動を受け入れて、変動相場制を採用し、自経済事情に合わせて融政策を実行する」と「自由な資本移動を受け入れて、固定相場制または中間的為替相場制を採用し、他融政策と連動した融政策を実行する」の国家ばかりになった。

資本移動が自由化されることにより、先進国の投資発展途上国市場に乗り込んで現地の国債・社債・式を買いあさる姿が日常のものとなる。19世紀の帝国義・植民地義とよく似た姿である。

通貨危機が起こりやすくなって市場が不安定になるというのが資本移動の自由化の欠点である。通貨危機をごく簡単に説明すると、Aで保有していた国債・社債・式を売って得られたA通貨ドルに両替しつつBへ資本を移動させる投資が大量に発生して、A通貨異常に安くなりAの輸入量が減ってAが高インフレに苦しむことをいう。

通貨危機というと1992年イギリスポン危機1992年スウェーデンクロー危機1997年アジア通貨危機2018年アルゼンチンペソ危機2018年トルコリラ危機が有名だが、これらはいずれも資本を自由に移動させる機関投資の手によって引き起こされたものである。
 

性質その10 移民受け入れ

新自由主義が猛威を振るう国家では、人々が賃下げと長時間労働に悩まされ、非婚化と少子化が進行し、人口が減少し、人手不足が深刻化していく。

の人口が減少していく現に直面した新自由主義者は、「これは歴史の必然で、不可避である」とか「人口減少を悪いこととは考えず、決して問題視せず、肯定的にとらえて、楽天的な気分になろう」といった態度を示すことが多い[22]

「賃下げと長時間労働を維持しつつ、人口減少を解決したい」と考える新自由主義者は、移民外国人労働者)の受け入れを提唱することが多い。「移民によって国家に活をもたらそう」などと言って、外国人技能実習制度のような移民を受け入れる法整備を進めていく。

結婚して庭を持って出産して子育てして人材を輸出するのは発展途上国の人たちの役割で、結婚せず庭を持たず出産せず子育てせず自己の開発に専念し労働に中になって労働に人生げるのが先進国の人たちの役割だ」といった価値観が少しずつ世の中に広まる。こうした考えかたは一種の際分業であり、「出産と労働の際分業」と称すべきものである。
 

名称

新自由主義英:Neoliberalism)という言葉を考案したのは、ドイツアレクサンドル・リュストウexitという経済学者である。1938年に知識人が集まって開催されたウォルター・リップマン国際会議exitで、この言葉を発表した。
 

核となる経済思想

新自由主義の基礎となった経済学者は、フリードリヒ・ハイエクミルトン・フリードマンとされる。ミルトン・フリードマンアメリカシカゴ大学で教を執り多くの子を育てたので、彼を慕う経済学者の一群をシカゴシカゴボーイズ)という。また新自由主義の基盤となる経済学を新古典派経済学と呼ぶこともある。

人々の労働意欲を刺して内の生産・供給を強めることを重視するサプライサイド経済学(供給者側経済学)も、新自由主義の基礎の1つとされる。これの支持者をサプライサイダーというが、な人はロバート・マンデルアーサー・ラッファーなどである。

ちなみにサプライサイド経済学の反対に位置するのはケインズ経済学で、需要・消費の活性化を重視するものである。

サプライサイド経済学は、ジャン=バティスト・セイが唱え始めたセイの法則(セーの法則、販路法則)を中核にしている。セイの法則とは、「供給は、それ自体が需要を創造する」と表現されるものである。


アダム・スミスは『富論』という著作で「見えざる手exit」という経済思想を書いた。そして、後世の経済学者たちがアダム・スミスの言葉を引用しつつ「それぞれの個人が自分の利益だけを自由追求すると、見えざる手により導かれ、社会全体の利益が増進する」と説くようになった。

それぞれの個人が自分の利益だけを自由追求すると、見えざる手により導かれ、社会全体の利益が増進する」という考えは、「それぞれの個人を規制から解放して、自分の利益だけを自由追求するのを肯定しておけば、何もかもよくなっていく。政府規制を緩和して、それぞれの個人を自由に活動させよう」という考え方となり、新自由主義の規制緩和を後押しするものとなった。

ちなみに「見えざる手」の思想と対照的な思想は、ジョン・スチュワート・ミルが提唱した他者加原理である。「見えざる手」の思想は「自由は利益を作り出す」という考え方で自由を絶対視するものであるが、他者加原理は「周囲にをまき散らす人に与える自由は損を作り出す」という考え方で自由を絶対視せずに相対視するものであり、と油のように正反対である。
 

親和性の高い自己啓発本

サミュエルスマイルズという英国作家1859年に『自助論』という作品を発表した。序文に「は自ら助くる者を助く」という文章があり、そのあとはひたすら「努すれば成功する」「成功者は他人の援助を当てにせずに努をした」という内容が続く。新自由主義者のなかには『自助論』を絶賛するものがいる[23]
 

市場原理主義という表現

市場原理主義英:Market fundamentalism)という表現は、新自由主義(英:Neoliberalism)の別名称である。
  

命名者とされる人、学術誌における初出

Market fundamentalismという言葉は、イギリス社会問題ジャーナリストであるジェレミー・シーブルックexitが生み出したものであるという。パラグミ・サイナートexitというインド社会問題ジャーナリストが、そのように述べている(記事exit)。

ジェレミーシーブルックは、『世界の貧困―1日1ドルで暮らす人びとexit_nicoichiba』という著作を持っており、新自由主義を批判し、格差の拡大に警鐘を鳴らすタイプの人である。

1991年8月の『Anthropology Today(こんにちの人類学)』という人類学者向けの学術誌の1~2ページに、Market fundamentalismという言葉が載っている。

経済学者の八代尚は「市場原理主義という言葉は、そもそも経済学にはありません。」と『日刊サイゾー』の2011年10月29日版exitっている。

ラグミ・サイナートと八代尚の発言を総合すると、「Market fundamentalismという言葉は、経済学の外にいるジャーナリストが、新自由主義に対して独自の感覚で名付けたものであり、経済学者たちの議論から生まれた経済学ではない」ということになる。
 

蔑称の響きがある

市場原理主義(Market fundamentalism)という言葉には蔑称きがある。

原理義(fundamentalism)というのは、天地創造など聖書の記述をすべて事実と扱う米国キリスト教運動のことをす言葉である。そうした運動をする人たちを批判するときに使われた蔑称だという(臼杵 陽の論文exit)。

1979年イラン革命が起こった。このとき政権を奪取した人たちをイスラム原理義者(Islamic fundamentalist)と呼ぶようになった。このため、「○×原理義」というのはイメージが悪い言葉で、これを自称する人はとても少ない。
 

批判者達に使用される

市場原理主義という言葉は、新自由主義を批判する立場の経済学者によって使われることがある。

ジョセフ・スティグリッツは、2001年ノーベル経済学賞を受賞したとき、次のような文章を書いている。

More broadly, the IMF was advocating a set of policies which is generally referred to alternatively as the Washington consensus, the neo-liberal doctrines, or market fundamentalism, based on an incorrect understanding of economic theory and (what I viewed) as an inadequate interpretation of the historical data.

-ジョセフ・スティグリッツ『Facts』exit-

 
the neo-liberal doctrines, or market fundamentalism と書いてある。「新自由主義の信条、言い換えると市場原理主義」といった意味であり、新自由主義をわざわざ言い直している。
 

歴史的背景

第二次世界大戦後、先進国されたのは、第一次世界大戦第二次世界大戦やその間に起きた世界恐慌を再び繰り返さないようにするべく、際的・内的な政治平和経済的安定化を確保するような秩序の構築だった。

この秩序を可にする政治経済体制として多くの々に合意されたものを、国際政治学者のジョンラギーは「埋め込まれた自由義」と定義した。すなわち、市場自由放任にすると不況や失業が生じるので、「調整的、緩衝的、規制的な諸制度の中に」これを「埋め込む」。つまり、際的には「自由貿易体制によって経済の開放性を高め」つつ、他方で、内的には「政府際競争に脆弱な内の社会集団を保護する」福祉国家的政策を勧めた。いわゆる修正資本主義であり、ケインズ経済学はこれを後押しするものである。

この修正資本主義は、先進諸経済成長があった1960年代まではうまく機してきたが、1960年代末頃から機しなくなった。経済的には世界的規模のスタグレーション(不気とインフレーションの同時進行)が起き、各経済的には財政危機が起きた。それらの原因は、1965年1975年ベトナム戦争1973年の第一次オイルショック1979年の第二次オイルショックとされる。

こうした深刻な危機に直面する中でいくつかの対案が出されたが、結局、国家によるコントロールをより底させるべきだとするケインズ経済学営と、市場自由競争を活発化させるべきだとする新古典派経済学営に分かれることになり、後者の、新古典派経済学営が先進国政治の中でを持つようになった。これが市場原理主義とか新自由主義と呼ばれるものである。

1980年代アメリカロナルド・レーガンがレーガノミクスという経済政策を推し進め、同じ時期にイギリスマーガレット・サッチャーがサッチャリズムという経済政策を採用した。いずれも、規制緩和と累進課税弱体化を組み合わせた経済政策で、新自由主義のを濃厚に受けている。また、日本においても、中曽根康弘首相が、国鉄電電公社、専売社、日本航空を相次いで民営化し、新自由主義的政策を実行している。

理論の柱

新自由主義は「埋め込まれた自由義」から自由義を解き放つことをする。すなわち、社会民主主義福祉国家政策=大きな政府によって膨らんだ財政赤字を削減するための口実として小さな政府が謳われる。ここから営事業、営事業の民営化が進められた。また、国家による市場介入ではなく、市場自由放任にすることが民にと繁栄をもたらすという市場原理主義がめられた。この考えから市場自由を妨げる様々な領域での規制を緩和していくことがされた。

理論の実践

新自由主義的国家編成の最初の実験が行われたのは、1973年チリである。民主的に選ばれた左翼社会主義政権が、アメリカCIAとキッシンジャー務長官によって支援されたピノチェト将軍によるクーデターで転覆させられたあと、ミルトン・フリードマンが拠点としていたシカゴ大学から送られた経済学者たち(シカゴ)によってピノチェト軍事政権下で新自由主義政策が、推進された。チリ経済は短期的には復を見せたが、大半は国家支配層と外の投資に利益をもたらしただけだった。

しかし、この実験を成功とみなした営が、1979年以降、イギリスマーガレット・サッチャー政権とアメリカロナルド・レーガン政権下で新自由主義政策を推進した。その後、アメリカ1990年代に加速された融化が世界中に広がり、アメリカへと利益を還流させた。結果、アメリカ経済は好況を呈するようになる。

こうしてアメリカの新自由主義が様々な経済問題の解決策であるかのように振る舞うことが政治的に説得を持つようになり、1990年代ワシントン・コンセンサス、WTOの創設で新自由主義は確立するようになる。更に、1990年代には発展途上国だけでなく、日本ヨーロッパも新自由主義的なを選択するよう経済学政治の場でされるようになる。

トリクルダウン

新自由主義理論の一つの理論的根拠として、トリクルダウン理論がある。トリクルダウンとは、社会民主主義福祉国家のように、国家の財政を共事業や福などを通じて貧困層や弱者に直接配分するよりは、大企業や富裕層の経済活動を活性化させることによって、富が貧困層や弱者へと「したたり落ちる」のを待つ方が有効であり、その方が民全体の利益になるという考え方である。

税制の正に関して言えば、これを根拠に富裕層の税金が軽減され、企業に対しておびただしい数の補助や優遇税制が提供された。こうして富の配分率が富裕層よりに変えられた。また、企業の経営方針の見直しが行われ、その延長線上で労働法の正が行われた。日本では、その経営の特徴と言われた長期雇用と年功序列が見直され、アメリカとされた利益重視になった。これにより、リストラや労働者の賃下げをしてでも、への配当を優先することが動機づけられた。この労働者の賃削減のために雇用の流動化が推進され、労働基準法正、規制緩和が推進された。日本では2008年において労働者全体に占める非正規労働者の割合が三分の一をえるまでになった。

富裕層への優遇は、投資をめぐる法解釈にも現れている。投資に関して、借り手より貸し手の権利を重視するようになった。例えば、貧しい者がその住居を差し押さえられる事を何とかするよりも、機関の保全と債権者への利払いを優先させる。実際、サブライムローンの焦げ付きから端を発した2008年危機では、多くのローン返済が困難になった貧困者が住居を追い出されたのに対して、アメリカ機関のいくつかは国家に救済された。

主な論者による批判

東京大学名誉教授文は、「新自由主義は、企業自由が最大限に保されてはじめて、個人のが最大限に発揮され、さまざまな生産要素が効率的に利用できるという一種の信念に基づいており、そのためにすべての資、生産要素を私有化し、すべてのものを市場を通じて取り引きするような制度をつくるという考え方である。新自由主義は、や大気、教育や医療、共的交通機関といった分野については、新しく市場をつくって、自由市場自由貿易を追求していくものであり、社会的共通資本を根本から否定するものである」と摘している。

ニューヨーク大学名誉教授デヴィッド・ハーヴェイは、著書『新自由主義―その歴史的展開と現在』で、新自由主義とは国家によって特定企業に利益が集中するようなルールをつくることであると摘し、著書『ネオリベラリズムとは何か』で、ネオリベラリズムとはグローバル化する新自由主義であり、際格差や階級格差を化させ、世界システム危機に陥れようとしていると摘している。また自由義は、個人の自由な行為をそれがもたらすかもしれない代償の責任を負う限りにおいて認めるのに対して、新自由主義は、機関の場合、損を被る貸し手を救済し、借り手には強く返済をめる点から、実現された新自由主義を階級権の再生と定式化する。
 
ノーベル経済学賞受賞者であるジョセフ・ユージン・スティグリッツは、「ネオリベラリズムとは、市場とは自浄作用があり、資を効率的に配分し、共の利益にかなうように動くという原理義的な考え方にもとづくアイデアをごちゃまぜにしたものだ。サッチャー、レーガン、いわゆる「ワシントン・コンセンサス」である民営化の促進にもとづいた市場原理主義である。4半世紀のあいだ、発展途上国のあいだでは争いがあって、負け組は明らかになった。ネオリベラリズム追求した々はあきらかに成長の果実を収穫できなかったし、成長したときでも、その成果は不均等に上位層に偏ることになった」と摘している。また1990年代の資本還流によるアメリカ経済の好気は、IMF世界銀行によるものと説明する。つまり、この2つは、発展途上国める融資を提供することと引き換えに債権アメリカの意向を反映した、構造調整計画を、1980年代から1990年代を通じて実施要してきた。しかしこ革は、メキシコアジア通貨危機ロシアブラジル経済危機アルゼンチンの全面破綻を引き起こした。結果が伴わない場合は、「革が十分に実行されなかった」と、責任転嫁をしてきたという。

各国の議論

中国

思想の汪暉は、中国における新自由主義の特徴の一つとして、国家の推進する企業革を擁護する「国家退場論」を挙げる。1990年代以降、急速に進められてきた企業革は、企業資産や経営権をら民間へ譲渡する「退民進」として現れる。しかし、その過程自体が国家的に推進されているため、本来資産であったものが、企業導者層ら既得権益者によって実質上私有化されるとして批判される[24]

新自由主義と共産主義の共通点

共産主義社会主義)という経済思想がある。内のすべての生産手段を有化し、 内のすべての企業企業に変えてしまおうという思想である。

新自由主義は「小さな政府」を志向する思想で、共産主義は「大きな政府」を志向する思想であり、 両者はと油のように正反対であるかのように見える。

ところが、新自由主義と共産主義には、共通点がいくつか見受けられる。 その共通点を挙げると、以下のようになる。

新自由主義を採用すると、自由競争がしくなることでごく一部の勝ち組が富を独占し、大部分の負け組との格差が広がっていく。

共産主義経済格差も顕著である。企業の経営を一手に握る官僚は、富を独占して贅沢な暮らしをする。ソ連ノーメンクラトゥーラは特権階級として有名で、彼ら向けの百貨店も存在した。一方、庶民は配給の列に並んで、決まった量の粗末な品物を受け取る毎日になる。

経済格差を肯定的に扱い、決して修正しようとしないところが、新自由主義と共産主義の共通点である。
 

  • 市場の独占・寡占が進む

新自由主義を採用すると、自由競争がしくなることで、企業の合併が進んでいく。「競争を付けなければならない」といいつつ、同業の企業が合併していき、大きな市場シェアを抱える企業ばかりになる。市場を2~3社で寡占するようになる。

共産主義も同じで、内のすべての企業有化することで、政府という大企業1社が全業種の市場シェア100%独占するようになる。

市場の独占・寡占を肯定的に扱うところが、新自由主義と共産主義の共通点である。
 


明確な共通点は、以上の2点となる。

また、「既得権益に対する嫉妬心を煽りつつ、既得権益の解体をす」という点も、曖昧ではあるが共通点の1つといえる。

新自由主義は「政府規制に保護されている存在」に対する嫉妬心を煽る。公務員農家労働組合、正社員といった人たちを既得権益と呼び、そうした人たちが政府規制の保護を受けて不当な利益を享受していると論じたて、既得権益の解体をする。

共産主義は資本家持ちに対する嫉妬心を煽る。会社を所有する資本家持ちを既得権益と呼び、そうした人たちが労働者を搾取して不当な利益を享受していると論じたて、既得権益の解体をする。


富を生み出さないのに富を得ている存在、すなわちフリーライダーへの軽蔑と憎悪が強いことも、新自由主義と共産主義の共通点である。言い換えると、新自由主義も共産主義も「働かざる者食うべからず」の精を強く持っており、働かない者を軽蔑・憎悪する傾向がある。

新自由主義は、払った税金の額よりも多くの額の利益を政府の福部門から受けている人を軽蔑する傾向にある。新自由主義の旗手であるロナルド・レーガンは、「福女王welfare queen)が存在していて、税金をロクに払わないのに福制度を悪用して高級を乗り回している。納税者の富にただ乗りして、納税者を搾取している」と選挙の時にしていた(批判者から「でっち上げ」と摘されていた)。

共産主義というと労働価値説であり、そこから「会社の富を本当に作り出しているのは、労働者である」という論理を展開していた。その論理から、「である資本家は労働もしていないのに利潤を得ている。労働者の富にただ乗りして、労働者を搾取している」としていた。


「官と民が共存する」という思想を持っておらず、官と民の片方がもう片方を底的に攻撃することでも共通している。共産主義は典的な官尊民卑で、民間企業の存在を決して許さないというものである。新自由主義は典的な民尊官卑で、政府に回す予算を底的に削ることを好み、経済における政府の存在を決して許さないという傾向が非常に強い。

「巨大な団体に所属して人事権を振るう現役の権者」に対する個人崇拝が発生するところも共通点である。共産主義では独裁者の肖像画や彫刻を広場に設置して、「独裁者人的な判断を正しい方向に導いた」と宣伝して、民衆が崇拝するように仕向ける。新自由主義が流行って累進課税弱体化したでは、大企業経営者が「カリスマ経営者」になって高額報酬を受け取ることをすようになり、経済雑誌に登場してロック歌手アイドルであるかのように振る舞って、「経営者の人的な判断大企業を正しい方向に導いた」と宣伝して、民衆が自らを崇拝するように仕向ける[25]
 

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関連項目

脚注

  1. *ちなみに日本の税制では、政治家がその子ども資産相続させるときに、政治団体から子の政治団体へ寄付するという方式を使うと簡単に相続税を回避できる。日本政治家一族にとって日本パナマよりもはるかに安全で確実な租税回避地タックスヘイブン)である。日本政治家たちがパナマ文書に登場しないのはこのためである。『税のタブー インターナショナル新書exit_nicoichiba集英社インターナショナル三木義一』 44~48ページにて、『世襲議員のからくり 文春新書exit_nicoichiba文藝春秋上杉隆』の69~70ページ引用し、小渕恵三政治団体から小渕優子政治団体へ大量の資が流れたのに相続税がかからなかったことを紹介している。
  2. *「垂れ流し」とは汚を排出する公害企業を連想させるネガティブな表現である。財政政策の論争では、相手のイメージを悪くさせるネガティブ表現を駆使するのが恒例である。
  3. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵小泉純一郎読して絶賛するサミュエルスマイルズの『自助論』には、「不幸退廃からをそむけて、幸福感に満ちあふれた楽天的な性格になり、得をしよう」という記述が見られる。
  4. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵小泉純一郎読して絶賛するサミュエルスマイルズの『自助論』には、「劣った人と交際すると劣った人から悪いを受けて自分が劣化してしまうので、劣った人と交際すべきではない。優れた人から良いを受けて自分を高めるため、優れた人とだけ交際すべきだ」という記述が見られる。
  5. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵小泉純一郎読して絶賛するサミュエルスマイルズの『自助論』には、「貧困になっても成功できる。貧困が人を成長させる」という思想が随所に見られる。
  6. *こうした心理傾向をダニング=クルーガー効果exitという。
  7. *不確実性に備えて通貨を貯蓄することを予備的貯蓄という。不確実性が強まるほど人は通貨を予備的貯蓄したがるようになり、消費を避けるようになると摘したのはジョン・メイナード・ケインズである。
  8. *真説 経済・金融の仕組み(日本評論社)exit_nicoichiba横山昭雄 92ページ
  9. *至上義(資本主義)の反対ステークホルダー資本主義といい、企業が従業員・取引先・顧客・地域社会といったあらゆるステークホルダー(利関係者)へ貢献することをすものである。
  10. *ちなみに、価に最大限の注意を払う内閣や、価上昇に連動して内閣支持率が上がる内閣のことを株価連動内閣exitと呼ぶことがある。
  11. *この典小室直樹であり、『日本人のための経済原論exit_nicoichiba』などの著作で熱心に「日本人至上義と所有権の絶対性を理解していない」としていた
  12. *生明は会社の値段(ちくま新書)exit_nicoichibaの第二章の58ページあたりにおいて「1960年代頃までのアメリカ合衆国には『は黙って経営者のいうことを聞いていればよい』という潮があった」と摘している。また、アドルフ・バーリexitガーディナー・ミーンズexit1932年に発表した『現代株式会社と私有財産exit』という論文を紹介していて、「現代の大企業を支配しているのは雇われ経営者であり、は会社の所有者であるにもかかわらず会社の支配とは縁な存在になる」と論文の内容を要約している。
  13. *他者加原理とは他者危原理とも呼ばれるもので、「ある人の自由を権者が制限するときに正当化される理由は、『他者に危を加えることを防ぐため』という理由である」というものであり、19世紀英国ジョン・スチュワート・ミルが提唱した考えである。「基本的人権の絶対性は他者に危を加えない範囲においてのみ成立する。政府が基本的人権を制限するときは他者加原理を出発点にすべきである。政府が『公共の福祉』を名に基本的人権を制限するときは他者加原理を基礎にするべきである」と憲法の教科書で説かれる。

    『日本国憲法論 法学叢書7 2011年4月20日初版exit_nicoichiba(成文堂)佐藤幸治』には次のような文章がある。

    ・・・上述のように、基本的人権はその不可侵性を本質とするが、そのことは基本的人権の保障が絶対的で一切の制約が認められないということを意味しない。それは、基本的人権観念も共生(人間の共同の社会生活)を前提に成立している以上当然のことで、基本的人権が絶対的であるとは他人にを与えない限りにおいてのみ妥当とする。・・・(131ページ

    ・・・J・S・ミルは、その著『自由論』において、「人類が、個人的にまたは集団的に、だれかの行動自由に正当に干渉しう一の的は、自己防衛だということである。すなわち、文明社会の成員に対し、彼の意志に反して、正当に権を行使しう一の的は、他人にたいする危の防止である。彼自身の幸福は、物質的なものであれ道徳的なものであれ、十分な正当化となるものではない」(早坂忠訳)と述べている。これは“harm principle”(「他者加原理」)として知られているが、基本的人権の制約を考える際の出発点をなすものと解される。・・・(131ページ

    ・・・ただ、そのような抽論のレベルであえて確認すべきことがあるとすれば、上述のように、「公共の福祉」は、本質的に個人の基本的人権と対立する実体的な多数者ないし全体の利益を意味するものではなく、ミルのいう「他者加原理」を基礎とするということである。・・・(134ページ
  14. *第一次世界大戦の直前、イギリスドイツの間の貿易はとても盛んで、ドイツにとってイギリスが最大の貿易相手であり、イギリスにとってドイツは第二の貿易相手だった。中野剛志が『富国と強兵exit_nicoichiba』の342ページでそのことを摘している。ちなみに中野剛志は、ピーター・リバーマンの『Trading with the Enemy: Security and Relative Economic Gainsexit』という論文を引用している。
  15. *需とは政府地方公共団体が作り出す需要のこと。
  16. *民需とは民間が作り出す需要のこと。
  17. *内需とは内の政府地方公共団体民間が作り出す需要のこと。
  18. *内需を減らして物資を片っ端から輸出して外貨を稼ぐことを極端に行うと飢餓輸出exitという状態になる。
  19. *外需とは外の政府地方公共団体民間が作り出す需要のこと。
  20. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵小泉純一郎読して絶賛するサミュエルスマイルズの『自助論』には、「他者からの苛な要によって人間は向上する」という記述が全く存在せず、その代わりに「自らの決意や心がけによって人間は向上する」という記述が大量に存在する。
  21. *較優位については池上彰この記事exitで簡潔に解説している。
  22. *小泉進次郎は「人口減少は不可避です。人口減を悔やむ発想からく飛び出して、人口減少でも大丈夫だという楽観と自信を生むべきだ」とった。2016年9月28日朝日新聞デジタルexit
  23. *【竹中平蔵の骨太対談】vol.29 天は自ら助くる者を助く 自助・自立の勧め/vs リンクアンドモチベーション社長 小笹芳央exitにて、竹中平蔵が「小泉純一郎にとって一番好きな本のうちの1つが『自助論』である」と言している。また、竹中平蔵も『自助論』が好きで、「ゼミの学生経済学の本よりも先に『自助論』を読ませる」とっている。また、渡部昇一も『歴史の鉄則exit_nicoichiba』などの自著で『自助論』を絶賛していた。マーガレット・サッチャーも『自助論』を読し、「英国の全ての小学生に『自助論』を贈りたい」と発言したという(記事exit
  24. *汪暉(著)、石井剛・羽根次郎(翻訳).『世界史のなかの中国文革琉球チベット』.土社,2011年,p.132
  25. *累進課税弱体化させるとこうした大企業経営者の姿が見られることは、トマ・ピケティが『21世紀の資本exit_nicoichiba』の532ページで、ポール・クルーグマンが『格差はつくられたexit_nicoichiba』の101104ページで、それぞれ摘している。
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