新自由主義 単語


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シンジユウシュギ

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新自由主義(英:Neoliberalism)とは、思想・信条の一類型である。

市場原理主義英:Market fundamentalism)と批判者に呼ばれることがある。
 

概要

辞書に記載されている定義

新自由主義について辞書に記載されている定義は次の通りとなっている。

政府の規制を緩和・撤廃して民間の自由な活力に任せ成長を促そうとする経済政策。

-知恵蔵(朝日新聞出版)より引用-

 

政府などによる規制の最小化と、自由競争を重んじる考え方。規制や過度な社会保障・福祉・富の再分配は政府の肥大化をまねき、企業や個人の自由な経済活動を妨げると批判。市場での自由競争により、富が増大し、社会全体に行き渡るとする。ネオリベラリズム。

-デジタル大辞泉(小学館)より引用-

 

性質その1 小さな政府

新自由主義者は政府の権力を弱体化させるのを好み、小さな政府を理想とする。政府の経済への介入を徹底的に嫌い、市場原理(market principle)や競争原理(competition principle)に委ねれば上手くいく、と力説する。

新自由主義者は、政府による雇用創出・労働規制に反対し、「政府の肥大化をまねき、企業や個人の自由な経済活動を妨げる」と批判する。三公社五現業のような官営事業を否定し、そうした官営事業を片っ端から民営化しようとする。

また新自由主義者は、政府による地方支援を敵視し、「ロクな産業もない土地にお金を注ぎ込んで人を張り付かせるのは無駄で非効率的だ」と猛反発する傾向がある。政府による地方支援を大々的に行う政策を確定させたのは1972年から1974年まで首相を務めて1980年代中盤まで日本政治において支配的地位を維持した田中角栄であるので、新自由主義者は田中角栄を徹底的に敵視する傾向がある[1]

新自由主義者の言うとおりにして政府による地方支援をとりやめると、地方に人口空白地域が生まれることになり、凶悪犯罪の証拠を隠滅しやすい土地が増えることになり、凶悪犯罪を行いやすい状態になり、治安が急激に悪化する。ゆえに、良好な治安を維持するためには、田中角栄の言うとおりに地方にお金を注ぎ込んで地方に人を張り付かせて人口空白地域を作らないようにして凶悪犯罪の発生を抑え込む必要がある。

また新自由主義者は、政府による社会保障や年金給付も敵視し、老人に手厚い支援をすることを敵視する傾向があり、「ロクな生産力もない老人にお金を注ぎ込んで人を張り付かせるのは無駄で非効率的だ」と猛反発する傾向がある。政府による社会保障や年金給付を大々的に行う政策を確定させたのは田中角栄であるので[2]、新自由主義者は田中角栄を徹底的に敵視する傾向がある。

新自由主義者の言うとおりにして政府による老人支援をとりやめると、老人は病気になりやすく医療器具への需要を作り出す存在なので、医療器具への需要が急激に減ることになり、製造業の技術力が向上する流れを断ち切ることになる。医療器具の中には生産するのが非常に難しいものが多いので[3]、医療器具への需要を増やせばそれに関連する製造業の技術力が向上するし、医療器具への需要を減らせばそれに関連する製造業の技術力が停滞する。ゆえに、製造業の技術力の向上を目指すためには、田中角栄の言うとおりに老人にお金を注ぎ込んで医療器具への需要を増やす必要がある。

新自由主義者の一部は「政府の権力を強くすると全体主義になる。戦前戦中の軍国主義日本やナチス・ドイツやソ連や北朝鮮や毛沢東時代の中国のようになる」というふうに全体主義への恐怖心を煽りつつ自らの主張を述べることがある。

新自由主義者は、仇敵である田中角栄に対しても「日本に社会主義を定着させた」と非難する傾向がある。

新自由主義者の一部は、官僚を叩いて民間企業を褒め称えることに熱心である。そういう姿は民尊官卑と評される。

身を切る改革」と称して公務員の給料を引き下げる緊縮財政を支持する傾向にある[4]。公務員の給料を引き下げることで優秀な人材が民間企業へ流れるようになり、官公庁の士気と実力が低下する。また、公務員の給料を引き下げることで、労働市場において政府や地方公共団体と労働者を奪い合っている民間企業が「労働者の給料を引き下げても政府や地方公共団体に労働者を奪われない」と安心するようになり、労働者への給料を引き下げるようになり、世の中全体の賃下げが進む。

新自由主義者は「改革」という好ましいイメージが付着した言葉を使って自らの支持する政策のイメージを向上させる傾向がある。緊縮財政のことを構造改革とか行政改革とか財政改革とか「身を切る改革」と呼ぶ。

新自由主義者は、公務員の給料を引き下げるだけでなく、官公庁や地方公共団体の人員を削減してマンパワー(人手)を削減することも好む。そうした状態を「小さくてスリムで賢い政府」などと賞賛する。

新自由主義者が主張するとおりに政府の人員を極限まで減らし、「一切の無駄がない小さな政府」にすると、コロナ禍のような有事に対する対応力が急激に低下する。「平時の無駄は有事の余裕」という格言が示すように、無駄をそぎ落とした状態の政府は有事に対してとても脆弱になる。

新自由主義者は、有事が全く発生せず平時が永遠に続くことを大前提として緊縮財政と小さな政府を構想していて、一種の平和ボケというべき考え方をしている。こうした新自由主義者の姿は、新・平時主義 とか新・平和主義 と表現することができる。

新自由主義が主導権を握る国では政府の予算が減らされて政府が人手不足になる。そのため政府がボランティア頼みとなり、民間人をタダ働きさせることが恒例となる。政府高官が「皆さんの協力がないと○×というイベントが成功しません」と宣言し、民間人の「自分たちが協力しないと○×というイベントが失敗してしまう。もし○×というイベントが失敗したらそれは自分たちのせいである」という責任感や罪悪感を刺激し、民間人の労務を無料で享受し[5]やりがい搾取を行っていく。

政府のそういう姿を見て、ブラック企業の経営者が「我々も政府の真似をしよう」と考えるようになり、従業員に向かって「君たちのサービス残業がないと会社が倒産します」と宣言し、従業員の「自分たちがサービス残業しないと会社が倒産してしまう。もし会社が倒産したらそれは自分たちのせいである」という責任感や罪悪感を刺激し、従業員の労務を無料で享受し、やりがい搾取を行っていく。

新自由主義の国では政府が率先垂範してブラック企業に手本を示すので、国内のブラック企業が大いに勇気づけられて勢いよく躍動する。このため新自由主義は新・ブラック企業主義 と表現することができる。


新自由主義者は「官から民へ」「民間でできることは民間に」という合言葉を好み[6]、政府が手がける官営事業をことごとく民営化することを好む。税引後当期純利益の追求を第一としない官営事業団体から、税引後当期純利益の追求を第一とする民営企業に変貌させようとする。日本には三公社五現業という官営事業があったが、新自由主義が盛んな時代になってそれらの官営事業が次々と民営化されていった。

新自由主義者は「政府というものは民間企業と同じような存在であり、利益追求をしなければならない」という信条を持っている。このため「官営事業は不採算部門そのものであり、政府の利益を食いつぶしていて、赤字垂れ流しの状態なので[7]、官営事業を削減するのが当然のことだ」と主張する。ちなみに、そうした主張に対して「政府というものは民間企業と全く異なる存在であり、利益追求をするのではなく公益追求をすることを義務づけられている。官営事業は公益の拡散装置である」という反論が寄せられることがある。

「政府は企業と全く異なる存在である」ということを決して認めようとせず、「政府は一種の民間企業であり、利益追求や黒字化を目指さねばならない」と主張して政府と企業を同一視し、政府に対して民間企業の感覚を持つことや民間企業と同じ行動をすることをひたすら要求する新自由主義者の姿は、新・企業主義 と表現することができる。

官営事業の中には低技能労働者を大量に雇用して安定した待遇を与える部門があり、低技能労働者を雇用して過酷な待遇を与える民間ブラック企業が出現しにくいようにしている。つまり官営事業には「世の中の労働待遇を維持する公益装置」「労働待遇向上装置」「賃上げ装置」「労働規制装置」「民間ブラック企業の出現を抑制する装置」「民間ブラック企業を漂白する装置」という一面がある。官営事業を民営化することで、低技能労働者を雇用して過酷な待遇を与える民間ブラック企業が出現しやすいようになり、雇用情勢の悪化、つまり賃下げと長時間労働の蔓延が進んでいく。

新自由主義者の言うとおりにして官営事業を減らして低技能労働者の雇用を減らすと、企業の経営者が低技能労働者に向かって「君のような低技能労働者を雇ってあげる企業は、我が社の他には数えるほどしか存在しない」と威圧的に接することができるようになり、労働者に無理難題を押しつけやすくなり、パワハラ(パワーハラスメント)を楽しむことができるようになる。

政府が官営事業を興して労働者に直接的に賃金を支払うと、その官営事業が立地する地方において「官営事業よりも賃金を多めにしないと官営事業に人が流れてしまう」と考える民間企業が増えて、民間企業労働者の賃金が官営事業労働者の給与水準付近まで上昇する流れになる。

新自由主義者の言う「民間でできることは民間に」という標語のとおりにして、政府が官営事業を廃止して民間企業に事業を委託しつつ民間企業に対して一切干渉しない状況にすると、民間企業がピンハネ(中間搾取・中抜き)に励むようになり、5次下請けとか8次下請けといった多重請負[8]の状況に発展する。労働者を極めて低い賃金で働かせるブラック企業が非常に安い金額で仕事を請け負った時点でやっと多重請負が止まる。ブラック企業が暗躍する社会になり、世の中の民間企業労働者の賃金が下がっていく。

政府が官営事業を興して労働者を終身雇用すると、その官営事業が立地する地方において「官営事業のように終身雇用を約束しないと官営事業に人が流れてしまう」と考える民間企業が増えて、民間企業において終身雇用が増えていく。

政府が官営事業を廃止して労働者を終身雇用することをとりやめると、「終身雇用を約束しなくても官営事業に人が流れない」と考える民間企業が増えて、民間企業において終身雇用が減っていく[9]


官営事業団体の長所というのは、世の中の労働者に給料の確実性・安定性を与えるところである。官営事業団体に雇われた労働者が安定した生活を送るようになり、官営事業団体と労働者を奪い合っている民間企業が「我々も労働者の待遇を安定させよう。さもないと官営事業団体に労働者をすべて奪われてしまう」と考えるようになる。

官営事業団体の短所というのは、民間企業に比べて比較的にコスト意識・効率化意識が低く、進取の精神が比較的に薄く、サービス精神も比較的に低いところである。

一方で民間企業の長所と短所は官営事業と全く逆となる。民間企業の長所は官営事業に比べて比較的にコスト意識・効率化意識が高く、進取の精神が比較的に濃く、サービス精神も比較的に高いところである。民間企業の短所は「人件費を削減して税引後当期純利益と利益剰余金を作り出そう」という欲が強く、労働者の待遇を悪化させたがる癖があるところである。
 

官営事業団体と民間企業の違いを表にまとめると次のようになる。
 

民間企業 官営事業団体
長所 コスト意識・効率化意識が高く、進取の精神が濃く、サービス精神が高い 労働待遇向上装置・賃上げ装置・労働規制装置である。労働市場で労働者を奪い合っている民間企業に「労働者の待遇を向上させないと官営事業に労働者を奪われてしまう」と考えさせ、民間企業の労働者待遇の向上に貢献する
短所 労働者の待遇を悪化させて人件費を削減し、税引後当期純利益や利益剰余金を稼ごうとする傾向がある コスト意識・効率化意識が低く、進取の精神が薄く、サービス精神が低い

 
新自由主義は「倒産しにくく永続しやすい企業」を理想視するところがある。つまり「税引後当期純利益を叩き出して利益剰余金を積み上げて、株主への配当を安定的に行って株式市場における株価を上昇させて、株式市場での資金調達を順調に行って自己資本比率を高める企業」を理想視するところがある。

そういう企業を創出するための最も手っ取り早い方法は、世の中の賃下げを進めることである。企業にとって人件費こそが巨額の費用であり、税引後当期純利益を引き下げる大きな要因となっているからである。

世の中の賃下げに対して障害となるのは官営事業である。このため新自由主義者は官営事業を敵視し、「官営事業はコスト意識・効率化意識が低く、進取の精神が薄く、サービス精神が足りない」などと表現して官営事業の短所だけに人々の意識が向くように誘導し、「官営事業は民間企業に勤める労働者の待遇を向上させる公益装置であり、労働待遇向上装置であり、賃上げ装置であり、労働規制装置である」という官営事業の長所に人々の意識が向かないように努め、ひたすら官営事業を削減しようとする。
 

性質その2 夜警国家

新自由主義者は小さな政府を理想視しており、政府に対して厳しい態度で臨む。しかし、新自由主義者の中にも例外があり、自衛隊・海上保安庁・刑務所・警察・消防といった治安部門に対して特別に優しい態度になる者がいる。小さな政府を志向しつつ治安部門を特別に優遇することを夜警国家 という。

自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士は、法律によって労働三権[10]のすべてが否定され、労働組合を結成できず[11]、上司が無茶な労働強化の要求をしてきても反抗せずに従う存在である。政府や地方公共団体に直接雇用されて安定した給与を得ているが、世の中の労働組合運動に参加することができず、労働弱化や賃上げの気運を世の中に広めることができない。

自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士は政府や地方公共団体に直接雇用されることで給料の安定性・確実性に恵まれているので、その部分は新自由主義者にとって気に入らない。しかし自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士は労働組合を作らないので、その部分は新自由主義者にとって歓迎できる。

ちなみに、新自由主義者が最も理想とする労働者は「給料の不安定性・不確実性に悩まされていて、なおかつ労働組合に参加しない労働者」である。Amazonのように従業員の労働組合結成を妨害する民間企業というものが存在するが[12]、そういう民間企業に勤める労働者が該当する。給料の不安定性・不確実性に悩まされているという部分が新自由主義者にとって素晴らしいことだし、労働組合活動をしないという部分も新自由主義者にとって大歓迎である。

他方で、「自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士以外の公務員」や官営事業団体構成員は、労働三権のうち団結権と団体交渉権を認められていて[13]、労働組合を結成することができ、上司が無茶な労働強化の要求をしてきたら労働組合を通じて反抗する存在である。かつての郵便局員や国鉄職員が代表例である。政府や地方公共団体に直接雇用されることで給料の安定性・確実性に恵まれており、そしてなおかつ労働組合の活動をすることができるので、世の中の労働組合活動の先頭に立つことが多く、労働弱化と賃上げの気運を世の中に広める可能性が極めて高い。新自由主義者にとって「理想から最もかけ離れた労働者」であり、新自由主義者にとって永遠の敵であり、不倶戴天の敵である。

以上のことを表にまとめると次のようになる。
 

給料の不安定性・不確実性に悩まされていて、なおかつ労働組合に参加しない労働者 政府・地方公共団体に直接雇用されることで給料の安定性・確実性に恵まれているが、労働組合に参加しない労働者 政府・地方公共団体に直接雇用されることで給料の安定性・確実性に恵まれていて、なおかつ労働組合に参加する労働者
代表例 2020年12月以前のGAFA(米国巨大IT企業4社)の従業員 自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士 かつての郵便局員、国鉄職員
国内における労働組合の運動に対して 「我関せず」「自分には関係ない」という態度をとる 積極的に参加し、主導していく
新自由主義者にとって 理想の労働者 半分理想、半分気に入らない 永遠の敵、不倶戴天の敵

 
新自由主義者にとって、国内の労働組合の活発化を抑え込むことは最大の課題である。夜警国家を採用して治安部門の雇用を増やすことは国内の労働組合の活発化に直結しないので、新自由主義者にとって許容範囲内の政策である。

先述のように、自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士というのは新自由主義者にとって「半分理想、半分気に入らない」という存在であるが、反・新自由主義者にとっても「半分理想、半分気に入らない」という存在である。

自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士は政府・地方公共団体に直接雇用されることで給料の安定性・確実性に恵まれているので、世の中の民間企業に「我が社も従業員に給料の安定性・確実性を保障しよう。そうしないと労働者が自衛隊・海上保安庁・刑務所・警察・消防に流出する」と考えさせる存在であり、その部分は反・新自由主義者にとって好ましい。しかし自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士は労働組合を結成できず、世の中の労働組合活動に参加できない存在であり、その部分は反・新自由主義者にとって好ましくない。
  

性質その3 貴族政治

新自由主義の信奉者は緊縮財政の信奉者であり、「身を切る改革」と称して公務員の給料を削減することを好むが、それと同時に国会議員や地方議員の給料(議員歳費)を削減することも好む。

議員歳費を減らすことで、非・富裕層議員にとって政治活動をすることが難しくなっていく。議員歳費が少なくなるので、お金を払って地元民と交流を深めて民意を吸い上げることをとりやめるようになる。知名度を稼ぐためテレビ番組やラジオ番組に出ようとしてみたり、知名度を稼ぐためtwitterなどのSNSで人目を引くような言動をすることに熱中したりして、自分の姿を発信することに精を出すようになるが、民衆からの民意を受信することを怠るようになる。非・富裕層議員たちの間で、「議員とは芸能人のようなものである」といった解釈が広がり、民意を重視する民主主義(デモクラシー)の気運が薄れていき、民意を無視する貴族政治(アリストクラシー)の気運が濃くなっていく。

一方、事業で大成功を収めたビジネスパーソンから政治家に転身した成金議員[14]や、先代からの資産を大量に相続した世襲議員[15]のような富裕層議員は、議員歳費を減らされても簡単に政治活動を行うことができる。

議員歳費をゼロにすると、非・富裕層議員が政治活動を行えなくなる。選挙に立候補して当選しても議員歳費をもらえず極貧の生活に転落することが予測できるので、非・富裕層から選挙に立候補することを誰も行わなくなる。非・富裕層の被選挙権を実質的に制限して富裕層の被選挙権のみを実質的に認める制限選挙になり、典型的な貴族政治(アリストクラシー)になる。

新自由主義者の望むように議員歳費を削ると、成金議員や世襲議員のような富裕層議員ばかりになる。このため新自由主義は新・貴族主義 と表現することができる。


ちなみに、非・富裕層議員の長所は、気軽に声を掛けてもらいやすく、民意を吸収する能力が高い点である。「貴人に対して声を掛けることを遠慮し、庶民に対して遠慮せずに声を掛ける」というのが人間に広く共通する性質である。

非・富裕層議員の短所は、チヤホヤされた経験が比較的に少ないので外交の大舞台にやや向かない点である。外交とは相手を王侯貴族であるかのように歓待しつつ相手の心を動かしていくゲームであり、チヤホヤされた経験が少ない者が外交の大舞台に出ると接待で舞い上がってしまって心を大きく動かされてしまう危険がある。

一方、富裕層議員の長所は全く逆で、チヤホヤされた経験が比較的に多く、多少の歓待にも動じないところがあり、外交の大舞台に強いところである。

富裕層議員の短所は、気軽に声を掛けてもらいにくく、民意を吸収する能力が低い点である。

以上のことを表にまとめると次のようになる。
 

富裕層議員 非・富裕層議員
長所 チヤホヤされた経験が比較的に多く、多少の歓待にも動じないところがあり、外交の大舞台に強い 気軽に声を掛けてもらいやすく、民意を吸収しやすい
短所 気軽に声を掛けてもらいにくく、民意を吸収しにくい チヤホヤされた経験が比較的に少なく、歓待されたら舞い上がる危険があり、外交の大舞台にやや向かない
新自由主義の国における存在感 議員歳費を減らされても平気で生き残り、存在感を増す 議員歳費を減らされて、困窮に耐えられずに消滅する
制限選挙の国における存在感 存在感を増す 消滅する

 
新自由主義は「倒産しにくく永続しやすい企業」を理想視するところがある。つまり「税引後当期純利益を叩き出して利益剰余金を積み上げて、株主への配当を安定的に行って株式市場における株価を上昇させて、株式市場での資金調達を順調に行って自己資本比率を高める企業」を理想視するところがある。

そういう企業を創出するための最も手っ取り早い方法は、世の中の賃下げを進めることである。企業にとって人件費こそが巨額の費用であり、税引後当期純利益を引き下げる大きな要因となっているからである。

世の中の賃下げに対して障害となるのは「世の中の賃上げの流れを作ってほしい」という民意であり、「世の中の賃上げの流れを作ってほしい」という民意を吸収してくる議員である。このため、新自由主義は民意を敵視する傾向があり、民意を吸収する非・富裕層議員を敵視する傾向がある。

新自由主義の支持者は貴族政治を好み、議員歳費の支給を嫌い、制限選挙を好み、普通選挙を嫌い、「エリートの判断」を好み、民意を嫌うという傾向がある。「制限選挙だったころのA国は栄えていたが、普通選挙を取り入れて民衆の意見を取り入れるようになってから没落していった」などと語るのがおなじみの姿である[16]

とにかく新自由主義者は民意を嫌っており、「大衆は愚かで馬鹿なので、大衆の言うことなど聞くべきではない」と断言して、民意を軽視する風潮を作り出そうとする傾向がある。

そして新自由主義者は、民意を吸収する政治に対して「衆愚政治であり、ポピュリズムであり、大衆迎合である」というレッテル貼りをし、民意を吸収する政治家に対して「あのようなポピュリスト政治家を台頭させると、政府の財政が破綻するかハイパーインフレになるかのどちらかになり、経済が荒廃し、1990年代初頭のソ連のようになる」という極論を浴びせて攻め潰しにかかる。そして「民意を吸収する政治家の言うことは、まことに甘い誘惑であるが、身を滅ぼすものである。決してそういう危険な誘惑に負けてはいけない」と言う傾向がある。
   

性質その4 自助論

新自由主義を信奉する人の中には、自助論を熱心に説いて回る人が見られる。

新自由主義者の一部は、「自助の精神を持つ人が多いと19世紀の英国のように繁栄する。自助の精神を持つ人が少ないと1970年代の英国のように没落する」と論じて、自助の精神が繁栄の要因であるかのように扱う。そういう姿は新・自助主義 といっていいほどで、とにかく自助というものを重視する傾向がある。

新自由主義者の一部は、賃下げによって貧困に苦しむ人たちに対して「自助をするべきだ。他人を当てにするな。公助(政府の支援)は無いものと思え」と発言する傾向がある。

新自由主義者の一部は、低技能労働者が賃下げに苦しむことに対して、自己責任という言葉を使いつつ「努力をせず己の技能を磨かないからだ」と放言する傾向にある。

新自由主義者の一部は、「人は誰もが自助をするべきだ」と人々に自助を義務付けようとしたり、「人なら誰でも自助ができるはずだ」と人々に自助の可能性を指摘したりする。そういう言動を繰り返すことで、自らに課せられた「人を助ける義務」をできるかぎり縮小し、自らに課せられた「他人を助けるために時間とお金と労力を負担する債務」をできる限り縮小しようとする。

新自由主義者の一部は、不幸や退廃に苦しむ人々を見たら目をそむけ、見なかったことにして、幸福感に満ちあふれた楽天的で快活な気分を維持しようとする。そうすることで「人助けすべきという義務感」を削減し、己を助ける自助に集中しようとする[17]。こうした姿は新・現実逃避主義 と表現することができる。

新自由主義者の一部は、「他人の援助を必要とする劣った人」を無視したり軽蔑したりしつつ、「他人の援助を必要としない優れた人」を交際相手にしたり尊敬したりして、「他人の援助を必要としない優れた人」同士で群れようとする。そうすることで「他人の援助を必要とする劣った人」のことを完全に忘却して、自分の心に残っている「人助けすべきという義務感」を削減して、己を助ける自助に全精力を集中しようとする。つまり、優れた人と劣った人の2階級に分化する階級社会を本質的に好む傾向がある[18]。こうした姿は新・階級主義 ということができる。

自助というのは自分を助けるということであり、それは裏返すと「他人を助けず見捨てて見殺しにする」ということに直結する。新自由主義は、人を見捨てて見殺しにする性質を持つ自助という行為を重視する思想であるから、新・見殺し主義と表現することも可能である。

自助という概念には「自立」「自尊」「品位」といった輝かしい正のイメージが付着しているが、「利己主義」「エゴイズム」「自分本位」といった腹黒い負のイメージも付着している。自助論を唱えつつ苦しむ他者を放置する人の姿は利己主義・エゴイズムという表現が当てはまる。新自由主義はそういう自助を重視する思想であるから、新・利己主義(ネオ・エゴイズム)と言うことができる。


新自由主義は「倒産しにくく永続しやすい企業」を理想視するところがあり、「税引後当期純利益を叩き出して利益剰余金を増やして株主へ安定的に配当を払い、株式市場で資金を順調に調達して自己資本比率を高める企業」を理想視するところがある。そして、企業にとって人件費こそが税引後当期純利益を下げる大きな要因となっているというのが事実である。ゆえに新自由主義者は世の中の賃下げを進めることを志向している。

世の中の賃下げに対して障害となるのは「困っている人を見捨てずに助けるべきであり、そのために賃上げするべきだ」という気運である。新自由主義者はこうした「賃上げして人助けしよう」という気運を敵視しており、「賃下げして人を見捨てよう」という気運が世の中に広まることを願っている。

このため新自由主義者は自助論を宣伝して回る。そして「人はいくらでも自助ができるのだから、賃上げして人助けする必要がなく、賃下げして人を見捨ててもよい」という結論を導こうとする。


自助論を熱心に支持すると、次第に「支援」「援助」「補助」に対して否定的な感情を抱くようになる。逆に言うと、「支援」「援助」「補助」に対して否定的な感情を抱く性格の持ち主は、自助論にどっぷりハマる可能性が高い。

「誰かに助けてもらえるという既得権益」を享受する人に対する嫉妬心が深い人は、自助論に飲み込まれる可能性が高い。

学生の学費に対して「人が学校で学んで卒業すると、その人だけが年収が増えるなどの利益を独占する。ゆえに学生のみに学費を負担させるべきだ」という考えを「個人限定型の受益者負担主義」という。自助論の支持者はこうした考えを大いに好む。

学生の学費に対して「人が学校で学んで卒業すると、その人だけが年収が増えるなどの利益を独占するわけではなく、周辺の人々や政府も利益を受ける。ゆえに学生のみに学費を負担させるのではなく、政府が給付金を支払うべきだ」という考えを「個人に限定しない受益者負担主義」という。自助論の支持者はこうした考えを決定的に嫌い、猛烈に憤怒する傾向がある。
 

性質その5 労働強化

新自由主義は労働者に対する労働強化を好む思想であり、労働者に払う給料を一定にしたままで労働者に対して高品質・大量の労働を要求することを好む思想である。新自由主義者が労働者に対して「もっと意識を高く持って高品質の労働をしろ。さもないと国際競争で敗北してしまうぞ」と上から目線で労働強化するのは見慣れた光景である。

新自由主義者は「労働強化の鞭」を擬人化したような存在である。新自由主義者が歩くところは労働強化の嵐が激しく吹き荒れる。ゆえに新自由主義は新・労働強化主義 と表現することができる。

新自由主義は「倒産しにくく永続しやすい企業」を理想視するところがあり、「税引後当期純利益を叩き出して利益剰余金を増やして株主へ安定的に配当を払い、株式市場で資金を順調に調達して自己資本比率を高める企業」を理想視するところがある。そして、企業にとって人件費こそが税引後当期純利益を下げる大きな要因となっているというのが事実である。ゆえに新自由主義者は世の中の賃下げを進めることを志向している。

従業員に同一の賃金を払いつつ高品質・大量の労働を強いることは従業員の時間あたり給料を削減することになり、実質的な賃下げとなる。労働者に対してひたすら労働強化することは新自由主義者にとってまさしく最大の願望である。

ちなみに、反・新自由主義者や労働組合は労働弱化を好み、「労働者に払う給料を一定にしたまま労働者に低品質で少量の労働を要求するのが望ましい」と経営者に要求するのがいつもの姿である。そうした労働弱化が実質的な賃上げになるからである。このため新自由主義者は労働組合を徹底的に嫌う。


新自由主義者は、労働強化をするために、人々の労働意欲を刺激する傾向がある。

新自由主義者は、所得税累進課税を弱体化させ[19]、労働意欲を刺激し、国内の生産力・供給力を強めるのが大好きである。人々の労働意欲を刺激すること、つまりインセンティブ(刺激)を与えることを優先する傾向があり、「労働意欲至上主義」といった観がある。

また新自由主義者は、相続税や贈与税を弱体化させることも好む[20]。新自由主義が盛んな国では相続税や贈与税が無税になった国も多い。そうなると世の中の父親・母親が「子どもに多くのお金を相続させるため、目一杯働いて高額所得を得よう」と考えるようになり、世の中の父親・母親の労働意欲が強烈に刺激される[21]

また新自由主義者には、終身雇用・年功序列の賃金体系を否定して成果主義・能力主義の賃金体系を導入し、労働意欲を刺激しようとする傾向もある。

「才能を発揮すればするほどガッポガッポと稼げる夢のある社会を作り上げる」「才能を発揮する人に夢を見せる」といったふうに才能という綺麗な言葉を織り交ぜて語りかけ、人々の金銭欲を強烈に刺激する。

新自由主義者の一部は、「所得税累進課税や年功序列の給与体系によって、頑張った人が痛めつけられている」とか「頑張った人が報われていない現状を変えて、頑張った人が報われる社会を作ろう」とか「頑張る人が足を引っ張られている現状を変えて、頑張る人が足を引っ張られない社会を作ろう」という言い回しを非常に好む。いずれのスローガンも、「自分は頑張っている」と信じている人の被害者意識を強く刺激するものであり、わりと扇情的な言い回しである。このような扇情的な言い回しをして人々を感情的にさせ、人々が感情の赴くままに所得税累進課税や年功序列の給与体系を弱体化させていくように誘導する。


また新自由主義者は、労働強化をするために、「労働意欲を抑制する人」を否定する傾向もある。

新自由主義者は「ほどほど」「適度」「無理のない範囲で」という言い回しをして労働意欲を抑制する人を非常に嫌い、そうした言葉を発する人に対して「衰退する、ダメになる、発展途上国に追い抜かれる、先進国から脱落する」といった警告をする。そして「とことん」「徹底」「どこまでも頑張る」という言い回しを非常に好む。

新自由主義者は勤勉を深く愛し、怠惰を激しく憎むので、労働意欲を抑制する人に対して「怠け者」というレッテル貼りをして論戦で優位を得ようとする傾向がある。

人は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてる生物であり、本質的に「怠惰」を必要とする生物なのだが、論戦に臨む新自由主義者はそのことを都合良く忘れて「自分は勤勉であり全く怠惰ではない」という態度で振る舞う。


新自由主義者が好む労働強化には副作用がある。余暇の減少による消費・需要の減少や、仕事中毒(ワーカホリック)と長時間労働の蔓延によるメンヘラ・過労死の増加といったものである。

労働強化が繰り返されることで労働者の余暇が減少する。そうなると、労働者の消費意欲が減退したり、非婚化と少子化が進んだり、人口が減少したり、需要が減ってデフレになったりする。新自由主義が広まるとデフレになるという傾向がある。

労働強化が繰り返されることで労働者の労働意欲が過剰に刺激される。そうなると多くの人が「仕事すればするほど、お金が儲かる」と思いこむようになり、「休暇を取っている場合ではない、空いた時間をすべて仕事に注ぎ込もう」という仕事中毒(ワーカホリック)の心理状態となり、長時間労働が増えていく。そうなると人々が労働の過酷さに耐えられなくなり、メンヘラに苦しむ人や過労死する人が増加する。

新自由主義に心酔する企業経営者は労働強化を好むのだが、労働強化を続けるうちに全能感・万能感に満ちあふれるようになっていく。「意志さえあれば何事も実現できる」と本気で信じ込みつつ、従業員に向かって「不可能はない」「できないとはいわせない」とパワハラ気味に接して労働強化する。そうすると会社全体が「労働意欲の肥大化」というような状況になり、従業員が疲れ果て、従業員の精神に害が与えられ、従業員がメンヘラや過労死に近づいていくことになる

新自由主義者は労働強化の副作用を意識することを苦手としており、「労働しすぎたら疲労が蓄積して肉体や精神が壊れてしまう」と考えることを苦手としている[22]

覚醒剤を使用すると疲労が解消し、どれだけ労働強化しても疲労を感じなくなる[23]。労働強化の副作用を意識することが苦手な新自由主義者と、覚醒剤を使用する人には、共通するところがある。


労働強化の副作用を指摘されたときに新自由主義者が頼りにするのは、「人が生まれつき持っている本能」というものである。

新自由主義者に対して「新自由主義者の言うとおりに所得税累進課税の弱体化と労働規制の緩和を実行して労働強化すると、仕事中毒(ワーカホリック)と長時間労働が増え、過労死やメンヘラが増えてしまう。労働者の生命と健康を守るために所得税累進課税と労働規制が必要である」と抗議すると、新自由主義者の多くは「人には生存本能というものが先天的に備わっている。人というものは過労死やメンヘラになる前に生存本能が自動的に発動し、労働量を自動的に引き下げて、自己の生命と健康をセーブ(保持)するはずである」と反論する。

このように新自由主義者は「人には本能があるはずだから労働規制など必要ないのだ」という態度を取りがちで、人の本能に対して過大な期待をする傾向がある。そのため新自由主義のことを新・本能主義 と呼ぶことが可能である。

企業の労働強化に従った結果としてメンヘラになったり過労死したりする労働者を見かけたとき、反・新自由主義者と新自由主義者は全く正反対の判断をする。

反・新自由主義者は「企業が欲張って労働強化をしすぎたから労働者が耐えきれずにメンヘラになったり過労死したりしたのだ」と判断し、企業の非を認め、さらには政府の監督が行き届いていないことを問題視する。そして「労働基準監督署への予算を増額すべき」と判断する。

一方で新自由主義者は「政府が経済に対する介入をしすぎたから、労働者が飼い慣らされて、労働者の生存本能が弱体化して、労働者の『メンヘラになったり過労死したりすることを回避する能力』が衰えたのだ」と判断し、企業の非を認めず、むしろ政府の非を指摘し、労働基準監督署への予算を削ることを要求する。

新自由主義者は何が起こっても「そうか、なるほど、政府がすべて悪い、政府への予算を削れ」と一本調子に判断する傾向がある。そうした姿は新・一本調子主義 と称することができる。

以上のことをまとめると次のようになる。

新自由主義 反・新自由主義
労働者がメンヘラになったり過労死したりするのはなぜか 政府が経済に対する介入をしすぎたことにより、労働者が飼い慣らされ、労働者の生存本能が弱体化し、労働者の「メンヘラになったり過労死したりすることを回避する能力」が衰えたため 企業が欲張って労働者への労働強化を行いすぎたため
労働者がメンヘラになったり過労死したりするとき、悪いのは誰か 政府が全て悪い 企業が悪い。労働規制を掛けず野放しにした政府にも一部の責任がある
労働者がメンヘラになったり過労死したりするのを防ぐにはどうしたらいいか 政府への予算を削り、労働基準監督署への予算を削り、労働者を政府の支配から解放し、労働者の生存本能を回復させる 政府への予算を増やし、労働基準監督署への予算を増やし、企業が過度の労働強化をしないように労働規制を強化する

 

性質その6 消費税の増税

新自由主義者は長時間労働に明け暮れて余暇をほとんど持たない労働者を理想の存在とし[24]、短時間労働に恵まれて余暇を十分に持つ労働者を徹底的に嫌う。

新自由主義者は「今度の休日は友人や家族と一緒に○×というお店に行って買い物を楽しむ」のようなフヌケたことをいう労働者を非常に嫌っており、そのような戯れ言(ざれごと)を労働者が言い出さないようにするために様々な工夫をする。

新自由主義者は「長時間労働をしないと日本が国際競争から脱落する!日本が貧しくなる!」と脅す手段を好んで用いる。この手段は多大な労力を必要としないので頻繁に実行することができる。しかし、ただの脅しなので効果は今ひとつである。

新自由主義者は消費税を増税するという手段も好む。この手段は多大な労力を費やして国会で立法しなければならないという短所があるが、効果が抜群であるという長所がある。

消費税を増税して買い物に対して巨額の罰金が発生するようにすれば、多くの人が消費を嫌がるようになり、倹約・節約志向になり、買い物を楽しみにしなくなる。消費税10%の国で110万円の物品を購入すると領収書に「物品100万円 消費税10万円」と記載されるのだが、こういう数字を見る消費者は「消費・需要は悪いことである」という思想を持つようになり、倹約好みの性格に変貌していく。

そうなると「どうせ余暇をもらっても楽しく買い物できないのだから余暇など要らない」という考えが労働者たちの脳裏によぎるようになり、労働者たちが余暇を欲しがらなくなり、労働者たちが長時間労働を唯々諾々(いいだくだく)と受け入れるようになる。消費税によって労働者の性格を「勤勉」で我慢強くて長時間労働に耐えられるものに改造することができる。消費税を増税すると次第に長時間労働を基調とする社会になり、新自由主義者にとって理想の楽園になる。

精神科医は睡眠できない患者に睡眠導入剤を投薬し、患者が睡眠できるようにする。それと同じように、新自由主義者は長時間労働を嫌がる労働者に「長時間労働導入剤」として消費税を投薬し、労働者が長時間労働を好むようにする。

軍隊において新米兵士が「家族や友人と余暇を楽しみたい」と口走ったら、それを聞きつけた上官は「あの新米兵士は里心(さとごころ)が抜けていないので、キツい訓練で矯正してやろう」と考え、過酷な訓練を課す。それと同じように、国家において労働者が「家族や友人と余暇を楽しみたい」と口走ったら、それを聞きつけた新自由主義者は「あの労働者は里心が抜けていないので、キツい消費税で矯正してやろう」と考え、消費税を増税する。

日本の受験生が「友人と余暇を楽しみたい」と口走ったら、それを聞きつけた両親は「長時間勉強をしないと受験競争から脱落する!有名企業に就職できず貧しくなる!」と脅して説教し、さらには長時間の勉強に向かわせるため「お小遣いを与えず出費を許可しない」といった懲罰を課す。それと同じように、国家において労働者が「友人と余暇を楽しみたい」と口走ったら、それを聞きつけた新自由主義者は「長時間労働をしないと日本が国際競争から脱落する!日本が貧しくなる!」と脅して説教し、さらには長時間の労働に向かわせるため出費に罰を与える消費税を増税する。

新自由主義者が愛好する消費税によって、国家の労働者のすべてが受験生と同じような存在になり、一億総受験生といった様相を呈するようになる。消費税を増税する為政者は「受験生の親」「お受験パパ」「お受験ママ」「教育パパ」「教育ママ」になったかのような気分にひたることができる。

巨大外食企業は、少年少女に自社の商品を販売して、若いうちから美味しい味に慣れ親しませて、少年少女が一生を通じて自社の商品を購入し続けることを目指している。巨大外食企業は「少年少女を快楽漬け戦略」を好んでおり[25]、彼らの手にかかると、右も左も分からない少年少女が「巨大外食企業の商品を食べ続ける機械」に変貌していく。それと同じように新自由主義者は、少年少女に重い消費税を課して、若いうちから「消費は悪いことだ」という価値観に慣れ親しませて、少年少女が一生を通じて消費を嫌がりつつ労働ばかりするように誘導することを目指している。新自由主義者は「少年少女を労働漬け戦略」を好んでおり、彼らの手にかかると、右も左も分からない少年少女が「労働し続ける機械」に変貌していく。

新自由主義者は「我慢して長時間労働の痛みに耐える労働者」を心から愛する傾向にある[26]。このため新自由主義のことを新・我慢主義 とか新・忍耐主義 と表現できる。

新自由主義は「倒産しにくく永続しやすい企業」を理想視するところがあり、「税引後当期純利益を叩き出して利益剰余金を増やして株主へ安定的に配当を払い、株式市場で資金を順調に調達して自己資本比率を高める企業」を理想視するところがある。そして、企業にとって人件費こそが税引後当期純利益を下げる大きな要因となっているというのが事実である。ゆえに新自由主義者は世の中の賃下げを進めることを志向している。従業員に同一の賃金を払いつつ長時間労働を強いることは従業員の時間あたり給料を削減することになり、実質的な賃下げとなる。「我慢して長時間労働の痛みに耐える労働者」を愛して賞賛し、そうした労働者を作り出すのは新自由主義者の務めというものである。

新自由主義者というと「政府の規制や税金を最小限にして自由な経済活動を促進しよう」と言って法人税・所得税・相続税・贈与税を減税するように訴えるのがいつもの姿であるが、消費税に対しては妙におとなしくなってあまり抵抗しないことが多い。新自由主義が盛んな国では消費税が増税されていくという傾向が見られる。このため新自由主義のことを新・消費税主義 と表現することができる。

消費税を増税して労働者の「消費と余暇を楽しむ自由」を抑制するのが新自由主義である。英国の小説家ジョージ・オーウェルの『1984年 』という作品では「戦争を企画する平和省」「嘘を拡散する真理省」「拷問する愛情省」というものが登場するが、「消費と余暇を楽しむ自由を抑制する新自由主義」というのはそれらと類似した存在である。

消費というのは、消費者が生産者に情報を提供する行為であり、消費者が生産者を教導・教育する行為である。消費者がお金を払ってより良い製品を購入することで、生産者は製品の良し悪しを理解することができる。消費者が生産者に対して「この部分が良くてあの部分はダメだ」と誉めたり叱ったりすることで生産者は製品をさらに理解することができる。

生産者というものは、生産することばかりに気を取られて製品の良し悪しに気づかないことが、しばしばある。このため消費者からの情報提供があると大きな助けとなる。

消費税を増税することで国内の消費が減少し、消費者から生産者へ情報が流れる現象が減っていき、生産者が消費者から良質な情報を受け取れなくなり、生産者の技術力が停滞する。技術力の停滞をもたらす消費税を愛好する新自由主義者の姿は、新・停滞主義 と呼ぶことができる。
 

性質その7 成果主義・能力主義

新自由主義の信奉者は、成果主義や能力主義を導入した給与体系を支持する傾向がある。成果主義や能力主義を導入した給与体系をごく簡単に表現すると、「優秀で成果を出している人を賃上げして、無能で成果を出していない人を賃下げする制度」となる。

劣った人ほど自己評価が高く、「自分は優秀で能力が高いのでいくらでも成果を出すことができる」と思い込む傾向がある[27]。このため劣った人は、新自由主義者が「成果主義・能力主義を導入して優秀で成果を出している人を賃上げする」と語ると「自分が賃上げされる」と信じ込んで大喜びする傾向があり、新自由主義者の口車に乗る傾向がある。

優秀な人ほど自己評価が低く、「自分は劣っていてまだ努力が必要な存在であり、さしたる成果を出していない」と思い込む傾向がある[28]。優秀な人は「自分は優秀で成果を出している」と言い出さない傾向があり、あまり熱心に賃上げを要求しない傾向がある。そして優秀な人を雇用している経営者は、優秀な人の謙虚な心理を利用する傾向があり、優秀な人に対して欠点を指摘して反省させ、優秀な人が賃上げを要求しないように釘を刺し、賃上げしないで済むように仕向ける傾向がある。このため成果主義や能力主義によって優秀な人が賃上げされるとは限らない。

成果主義や能力主義を導入して「優秀で成果を出している人を賃上げして、無能で成果を出していない人を賃下げする制度」を導入すると、優秀で成果を出している人の賃金がさほど伸びず、無能で成果を出していない人の賃金がはっきりと下落し、全体として賃下げが進む。優秀で失敗を全く犯さない人に対しては「自分は優秀でないかもしれない」という謙虚な心を利用して賃上げを抑制し、無能で失敗をポロポロと犯す人に対しては失敗したことを叩いて賃下げする。

新自由主義者は「人は認知バイアスを抱えておらず、正確に自己評価することができる」と固く信じ込んでおり、「人は認知バイアスを抱えていて、正確に自己評価することができない」という内容のダニング=クルーガー効果をきっぱりと否定しつつ「優秀な人は自分の優秀さをしっかり認識して賃上げを要求する」と主張する傾向がある[29]

新自由主義者の目には、人が「ダニング=クルーガー効果に悩まされず正確な判断を行うロボットのような存在」に見えている。こうした新自由主義者の姿は新・ロボット主義 とでも評価することができる。

人は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてる生物であり、「無能になる時間」を大量に必要とする生物であり、本質的に「無能」な存在である。そのため無能で成果を出していない人を賃下げする制度を導入してしまえば、どのような人に対しても賃下げの圧力を強く加えることができる。

「人間が本質的に『無能』な存在であるという現実」と、「成果主義や能力主義を導入した給与体系」という、2つの強力な武器を利用して賃下げに励む新自由主義者の姿は、新・賃下げ主義 と表現することができる。

新自由主義の支持者が好む成果主義や能力主義を採用すると、企業の人事部(総務部)や経営者が「この従業員は無能である」と認定するだけで従業員の給料を下げることができるようになる。従業員の成果や能力を評価する人事部・経営者の権力が非常に強くなり、従業員の誰もが人事部・経営者の顔色をうかがう社風になり、従業員が萎縮するようになり、自由な社風からほど遠い状態になる。

新自由主義の信奉者というと、「全体主義国では自由が封殺される。そんなことが起こってはならず、自由を守り抜かねばならない。そのために政府の権力を最小限にするべきだ」といったことを唱え、自由を尊重して権力を制限することを声高らかに主張する。

口先ではそのようなことをいうのだが、実際の新自由主義者は従業員の自由を制限して経営者の権力を増大させる成果主義・能力主義を好む。そうした姿は新・権力主義 とか新・不自由主義 と表現することができる。

成果主義や能力主義の対極に位置する給与体系というと年功序列である。新自由主義の支持者は年功序列の長所を一切認めず、年功序列を徹底的に批判する傾向がある。

年功序列の長所を1つだけ挙げると、経営者の恣意的な賃下げを防止できるところである。経営者が「こいつは気に入らないので『成果を挙げていない』と認定して賃下げしてやれ」と行動することができなくなる。


そもそも成果主義や能力主義というものは、「労働者に支払う賃金」を決める方法に関する思想である。その「労働者に支払われる賃金」というものには2通りの定義を与えることができる。

1つは「労働者から提供された労働力に支払われる対価」という定義であり、新自由主義者が好む定義である。労働力を商品として扱い、賃金を商品価格と見なすので、商業的な感覚が色濃い定義である。労働力という商品の良し悪しによって賃金が変わるという考え方であり、成果主義・能力主義を生み出す定義である。

もう1つは「『労働者から時間と生命力を奪い取る』という加害行為を懲罰して抑制するための罰金」という定義であり、労働組合の参加者や反・新自由主義者が好む定義である。商業的な思想ではなく、社会規律の維持を優先する思想であり、成果主義・能力主義の思想を生み出さない思想である。
 

性質その8 年金の削減

加齢によって成果を出せなくなったり能力を喪失したりした老人に対して政府がお金を給付する制度を年金という。年金は年功序列の極致のような制度であり、成果主義・能力主義とは正反対に位置する制度である。

新自由主義に染まって成果主義・能力主義に心酔する人は老人に対する年金制度を嫌い、「既得権益者の老人が若者を痛めつけている」などと老人に対する憎悪を煽る論説をしたり、あるいは「現行の年金制度は制度疲労を起こしていて将来の破綻が考えられるので今すぐに改革すべきだ」などと不安を煽る論説をしたりして、老人に対する年金支給額を減らそうとする傾向がある。

新自由主義者は老人への支援を重視する政治を嫌っており、そうした政治をシルバー民主主義(シルバーデモクラシー)と呼び、「シルバー民主主義を否定するべきだ」と激しく訴え、「若者の投票率を上げつつ『老人を憎悪する若者』が増えればシルバー民主主義を打破できる」と考え、若者に選挙の投票へ行くことを勧めつつ「老人が若者を痛めつけている」というヘイトスピーチに近い言動をすることがある。

年金は、人々に課する保険料を財源にしたり、政府が日銀法第4条を堅持して日本銀行に対して「政府の経済政策の基本方針に整合的な金融政策をとる義務」を課しつつ年金特例国債を発行して長期金融市場に売却することで得られる資金を財源にしたりして支給する。新自由主義者は小さな政府の支持者なので、政府が日銀法第4条を堅持しつつ年金特例国債を発行して長期金融市場で資金を獲得する方法を決定的に嫌う傾向があり、そうした提案に対して猛烈に反対する傾向がある。

新自由主義者は成果主義・能力主義に憧れを抱いており、その影響で、成果を出せなかったり能力が低かったりして生産能力が低い人を切り捨てようとする傾向が強く、一種の優生思想を志向するところがある。「生産能力が低い老人や障害者を支援することは労力の無駄であるからそういうことをする必要は無い」と言ってみたり、「生産能力が低い老人や障害者の要求を拒否すべきだ」と言ってみたり、「生産能力が低い老人や障害者から参政権を取り上げて制限選挙を導入しろ」と言ってみたりする。

そして新自由主義者は、生産能力が低い老人や障害者に対する医療費を徹底的に削減することを主張しがちである。「生産能力が低い老人や障害者に対して資金と人員を配置するのは無駄であって効率的でないので、老人や障害者を世話する産業を縮小して廃れさせ、もっと効率的に富を生み出す産業へ資金と人員を移動すべきだ」などと主張する。

新自由主義のそういう主張に対して、「医療器具の加工は非常に難しい[30]。老人に対する医療費を拡大することで医療器具の加工という困難な作業に挑む企業が増え、国内の産業の技術力を向上させることができる。老人に対する医療費は一種の産業振興費である」という反論が寄せられることがある。

需要の中にも様々なものがあるが、医療器具に対する需要というのは産業を振興する効果が非常に強い。医者などの医療関係者や患者の家族が「できるだけ良い医療器具を作ってくれ。さもないと患者が死んでしまう!」といった具合に鬼気迫る表情で高品質の製品を要求するからである。そんな風に発破を掛けられた医療品メーカーなどの製造業者は大いに張り切ることになり、技術を向上させる可能性が高い[31]

新自由主義者の言うとおりに医療費を削減すると、難しい医療器具の加工に挑戦する企業が減り、製造業の技術水準が停滞する。このため新自由主義は新・停滞主義 と表現することができる。

新自由主義者は老人に対する年金や医療費を削減したがる傾向がある。「老人は生産能力が低く社会やGDPへの貢献を行っていないので、さっさと逝去してくれたら良い」とか「老人は穀潰し(ごくつぶし)であり、姥捨て山[32]に放置して口減らしして、社会の人件費(コスト)を削減した方が良い」という思想が言動の節々からにじみ出てくる傾向がある。

それに対して反・新自由主義者は老人に対する年金や医療費を重視する。「老人が逝去せずに踏ん張ると、老人に対する医療器具を大量かつ高品質に作ることになり、医療器具を作る製造業を鍛え上げる効果が生まれ、製造業の技術水準を押し上げる効果が生まれる」とか「老人は病気になりやすい存在で、病気になることで『作るのが難しい医療器具』に対する需要を作り出す存在であり、製造業が難しい加工に挑戦するきっかけを作り出す存在であり、製造業の技術水準をグイグイ押し上げるモーターでありエンジンであるので、簡単に逝去してもらったら困る」という思想を持つ傾向がある。

新自由主義者は老人に対する年金や医療費を敵視する人が多く、「老人に対する年金や医療費が多くて老人に対する社会保障が充実しているから、『子供を作らなくても老後は安泰だ』と考える人が増えて非婚化・少子化が進む」と論じ、さらには「非婚化・少子化を抑制したいのなら、老人に対する年金や医療費を徹底的に削り、または『将来に財政破綻が起こって老人に対する年金や医療費が徹底的に削られる』という言論を発信し、『子供を作らないと老後になって悲惨な目に遭う』と皆に思わせた方がいい」と論ずることがある。

これに対して反・新自由主義者は老人に対する年金や医療費を重視する人が多く、「老人に対する年金や医療費を大きい水準に維持することを宣言して『老後は安泰だ』と考える人を増やし、人々が老後への不安に備えてお金を貯め込む貯蓄をしないで済むようにして、人々に『消費に対する勇気』や『莫大な消費をすることが予想される結婚・子育てに突き進む勇気』を与えて、非婚化・少子化を解消すべきだ」と論ずることがある。

老人に対する年金や医療費に対して、新自由主義者と反・新自由主義者は決定的と言っていいほど対立している。そのことを表にまとめると次のようになる。
 

新自由主義 反・新自由主義
老人をどう思うか 生産力が低く、社会の人件費を食い潰すだけの穀潰し(ごくつぶし)である 難しい医療器具を作る企業を鍛え上げる存在であり、製造業の技術水準を押し上げる装置である
老人への年金・医療費をどうすべきか 徹底的に削減すべきである。老人は逝去してもらった方が良い 老人が簡単に逝去してしまったら、難しい医療器具の製造に挑む企業が減り、製造業の技術水準が停滞してしまうので、そうならないように老人への年金・医療費を十分に増やす
非婚化・少子化の原因は何か 老人への年金・医療費が増えたことである。それらが増えると『子供を作らなくても老後は安泰だ』と考える人が増える 「将来に財政破綻が起こって老人への年金・医療費が削られる」と語って回る人々である。それらが増えると「配偶者や子供を作ると貯蓄が減り、老後は悲惨になってしまう」と考える人が増えて、非婚化や少子化が進む
非婚化・少子化を抑制するには何をすべきか 老人への年金・医療費を減らしたり、あるいは「将来に財政破綻が起こって老人への年金・医療費が削られる」と人々に予感させる言動をしたりして、「子供を作らないと老後は悲惨だ」と考える人を増やす 「将来に財政破綻が起こって老人への年金・医療費が削られる」と人々に予感させる言動に対して反論し、そうした言動を駆逐する。それらが増えると「配偶者や子供を作って貯蓄が減っても老後は安泰である」と考える人が増え、結婚や子作りに突き進んで消費を増やして貯蓄を減らす勇気を持つ人が増える

 

性質その9 解雇規制の緩和

成果を出せていないとか能力を持っていないと認定した社員に対して賃下げするだけでなく簡単に解雇できるようにすることは、「解雇規制の緩和」とか「労働市場の流動化」と言う。

「解雇規制の緩和」とか「労働市場の流動化」も、経営者の権力を劇的に増強して、従業員の自由を一気に制限し、専制君主のようなワンマン社長を増やす政策である。すべての従業員は経営者の機嫌を取ることを最優先に考えるようになり、仕事に対する集中力を減らしていく。

「解雇規制の緩和」とか「労働市場の流動化」の対極に位置する雇用体系というと終身雇用である。新自由主義の支持者は終身雇用の長所を一切認めず、終身雇用を徹底的に批判する傾向がある。

終身雇用の長所を1つだけ挙げると、従業員の給料の不確実性を減らして消費意欲を活発化させる点である。

成果主義・能力主義の賃金体系で賃金が急落するリスクが増えたり、「解雇規制の緩和」や「労働市場の流動化」といった雇用体制で解雇されるリスクが増えたりして、将来の給料の不確実性が増大した労働者は、給料の不確実性に備えるため貯蓄に励むようになり、消費を嫌がるようになり、結婚・子作りを避けるようになる[33]。そういう労働者が増えると世の中の需要が減っていき、デフレになっていく。

成果主義・能力主義の賃金体系を否定して賃金が急落するリスクが減ったり、「解雇規制の緩和」や「労働市場の流動化」といった雇用体制を否定して解雇されるリスクが減ったりして、将来の給料の不確実性が減少した労働者は、給料の不確実性に備えるための貯蓄に励む必要性が薄れ、消費をする勇気を持つようになり、結婚・子作りに突き進むようになる。そういう労働者が増えると世の中の需要が増えていき、デフレから脱却するようになっていく。

新自由主義者が成果主義・能力主義の給与体系を導入しようとしたり解雇規制を緩和しようとしたりするとき、常に激しく抵抗するのが労働組合(労組 ろうそ ろうくみ)である。新自由主義者にとって労働組合というのは目の上のたんこぶのように邪魔な存在なので、労働組合を苛烈に批判する新自由主義者が多い。

新自由主義者は、労働組合を批判するときに扇情的な表現を使う傾向がある。「労働組合は正社員の既得権益なので打破すべきだ」と言って人々の既得権益に対する嫉妬心・攻撃心を刺激してみたり、「労働組合は『働かざる者食うべからず』の格言に反する存在で、生産力よりも多くの消費をしようとする怠け者の溜まり場であり、高望みをしようとするワガママな人たちの集団である」と道徳論を振りかざして人々の怠け者に対する軽蔑心を刺激してみたり、「労働組合の主張に従うと日本の国際競争力が落ち、日本が発展途上国に転落する」と人々の転落に対する恐怖心を刺激してみたりと、人々の感情を巧みに刺激する。

また新自由主義者は、「労働組合を結成して労働組合の助けを得て労働するのは自立しておらず、依存心が強く、寄生しており、スネかじりであり、甘ったれである」とか「労働組合を結成せず労働組合の助けを得ずに労働するのは自立しており、依存心が少なく、自活しており、自分の足で立ち上がっており、自分に厳しくて立派である」と表現し、人々の「自立している人と思われたい」という名誉欲に訴えかけ、人々の「甘ったれへの軽蔑心」を刺激することもある。

また新自由主義者は、「労働組合を結成して1つの企業にしがみつくのは格好悪い生き方で、みっともない生き方で、往生際が悪い生き方で、見苦しい生き方で、ダサい生き方である」とか「労働組合を結成せず他の企業に転職するのは格好いい生き方で、体裁がよい生き方で、いさぎよい生き方で、見ていてすがすがしい気分になる生き方で、イケている生き方である」と表現し、人々の美意識や人々の「格好いい人と思われたい」という名誉欲に訴えかけ、人々の「ダサい生き方をする人への軽蔑心」を刺激することもある。

また新自由主義者は、「労働組合を結成するのは時代の流れに合っておらず、時流に乗ることができておらず、古い時代の感覚に凝り固まっており、時代遅れであり、新しい時代に対応できていない」とか「労働組合を結成せず一人で生きるのは時代の流れに合っており、時流に乗っており、古い時代の感覚からしっかり脱却しており、最先端の生き方であり、新しい時代に対応できている」と表現し、人々の「時流に乗っている優秀な人と思われたい」という名誉欲に訴えかけ、人々の「時代遅れの生き方をする人への軽蔑心」を刺激することもある。

また新自由主義者は、「労働組合の参加者は極左で、革マル派・中核派とつながりがある過激な運動家であり、反日で、中国・韓国とつながりがある卑劣な売国奴であり、日本の名誉と尊厳を傷つけて日本を破壊している」と表現し、人々の愛国心に訴えかけ、人々の「国家の敵に対する憎悪心」を刺激することもある。

労働組合を攻め立てるときの新自由主義者は、多彩な表現を駆使して人々の感情をとても上手に刺激する。このため新自由主義を新・感情主義 と表現することも可能である。

労働組合を攻め立てるときの新自由主義者は、聞く人の性格や境遇によって表現を変えていく。親から自立したいという願望が強い傾向のある10代の若者には「労働組合は自立心が少ない甘ったれの集まり」と言い、体裁ばかり考える傾向がある10代~20代の若者には「労働組合はダサい」と言い、組織の中で出世競争に明け暮れている傾向がある30代~40代には「労働組合の言うことを聞くと日本が国際競争から脱落する」と言い、時代遅れと言われると傷つく傾向がある50代~60代には「労働組合は時代遅れ」と言い、ネットにかじりついて政治論争に明け暮れる人には「労働組合は極左・反日」と言い、経済的な苦境に陥って嫉妬心が増幅している人には「労働組合は既得権益」と言い、怠け者を説教するのが好きな人には「労働組合は怠け者の溜まり場」と言う、といった調子である。

新自由主義と労働組合は水と油のように相性が悪いので、新自由主義が勃興する時代では労働組合が弱体化し、新自由主義が抑制される時代では労働組合が強力化する、という関係性がある[34]

解雇規制を緩和すると、業績不振に陥った企業が人件費を一気に削減して倒産を簡単に回避するようになる。つまり、企業が人件費を「景気に対応する調整弁」として使うようになる。

新自由主義者の言うとおりに解雇規制を緩和して、それから不景気になると、企業がしっかり生き残って従業員が路頭に迷うことになり、まさしく滅私奉公を絵に描いたような社会になる。このため新自由主義は新・滅私奉公主義 と呼ぶことができる。

新自由主義の信奉者というと、「戦前の軍国主義日本では自由が封殺され、滅私奉公が強制され、『お国のために命を捨てて奉公せよ』という社会になった。そんなことを繰り返してはならず、政府の権力を制限して小さな政府を実現せねばならない」と熱心に主張するのが常である。

表向きはそのようなことをいうのだが、実際の新自由主義者は「企業栄えて従業員滅ぶ」の滅私奉公を非常に好み、「企業のために『解雇されずに済む権利』を捨てて奉公せよ」という社会を理想とし、解雇規制をひたすら緩和しようとする。

「一将功成りて万骨枯る」ということわざがあり、1人の将軍に手柄をもたせるため数万の兵士が犠牲になる、という戦争の現実を捉えた表現である(資料)。新自由主義者の言うとおりに解雇規制を緩和して、それから不景気になると、「企業生き残りて万骨枯る」といった社会になる。このため新自由主義のことを新・万骨主義 とでも表現することができる。


新自由主義の信奉者は「解雇規制と終身雇用の維持のため低賃金になる」という見解を持つことを好む。その見解に従って「賃上げのために解雇規制を緩和して終身雇用を廃止しよう」と主張するのがいつもの姿である[35]

一方、反・新自由主義の信奉者は、「解雇規制を緩和して終身雇用を否定して労働力の流動化を促進するという手法で労働組合を弱体化させたことで、成果主義・能力主義の給与体系が導入されて低賃金になった」と主張する。

新自由主義者は「解雇規制と終身雇用が賃下げを生む」と考え、反・新自由主義者は「解雇規制の緩和と終身雇用の否定が労働組合の弱体化を生み、そして賃下げを生む」と考える。両者は、賃下げの原因を分析することにおいて、明らかに正反対の考え方をしている。

両者の違いを明らかにするため表にすると、以下のようになる。

新自由主義 反・新自由主義
賃下げの原因は何か 解雇規制と終身雇用 解雇規制を緩和して終身雇用を崩壊させるという方法で労働組合を弱体化させたこと
賃上げするにはなにをしたらいいか 解雇規制を緩和して、終身雇用を崩壊させる 解雇規制を強化して、終身雇用を維持させて、労働組合の活動を活発化させる

 

いつの時代もパワハラをする悪徳上司が存在する。しかし、反・新自由主義が主導権を握る時代と新自由主義が主導権を握る時代とではパワハラ上司への対抗手段が大きく異なってくる。

反・新自由主義の時代では、パワハラを受けた従業員が軽々しく転職せず、労働組合を結成してパワハラ上司に対抗する。このため転職を斡旋する企業があまり儲からず、商売あがったりになる。上司はパワハラをすると労働組合からの突き上げを受けるので「自分はパワハラという悪いことをした。パワハラを止めよう」と思うようになる。パワハラ上司を矯正して教育する機能が強い社会になる。

新自由主義の時代では、労働組合を結成するという発想が従業員の間に浮かばず、パワハラを受けた従業員がさっさと転職する。このため転職を斡旋する企業が儲かり、商売繁盛となる。上司がパワハラをすると従業員が職場を去っていくのだが、そういう状況でも上司は「従業員が去っていくのは従業員に根性という能力がないからだ」とか「自分はパワハラなどしていないし、悪いことをしていない」と考えがちで、パワハラをする癖が直らない。パワハラ上司を矯正して教育する機能が弱い社会になる。

新自由主義者は「上司のパワハラに悩んでいるのなら、労働組合など頼りにせず、転職を斡旋する企業を頼りにして、転職してしまえばいい。規制緩和して転職を斡旋する企業を多く存在させることが職場のパワハラを防ぐための最大の対策だ」と語ることが多い。しかし労働者が上司のパワハラを苦にして転職してしまうと、転職先での評価が「上司の要求に応えられない無能」「人間関係を構築できない無能」といったものになるので、転職することに対する心理的抵抗が発生する。

新自由主義による「労働組合の弱体化」と「成果主義・能力主義」で、労働者は上司のパワハラを回避するのが難しくなり、パワハラが盛んな世の中になる。このため新自由主義を新・パワハラ主義 と呼ぶことができる。

以上のことをまとめると次のようになる。

新自由主義 反・新自由主義
上司のパワハラを受けたときに頼るもの 転職を斡旋する企業 労働組合
「転職を斡旋する企業」の経営状況 パワハラを受けたらさっさと転職する人が多いので、顧客が次々とやってきて商売繁盛になる パワハラを受けても軽々しく転職しない人が多いので、顧客がやってこず、儲からない
パワハラ上司への教育効果 「従業員が退職するのは従業員に根性という能力がないからであり、自分は全く悪くない」と考えがちで、パワハラが直らない 「従業員が労働組合を通じて抗議してくる。自分は悪いことをしたのかもしれない」と考えがちで、パワハラが直りやすい
従業員の労働環境 パワハラを苦に転職すると転職先での評価が下がることが予想できるので、転職せずパワハラを受け続けることを選びがちで、過酷な労働環境になる パワハラが少なくなりがちで、快適な労働環境になる

 
新自由主義に従って解雇規制を緩和すると、「ひたすら労働強化して従業員を酷使し、過酷な労働の結果として従業員が『疲れ果てた抜け殻』になったら従業員を解雇する」という企業経営が可能になる。良心のタガが外れた企業経営者が増え[36]、人から効率的に労働を絞り取る企業経営の手法が世の中に広がっていく。

反・新自由主義が主張するように解雇規制を強化すると、従業員が『疲れ果てた抜け殻』になっても企業は従業員を解雇できなくなる。このため企業経営者の間で「労働強化して従業員を酷使して従業員が『疲れ果てた抜け殻』になってしまったら、その従業員を解雇できず、企業経営にとって重い負担となる。ゆえに従業員の酷使をやめよう。従業員が抜け殻になってしまうことを避けよう」という判断が広まり、人から効率的に労働を絞り取る企業経営の手法が世の中から減っていく。

以上のことをまとめると次のようになる。
 

新自由主義 反・新自由主義
解雇規制をどうするか 解雇規制の緩和 解雇規制の強化
従業員に対する労働強化を繰り返して従業員を『疲れ果てた抜け殻』に変化させるような企業への処遇 抜け殻になった従業員を解雇するのを容認する。重い負担を課さず、罰を与えない。 抜け殻になった従業員を雇用させ続ける。重い負担を課し、罰を与える。
企業経営者の良心のタガがどうなるか 外れやすい 締まりやすい

 

性質その10 給料の不確実性・不安定性

新自由主義者は労働者の給料の確実性・安定性を嫌い、労働者の給料の不確実性・不安定性を愛する。「給料の確実性に恵まれている人は労働意欲を減らす傾向にあり、ダラダラ怠けて社会全体の生産性を落とす要因になる。給料の不確実性がある人は労働意欲を増やす傾向にあり、シャカリキになって努力をして社会全体の生産性を増やす原因になる」といった言い回しをする。

その上で、三公社五現業のような官営事業を民営化して、公務員を減らして給料の確実性に恵まれた人を減らし、競争に明け暮れる民間人を増やして給料の不確実性に直面する人を増やそうとする。あるいは成果主義・能力主義を導入して労働者の給料が激減する可能性を高めて労働者の給料の不確実性を増やそうとする。または解雇規制を緩和して解雇の可能性を高めて労働者の給料の不確実性を増やそうとする。

新自由主義が広まった社会では労働者の給料の確実性・安定性が損なわれるので、労働者が銀行からお金を借りることが非常に難しくなる。銀行は、所属する組織から長期にわたって安定した給料を確実に受け取る者に対して融資する傾向があり、収入が途絶える危険性がある者に対して融資しない傾向がある[37]

ちなみに銀行がそうした態度を取るのにも一定の理由がある。収入が途絶える危険性がある者に対して融資して、債務者が返済不可能になると、「債権の不良債権化」「債権の焦げ付き」「債権の貸し倒れ」ということになる。不良債権を多く抱える銀行が出ると金融機関が連鎖的に経営不調に陥り、恐るべき大不況になる[38]

そのため新自由主義が広まった社会において、労働者は現時点での収入を超えた消費・需要をすることが難しくなり、「働かざる者食うべからず」の格言から派生する「現時点での収入を超えた消費・需要をするのは悪である」という価値観に沿った生活を強いられることになり、消費・需要を活発に行うことが難しくなっていく。

また、先述のように、給料の不確実性が増大した人は、将来に備えて貯蓄に励むようになり、消費を怖がるようになり、結婚・子作りに踏み切れなくなり、少子化・人口減少の波に飲み込まれることになる。

「給料の不確実性こそが社会の生産を高めて富を生むのだ」という信条を持って給料の不確実性を強く肯定しつつ、給料の不確実性の欠点を決して問題視しようとしない新自由主義者の姿は、新・不確実性主義 と呼ぶことができる。

新自由主義に夢中になる者は、「人というのは、どれだけ給料の不確実性が増しても、本能に従って必ず消費行動を起こすし、本能に従って結婚や子作りをする」と楽観的に確信する傾向があり、そのため労働者の給料の不確実性を増やす政策を平気で支持する傾向がある。人の本能に対して楽観的な期待をする新自由主義者の姿は、新・本能主義 と表現できる。

新自由主義者の一部は「火事場の馬鹿力」「窮鼠猫を噛む[39]」「禽困覆車[40]」などの格言を好み、「人というのは追い詰められると凄い能力を発揮する。人の生存本能は強大である」という思想を持つ傾向がある。

そして、そうした思想が「労働者を窮地に追い込めば追い込むほど、労働者の生存本能を刺激することができ、労働者から凄い能力を引き出すことができ、生産力を高めることができる。労働者を窮地に追い込むことはとても良いことだ」という発想に変化していき、労働者から給料の確実性・安定性を没収して労働者の給料の不確実性を高める政策を強く支持するようになる。こうした新自由主義者のサディスティックな姿は新・加虐主義(ネオ・サディズム)とか新・追い込み主義 と呼ぶことができる。

言い換えると、新自由主義者の一部は「人には強大な本能が備わっており、極めて確実で安定した能力を備えている。人には『本能の安定性・確実性』があるので、人から『給料の安定性・確実性』を取り上げても全く問題にならない」と考える傾向にある。

「『本能の安定性・確実性』が存在するから『給料の安定性・確実性』を軽視すべき」と主張するのが新自由主義で、「『本能の安定性・確実性』など存在しないから『給料の安定性・確実性』を重視すべき」と主張するのが反・新自由主義である。

戦争が起こると、元気な若者が生存本能など関係無しにあっさりと死んでいく。戦争を経験して元気な若者があっさり死ぬ姿を目撃すると、「『本能の安定性・確実性』など存在しない」という思想に傾倒するようになり、反・新自由主義に傾倒することになる。

平和が長く続いて、元気な若者が生存本能など関係無しにあっさりと死んでいく姿を目撃したことがない人が増えると、「『本能の安定性・確実性』が存在する」と信じ込むことが流行し、新自由主義が世の中に次第に広まっていく。この点でも、新自由主義は新・平和主義 と表現することができる。

とにかく新自由主義者は「人には強大な生命力・生存本能が備わっている」と固く信じ込む傾向がある。さらにいうと新自由主義者は「この世には健康で頑丈で生命力に満ちあふれた人だけが存在し、病気や怪我といったハンディキャップに悩まされる人など存在しない」と思い込んでいる節が見られる[41]。そうした信念から「人が生きていくにあたって政府の支援など一切必要ない」と言ってみたり、「労働者から給料の安定性・確実性を没収しても全く問題がない」と言ってみたり、「人は貧乏になっても十分に生きていける」と言ってみたりする。こうした姿は新・現実逃避主義 とでも表現すべきである。

覚醒剤を使用するとスーパーマンになったかのような感覚になり、「自分には強大な力が備わっている」と信じ込むようになる[42]。「人には強大な生命力・生存本能が備わっている」と固く信じ込む新自由主義者と、覚醒剤を使用する人には、共通するところがある。

人は給料の確実性・安定性に恵まれるとホッと一安心し、気持ちがくつろぐ。それが強くなるとのんびり・おっとりした人格になっていく。新自由主義者の一部は、給料の確実性・安定性に恵まれて安心して気持ちをくつろがせてのんびり・おっとりした人格を持つようになった労働者を目撃すると「気に入らない」という態度を示し、「自分は必死になって働いているのに、あの連中はのんびりしている」と論じ、不満の感情を激しく示すことがある。

そして、のんびり・おっとりした人格を持つようになった労働者が公的職場に勤めているのなら「緊縮財政を導入してあの職場の終身雇用を破壊して張り詰めた緊張感を作り出せ」と言い、のんびり・おっとりした人格を持つようになった労働者が企業に勤めているのなら「あの企業は株主至上主義を導入して終身雇用を破壊して張り詰めた緊張感を作り出せ」と言う。

新自由主義が蔓延する社会ではのんびり・おっとりすることが許されず、張り詰めた緊張感を持つように強いられ、将来不安におびえつつ目の色を変えて働かねばならない。このため新自由主義のことを新・緊張感主義 ということができる。

江戸時代の勘定奉行である神尾春央は「胡麻(ごま)の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり」と語ったとされる。それと同じように、新自由主義者も「胡麻の油と労働者は絞れば絞るほど出るものなり」と信じており、労働者に対して「成果が出なくなったり能力が低下したりしたら解雇する。終身雇用を保障してもらえると思うな」と脅して労働者に緊張感を持たせて労働者の労働力を絞り出すことを好んでいる。

新自由主義者は労働者に給料の確実性・安定性を与えることを本気で嫌がる傾向があり、「労働者に給料の安定性を与えるとソ連のようになる」と政治思想的なことを言ってみたり、「労働者に給料の安定性を与えると労働者が怠けて堕落する」と道徳思想的なことを言ってみたり、「労働者に給料の安定性を与えると企業経営が成り立たない」と経営思想的なことを言ってみたりして、相手によって言い回しを変え、あの手この手で必死に抵抗する。「日本がソ連になる」と脅してみたり、「怠け者になってはいけない」と子を叱る親のごとく説教してみたり、「こんなことでは経営できない」と泣き言を言って同情を誘ってみたりと、態度を変幻自在に変えており、相手の心理を揺さぶる話術がとても上手い。
 

性質その11 専業企業と社会的分業の重視

新自由主義は、解雇規制を緩和して、労働力が円滑に移転する社会を実現しようとする傾向がある。

解雇規制が緩和された社会と、解雇規制が維持された社会というのは、対照的なところがある。


解雇規制が緩和された社会があり、その社会の中の企業で機械化などの技術革新が進み、50人の余剰人員が発生したとする。その場合、企業は50人の人員を解雇して、本業に専念し続けることになる。企業経営の多角化を好まず、専業企業が兼業企業に変身しない。解雇された50人は他の企業に転職していく。

解雇規制が維持された社会があり、その社会の中の企業で機械化などの技術革新が進み、50人の余剰人員が発生したとする。その場合でも、企業は解雇規制があるので社員を終身雇用せざるを得ない。企業は50人の人員で新規事業を開拓していくことになり、いわゆる社内ベンチャーを立ち上げることになり、企業経営の多角化に一歩踏み出すことになり、専業企業が兼業企業に変身していく。


解雇規制が緩和された社会では企業の多角化があまり進まず、本業に専念する専業企業が増えやすい。本業に専念する企業の方が企業の能力を評価しやすく、社債や株式の値段を付けやすい。新自由主義者の好む直接金融に合致する企業である。

解雇規制が維持された社会では終身雇用の維持のために企業の多角化が進み、「本業1つと副業1つ以上を抱えた兼業企業」という企業が増えやすい。「本業1つと副業1つ以上を抱えた兼業企業」に対しては、副業を「全くの無駄」と評価することもできるし「将来に大化けするかも」と評価することもできるので、評価するのが難しく、社債や株式の値段を付けにくい。新自由主義者の好む直接金融に合致しにくい企業である。


解雇規制が緩和された社会では社会的分業を徹底しようという気運がやや濃くなり、「『餅は餅屋』ということだし、我が社でやってみるのをやめて、ヨソの会社にやってもらおう。その方が合理的だ。余計な社員は全員解雇したのでヨソの会社にやってもらうしかない」という気風がやや濃くなり、自給自足の傾向がやや薄くなる。

解雇規制が維持された社会では社会的分業を徹底しようという気運がやや薄れ、「ヨソの会社にやってもらうのではなく、我が社でやってみようか。終身雇用を保障していて社員を解雇できないので社員が余っている。その社員を活用しよう」という気風がやや濃くなり、自給自足の傾向がやや強くなる。


解雇規制が緩和された社会で新規産業が勃興するときは全く新しいベンチャー企業が起業することが主流となる。ベンチャーは、既存企業から企業経営のノウハウを引き継ぐこともできないし、既存企業から人材面や資金面での支援も見込めるわけでもないので安定感に乏しい。ただし、社員が背水の陣に立たされるので、「死にものぐるいでやる」という雰囲気はやや濃くなる。

解雇規制が維持された社会で新規産業が勃興するときは、既存の企業の中に新規部門が発生するという社内ベンチャーの形式が主流となる。社内ベンチャーは、既存企業から企業経営のノウハウを引き継ぐこともできるし、既存企業から人材面や資金面での支援も見込めるので安定感がある。ただし、社員が背水の陣に立たされるわけではないので、「死にものぐるいでやる」という雰囲気はやや薄れる。


解雇規制が緩和された社会では、それぞれの企業が簡単に従業員を解雇できるので、業績拡大のチャンスが転がり込んだときに「正社員を増やしたあとに経営不振になったら、従業員を解雇してしまえばいい。ゆえに雇用の拡大は経営の負担にならない。いくらでも雇用を拡大してよい」と考えるようになり、雇用拡大に対して積極的になり、業績拡大のチャンスに飛びつくことになる。そうした企業ばかりになるので、業績を拡大する企業が一人勝ちして独占に突き進むという現象が起こりやすく、少数の大規模企業が多くの市場占有率を占める独占・寡占の社会になる。小規模企業・中規模企業は淘汰され、弱肉強食・優勝劣敗の殺伐とした世の中になる。

解雇規制が維持された社会では、それぞれの企業が終身雇用の維持を求められるので、業績拡大のチャンスが転がり込んだとしても「終身雇用の正社員を増やすと、経営不振に陥ったときに経営の負担になる。うかつに雇用を拡大するわけにはいかない」と考えるようになり、雇用拡大に対してきわめて慎重になり、業績拡大のチャンスを見送ることになる。そうした企業ばかりになるので、業績を拡大する企業が一人勝ちして独占に突き進むという現象が起こりにくく、小規模企業・中規模企業が多く併存する社会になり、共存共栄の牧歌的な世の中になる。


解雇規制が緩和された社会では、「攻めの経営」「市場占有率を他の企業から奪い取ることを優先する経営」をする企業ばかりになり、「急成長して一攫千金を狙おう」と欲望をギラつかせる企業ばかりになる。また、小規模企業から大規模企業へ急成長する企業が発生しやすいので、株式投資をする者にとっても「濡れ手に粟(あわ)」の一攫千金(いっかくせんきん)を実現しやすくなる。

解雇規制が維持された社会では、「守りの経営」「市場占有率を他の企業から奪い取ることを優先しない経営」をする企業ばかりになり、「従業員の人生を預かっているのだし、従業員を確実に養うことが大事だ。顧客を確実に保持して経営を安定させよう」と考える企業ばかりになる。また、小規模企業から大規模企業へ急成長する企業が発生しにくく、ジリジリとゆっくり規模を拡大させる企業しか出現しないので、株式投資をする者にとって「濡れ手に粟」の一攫千金を実現しにくくなる。


以上のことをまとめると次のようになる。

新自由主義 反・新自由主義
解雇規制 解雇規制の緩和 解雇規制の維持
労働力の流動性と労働者の給料の確実性・安定性 労働力の移動の円滑化を図る。労働者の給料の確実性・安定性が犠牲になる 終身雇用の維持を図って労働者の給料の確実性・安定性を重視する。労働力の流動性が犠牲になる
機械化などで余剰人員が発生したとき 余剰人員を解雇する。企業が本業に専念し続け、専業企業のままであり続ける 余剰人員で社内ベンチャーを立ち上げて企業を多角化させ、兼業企業に変身する
直接金融への合致度 企業の能力を測定しやすく、株式や社債の価格を決めやすく、直接金融に合致しやすい 企業の能力を測定しにくく、株式や社債の価格を決めにくく、直接金融に合致しにくい
社会のあり方 社会的分業を徹底しようという気運がやや強い。「餅は餅屋、他の人に任せた方が合理的」という気運がやや強い 自給自足の気運がやや強い。「自分たちでやってみよう」という気運がやや強い
新規産業が勃興するときの様子 起業精神あふれる人がベンチャー企業を創設する。安定性がないが、死にものぐるいの気風がやや強い 既存企業の内部に社内ベンチャーが発生する。安定性があるが、死にものぐるいの気風がやや薄い
企業の雇用拡大に対する姿勢 「経営不振になったら従業員を解雇すれば良い」と考えるので、気軽に雇用を拡大する 「経営不振になっても終身雇用を維持せねばならない」と考えるので、うかつに雇用を拡大できない
企業の業績拡大に対する姿勢 業績拡大のチャンスを決して逃さない 業績拡大のチャンスをみすみす逃す
市場占有率の様子 市場占有率を急拡大させる企業が増え、大規模企業による寡占や独占が増え、小規模企業・中規模企業が淘汰される社会になる 市場占有率を急拡大させる企業が増えず、大規模企業による寡占や独占が増えず、小規模企業・中規模企業が多く併存する社会になる
世相 弱肉強食・優勝劣敗となり、殺伐とした世の中になる 共存共栄となり、牧歌的な世の中になる
主流となる企業経営 攻めの経営。市場占有率を他の企業から奪い取ることを優先し、急成長して一攫千金を狙う 守りの経営。従業員を養うことと確実な顧客を保持することを優先する
企業の成長 小規模企業から大規模企業へ急成長する企業が発生しやすい 小規模企業から中規模企業へジリジリとゆっくり成長する企業が発生しやすい
株式投資の魅力 濡れ手に粟の一攫千金が期待できる。一発当てて大儲けすることが期待できる 濡れ手に粟の一攫千金が期待できない。一発当てて大儲けすることが期待できない

 
新自由主義に好意的な経済学者の書く教科書では、「社会的分業こそが人類の発展をもたらしたのだ」と熱っぽく述べる文章がしばしば見られる。また、「自給自足というのは人類の歴史における一番最初の状態である」と語りつつ、自給自足に対して「不合理」といった低い評価を与える傾向が見られる。

独占・寡占は消費者の声が生産企業に届きにくくなって消費者が不利益を受けやすくなる形態であり、望ましくない形態である。独占・寡占を防止するには、独占禁止法(反トラスト法)を制定したり公正取引委員会(公取委)の権限を強化したりする方法がある。それ以外の方法でもっとも有力なのが解雇規制の強化である。
 

性質その12 直接金融

新自由主義者は間接金融について否定的で、直接金融に対して肯定的である。

間接金融とは、銀行などの預貯金取扱金融機関[43](この項目ではこれ以降「銀行」と表記する)が企業へ貸し付けを行うことである。銀行の貸し付けは証書貸付や手形貸付や電子記録債権貸付といった「市場を通さずに行う貸し付け」が多く[44]、社債を購入するという「市場を通して行う貸し付け」が少ない[45]。ゆえに「間接金融は銀行が市場を通さずに行う貸し付けである」とみなしてよい。

直接金融とは、投資家が株式・社債を購入することで直接的に企業へ出資したり貸し付けしたりすることである。株式や社債は市場で売買しやすいように最適化されている。ゆえに「直接金融は投資家が市場を通して行う出資・貸し付けである」とみなしてよい。

新自由主義者は間接金融の割合を減らして直接金融の割合を増やすことに熱心であり、「貯蓄から投資へ」とか「貯蓄から資産形成へ」という標語を打ち出しつつ[46]、「間接金融から直接金融への転換を目指すべきだ」と主張することが多い。

新自由主義者はバーゼル合意(BIS規制)を強化するなどして銀行の信用創造を制限することを好む。新自由主義が盛んになる時代は、銀行にとってやや辛い時代となる。

間接金融の長所を1つだけ挙げると、貸し手の銀行と借り手の企業の間で地域経済や周辺産業や為替レートや外国事情に関する情報の交換が濃密に行われ、企業の情報コストが安くなり、企業が情報を安価に入手できる点である[47]。間接金融だと、企業が銀行から資金と情報の両方を調達する状態になるので、企業の成長を促す環境が整備されやすい。間接金融だと市場を通さずに銀行と企業の間で融資が行われるので、銀行は「経営が不振になった企業に対する債権」を市場に出して他の誰かに売り飛ばすことが難しい。銀行は借り手の企業に対して「一蓮托生」「運命共同体」「切っても切れない腐れ縁」といった感覚になりやすく、企業に対して親切にする傾向がある。

直接金融では、株式・社債を購入した投資家と企業の間で情報の交換が濃密に行われるわけではなく、企業にとって情報コストが高いままになり、企業が投資家から資金だけを調達して情報を調達しない状態になるので、企業の成長を促す環境が今ひとつ整備されない。直接金融だと市場を通して投資家と企業の間で出資・融資が行われるので、投資家は「経営が不振になった企業が発行した株式・社債」を市場に出して他の誰かに売り飛ばすことができる。投資家は企業に対して「赤の他人」といった感覚になりやすく、企業に対して親切にしない傾向がある。

ごく簡単に言ってしまうと、直接金融は投資家と企業の距離が遠い形態であり、間接金融は銀行と企業の距離が近い形態である。

直接金融と間接金融の比較をまとめると、次のようになる。
 

直接金融 間接金融
内容 個人投資家または機関投資家が市場に売り出された株式・社債を購入し、企業に対して直接的に出資したり貸し付けしたりする 銀行が市場を通さずに企業に対して貸し付けする
支持する勢力 新自由主義 反・新自由主義
企業の情報収集がどうなるか 投資家と企業経営者の間で濃密な情報交換が行われるわけではなく、企業が情報を得る環境に恵まれない 銀行員と企業経営者の間で濃密な情報交換が行われ、企業が情報を得る環境に恵まれる
親切にするかどうか 投資家は「企業が経営不振になったら市場で株式・社債を売り飛ばして縁を切ってしまえばいい」と考えがちで、企業に対して親切にしない傾向がある 銀行は「企業が経営不振になっても市場で債権を売り飛ばして縁を切ることができない」と考えがちで、企業に対して親切にする傾向がある
企業との距離 投資家と企業の距離が遠い 銀行と企業の距離が近い

 
新自由主義が流行する国では、投資家が株式・社債を売買する直接金融が人気になるが、それと同時に、投資家が先物商品や外貨や暗号資産を売買する『投機商品売買』も人気になる。

新自由主義は、個人が投資しやすい環境を整えて、個人投資家が増えるように取りはからう傾向がある。個人投資家が直接金融や『投機商品売買』に簡単に参加してマネーゲームに熱中できるよう規制緩和することを目指す。「個人が努力して金儲けすることを奨励すべきだ。努力している人の足を引っ張るべきではない。個人投資家を増やそうとしないのは成功者に対する醜い嫉妬心が原因だ」という言い回しで個人投資家を増やそうとする。

直接金融や『投機商品売買』を肯定して間接金融を否定する人の一部は「間接金融を支持して銀行預金を持っているだけの人は、ボーッと生きているのであり、時代の流れに対して鈍感であり、世間の動向に対してアンテナを張っておらず、怠け者である。一方、直接金融や『投機商品売買』を支持して銀行預金以外の金融資産を持っている人は、シャキッと生きているのであり、時代の流れに対してとても敏感であり、世間の動向に対してアンテナを張っていて、勤勉である」という風に語り、「自分はとても勤勉で、自分と正反対のことをする者は怠け者である」という態度を示す。

直接金融や『投機商品売買』の大きな欠点は、人々が本業に集中しなくなる、という点である。「ラーメン屋を経営する親父が株式投資に熱中してラーメンの味が落ちる」というようなことが起こりやすくなってしまう。本業を怠る人の割合が少しずつ増え、文明の発展というものに陰りがみられるようになる。

直接金融も『投機商品売買』も、不確実性・不安定性が高い金融商品を扱うものである。このため直接金融や『投機商品売買』をする個人投資家は、情報を豊富に収集して入念に分析してから決断を下す必要があり、投資に対して大量の時間を費やさねばならず、余暇を削ることになり、金稼ぎに忙殺される人生を送ることになる。

新自由主義者は個人投資家を増やす政策を好むが、そうした政策は、「寝ても覚めてもお金を増やすことばかり考える」「10万円をもらったら消費に回さずに投資に使う」「100万円を稼いだら消費に回さずにさらに投資の勉強をする」という人間を増やす危険性があり、余暇が少なくて消費・需要を十分に行えない人間を増やす危険性があり、消費を冷え込ませてデフレをもたらす危険性がある。

直接金融や『投機商品売買』を行いながらそれらについてTwitterでお喋りする人がいる。そういう人たちの集団は「株クラスタ」とか「株クラ」と呼ばれる。株クラの人たちが投資に関する情報収集や情報分析に明け暮れている様子は、Twitterを通じていくらでも観察することができる。

直接金融や『投機商品売買』に関する情報収集と情報分析は、経済の躍動を実感できる体験であり、刺激に満ちあふれて楽しいという好ましい一面がある。しかし、余暇を削って人々の消費を抑制するという好ましくない一面がある。

直接金融や『投機商品売買』に関する情報収集と情報分析のために人々が余暇を削るようになると、人々が人格的自律権[48]を回復不可能なほど永続的に喪失する危険が発生する。簡単な例を挙げると、「金儲けに夢中になりすぎて回復不可能なほど永続的に友達・家族を失う」ということである。

政府は、人々が人格的自律権を回復不可能なほど永続的に喪失することを防ぐために、人々が保有する基本的人権を制限することがありうる。これを「限定されたパターナリスチックな制約」という[49]。つまり、政府が「人々が余暇を喪失して回復不可能なほど永続的に友達・家族を失うことを防ぐため、直接金融や『投機商品売買』に規制を掛ける」という政策を実行して、人々の経済活動の自由を制限する可能性がありうる。

反・新自由主義が勢いを増す国では間接金融が主力となり、それと同時に『投機商品売買』に対して様々な規制が掛けられることが多い。そのため個人が財テクする手段は、銀行への定期預金ぐらいに限られており、選択肢が狭い。しかし、銀行は金融庁の厳しい監督を受けている団体であり、財務体質が良好であることが非常に多い団体であり、預金者に定期預金を返済できなくなる危険が非常に少ない団体である。個人にとって、銀行の経営状況についての情報を収集する必要が少なく、余暇が十分に残りやすい。

「直接金融と『投機商品売買』」と間接金融の比較をまとめると、次のようになる。
 

直接金融と投機商品売買 間接金融
内容 個人投資家または機関投資家が市場に売り出された株式・社債・投機商品を購入する 銀行が市場を通さずに企業に対して貸し付けする
支持する勢力 新自由主義 反・新自由主義
個人が財テクするときの手法 株式・社債・投機商品といった様々な金融商品の売買があり、選択肢が広い 銀行への定期預金ぐらいに限られていて、選択肢が狭い
個人への負担 株式・社債・投機商品といった値動きのリスクが高いものを売買するため情報収集をする必要があり、余暇が削られて忙殺される危険がある 銀行は金融庁の監督を受けていて経営が安定していることが多く、銀行の経営実態について情報収集をする必要が少ない。銀行の定期預金だけで財テクする人は余暇が残ることが多い
デフレになりやすいかどうか 人々の余暇が減りやすく、消費が落ち込みやすく、デフレになりやすい 人々の余暇が残りやすく、消費が維持されやすく、デフレになりにくい

 
新自由主義者は、直接金融の中でも「株式発行による資金調達」をとりわけ重視する傾向がある。直接金融の「株式発行による資金調達」は、企業が銀行預金という資産を獲得しつつ資本金または資本剰余金(資本準備金)といった純資産を増やすものであり[50]、企業の自己資本比率が高まって倒産リスクが低くなる資金調達方法である。一方で間接金融は、企業が銀行預金という資産を獲得しつつ借入金という負債を増やすものであり、企業の自己資本比率が低くなって倒産リスクが高まっていく資金調達方法である。

新自由主義は「企業の倒産は忌まわしい現象であるから、企業の倒産をできるだけ減らすことを最優先すべきである」という思想と非常に相性が良い。このため新自由主義の信奉者が直接金融の「株式発行による資金調達」を熱心に支持する傾向がある。

直接金融の「株式発行による資金調達」に頼る企業は、人件費を削減して税引後当期純利益を増やして利益剰余金を増やして株主への配当金を増やすことを目指しがちであり、「賃下げすることで利益を稼ぎ出そうとする経営者」を生み出しやすい。

新自由主義者によって直接金融や『投機商品売買』が発達した社会というものは、「賃下げすることで利益を稼ぎ出そうとする経営者」にとって望ましいものである。給料の少ない労働者に対して「給料が少なくて困っているのなら、株式や社債や先物商品や外貨や暗号資産を売買してマネーゲームをしてお金を増殖しろ」という態度をとりやすくなり、心理的に賃下げしやすくなる。

一方で、反・新自由主義者によって直接金融や『投機商品売買』が弱体化した社会というものは、「賃下げすることで利益を稼ぎ出そうとする経営者」が生き残りにくい社会である。「従業員は、株式や社債や先物商品や外貨や暗号資産を売買してマネーゲームをしてお金を増殖することができず、給料が唯一の収入源である」という心理になりやすく、給料の少ない労働者が発する賃上げ要求に応じやすくなる。

給料の少ない労働者に対して「給料が少なくて困っているのなら、パチンコやパチスロや競馬や競輪や競艇をしてお金を増殖しろ」と発言することは、企業経営者にとって非常に恥ずかしく、とても言えたものではない。政府や議員やマスコミが口を揃えて「パチンコやパチスロや競馬や競輪や競艇はギャンブルであり賭博である」と言っているからである。

ところが、新自由主義がはびこる社会において、給料の少ない労働者に対して「給料が少なくて困っているのなら、株式や社債や先物商品や外貨や暗号資産を売買してマネーゲームをしてお金を増殖しろ」と発言することは、企業経営者にとって胸を張って行うことができる。マスコミが口を揃えて「株式や社債や先物商品や外貨や暗号資産の売買は単なるギャンブル・賭博ではなく、経済成長を促進する素晴らしい行動である」と口を極めて賛美し、そして政府や議員までもが「株式や社債の売買は単なるギャンブル・賭博ではなく、経済成長を促進する素晴らしい行動である」と美々しく礼賛するからである。

新自由主義が広まった国では労働者の賃下げが進み、労働者の生活が苦しくなっていく。そして「労働組合は正社員の既得権益」「労働組合は怠け者の溜まり場」「労働組合は国際競争力を落とす足手まとい」「労働組合は自立心のない甘ったれ」「労働組合の参加者は企業にしがみついていて格好悪くてダサい」「労働組合は時代遅れで古臭い」「労働組合は極左の隠れ蓑であり中国韓国とつながりのある反日団体」などと激しく非難する人が増えるので労働組合を結成しての賃上げ運動も盛り上がらない。このため新自由主義のもとで低賃金に苦しむ労働者にとって、直接金融や『投機商品売買』は生活の糧を得るための救世主となる。

新自由主義が広まって労働者の賃下げが進み、苦境に陥った労働者が株式投資に手を出すと、その労働者は「もっと労働者を賃下げして利益をひねり出して配当金をよこせ。政府は労働者の賃下げが進むような政策を実行しろ。政府系の公的職場の労働者を賃下げして世の中の賃下げの気運を作れ」と心から願うようになる。賃下げに苦しむ労働者が、労働者の賃下げを望むようになる。こういう姿は新・被虐主義(ネオ・マゾヒズム) と表現することができる。または、肉屋を支持する豚と表現されることもある。

新自由主義が広まった国では直接金融の「株式発行による資金調達」が主力となる。そうした国において、「企業に向かって人件費の削減と財務体質の良化を求める勢力」を構成するのは機関投資家や多くの個人投資家であり、勢いがとても大きくなり、賃下げの気運が国中に広まっていく。

反・新自由主義が広まった国では間接金融が主力となる。そうした国において、「企業に向かって人件費の削減と財務体質の良化を求める勢力」は銀行員だけであり、勢いが小さいままになる。賃下げの気運があまり広がらない。

以上のことをまとめると次のようになる。
 

新自由主義 反・新自由主義
金融システムについての傾向 直接金融や投機商品売買が盛んになる。とくに「株式発行による資金調達」が重視される 間接金融が主力になる。個人が投機商品を売買することは規制される
賃上げを要求する従業員に対して企業経営者がどういう心理になりやすいか 「給料が少なくて困っているのなら直接金融や投機商品売買で金を稼げばいい」という心理になり、賃上げ要求を無視する心理になりやすい 「給料が少なくて困っている従業員は直接金融や投機商品売買で金を稼ぐことができない」という心理になり、賃上げ要求に応じる心理になりやすい
給料が少なくて困っている従業員がどうなるか 株式投資に手を出し、企業に対して「もっと従業員の人件費を削って配当金を増やせ」と願うようになり、肉屋を支持する豚になりやすい。従業員が従業員の賃下げを望むようになり、マゾになる 労働組合を結成して賃上げを要求するようになる。従業員が従業員の賃上げを望むようになる。
企業に対して人件費の削減を求める勢力が、国家においてどれだけ成長するか 企業に対して人件費の削減と財務体質の良化を求めるのは機関投資家や個人投資家であり、企業に対して人件費の削減を求める勢力が大きくなる 企業に対して人件費の削減と財務体質の良化を求めるのは融資担当の銀行員だけであり、企業に対して人件費の削減を求める勢力が小さいままになる
賃下げの気運がどうなるか 賃下げの気運が強い国になる 賃下げの気運が弱い国になる

 

性質その13 株主至上主義(株主資本主義)

新自由主義の支持者には、「会社は株主・投資家のものであり、株主・投資家に利益をもたらすために存在する」と主張する者が多い。そうした考え方を株主至上主義とか株主資本主義という[51]

株価が上がると、その株式を保有している株主の利益が増える[52]。このため株主至上主義に染まると株価の上昇を第一に考えるようになる。このため株主至上主義・株主資本主義は、至上主義とか資本主義ということもある。

株主至上主義が幅をきかせる国では政治家がそれに染まり、株価の上昇を最優先するようになり、株価が上昇すると「経済が成長して発展し、すべてが良くなった」と満足する傾向にある[53]。株価というのは経済の様子を示す指標のうちの1つに過ぎないのだが、とにかく株価に偏重して株価に一喜一憂する。

株主至上主義が幅をきかせる国では市場関係者もやたらと強気になり、「政府というのは株価を上げるために存在する」と本気で考えるようになる。

従業員に対する給与が増えて企業の利益が減って株主の配当金が減って株価が下がっていくように誘導する政策を政府が提案したら、「そんなことをしたら株価が下がる!そんな政策をする国がどこにあるのか」と市場関係者が猛抗議する。

株主至上主義になると、従業員に対する人件費を減らして税引後当期純利益を増やし、その税引後当期純利益を分配するという形で株主に対する配当金を増やし、株主や投資家からの評価を高めて株価を上げようとする[54]。従業員に対する賃上げを嫌がるようになり、人材を長期にわたって雇用して熟練労働者に育て上げることを優先しなくなり、平気で従業員に対する賃下げに踏み切るようになる。その結果として労働分配率が低下し、一般的に給与が少ないとされる非正規労働者の割合が増え、貧困層の拡大と非婚率の上昇と少子化につながっていく。

株主至上主義になると、法人税が増税されたときに消費者や従業員や協力企業に租税負担を転嫁するようになる。消費者へ高値で商品を売りつけたり、従業員の給料を賃下げしたり、協力企業へ支払う代金を削減したりする。法人税が直接税ではなく間接税に近い存在になっていく。

株式投資をしてA社の株を所有したうえで株主至上主義に染まると、A社の従業員の給料が下がって配当金が増えることを心の底から喜ぶようになる。またB社の従業員の給料が下がったり政府が緊縮財政を導入して公的職場の給料が下がったりすると[55]、「世の中に賃下げの流れが起こっているのでA社の給料も下がるだろう」と考えて喜ぶ。

株式投資をしてA社の株を所有したうえで株主至上主義に染まると、A社の協力企業へ支払われる費用[56]が下がって配当金が増えることをとても喜ぶようになる。また、「原材料の価格が高騰して資源インフレが発生しているのに、仕入れ価格の値上がり分を価格に転嫁できない中小企業が多い」というニュース[57]に接すると「世の中に協力会社へ支払う費用を低く維持する流れが起こっている。立場の強い大企業が立場の弱い中小企業へ威圧的に接して値上げを許さない弱肉強食の社会になっている。ゆえにA社が協力会社へ支払う費用も低く維持されるだろう」と考えて喜ぶ。

新自由主義や株主至上主義を支持するものは弱肉強食という四文字熟語を好み、「弱いものが強いものにおとなしく従って食い物にされるのは極めて当然だ。それが人類社会の掟であり、自然界の真理というものだ」と語ることが多く、強いものが上に立って弱いものが下に回る階級社会を好む。そうした姿は新・弱肉強食主義 とか新・階級主義 と呼ぶことができる。

その弱肉強食とは具体的にどういうことかというと、立場の強い雇用主が立場の弱い労働者に対して威圧的に接し、賃金の値引き要求をして人件費を削減し、税引後当期純利益を稼ぎ出す行為のことである。あるいは、立場の強い大企業が立場の弱い中小企業に対して威圧的に接し、納入品の値引き要求をして「協力企業に支払う費用」を削減し、税引後当期純利益を稼ぎ出す行為のことである。

「賃金や『協力企業に支払う費用』を削って税引後当期純利益を増やすのは当然のことだ」と言うと、「ただの意地汚い欲深」といった印象を周囲に与えることになって、体裁が悪い。このためそうした発言を露骨に行う新自由主義者は少ない。

しかし「弱肉強食は当然のことだ」と言うと、「動物学に通じた知識人・インテリ」といった印象を周囲に与えることになって、体裁が良い。このためそうした発言を安心して露骨に行う新自由主義者が多い。

政府は、企業の人件費が上昇するように誘導する政策をとることがある。積極財政を導入して公共事業への予算を増やしつつ、「公共事業に入札する企業に対して損益計算書などの提出を求め、人件費を多めに負担している企業にだけ入札への参加を認める」と宣言する政策である[58]。政府が発注する公共事業は極めて確実に支払いが行われる売買契約であり、民間企業にとって「経営を安定させる美味しい収入」である。民間企業は「美味しい収入」を確保するために人件費を増やすようになる。

また政府は、公務員の給与を引き上げることがあるし、かつての三公社五現業のような官営事業団体を設立して労働者を増やしつつその労働者の給与を引き上げることがある。そうすることで、民間企業に「労働者への給与を増やさないと政府や官営事業団体に労働者を奪われてしまう」と恐怖させ、民間企業の人件費が政府や官営事業団体の水準にまで上昇するように誘導する。民間企業にとって人手不足というのは真に恐ろしい現象である[59]。民間企業は人手不足の悪夢から逃れるために人件費を増やすようになる。

労働市場が「供給が多くて需要が少ない買い手市場」になると企業に労働力を売り込む労働者の立場が弱くなるが、「供給が少なくて需要が多い売り手市場」になると企業に労働力を売り込む労働者の立場が強くなる。政府が需要を作り出して労働者から労働力を購入し、労働市場を「売り手市場」に近づけて、労働者の立場を強化する。

さらに政府は、企業の「協力企業へ支払われる費用」が上昇するように誘導して、大企業に納入する中小企業の価格転嫁を支援する政策をとることがある。積極財政を導入して公共事業への予算を増やしつつ、政府が中小企業から商品を購入することで、立場の弱い中小企業が立場の強い大企業に対して「政府に納入して売上高を得られるようになり、貴社に納入できなくなっても困らなくなったので、貴社の値下げ要求に応じない」と強気に交渉する風潮を作り出す。

市場が「供給が多くて需要が少ない買い手市場」になると大企業に売り込む中小企業の立場が弱くなるが、「供給が少なくて需要が多い売り手市場」になると大企業に売り込む中小企業の立場が強くなる。政府が需要を作り出して中小企業から物品を購入し、市場を「売り手市場」に近づけて、中小企業の立場を強化する。

企業の人件費や「協力企業へ支払われる費用」が上昇するように誘導するこれらの積極財政政策は、弱肉強食や「強いものが上に立って弱いものが下に回る階級社会」を否定する政策である。

株主至上主義の信奉者がそうした政策に接すると猛烈に憤怒し、「余計なことをするな」「従業員の給与を減らしたり協力企業への費用を値切ったりして利益を作り出して配当金を増やすことを邪魔するな」という険悪な態度になる。

株主至上主義の信奉者は積極財政や大きな政府を忌み嫌い、緊縮財政や小さな政府をこよなく愛する。

積極財政や大きな政府だと、弱肉強食の階級社会が否定され、企業の人件費や「協力企業へ支払われる費用」が上昇してしまい、企業の税引後当期純利益が減って株主への配当金が減って株価が下がることが危惧される。株主至上主義の信奉者にとって悪夢のような国になる。

緊縮財政や小さな政府だと、弱肉強食の階級社会が肯定され、企業の人件費や「協力企業へ支払われる費用」が下落し、企業の税引後当期純利益が増えて株主への配当金が増えて株価が上がることが期待できる。株主至上主義の信奉者にとって地上の楽園のような国になる。

従業員へ払う人件費をひたすら削り、協力会社へ払う費用を適正水準から外して徹底的に減らし、利益を絞り出して株主への配当を増やし、株価を分不相応に釣り上げて、株価を肥大化させる・・・というのが株主至上主義であり、新自由主義である。こういう姿は新・株価肥大化主義 ということができる。

新自由主義者は、「労働者の賃上げをするには、成長産業を創出したり、技術革新をして企業の生産性を上げたりすることが大事だ。逆に言うと、成長産業を創出したり技術革新をして企業の生産性を上げたりすれば労働者の賃金が上がる」と論じつつ、その一方で、「株主至上主義を弱体化させて労働者の賃金が上がるようにすべきだ」と論じないことが多い。

新自由主義者の意向に従って、株主至上主義を維持しながら成長産業の創出をしたり企業の生産性を上げたりすると、成長産業や「生産性が上がった企業」においても株主が「従業員の賃上げをせずに利益をひねり出して、その利益を株主の配当金に回せ」と主張し、その主張が通っていき、成長産業を創出したり企業の生産性を上げたりしても労働者の賃金が上がらない事態になる。

新自由主義の一部には、「株主至上主義は所有権の絶対性を尊重するので資本主義の本来の姿である。欧米では株主至上主義が一般的なのに、日本は株主至上主義を受け入れていない。ゆえに、欧米は資本主義を理解していて優れており、日本は資本主義を理解せず劣っている」という煽りをして、日本人の欧米コンプレックスを上手に刺激しつつ、株主至上主義を賞賛する者がいる[60]

ちなみに、1960年代までのアメリカ合衆国において株主至上主義は一般的ではなかったと指摘されることがあり[61]、「欧米では株主至上主義が一般的」という表現には疑わしいところがある。

株主至上主義の天敵は他者加害原理である[62]

「株主至上主義は株主の所有権の絶対性から生ずるものであるが、商品購入者に対する値上げや従業員の賃下げや協力会社への値下げを要求する性質があり、商品購入者や従業員や協力会社に損害を与える性質がある。このため他者加害原理に基づき、株主の所有権の絶対性を制限し、株主の基本的人権を制限し、株主至上主義を弱体化させる必要がある」といった言い回しは、株主至上主義の支持者にとって大きな壁になるものである。


株主至上主義を弱体化させるには3つほどの方法がある。

まず、解雇規制を強化しつつ労働組合の結成を奨励し、企業において労働組合の発言力を高めさせ、企業の人件費が増加することを奨励する方法である。

もう1つは法人税を増税することである。法人税を増税すると各企業が「法人税を節税するために法人所得を圧縮しよう」と考えるようになる。なぜなら、法人税は法人所得に法人税率を掛けて徴税額を計算するからである。そして企業が「法人所得を圧縮するために損金を増やそう」と考えるようになり、「間接金融や社債発行で資金調達しよう。つまり銀行から借り入れて銀行に利子を払うか、社債を発行して社債保有者に利子を払うか、どちらかにしよう。銀行や社債保有者に支払う利子は、企業会計における費用であり、税務における損金である」と考えるようになる[63]。その結果として直接金融の「株式発行による資金調達」を減らすようになり、株主至上主義が弱体化していく。

最後の1つは金融所得税の強化であり、株式等の譲渡で発生する株式譲渡益に掛ける株式等譲渡益課税(キャピタルゲイン税)や、株式の配当に掛ける株式等配当課税(インカムゲイン税)を累進課税にすることである。こうすることで「大金持ちの投資家」が出現しにくくなり、各企業が「大金持ちの投資家に当社の株式を買ってもらおう。彼らが気に入るような株主至上主義の企業経営をしよう」と考えなくなり、株主至上主義が弱体化する。

一方で、株主至上主義を強化する場合は、全く逆の手法が3つ考えられる。

解雇規制を緩和して、労働組合の結成を奨励せず、労働組合の発言力を弱体化させ、企業の人件費が減少することを奨励する方法である。

もう1つは法人税を減税することである。法人税を減税すると各企業が「法人税を節税するために損金を増やして法人所得を圧縮しよう」と考えなくなり、「間接金融や社債発行で資金調達して、銀行や社債保有者に利子を支払い、損金を増やそう」と考えなくなり、その結果として企業経営者が直接金融の「株式発行による資金調達」に魅力を感じるようになり、株主至上主義が強化する。

最後の1つは金融所得税の弱体化であり、株式等譲渡益課税(キャピタルゲイン税)や株式等配当課税(インカムゲイン税)を一律課税(フラットタックス)にする手法である[64]。こうすることで人々が高額の株式投資をするようになり、「大金持ちの投資家」が出現しやすくなり、各企業が「大金持ちの投資家に当社の株式を買ってもらおう。彼らが気に入るような企業経営をしよう」と考えるようになり、株主至上主義が強化する。
 

性質その14 「倒産しにくく永続しやすい企業」の肯定

新自由主義や株主至上主義の大目標は、「倒産しにくく永続しやすい企業」を作り出すことである。

従業員に払う人件費や協力企業に払う費用を徹底的に下げ、従業員や協力企業を痩せ細らせつつ税引後当期純利益をひねり出し、貸借対照表の資産の部の数字と負債の部の数字の差額を増やし、貸借対照表の純資産の部の利益剰余金を増やし、自己資本比率を増やし、企業を「倒産しにくく永続しやすい企業」へ変身させていくのが株主至上主義である。

また、国会議員や官僚へレントシーキングして法人税を極限まで減税させ、税引後当期純利益を増やし、貸借対照表の資産の部の数字と負債の部の数字の差額を増やし、貸借対照表の純資産の部の利益剰余金を増やし、自己資本比率を増やし、企業を「倒産しにくく永続しやすい企業」へ変身させていくのが株主至上主義である。

さらに、銀行からの借り入れという間接金融をとりやめ、株式を発行して売却し、銀行預金という資産を手に入れつつ貸借対照表の純資産の部の資本金または資本剰余金(資本準備金)を増やし、自己資本比率を増やし、企業を「倒産しにくく永続しやすい企業」へ変身させていくのが株主至上主義である。

このため、「株主至上主義というのは企業の延命を第一に考える思想である」と表現できる。株主至上主義に従って企業の延命に励む新自由主義者の姿は新・企業延命主義 と表現することができる。

やや大袈裟な表現にすると「株主至上主義というのは企業に永遠の生命を吹き込もうとする思想である」となる。秦の始皇帝は自らを不老不死の生命体にしようとしたが、株主至上主義者も企業を不老不死の存在にしようとする。ゆえに株主至上主義や新自由主義のことを新・不老不死主義と表現できる。


新自由主義や株主至上主義が作り出そうとする「倒産しにくく永続しやすい企業」とよく似た存在というと、宗教団体が挙げられる。日本を含む多くの国々において宗教団体は、宗教活動で得られる法人所得に対して法人税0%の優遇措置を受けていて[65]、損益計算書の当期純利益を増やしやすい存在になっており、貸借対照表(バランスシート)の資産の部の数字と純資産の部の数字を同時に増やしやすい存在になっており、自己資本比率を高めやすい存在になっており、「倒産しにくく永続しやすい団体」になっている。

新自由主義や株主至上主義が徹底されて法人税が0%になった国における企業と、多くの国々における宗教団体は、全く同一の存在ではないが[66]、倒産しにくく永続しやすいという点で非常によく似た存在である。

つまり、新自由主義や株主至上主義というのは、企業を宗教団体に近づけようという思想であり、企業を宗教団体のように扱おうという思想である。新自由主義や株主至上主義は新・宗教主義と表現できる。

宗教団体というのは神秘的な存在で、人々の心のよりどころになり得る存在である。世界各国で宗教団体の「宗教活動で得られる法人所得」が非課税になっている理由の1つは、「宗教団体を倒産しにくく永続しやすい団体にすれば、人々の心のよりどころが社会の中で生き続けるので、人心が安定する」というものである。

一方で、企業というのは極めて世俗的な存在で、人々の心のよりどころになることが少ない存在である。本来の性質から考えると、宗教団体と企業は全く似ておらず、遠く離れた存在である。宗教団体を企業のように扱うことや、企業を宗教団体のように扱うことは、無理で不自然なことである。

本来の性質を無視して企業を宗教団体と同じように扱うため、新自由主義者や株主至上主義者はせっせと努力している。成功した企業経営者を「カリスマ経営者」と神格化して神か仏のように褒め讃え、成功した企業経営者が在籍する企業に対して無理矢理に神秘性を与える・・・これが、新自由主義者や株主至上主義者にとっての毎日の課題である。

新自由主義や株主至上主義が主導権を握る国では、企業経営者を神格化して「カリスマ経営者」に祭り上げる社会的風潮が定着する。そういう風潮が定着することにより、企業に神秘性が強引に付加され、企業を宗教団体のように扱うことが許される世相になり、新自由主義や株主至上主義がさらに蔓延していく。

詐欺師はただの石を宝石のように扱って人々を幻惑する。それと同じように、株主至上主義者はただの企業経営者を神か仏のように扱って人々を幻惑する。新自由主義や株主至上主義は、新・詐欺主義と表現することができる。

一方で、反・新自由主義を維持する政府は、宗教団体に対し宗教活動で得られる法人所得について法人税を課税せず、企業に対し全ての法人所得について高率の法人税を課税する傾向にあり、宗教団体と企業をはっきり区別する傾向にある。

反・新自由主義を維持する政府は「企業というものは世俗的な存在で、人々の心のよりどころになっていない。ゆえに企業の法人所得を非課税にして企業を『倒産しにくく永続しやすい団体』にしても人心の安定につながるわけではない」と考える傾向が強い。「法人税を課して企業が人件費を適切に負担するように仕向けて、社会の経済的基盤を作ろう」と考える傾向が強い。

また、反・新自由主義の支持者は、企業経営者を神格化して「カリスマ経営者」に祭り上げることを好まず、「企業が上手くいくのは経営者と従業員のチームワークのおかげだ。経営者を『カリスマ経営者』と扱って過剰にもてはやすのは良くないことだ」と苦言を呈する傾向がある。

ここまでのことを表にまとめると次のようになる。
 

新自由主義 反・新自由主義
宗教団体と企業の類似性についての考え方 宗教団体と企業は、基本的に同一の存在である。どちらも神秘性があり、人々の心のよりどころになっている 宗教団体と企業は全く別の存在である。宗教団体は神秘性があって人々の心のよりどころになっているが、企業は世俗的な存在で人々の心のよりどころになることが少ない
企業のことをどう思うか 企業にはカリスマ経営者がおり、カリスマ経営者の超人的能力で運営されている。企業は神秘的な存在で人々の心のよりどころになっているので、人心を安定させるために「倒産しにくく永続しやすい団体」にさせてあげる必要がある 企業にはカリスマ経営者など存在せず、チームワークで運営されている。企業は世俗的な存在で人々の心のよりどころになることが少ないので、「倒産しにくく永続しやすい団体」にさせてあげる必要がない
企業に対する法人税の掛け方 企業の法人所得に対して極限に低い税率の法人税を課税する。そうすることで企業を倒産しにくく永続しやすい存在に近づける 企業の法人所得に対して高率の法人税を課税する。そうすることで企業が人件費を適切に負担するように仕向け、企業に社会の経済的基盤を作らせる

 
株主至上主義を弱体化させるような政策を耳にしたときの株主至上主義者は、「そんなことをしたら投資家が日本の株式市場から資金を引き揚げ、株価が下がる!」と猛抗議するのが常である。

この抗議をさらに詳しく分析すると「そんなことをしたら投資家が日本の株式市場から資金を引き揚げ、株価が下がり、企業が株式の発行売却で『返済が不要な資金』を調達することが難しくなり、銀行からの借り入れという間接金融で『返済が必要な資金』を調達するはめになり、企業の負債が増え、自己資本比率が下がり、債務超過リスクや倒産リスクが高まる!」ということになる。

企業の負債が増えることや倒産リスクが高まることを極端に恐れる心理のことを負債恐怖症 とか倒産恐怖症 という。そうした負債恐怖症や倒産恐怖症が株主至上主義を生み出す。

この負債恐怖症や倒産恐怖症をさらに詳しく分析すると「負債が増えて倒産の可能性が高まることで、神秘的で永遠に生き続けるはずの企業が世俗的な存在に堕落してしまう!」という宗教的不快感が根源となる。「永遠に生き続ける」と人々に崇拝されていた神木があっさり伐採されて木材になったときに、その神木を崇拝していた人が「なんて罰当たりなことをするんだ!神秘的で永遠に生き続けるはずの神木が世俗的な存在に堕落してしまった!」と不快感を表明することがあるが、それと同じである。


株主至上主義の反対概念はステークホルダー資本主義という。この両者は様々な点で対照的である。

株主至上主義は「倒産しにくく永続しやすい企業」を作り上げることを優先する。企業の人件費や協力企業へ払う費用を減らし、法人税の減税を政治家に要求し、企業の税引後当期純利益と利益剰余金を増やして企業の自己資本比率を高めることを重視する。また株主至上主義は人件費の急減少を実現するために解雇規制の緩和を求める傾向がある。

株主至上主義の国では消費税が増税される傾向にある。消費税を増税して消費・需要を抑制し、労働者を倹約好みの性格にして、「支出しないので賃下げに耐えられる労働者」を作り出し、企業が賃下げする環境を整える。企業が賃下げに成功すれば、企業の税引後当期純利益・利益剰余金が増え、企業の株価が上昇し、企業が株式の新規発行で「返済が不要な資金」を調達しやすくなり、企業が自己資本比率を高めて「倒産しにくく永続しやすい企業」になる。

株主至上主義の支持者は、経済政策の論争で「経済の成長・発展」という表現をするが、その表現は、各企業の税引後当期純利益・利益剰余金が増えることや株価が上昇することや各企業が株式市場から「返済が不要な資金」を調達しやすくなって各企業の自己資本比率が上がることを意味している。

株主至上主義の支持者が「経済の成長・発展のための安定的な基盤」という表現をして褒め讃えるものは株式市場であり、「経済の成長・発展を阻害する要因」という表現をして厳しく批判するものは人件費や解雇規制や労働組合である。

株主至上主義の支持者は株式市場のことを油田とか金脈のように見なして溺愛する傾向があり、「株式市場は経済の生命線である」と褒めちぎる傾向がある。

株主至上主義の支持者が経済政策の論争で発する文句のなかで最大の武器というべきものは「我々の言うことを聞かないと(企業の自己資本比率が下がるので)企業の倒産が増えるぞ!」である。

「我々の言うことを聞かないと企業の倒産が増えるぞ!」と具体的で明確なことを喋るだけでは飽きられてしまう。そのため株主至上主義の支持者は「我々の言うことを聞かないと企業が生き残れなくなるぞ!」といった抽象的であいまいな表現も織り交ぜて、聞き手を飽きさせない工夫をする。

経済政策の論争では、論争相手に対して「拝金主義」とレッテル貼りして相手の名誉を破壊していく手段が有効である。株主至上主義の支持者は、ステークホルダー資本主義の支持者に対して「貧しくても生活費を切り詰めれば十分に生活できる[67]。貧乏でも楽しく生活できる。『給料が少ないと生活できない』と訴えるのは拝金主義である」と批判するのがいつもの姿である。

株主至上主義が広まった社会では、労働者にお金が行きわたらず、労働者が給料の不確実性・不安定性に悩まされて消費・需要をする勇気を持てなくなるので、世の中の企業の売上高が伸び悩む傾向にある。

株主至上主義が広まった社会は、お金を持って代金をしっかり支払うことができる消費者が少しだけ存在する社会であり、企業を起業するのが比較的に困難である。「いったん倒産したら二度と復活できない」という雰囲気が漂いがちであり、人々の心の中で倒産恐怖症が根深く残存する社会である。


一方で、株主至上主義の反対概念であるステークホルダー資本主義は、「従業員や協力企業に富を与えて長期的に売上高を増やすことを狙う企業」を作り上げることを優先する。企業が人件費や協力企業へ払う費用を増やすことを重視し、企業が人件費や協力企業へ払う費用を削って利益を溜め込むことを罰するため法人税の強化にも熱心である。またステークホルダー資本主義は、労働者に給料の確実性・安定性を与えるため解雇規制の強化も行う。

ステークホルダー資本主義の国では消費税が減税される傾向にある。消費税を減税して消費・需要を活発化させ、労働者を支出好みの性格にして、企業の売上高が伸びるようにする。

ステークホルダー資本主義が広まった社会では、労働者にお金が行きわたり、労働者が給料の確実性・安定性に恵まれて消費・需要をする勇気を持てるので、世の中の企業の売上高が増える傾向がある。

ステークホルダー資本主義の支持者は、経済政策の論争で「経済の成長・発展」という表現をするが、その表現は、各企業の売上高が上がることを意味している。

ステークホルダー資本主義の支持者が「経済の成長・発展のための安定的な基盤」という表現をして褒め讃えるものは人件費や解雇規制や労働組合であり、「経済の成長・発展を阻害する要因」という表現をして厳しく批判するものは株式市場である。「株式市場というものが存在するから各企業が人件費の削減に精を出すようになり、経済の成長・発展のための安定的な基盤が壊れるのだ」と主張するのがいつもの姿である。

ステークホルダー資本主義の支持者は株式市場のことを敵視する傾向があり、「株式市場は『従業員に渡すべきお金を配当として受け取る権利』を売買する市場である。ゆえに株式市場は従業員の生き血を売りさばく売血市場のような存在である」とボロクソにこきおろすことがある。

ステークホルダー資本主義の支持者が経済政策の論争で発する文句のなかで最大の武器というべきものは「我々の言うことを聞かないと(企業の人件費が減るので)企業の売上高が減るぞ!」である。

「我々の言うことを聞かないと企業の売上高が減るぞ!」と具体的で明確なことを喋るだけでは飽きられてしまう。そのためステークホルダー資本主義の支持者は「我々の言うことを聞かないと企業が活躍できなくなるぞ!」といった抽象的であいまいな表現も織り交ぜて、聞き手を飽きさせない工夫をする。

経済政策の論争では、論争相手に対して「拝金主義」とレッテル貼りして相手の名誉を破壊していく手段が有効である。ステークホルダー資本主義の支持者は、株主至上主義の支持者に対して「間接金融で銀行から資金を借り入れれば十分に経営できる。自己資本比率が低くなって倒産リスクが高くなってもしっかり経営できる。『株式市場から返済不要の資金を調達しないと経営できない』と訴えるのは拝金主義である」と批判するのがいつもの姿である。

ステークホルダー資本主義が広まった社会では、世の中の企業の税引後当期純利益と利益剰余金が伸び悩む傾向にあり、世の中の企業の自己資本比率が低いままになる傾向があり、世の中の企業の倒産リスクが高いままになる傾向がある。

ステークホルダー資本主義が広まった社会は、お金を持って代金をしっかり支払うことができる消費者が大量に存在する社会であり、企業を起業するのが比較的に容易である。「倒産しても別の企業を設立して復活できる」という雰囲気が漂いがちであり、人々の心の中で倒産恐怖症が消滅していく社会である。

以上のことをまとめると次の表のようになる。
 

株主至上主義 ステークホルダー資本主義
理想とする企業 倒産しにくく永続しやすい企業 従業員や協力企業に富を与えて長期的に売上高を増やすことを狙う企業
企業の財務諸表に関連する数値の中で、増やそうとする項目 税引後当期純利益、利益剰余金、自己資本比率 人件費、協力企業に払う諸々の費用、売上高
企業の財務諸表に関連する数値の中で、減らそうとする項目 人件費、協力企業に払う諸々の費用 税引後当期純利益、利益剰余金
企業の財務諸表に関連する数値の中で、減ってもかまわないとする項目 売上高 自己資本比率
解雇規制 緩和を求める 強化を求める
法人税 減税を求める。企業が税引後当期純利益を増やして自己資本比率を高めて倒産しにくくなることを促す 増税を求める。企業が人件費や協力企業に払う費用を増やすことと世の中全体の売上高が上昇することを促す
消費税 増税を求める。労働者を倹約好みの性格にして、「支出しないので賃下げに耐えられる労働者」を作り出し、企業が賃下げする環境を整える 減税を求める。労働者を支出好みの性格にして、企業が売上高を伸ばすようにする
経済の成長・発展とはなにか 税引後当期純利益や利益剰余金の増加、株価の上昇、自己資本比率の上昇 売上高の増加
経済の成長・発展のための安定的な基盤 株式市場 人件費と解雇規制と労働組合
経済の成長・発展を阻害する要因 人件費と解雇規制と労働組合 株式市場
株式市場のことをどう思うか 油田であり、金脈であり、経済の生命線である 従業員の血液を売りさばく売血市場のようなものである
経済論争における最大の武器というべき文句 「我々の言うことを聞かないと(企業の自己資本比率が下がるので)企業の倒産が増えるぞ!」 「我々の言うことを聞かないと(企業の人件費が減るので)企業の売上高が減るぞ!」
経済論争における聞き手を飽きさせないための抽象的な文句 「我々の言うことを聞かないと企業が生き残れなくなるぞ!」 「我々の言うことを聞かないと企業が活躍できなくなるぞ!」
経済論争におけるレッテル貼りの文句 「『給料が少ないと生活できない』というのは拝金主義である」 「『株式市場から返済不要の資金を調達しないと経営できない』というのは拝金主義である」
倒産恐怖症がどうなるか お金を持った消費者が少ない社会になるので、「いったん倒産したら二度と復活できない」という雰囲気が漂いがちで、倒産恐怖症が残存する お金を持った消費者が多い社会になるので、「倒産しても別の企業を設立して復活できる」という雰囲気が漂いがちで、倒産恐怖症が消滅していく

 
新自由主義や株主至上主義は「売上高が下がっても税引後当期純利益を叩きだして利益剰余金をひねり出す企業を作ろう。倒産しない企業を作ろう」ということを最大の目標にしており、そのために人件費や協力企業に払う費用を削る。しかし、その通りにすると世の中全体の売上高が下がっていく。このため新自由主義や株主至上主義のことを新・売上高削減主義 と呼ぶことができる。

新自由主義者や株主至上主義者が主導権を握る国は人件費と売上高が連鎖的に減少する螺旋階段(スパイラル)をせっせと下っていくことになり、デフレスパイラルが基調になる。


本項目の主題からやや外れる余談であるが、株主至上主義とステークホルダー資本主義は企業統治のあり方を巡ってもはっきり対立している。

株主至上主義の支持者は、労働組合を結成して経営陣に影響を与える従業員(物言う従業員)を経営上の脅威と見なしており[68]、「従業員は倒産しにくくなることの重要性を全く理解しておらず、喋る内容に価値がない。従業員は黙って経営者の言うことを聞いていればいい」と反発する。

株主至上主義の支持者が「企業にとって本質的に部外者であり、経営に口出しさせるべきではない」と考える存在は、従業員である。

ステークホルダー資本主義の支持者は、株主総会を通じて経営陣に影響を与える株主(物言う株主)を経営上の脅威と見なしており、「株主は経営の現場に関する専門知識を全く理解しておらず、喋る内容に価値がない。株主は黙って経営者の言うことを聞いていればいい」と反発する。

ステークホルダー資本主義の支持者が「企業にとって本質的に部外者であり、経営に口出しさせるべきではない」と考える存在は、株主である。

以上のことをまとめると次の表のようになる。
 

株主至上主義 ステークホルダー資本主義
経営上の脅威とみなすもの 物言う従業員(労働組合を結成して経営に影響を与える従業員) 物言う株主(株主総会を通じて経営に影響を与える株主)
経営上の脅威に対して投げかける言葉 「従業員は倒産しにくくなることの重要性を理解しておらず、喋る内容に価値がない。従業員は黙って経営者の言うことを聞いていればいい」 「株主は経営の現場に関する専門知識を理解しておらず、喋る内容に価値がない。株主は黙って経営者の言うことを聞いていればいい」
企業にとって本質的に部外者である存在 従業員 株主

 

性質その15 格差の肯定

新自由主義の国では必ずといっていいほど株主至上主義が採用され、株主の利益を第一に考える企業が主流となり、従業員への人件費を削って株主への配当金を増やすことを目指す企業が主流となる。

株主の意向に従って従業員への人件費をひたすら削る経営者(役員)が「V字回復の救世主」「信念の人」などと口を極めて賛美され、そうした経営者には株主たちから褒美として高額の役員報酬が与えられる[69]

このため株主と「株主の手先となって人件費の削減に励む経営者」が高額所得者となり、企業経営に関与しないヒラの従業員が低額所得者になっていく。

さらには所得税累進課税が弱体化され、株主と「株主の手先となってコストカットに励む経営者」が高額所得を得る現象が政府によって強く肯定される。

こうして所得格差が広がり、貧富の差が広がり、格差社会になっていく。新自由主義が席巻する国では格差の拡大が顕著であり、ごく少数の人たちが勝ち組となって富を独占するようになり、大多数の人たちが負け組となって貧困生活になる。「人口の1%の人々が国富の99%を所有する」といった状態が普通のことになる[70]

新自由主義によって貧困層が拡大することを批判されたら、新自由主義者は「貧困は人を助ける。貧困は人を成長させる。貧困に直面することで労働意欲が増えて人の可能性が呼び起こされる」と言って、人々が貧困生活に転落すること自体を大いに肯定することがある。このように貧困を賛美する姿は新・貧困主義 と表現することができる[71]

また、新自由主義によってごく少数の人たちが富を独占することが批判されたら、新自由主義者は次のような論理展開を行う。

まず、「人というものは所得が伸びればそれに比例して消費を伸ばす」と主張する。続いて「高額所得者を増やせば、その高額所得者が必ず高額の消費をする」と主張し、そして「高額所得者が高額の消費をすることで各企業の売上高が伸び、経済発展する」と主張していく。これがいわゆるトリクルダウン理論である。

また、「人というものは所得が伸びればそれに比例して消費を伸ばす」と主張してから、「高額所得者は頭が良くて優秀で商品に付加価値が付いているかどうかを見定める能力が高い」と高額所得者を崇拝するがごとく褒め讃え、そして「高額所得者は付加価値の高い商品を買う消費をして、『付加価値が高い商品を作る立派な産業』を育成している」と述べていく。「フランス料理は王侯貴族という高額所得者に提供する宮廷料理が基礎となっているし、ウィーンのオーケストラはハプスブルグ家という高額所得者の王族に提供する宮廷音楽が基礎となっている」などと例を挙げ、「高額所得者が付加価値の高い産業を必ず生み出すのだ」と主張していく。これもトリクルダウン理論の一形態と言える。

こうしたトリクルダウン理論の出発点となるのは、常に「人というものは所得が伸びればそれに比例して消費を伸ばす」という主張である。この主張にはあまり説得力がなく、「アメリカ合衆国の大富豪であるウォーレン・バフェットは倹約家であって消費を盛んに行っていない[72]」という反論を浴びることが多い。

ウォーレン・バフェットは新自由主義の時代に生まれた大富豪であり、「新自由主義が作り出した大富豪」と言っていいような存在であるが、その彼の生き様(いきざま)が新自由主義者のトリクルダウン理論にとって皮肉にも天敵となっている。

また、新自由主義者は「大金持ちを人為的に作りだし、その大金持ちに国際的な大活躍をしてもらって国内に富を呼び込んでもらえばいい。優秀な大金持ちに経済を引っ張ってもらい、そのおこぼれをコバンザメのごとく拾っていけばいい」と論じることもある。この主張には「金持ちへの期待感と依存心」を見てとることができる。

先述のように新自由主義者の言動からは「人の強大な本能に対する期待感と依存心」が見え隠れするが、それだけではなく、「強大なお金持ちに対する期待感と依存心」も見え隠れする。新自由主義という思想は自由という言葉を看板に掲げているため独立心・自立心が旺盛な思想であるかのようなイメージを与えるが、実際の新自由主義の支持者は依存心がだいぶ強い。このため新自由主義は新・依存主義 と表現することができる。

新自由主義者は所得税の累進課税に反対することが多いが、そのことを主張するとき、「大金持ちは頭が良くて優秀で生産力が高い存在である」と信仰するがごとく褒め称え、そして「大金持ちの足を引っ張らずに放置しておけば自動的に国家の富を増産してくれる」と語り、「大金持ちへの所得税累進課税を弱体化させることで効率的に経済発展することができる」と述べていく。大金持ちを万能の神であるかのように扱う新自由主義者の姿は、敬虔な信仰をする宗教者といった観があり、新・信仰主義 とか新・宗教主義 と表現することができる。

「大金持ちが働けば働くほど富が生まれる」と信仰する新自由主義者の姿が多く見られるが、現実は必ずしもそうなっているわけではない。大金持ちが間違った働きをして巨額の損失を出す現象はしばしば見られる。「高額所得の企業経営者が、海外進出をして工場を建設することを決断したが、どうにも上手くいかず、巨額の損失を出しながら撤退した」という現象はたまに報じられる。

このように、大金持ちは決して全知全能ではないが、それでも新自由主義者は「大金持ちが働けば働くほど富が生まれる」と熱心に信仰する。こうした新自由主義者の姿は詐欺師に引っ掛かる被害者と似ている。

詐欺師に引っ掛かる被害者のことをカモという。このため新自由主義のことを新・カモ主義 と表現することができる。

新自由主義者というと、企業に課せられる法人税を徹底的に引き下げて、企業の税引後当期純利益が増えるようにして、「倒産しにくく永続しやすい企業」が増えることを目指している。そして、日本において宗教団体は、宗教活動で得られる法人所得に対して法人税0%の優遇措置を受けていて、「倒産しにくく永続しやすい団体」になっている。

新自由主義者と宗教団体はどちらも「倒産しにくく永続しやすい団体」を作り出すことを目指している。こうした共通点が原因となり、新自由主義者と宗教団体の親和性の高さを生み出している。新自由主義者からどことなく宗教団体の雰囲気を感じるのはこのためである。
   

性質その16 関税の撤廃

新自由主義は国家意識の無い国際主義思想であり、国境と関税をひたすら敵視し、自由貿易を極限まで推し進めようとする傾向がある。FTAやRCEPやTPPといった国境の壁を取り除く貿易協定を好み、EUのような国境の消滅を理想視する。いわゆるグローバリズムとの親和性がとても高い。

新自由主義者の一部は、関税を撤廃するような貿易協定を導入するとき、「世界に置いていかれる」「世界中の国が発展し、日本だけが取り残される」「バスに乗り遅れるな」というような、感情に訴えかける煽りを駆使する。

新自由主義者は、保護関税を撤廃して自由貿易を促進するときに、「企業というのは保護関税に守られなくなって窮地に追い込まれると、生存本能が刺激され、切磋琢磨し、創意工夫の限りを尽くし、必死になって智慧を求め、頭が良くなっていき、優秀な存在に生まれ変わっていく」と述べ立てる傾向がある。

新自由主義者は、労働者の給料の確実性・安定性を撤廃して経営者が自由に労働者の給料を変化させることを促進するときに「人というのは労働規制に守られなくなって窮地に追い込まれると、生存本能が刺激され、切磋琢磨し、創意工夫の限りを尽くし、必死になって智慧を求め、頭が良くなっていき、優秀な存在に生まれ変わっていく」と述べ立てるが、それと全く軌を一にしている。

このように、新自由主義者は企業や労働者の生存本能を過度に信仰する傾向があるが、そうした姿は新・本能主義と表現できる。また新自由主義者はサディスティックに企業や労働者を追い込む傾向があるが、そうした傾向は新・加虐主義(ネオ・サディズム)とか新・追い込み主義と表現できる。

また新自由主義者は、保護関税を撤廃して自由貿易を促進するときに、「自動車産業や漫画・アニメ産業といった産業はほとんど保護関税で守られなかったが、そうした産業が日本の富を生みだしている。一方で農林水産業などの産業は保護関税で入念に守られてきたが、そうした産業が日本の足を引っ張っている」と述べ立てることがある。つまり「保護関税を撤廃すると産業が成長する」という論法である。

それに対して反・新自由主義者は、「保護関税で企業を保護すると賃上げする流れが生まれ、労働者が安定して消費するようになり、労働者の消費という巨大な需要によって産業が発展する。自動車産業や漫画・アニメ産業が発展できたのも国内の需要が巨大だったからである」と述べ立てて保護関税を重視する傾向がある。つまり「保護関税を掛けると国内の需要が増えて産業が成長する」という論法である。


新自由主義者は「世界各国が関税を引き上げて保護主義に走ると戦争が起こる。第二次世界大戦の原因は関税で作り上げられたブロック経済である」と主張する。保護主義を敵視し、「危険な保護主義」という表現を繰り返し、「保護主義の台頭を許してはならない」と訴える。

また、新自由主義者は「世界各国が関税を撤廃して自由貿易を促進すると国家間の相互依存が深まるので世界平和が実現する」と主張することがある[73]

こうした「自由貿易を促進すると世界平和が実現する」という主張に対しては「第一次世界大戦の直前においてイギリスとドイツの間における貿易は非常に規模が大きかった。貿易が活発に行われれば戦争を回避できるというわけではない」という反論が寄せられることがある[74]。また、「2022年までロシアは自由貿易を盛んに行っていたが、それでも2022年2月24日にロシアによるウクライナ侵攻が勃発した」という反論が寄せられることもある。

後述するように、自由貿易が発展すると先進国の労働者が自信を喪失し、自信を取り戻すため攻撃的な言動を好むようになり、戦争を好む国民性へ変貌していく。そうした点を重視すると「自由貿易は戦争の原因となるものである。『危険な自由主義』と表現すべきであり、自由主義の台頭を許してはならない」ということになる。

第一次世界大戦の直前は自由貿易が盛んであり、第一次グローバリゼーションと表現されるほどだった[75]。自由主義を厳しく批判する立場の人は「自由貿易によって憎悪と軽蔑が国内に広がり、各国の国民性が戦争を好むものに変貌し、多数の死傷者を出す大戦争の原因が作られた」と批判することがある。


新自由主義者は「1991年にソ連が崩壊してロシアになり、ロシアが自由主義経済の一員になった。1940年代から1990年代まで続いた自由主義経済と共産主義経済の冷戦は自由主義経済の勝利で終わった」と勝ち誇るがごとく語り、「自由主義経済は必ず勝利する」と熱狂的に述べ、その上で「自由貿易を最大限に尊重すべきだ」と主張する。

ちなみに1948年から1994年まで続いたGATT(関税貿易一般協定)は、1930年代のブロック経済よりも自由主義を重んじるものであったが、1995年から2022年現在まで続いているWTO(世界貿易機関)よりも保護主義を認めるものであって、自由主義と保護主義の中間に位置する協定だった[76]。このため、冷戦で勝利した西側諸国のことを「自由主義経済諸国」というのは決して正確な表現ではなく、やや無理がある表現である。

新自由主義者は、自由主義と保護主義の中間に位置するGATT体制を維持した西側諸国が冷戦に勝利したのにも関わらず、その事実を無視して、「自由主義の西側諸国が冷戦に勝利した」と表現することが多い。自分たちの思想を支持しない団体が勝利したのに「自分たちの思想を支持する団体が勝利した」と宣言して手柄を横取りすることを好む。こうした新自由主義者の姿は、新・横取り主義 と表現することができる。

新自由主義者は、株主至上主義を擁護するために「財産権は不可侵の基本的人権である。株主の所有権の絶対性を認めろ」などと財産権・所有権を重視する主張をすることが多いので、「自分以外の人の財産権・所有権も尊重する人たちであり、決して横取りのような真似をしない人たちである」というような印象を持たれやすい。しかし新自由主義者は、「自由主義と保護主義の中間に位置するGATT体制を維持した西側諸国」が勝ち取った冷戦勝利の手柄を平気で横取りする。


自由貿易を促進すると、各企業は国内の協力企業からの割高な購入をとりやめて海外の協力企業からの割安な購入に切り替えることが可能になり、『協力企業に支払う費用』を削減することが可能になる。そうなると各企業は税引後当期純利益を増やすようになり、株主へ支払う配当を増やすようになり、株価をつり上げるようになり、株式市場での資金調達を順調に行って自己資金比率を高めるようになり、「倒産しにくく永続しやすい企業」に近づいていく。

さらに各企業は、自由貿易によって発展途上国の低賃金労働者が作った製品との価格競争にさらされるので、人件費の削減を目指すようになる。先進国の企業は、発展途上国の低賃金労働者の水準にまで賃下げを追求するようになるが、そうした様子は底辺への競争と表現される。

自由貿易を進めると企業における賃下げが進んでいくので、自由貿易は賃下げ貿易 といっていいものである。新自由主義は、そういう自由貿易を全面的に肯定する思想であるので、やはり新・賃下げ主義 ということができる。

各企業は、人件費を削減すると税引後当期純利益を増やすようになり、株主へ支払う配当を増やすようになり、株価をつり上げるようになり、株式市場での資金調達を順調に行って自己資金比率を高めるようになり、「倒産しにくく永続しやすい企業」に近づいていく。

新自由主義が流行する先進国では、企業経営者が労働者に向かって「我々経営者は、君よりも安い賃金で君と同じ働きをする労働者を、発展途上国においていくらでも見つけることができる」と言って労働者に賃下げを受け入れることを迫ったり、「発展途上国の労働者に君たちと同じ賃金を支払うと、君たちよりもずっと活発に働いてくれる」と言って労働者に労働強化(実質的な賃下げ)を迫ったりする。そうした言葉を頻繁に聞かされる労働者たちは「自分たちは高い賃金をもらう資格があるのだろうか・・・」と自信を喪失していく。

新自由主義を採用する国では自由貿易が盛んになるので、労働者の自信を効率的に破壊して労働者の給料をきっちり下げることが可能になる。自由貿易は自信破壊貿易 と表現できるし、新自由主義は新・自信破壊主義 と表現できる。

ちなみに、「従業員に自信を与えると賃上げの流れを生み、従業員の自信を破壊すると賃下げの流れを生む」ということはいつの時代も変わらない。従業員の自信を打ち砕いて従業員を賃下げする経営者が多く見られる[77]

自信を喪失した人間は自分以外の誰かを攻撃することで自信を取り戻そうとする習性があるのだが、先進国の労働者たちもそういう習性を持っている。ネット上で、あるいは政治活動で、もしくは経済論議で、対立相手を過度に攻撃する行為に傾倒するようになる。その結果として、先進国で憎悪(ヘイト)が広がり、憎悪言動(ヘイトスピーチ)や憎悪犯罪(ヘイトクライム)や憎悪主義(ヘイト主義)が盛んになり、社会の分断が深まっていく。

新自由主義がはびこる国では、攻撃的言動を繰り返す政治指導者が大人気となる。外国に対して喧嘩腰で対応したり国内の対立政治勢力を痛烈に批判したりして「何かを攻め立てる姿」を周囲に見せつける政治家は、労働者たちによって熱心に支持されることになる。自由貿易による賃下げ圧力で自信を破壊された労働者は、何かを攻撃することで自信を取り戻したいと思っている。そうした労働者が攻撃的言動を繰り返す政治指導者を見ると「自分のしたいことを実現している人」と思い込み、熱心に支持するようになる。

新自由主義がはびこる国では、名誉毀損罪や侮辱罪で訴えるスラップ訴訟をして論争相手の「表現の自由」を攻撃する政治家が増える。自由貿易による賃下げ圧力で自信を破壊されていて何かを攻撃することで自信を取り戻したいと思っている労働者は、そうした政治家を見ると「自分のしたいことを実現している人」と思い込み、深く尊敬することになる。

新自由主義がはびこる国では、自由貿易とそれに伴う賃下げによって労働者の自信が破壊され、労働者が自信を取り戻すため攻撃を好むようになる。そして実際に凶悪犯罪をして人を攻撃することがある。賃下げによって生活がすさみ、財産や身内などをことごとく失い、失うものが何もない状態になって凶悪犯罪に走る者のことを「無敵の人」ということがある。


自信を喪失した人が自信を取り戻すには、何かに対する攻撃的な言動をするだけではなく、何かに対して見下して軽蔑する心を持つことも有効な手段である。

このため、新自由主義で自信を破壊された労働者は、自分よりも劣った存在を見下して軽蔑することを積極的に行うようになる。「君のような劣った人と同格であると周りに思われたくない。だから君は自分に話しかけないでくれ」とか「君のような劣った人と一緒に行動すると自分の評判が下がる。だから君と一緒に行動するつもりはない」といった軽蔑心のこもった言動を行うようになる。

また、新自由主義者は、自信を破壊された労働者が「自分よりも劣った存在」を見下して軽蔑する行動を制止するわけではなく、むしろ同調する傾向がある。新自由主義者はとても熱心に「自分よりも劣った存在」を見下して軽蔑する行動を行う[78]。こうした姿は新・軽蔑主義 ということができる。

そうした人々の行動が集積すると階級社会・身分制社会が形成されるようになる。新自由主義が蔓延する社会は次第に階級社会・身分制社会になっていく傾向がある。

階級社会・身分制社会というのは人類史において古代や中世に見られた社会形態である。新自由主義は、「新(Neo ネオ)」という言葉を看板に掲げているので時代の最先端を走っている思想であるかのような印象を与えるが、実際は復古的なところがあり、「復古主義」「回帰主義」「逆戻り主義」といった観がある。

古代・中世といった古い時代の階級社会に回帰するのが新自由主義である。英国の小説家ジョージ・オーウェルの『1984年 』という作品では「戦争を企画する平和省」「嘘を拡散する真理省」「拷問する愛情省」というものが登場するが、「古い時代に逆戻りする新自由主義」というのはそれらと類似した存在である。

新自由主義というのは、復古的な思想であり、労働者に対して抑圧的な思想である。復古抑圧主義 と名乗るのが実情に合っている思想である。


「人が人を軽蔑することが盛んに行われる社会」では、人々の間に「自分よりも劣った存在を残しておいて、軽蔑の対象を残しておきたい。そうしておけばいつでも軽蔑して自信を取り戻すことができる」といった軽蔑対象の確保を求める心理が生じる。あるいは「誰かに対して教育すると、自分の無知が露わになり、他の人に軽蔑されるかもしれない」といった警戒の心理も発生する。それらの心理により、「困っている人を見つけたら親切に情報を提供して親身になって教育する」といった気運が失われ、困っている人を冷笑しつつ放置する社会になる。

新自由主義が盛んになる国では終身雇用が破壊されて、若手従業員に対して「そのうち解雇されたり転職したりして会社に来なくなるかもしれない」という疑惑のまなざしを向けるようになり、「若手従業員を教育しても無駄だ」という考えが広まり、ベテラン従業員が若手従業員に対して教育する気運が弱まっていく。

「人が人を軽蔑することが盛んに行われ、困っている人を教育せずに放置する社会」と、「新自由主義によって終身雇用が破壊され、若手従業員を教育せずに放置する企業」というのは、親和性がある。

「人が人を軽蔑することが盛んに行われる社会」では、何らかの危機が差し迫っていることをひたすら主張し、危機感や危機意識をしっかり持つ人が現れやすい。特に、「迫り来る危機について大衆は気づいておらず、自分たちだけが気づいている」と主張する人が現れやすい[79]

「自分を含むごく少数の人が危機感を持っていて、自分以外の大多数の民衆は何も気づいていない」と脳内設定することで、「危機感を持っていない大多数の民衆」への軽蔑を無限に行って自信を取り戻すことができる。さらには選民意識を持つことができ、世の中の階級の最上部に君臨しているかのような優越感にひたることができ、貴族に成り上がったかのような気分になり、陶酔感を得ることができる。

ちなみに「人が人を軽蔑することが盛んに行われる社会」の中で最も手軽に行われる軽蔑は「容貌がブサイクな人に対する軽蔑」である。つまり「ルッキズム(lookism 容貌・外見による差別)に基づく軽蔑」である。

相手の能力を理由として相手を見下して軽蔑するのは、相手の能力を分析するという面倒な手間を掛けねばならず、あまり手軽に軽蔑できない。一方で、相手の容貌・外見を理由として相手を見下して軽蔑するのは、相手の能力を分析するという面倒な手間を掛ける必要がなく、とても手軽に軽蔑できる。

また、「人が人を軽蔑することが盛んに行われる社会」の中で「容貌がブサイクな人に対する軽蔑」に次ぐ手軽さを持つ軽蔑は「外国語を理解できない人に対する軽蔑」である。

外国語を理解できるかどうかの能力はすぐに判明する。ビジネスの会議で外国語を使用してみたり[80]、大きなイベントの標語に外国語を使用してみたりする[81]。そうした外国語を理解できずにキョトンとした表情をする人を見つけたら、すぐさま「外国語を理解できない人に対する軽蔑」をすることができる。
  

性質その17 政治家とカルト宗教団体の癒着

新自由主義を採用する国では保護関税が撤廃されて自由貿易が盛んになり、発展途上国の低賃金労働者が作った製品が先進国に大量に流入するようになる。そうなると先進国の企業経営者が労働者に向かって「我々経営者は、君よりも安い賃金で君と同じ働きをする労働者を、発展途上国においていくらでも見つけることができる」と言って労働者に賃下げを受け入れることを迫ったり、「発展途上国の労働者に君たちと同じ賃金を支払うと、君たちよりもずっと活発に働いてくれる」と言って労働者に労働強化(実質的な賃下げ)を迫ったりするようになる。そうした言葉を頻繁に聞かされる労働者たちは「自分たちは高い賃金をもらう資格があるのだろうか・・・」と自信を喪失していく。

自信を喪失した人間は自分以外の誰かを攻撃することで自信を取り戻そうとする習性があるのだが、先進国の労働者もそういう性質を持っている。新自由主義がはびこる国では、人々が攻撃を好むようになる。そして人々が「攻撃的言動を繰り返す政治指導者」を見て「自分のしたいことを実現している人だ」と思うようになり、人々が「攻撃的言動を繰り返す政治指導者」を熱烈に支持するようになる。

ここまでは前項目のおさらいである。

そして、新自由主義がはびこる国では、人々が「攻撃的な姿勢を保つ宗教団体」に傾倒する現象も拡大していく。

新自由主義がはびこる国では、攻撃的な姿勢を保つ宗教団体が勢いを拡大する。「宗教団体を弾圧する共産主義国」や「自分たちと敵対する宗教団体」や「自分たちの団体に所属しておきながら財産を寄付しようとしない人」や「自分たちの団体から脱退しようとする人」に対して非常に攻撃的になる宗教団体は、カルトとも呼ばれる。自由貿易による賃下げ圧力で自信を破壊されていて何かを攻撃することで自信を取り戻したいと思っている労働者は、そうしたカルト宗教団体を見ると「自分のしたいことを実現している団体」と思い込み、心を奪われることになる。

新自由主義がはびこる国では、勢いを拡大したカルト宗教団体が、攻撃的言動を繰り返す政治指導者に対して手厚い支援をするようになる。攻撃的な姿勢を保とうとするカルト宗教団体にとって、攻撃的言動を繰り返す政治指導者はまさしく理想像であり、後光が差すような存在であり、信仰対象の1つである。

一方で、攻撃的言動を繰り返す政治指導者にとって、カルト宗教団体は気の合う仲間であり、強固な支持基盤であり、頼りになる相棒である。攻撃的言動を繰り返す政治指導者は、政治的に対立する出版社・テレビ局の「表現の自由」を抑圧したいと考えているが[82]、カルト宗教団体はその手伝いをしてくれる可能性がある。カルト宗教団体はデモ隊を組織して自分たちを批判する出版社・テレビ局の社屋を取り囲むことがあるし[83]、「電話抗議隊」のようなものを組織して自分たちを批判する出版社・テレビ局へ電話で猛烈な抗議をすることがあるからである[84]

つまり、攻撃的言動を繰り返す政治指導者にとって、カルト宗教団体はナチスの突撃隊[85]のような役割を受け持ってくれる可能性がある存在であり、私兵組織になってくれる可能性がある存在である。

攻撃的言動を繰り返す政治指導者にとって、カルト宗教団体はある種の民間軍事会社(PMC)であり、ある種の傭兵である。もちろん、カルト宗教団体が保持する武器は抗議電話ぐらいだが、それでもなかなかの攻撃力があり、抗議先の通信業務を麻痺させる程度の実力がある。しかも、カルト宗教団体の抗議というのは宗教的情熱が入り混じった執念深いもので、粘着性と継続性がやたらと高く、「この人たちは何をしでかすか分からない」と周囲に思わせるものなので、抗議先をおびえさせて萎縮させる能力が非常に高い。カルト宗教団体の信者は、抗議電話をすることに関して一流の人材であり、最上級の精鋭である。

攻撃的言動を繰り返す政治指導者は、カルト宗教団体のイベントに参加しつつカルト宗教団体の教祖に対して「敬意を表する」と発言することがある。ただのリップサービスとしてそういう発言をすることもあるが、「抗議電話をすることに関して一流の人材を大量に生み出していて、本当に凄い」という感嘆の気持ちを抱えつつ、心底からの本音でそういう発言をすることもある。

攻撃的言動を繰り返す政治指導者は、ネット上での世論操作をするための組織を作り上げ、そうした組織に誰でも参加できるようにすることがある[86]。カルト宗教団体は、信者たちに対して「攻撃的言動を繰り返す政治指導者が結成した世論操作組織に参加せよ」と指示をする可能性がある。

カルト宗教団体は教祖を絶対視することが多い団体であり、教祖の指示を忠実に守る信者が多い。このため統制がとれており、数万の単位の人員が教団幹部の指示に従って一糸乱れず同じことをすることを得意としている。

カルト宗教団体は、攻撃的言動を繰り返す政治指導者の応援団となり、「攻撃的言動を繰り返す政治指導者による政権」を批判する報道をする出版社・テレビ局に大量の抗議電話を送りつける可能性がある。もしそうなったら、出版社・テレビ局が萎縮し、「攻撃的言動を繰り返す政治指導者による政権」を批判する報道をとりやめ[87]、「攻撃的言動を繰り返す政治指導者による政権」を礼賛する報道ばかりをするようになる。国内で礼賛報道一色になるので、「攻撃的言動を繰り返す政治指導者による政権」の支持率が高くなり、長期安定政権になっていく。つまりカルト宗教団体は、攻撃的言動を繰り返す政治指導者にとって、報道統制装置になる可能性があり、世論操作装置になる可能性があり、支持率押し上げ装置になる可能性があり、政権延命装置になる可能性がある。

さらにカルト宗教団体は、選挙になったら信者に対して「あの候補者に投票せよ」と指示することがあり、組織票を提供する存在である。

新自由主義が主流となる国では様々な職場で労働強化が進み、労働者が長時間労働に束縛されるようになり、労働者が政治に関心をもつほどの余暇を得にくくなり、選挙の投票率が下がる傾向になる[88]。そういう状況ではカルト宗教団体の組織票が決定的に重要になり、カルト宗教団体の組織票が政治家の選挙の当落を決めるようになる[89]

さらにカルト宗教団体は、選挙になったら信者に対して「あの候補者の選挙運動に協力せよ」と指示することがあり、選挙運動員という労働力を提供する存在である。

新自由主義が主流となる国では様々な職場で労働強化が進み、労働者が長時間労働に束縛されるようになり、労働者が余暇を得にくくなり、選挙運動に参加する人が減る傾向になる。そういう状況ではカルト宗教団体の労働力提供が非常に重要になり、カルト宗教団体の選挙運動員が政治家の選挙活動を大いに助けることになる。

日本の選挙においては、選挙運動員が有権者に電話を掛けて投票をお願いする電話作戦が効果的とされている。そして、組織的に大量の電話を掛けることはカルト宗教団体が得意とする分野である。

カルト宗教団体の信者は宗教的情熱を政治的情熱に変換して勢いよく政治活動することが多く、政治家に好かれることが多い。このため、カルト宗教団体の信者は政治家の選挙運動員になるだけに留まらず、政治家の秘書になることが多い[90]

カルト宗教団体の信者は、日頃から霊感商法で教団にお金を巻き上げられていて、貧乏に耐える能力を得ていることが多い。その場合は、政治家の選挙運動員や秘書になって政治家に無給または薄給で酷使される立場になっても、健気に耐え抜くことができる。

カルト宗教団体は攻撃的言動を繰り返す政治指導者に対し、抗議電話による報道統制をして間接的支援をしたり、選挙において組織票や運動員を提供して直接的支援をしたりする存在であり、攻撃的言動を繰り返す政治指導者にとって非常に役に立つ存在である。

このため、攻撃的言動を繰り返す政治指導者はカルト宗教団体へ好意的な態度を示し、カルト宗教団体の機関誌の表紙に登場したり、カルト宗教団体のイベントにビデオメッセージを送ったりして、自ら進んでカルト宗教団体の広告塔になる[91]。また、カルト宗教団体のイメージを様々な手法で保護するようになる[92]。そして、カルト宗教団体の教祖や幹部の表現を真似して、カルト宗教団体の思想が優れているように宣伝する[93]

さらに、カルト宗教団体の支持を受ける政治家やその子分は、国家公安委員会委員長(略称:国家公安委員長)に就任して国内の警察を指揮することがある。そうなれば、カルト宗教団体の支持を受ける政治家は、「カルト宗教団体が組織的に行う大量の抗議電話は刑法第234条に違反しており威力業務妨害罪である」とか「カルト宗教団体が行う霊感商法を取り締まってくれ」という通報が一般市民から警察に寄せられても、警察が事件にしないように警察に圧力を掛けることができる[94]。カルト宗教団体が治外法権の存在となり、法の枠組みを外れた存在となり、法を超越した存在になり、思う存分に抗議電話や霊感商法をする存在になる。

ちなみに、カルト宗教団体が警察などの行政機関の干渉を回避しようとするときに発する声明の定番は「日本国憲法第20条で保障される信教の自由を尊重すべきだ」というものである。しかし、憲法学の教科書では「基本的人権は一切制約されないわけではない。基本的人権が絶対的とされるのは、他者に危害を加えない限りにおいてのみである」と述べられている[95]。霊感商法で他者の財産に大いなる危害を加えたり、結婚の強要で他者の自由に大いなる危害を加えたりしているカルト宗教団体に対し、他者加害原理に基づいて「信教の自由」という基本的人権を剥奪して解散命令を発することは、大いにあり得ることである。

カルト宗教団体は「信者を監視して信者の脱退を防ごう」という意向が強い組織なので、組織内におけるホウレンソウ(報連相)[96]が徹底されており、信者のプライベート情報を共有する体制が整っている[97]

そしてカルト宗教団体は、信者を秘書として派遣した先の政治家についても「あの政治家は我々の身内である。あの政治家をしっかり監視して我々の集まりから脱退することを防ごう」と考える危険性が高く、組織内においてホウレンソウ(報連相)を徹底して政治家の情報を共有する危険性が高い[98]。カルト宗教団体の信者が政治家の秘書になって政治家の金銭スキャンダルや性的破廉恥スキャンダルを把握したら、教団の幹部に連絡する危険性が高い。そうなると、政治家に対して信者を秘書として派遣したカルト宗教団体は、政治家の弱みを握るようになり、いつでもマスコミに情報をリークできるようになり、好きなときに政治家に対して報復できるようになる。弱みを握られた政治家はカルト宗教団体から離れることができなくなり、カルト宗教団体と運命共同体になる。

新自由主義がはびこる国では、攻撃的言動を繰り返す政治指導者とカルト宗教団体が融合し、合体し、連動するようになる。


攻撃的言動を繰り返す政治指導者を広告塔にしたカルト宗教団体は、政治家のお墨付きをもらって清潔なイメージを身にまとうようになり、霊感商法を順調に行うようになり、収益を増やし、当期純利益を積み上げ、安定的な経営を謳歌するようになる。

「攻撃的言動を繰り返す政治指導者を広告塔にしたカルト宗教団体が行う霊感商法の被害者」に対して、「攻撃的言動を繰り返す政治指導者の支持者」は冷淡な態度を取ることが多い。「攻撃的言動を繰り返す政治指導者が安定した政権運営をしているおかげで国家が大きな利益を得ている。霊感商法の被害などは国家にとってほんの小さな損失に過ぎない」などと喋り、霊感商法の被害者に我慢と忍耐をするように求めることが多い。

新自由主義が流行する国では、「倒産しにくく永続しやすい企業」を建設するために新自由主義者が労働者に対して我慢と忍耐を求め、滅私奉公の精神を求め、犠牲を払うことを求めることが広く行われる。そういう国では、「攻撃的言動を繰り返す政治指導者による安定的な政権」を建設するために「攻撃的言動を繰り返す政治指導者の支持者」が「攻撃的言動を繰り返す政治指導者を広告塔にしたカルト宗教団体が行う霊感商法の被害者」に対して我慢と忍耐を求め、滅私奉公の精神を求め、犠牲を払うように求めることも広く行われる。こうした世相は、人が人の犠牲(いけにえ)を求める世相である。ゆえに新自由主義のことを新・犠牲主義 とか新・いけにえ主義 と表現することができる。

新自由主義者も「攻撃的言動を繰り返す政治指導者の支持者」も、「○×のためには犠牲がつきもの」と考えて犠牲者の発生を肯定する傾向があり、冷酷な人格の持ち主であり、抗争の際に子分を鉄砲玉にして使い捨てるヤクザのような思考回路の持ち主である。このため新自由主義のことを新・冷酷主義 とか新・ヤクザ主義 と表現することができる。

新自由主義者は「『倒産しにくく永続しやすい企業』を建設すれば巨大な利益が生まれるのだ」と主張するし、「攻撃的言動を繰り返す政治指導者の支持者」は「『攻撃的言動を繰り返す政治指導者による安定的な政権』を建設すれば巨大な利益が生まれるのだ。国際社会において日本の存在感が高まり、日本が世界中から頼られて尊敬される国になり、日本がものすごく偉い国になるのだ」と主張する。利益を過剰に強調することで、その利益を得るための犠牲者の存在感を小さく見せかけ、「犠牲者を見殺しにした」という批判が弱まることを期待している。新自由主義者も「攻撃的言動を繰り返す政治指導者の支持者」も批判に弱くて打たれ弱く、ノミの心臓の持ち主で根性無しなので、そういう工夫をして自己防衛して自己弁護する。


新自由主義者は、株主から遠く離れた従業員を「企業の経営を傾かせる原因」とみなして深く憎悪し、そういう従業員から人件費削減の名目でお金を巻き上げ、株主や株主に近い経営者を「企業の経営を引っ張る偉大なカリスマ」と盲信し、そういう人々に大量のお金を与える傾向がある。

カルト宗教団体も全く同じで、教祖から遠く離れた信者を「教団に災厄をもたらす罪深い存在」とみなして深く憎悪し、そういう信者から献金の名目でお金を巻き上げ、教祖を「教団を引っ張る偉大なカリスマ」と盲信し、教祖に大量のお金を与える傾向がある。

「人を深く憎悪して人からお金を取り上げ、『神(株主、信仰対象)』や『神に近い存在(経営者、教祖)』を深く愛してそういう連中にお金を与える」というのが新自由主義とカルト宗教団体の共通点である。

新自由主義者やカルト宗教団体の放つ言葉には人に対する深い憎悪がこもっている。このため新自由主義のことを新・憎悪主義とか新・ヘイト主義とかネオ・ヘイトイズム(Neo hateism)と表現することができる。

新自由主義が流行る国では、カルト宗教団体が攻撃的言動を繰り返す政治指導者を広告塔にして順調に霊感商法を行うようになるので、人々の財産が危険にさらされることになり、治安という点で問題の多い状態となる。このため新自由主義のことを新・危険主義 と表現することができる。

新自由主義者は治安の悪化を気に病むことが少なく、それどころか、むしろ治安の悪化を望む傾向がある。治安が悪化すると人々の不確実性が増大し、皆が「将来は自分や家族が犯罪に巻きこまれるかもしれない」と不安に思うようになり、消費をとりやめて予備的貯蓄をするようになる。そうなると人々が次第に「消費を楽しみにせず長時間労働ばかりするロボット」に変化していき、社会全体の生産力が上がり、新自由主義者にとって夢のような世界になる。このため新自由主義者は心の奥底で治安の悪化を望み、「霊感商法で人々の財産に危害を加えるカルト宗教団体を取り締まって良好な治安を維持しよう」という提案に対して「カルト宗教団体は非常に小さい問題である」とか「そんなことよりももっと大事なことがある」と述べ立てて相手にせず、カルト宗教団体が霊感商法で暴れ回って治安を悪化させることを黙認する傾向がある。

カルト宗教団体は、何らかの事情で精神力が弱くなった人々に襲いかかり、霊感商法を行って財産を奪い取っていく存在であり、弱肉強食の権化のような存在である。そして新自由主義が勢いを増す国では株主至上主義が国家を席巻し、立場の強い企業経営者が立場の弱い従業員や協力企業に対して威圧的に接しつつ人件費や「協力企業に支払う費用」を目一杯削ることが賞賛され、弱肉強食の社会構造が大いに肯定される。

精神力が弱った人々に襲いかかって霊感商法で財産を巻き上げるカルト宗教団体と、立場の弱い人々に襲いかかって「人件費削減、協力企業に支払う費用の削減」という名目で財産を巻き上げる新自由主義者は、いずれも弱肉強食を体現する存在であり、よく似たところがある。新自由主義の国でカルト宗教団体が躍動するのは、新自由主義とカルト宗教団体に親和性があるからである。

新自由主義者は、まず保護関税を撤廃して自由貿易を導入し、低価格の外国製品を大量に国内へ流入させる。そして国内の労働者に対して「君らは発展途上国の労働者と同じ働きをしているのに、発展途上国の労働者よりもずっと高い賃金をもらっている」と罵倒して、国内の労働者の自信を破壊し、国内の労働者の精神力を弱らせる。そうしてからじっくりと料理に取りかかり、人件費を目一杯削減して、国内の労働者から給料という名の財産を巻き上げて、弱肉強食を楽しむ。

カルト宗教団体は新自由主義者を深く尊敬しているので、そうした新自由主義者の行動をしっかりと真似している。カルト宗教団体は「君の悪い行動で君は地獄に落ちるし、君の家族も地獄に落ちる」などと宣告して信者の自信を破壊し[99]、信者の精神力を弱らせる。そうしてからじっくりと料理に取りかかり、壺や印鑑や書籍を超高額で売りつけて[100]、信者から財産を巻き上げて、弱肉強食を楽しむ。

新自由主義者は兄であり、カルト宗教団体は弟である。新自由主義者とカルト宗教団体の兄弟はとても仲が良く、お互いに刺激しあって切磋琢磨しており、「人の精神力を弱らせてから財産を巻き上げて弱肉強食を実現する」という行為の腕前をそろって高めている。

新自由主義者とカルト宗教団体はよく似た存在であるので、新自由主義を新・カルト主義 と表現することが可能である。


政治家とカルト宗教団体が癒着することを防ぐには、投票率を上げるのが一番効果的である。投票率が上がって投票総数が増えれば、投票総数に対するカルト宗教団体の組織票の割合が小さくなり、カルト宗教団体の組織票の威力が弱体化するので、政治家がカルト宗教団体を軽視するようになる。また投票率が上がって浮動票が増えれば、候補者が浮動票を獲得することを優先するようになり、「あの候補者は、霊感商法で悪名高いカルト宗教団体のイベントに出席してその宗教団体の教祖に敬意を表しており、まことにいかがわしい人物である」という噂が流れて浮動票が一気に離れることを候補者が恐れるようになり、候補者がカルト宗教団体から離れるようになる。

投票率を上げるにはいくつかの方法がある。そのうちの1つは義務投票制を導入し、正当な理由がないのにもかかわらず選挙の投票を怠った者に対して罰金を科すという方法である。あるいは、選挙で投票した人に「投票報奨金」などの名称のお金を政府から給付する制度を整備してお金で有権者を釣るという方法もある。

いずれの方法も、緊縮財政を信奉する新自由主義者が猛反対する。義務投票制なら「正当な理由があるかどうかを審査する人材や罰金を科す事務をする人材を確保せねばならず人的コストがかかる」と批判し、投票報奨金制なら「お金を支払うコストがかかる」と批判する。

また新自由主義者は、世の中の企業の人件費が増大して税引後当期純利益が減少することを非常に嫌うため、「給料が上がってほしい」といったような民意が政治に反映されることを嫌がる傾向がある。このため新自由主義者は選挙の投票率が上がることをあまり望んでおらず、投票率が低いままであることを許容する傾向がある。新自由主義者は「投票率が上がって馬鹿な大衆が投票所に押しかけるようになったら、頭が悪くてくだらない積極財政政策が推進されるようになり、その影響で世の中の企業の人件費が上がってしまう」とか「投票率が低いままで馬鹿な大衆が投票所に寄りつかない状態なら、利口で立派な緊縮財政政策が推進されるようになり、その影響で世の中の企業の人件費が下がってくれる」と考える傾向がある。

こうした新自由主義者の影響によって、政治家とカルト宗教団体の癒着が続く社会になる。


新自由主義者はエリート主義を信奉する傾向があり、民主主義を嫌って貴族政治(アリストクラシー)を好む傾向があり、「選挙の投票というのは、政治に興味と関心があって政治に関する知識がある知的エリートだけが独占的に行うのが本来の姿だ」と考える傾向がある。このため「政治には興味も関心もなく、政治のことは全く分からないので、候補者の顔つきや人柄で投票を決める」といった程度の人々が選挙の投票をすることを嫌がる傾向がある。

政治には興味も関心もなく政治のことは全く分からない人であっても、「『霊感商法で悪名高いカルト宗教団体のイベントに出席してその宗教団体の教祖に敬意を表する候補者』に投票すべきではない」といった程度のことなら十分に判断できるのだが、新自由主義者はそうした現実を直視せず、大衆の判断力を信頼しようとしない。「政治には興味も関心もなく政治のことは全く分からない人は、すべて排除してしまえ」という思想を持つ傾向がある。

新自由主義はエリート主義で「知性がある人のみが投票すべきだ」との信条を抱えがちである。ゆえに新自由主義が主流の国では、選挙が荘厳な雰囲気に包まれる傾向があり、選挙の雰囲気が知性に満ちたものになる傾向がある。しかし、その反動として浮動票が少なくなり、組織票の威力が強くなり、「霊感商法で悪名高いカルト宗教団体のイベントに出席してその宗教団体の教祖に敬意を表する候補者」を落選させることが難しくなり、社会の自浄作用が弱くなる。

反・新自由主義は平等主義で「知性がない人もどんどん投票すべきだ」との信条を抱えがちである。ゆえに反・新自由主義が主流の国では、選挙が大衆迎合的な雰囲気に包まれる傾向があり、選挙の雰囲気が知性の欠けたものになる傾向がある。しかし、その見返りとして浮動票が多くなり、組織票の威力が弱くなり、「霊感商法で悪名高いカルト宗教団体のイベントに出席してその宗教団体の教祖に敬意を表する候補者」を落選させることが容易になり、社会の自浄作用が強くなる。

以上のことをまとめると次の表のようになる。
 

新自由主義 反・新自由主義
選挙の投票はどのように行われるべきか エリート主義。政治に興味・関心があって政治に対して深い知識を持つ者のみが選挙の投票をするべきだ。制限選挙の導入をしてもよい 平等主義。「政治には興味も関心もなく、政治のことは全く分からないので、候補者の顔つきや人柄で投票を決める」といった程度の人々も投票するべきだ。普通選挙であるべきだ
選挙の投票率はどうなるべきか 低迷してくれて構わない。「政治には興味も関心もなく、政治のことは全く分からないので、候補者の顔つきや人柄で投票を決める」といった程度の人々が選挙の投票にやってきたら、政治が惑わされ、政治が混迷してしまう。そういう人たちは投票しなくてよい 100%に近い数字にまで上昇させるべきだ。「政治には興味も関心もなく、政治のことは全く分からないので、候補者の顔つきや人柄で投票を決める」といった程度の人々がやってくるので知性の欠けた大衆迎合的な雰囲気になるが、そうなっても構わない
圧力団体の組織票 浮動票がやたらと少ないので、存在感を増す 浮動票がやたらと多いので、存在感を失う
「霊感商法で悪名高いカルト宗教団体のイベントに出席してその宗教団体の教祖に敬意を表する候補者」がどうなるか 浮動票がやたらと少ないので、組織票の支持を固めて楽々当選する 浮動票がやたらと多いので、あっさり落選する
社会の自浄作用がどうなるか 自浄作用が弱い社会になる 自浄作用が強い社会になる

 

国会議員の中には、知名度に恵まれて当選するタレント議員が存在する。元・芸能人の議員とか、元・スポーツ選手の議員のことである。そして、知名度に恵まれて当選するタレント議員の中にも聡明で立派な議員と馬鹿で間抜けな議員の2種類が存在する。

世の中には体裁や名誉を気にする人がいる。そういう人は「国家の代表ともいうべき国会議員は、全員が聡明で立派な人物であるべきである」とか「国家の代表ともいうべき国会議員の中に馬鹿で間抜けな人物が混入したらとても恥ずかしい」と考える傾向があり、「知名度だけは恵まれている馬鹿で間抜けなタレント議員」を徹底的に嫌う。

そして、体裁や名誉を気にする人は、選挙の投票率が上がることを嫌がり、選挙の投票率が低迷することを望む。選挙の投票率が上がると「政治には興味も関心もなく、政治のことは全く分からないので、候補者の知名度で投票を決める」といった人が投票するようになり、「知名度だけは恵まれている馬鹿で間抜けなタレント候補」が当選する可能性が高まるからである。

しかし、体裁や名誉を気にする人が望むとおりに選挙の投票率を低迷させて「知名度だけは恵まれている馬鹿で間抜けなタレント候補」が当選しにくい状況にすると、カルト宗教団体の組織票が存在感を増し、政治家がカルト宗教団体と癒着するようになる。政治家のお墨付きをもらったカルト宗教団体が大いに霊感商法を行うようになり、その被害者の涙が大地を流れて川になり、苦痛と不幸の嵐が発生し、恐るべき暗黒の社会になる。

体裁や名誉を気にする人の欲望を尊重すると、カルト宗教団体が猖獗(しょうけつ)を極めるようになる。

「知名度だけは恵まれている馬鹿で間抜けなタレント議員を見るのは恥ずかしい」という羞恥心が、カルト宗教団体の躍動の原因になる。

「投票率を上げると『知名度だけは恵まれている馬鹿で間抜けなタレント候補』の当選が増えるが、『霊感商法で悪名高いカルト宗教団体のイベントに出席してその宗教団体の教祖に敬意を表する候補者』が落選しやすくなる。『知名度だけは恵まれている馬鹿で間抜けなタレント議員』の存在は、政治家とカルト宗教団体の癒着を防ぐための費用と割り切るべきだ」と説得して、体裁や名誉を気にする人の願望を無視して、選挙の投票率を上げる政策を導入することが望ましい。
 

性質その18 内需の軽視や「内需に対して国内企業が供給すること」の軽視

新自由主義が優勢になる国では、政府が緊縮財政を採用することで国内の官公需[101]が減少し、労働者の賃下げが進んだり労働者の給料の不確実性が増して労働者が貯蓄志向に走ったりすることで国内の民需[102]が減少し、内需 [103]が減少していく。

新自由主義者の一部は「内需が増えると、不足する国内供給を増やすため原材料の輸入が増え、不足する国内供給を補うため完成品の輸入が増え、結果として輸入が増える。また内需が増えると、輸出に回すべき完成品の商品が内需に食い潰されることで輸出が減る。つまり内需が増えると輸入が増えて輸出が減る」と論じ、続いて「固定相場制や中間的為替相場制を採用しているのなら、輸入増加と輸出減少で政府の外貨準備高が減り、国家にとって大きな損失となる。変動相場制を採用しているのなら、輸入増加と輸出減少で自国通貨が安くなり、生産に必要な原材料の輸入量が少なくなって生産が減って、国家にとって大きな損失となる。いずれの場合でも、内需は国家の損失をもたらすものであり、できるだけ削減すべきである」と論じ、内需を敵視することがある[104]

新自由主義者が重視するのは外需 [105]である。「外需に対応して輸出を増やせば、固定相場制や中間的為替相場制を採用しているのなら政府の外貨準備高が増えるし、変動相場制を採用しているのなら自国通貨が強くなって生産に必要な原材料の輸入量が増えて生産が増加する。外需は、政府の外貨準備高の増加か、または生産の強化をもたらすものであり、できるだけ増加させるべきである」と論じて外需のことを宝石のように扱う。

そして「日本の人口は1億2512万人で、日本を除く全世界の人口は77億5000万人ぐらいである。ゆえに内需にこだわらず、狭苦しい日本市場に閉じこもらず、ひたすら外需を狙っていくのが経済戦略として正しい道だ」と主張し、TPPやFTAといった貿易協定を結んで海外市場の開拓に励もうとする。このため、新自由主義者が経済を主導すると内需が縮小して外需が拡大していき、外需依存の国になる。

外需を拡大するためにTPPやFTAといった関税撤廃型の貿易協定を結ぶと、貿易相手国の関税を引き下げて外需の拡大に成功するが、その代償として自国の関税も下がって、「内需に対して国内企業が供給する」ということが難しくなっていく。

新自由主義者は内需だけでなく「内需に対して国内企業が供給する」ということも敵視する傾向がある。「内需に対して国内企業だけが供給する状態だと、政府が市場を統制したり民間人同士で談合したりして競争原理が働かなくなり、製品価格が上昇し、製品の品質が陳腐化していく。ゆえに内需に対して国内企業が供給することを削減し、内需に対して海外企業が自由に参入できるようにしよう」と主張する。

ちなみに「内需に対して国内企業が供給する」というのは消費者と生産企業の距離が近い形態である。内需に対して国内企業が欠陥商品・イマイチ商品を販売した場合、消費者と生産企業の間に国境の壁や言語の壁がないので「欠陥商品・イマイチ商品を買わされた消費者が企業の本社に猛抗議する」ということが起こりやすい。消費者の苦情が生産企業に届きやすく、消費者の苛烈な要求によって生産企業が鍛えられやすく、企業の製品の品質が向上する流れが起こりやすい。

いっぽう「外需に対して国内企業が供給する」とか「内需に対して海外企業が供給する」というのは消費者と生産企業の距離が遠い形態である。外需に対して国内企業が欠陥商品・イマイチ商品を輸出したり内需に対して海外企業が欠陥商品・イマイチ商品を輸出したりした場合、消費者と生産企業の間に国境の壁や言語の壁があるので「欠陥商品・イマイチ商品を買わされた消費者が企業の本社に猛抗議する」ということが起こりにくい。消費者の苦情が生産企業に届きにくく、消費者の苛烈な要求によって生産企業が鍛えられることが起こりにくく、企業の製品の品質が向上する流れが起こりにくい。

「内需に対して国内企業が供給すると、消費者の苛烈な要求によって国内企業が技術力を高め、国内企業が世界で通用する品質の製品を作るようになる。企業を内需でシゴいてから外需の開拓をさせるべきである」「内需で国内企業を鍛えることにより製品の品質が良くなり、自然と輸出が伸びる」「内需は国内企業にとって教師である」というのがひとつの考え方であるが、新自由主義者はそういう考え方をするのが苦手である。

新自由主義者は「消費者の苛烈な要求によって生産企業が鍛えられる」と発想すること自体を苦手にしているようであり、「生産企業自身の決意や心がけによって生産企業が鍛えられる」という発想を好む傾向がある[106]

新自由主義者が好む経済理論は比較優位である。比較優位とはイギリスの経済学者デヴィッド・リカードが提唱した考え方で、ごく簡単に言うと「国家は、自国の得意とする分野の生産に特化すべきであり、自国が得意としない分野において自国生産をとりやめて貿易によって賄うべきである。つまり国際分業をすべきである。そうすると世界全体の富が増大する」というものである[107]

これを言い換えると「国家は得意分野において『内需に対して国内企業が供給する』という形態と『外需に対して国内企業が輸出して供給する』という形態を行い、不得意分野において『内需に対して海外企業から輸入して供給する』という形態だけを行うべきだ」となる。

「消費者の苛烈な要求により企業は製品の品質を向上させる」という考え方から論ずると「比較優位の考え方に従うと、国家は不得意分野において『内需に対して海外企業から輸入して供給する』という形態に頼ることになり、消費者と企業の距離が遠い形態になり、消費者の要求が企業に届きにくくなり、自国消費者が自らの要求するような高品質の製品を受けられなくなる危険が増える。自国消費者は『望ましくない品質の製品で我慢しよう』と考えるようになり、より好ましい品質の製品を欲しがる心が弱まり、文明の停滞が発生する。比較優位の考えは望ましくない」ということになる。

「消費者の苛烈な要求により企業は製品の品質を向上させる」という考え方は製品の品質を重視する考え方であり、比較優位の考え方は製品の物量を重視する考え方である。比較優位の考え方を好む新自由主義者の姿は「質より量 」という言葉が当てはまるものであり、新・物量主義 と表現することができる。
  

性質その19 観光業の重視

新自由主義が盛んになる国で重視されるのは観光業である。「観光立国」という看板を掲げ、インバウンド(外国人観光客)をひたすら呼び込もうとする。

新自由主義が勢いを持つ日本では、2006年に観光立国推進基本法が可決された。そして2016年にIR推進法が可決され、2018年にIR実施法が可決され、IR(統合型リゾート)を整備する法律が作られた。これらの法律によって、カジノなどの施設を作って外国人観光客を呼び込もうとする政策が推進される。

観光業というのは、新自由主義者にとって二重の意味で好ましい産業である。

観光業で外国人観光客を呼び込んで買い物をしてもらうとする。こうした外国人観光客の買い物は外需とされ、外国人観光客への販売は輸出とされる。「外需に対して輸出する」というのは新自由主義者が最も重視する経済行動である。

また、観光業というのは正規雇用が少なくて非正規雇用が多いことで有名である[108]。観光業は繁忙期と閑散期の波が激しく、正規雇用して正社員を増やすことが難しく、アルバイト・パート・派遣社員・契約社員といった非正規雇用の形態で従業員を雇用せざるをえないのが実情である。

新自由主義者は解雇規制の緩和を目指しており、「正社員は解雇しにくく、まさに既得権益である。正社員という雇用形態を消滅させて、全ての労働者を解雇しやすい非正規雇用にしてしまおう」と論ずることが多い[109]。そうした新自由主義者にとって、非正規雇用が多い観光業はまさしく理想の業種である。

非正規雇用の割合が多い観光業を増やすことで、観光業以外の業種に勤める人々に対して「観光業の人たちが非正規雇用で生活しているのだから、君たちも非正規雇用で生活できるはずだ」と圧力を掛ける。これが新自由主義者の目標の1つである。

反・新自由主義者は、「正規雇用が多い業種を育成し、給料の確実性・安定性に恵まれた労働者を増やすべきだ」と論じるのが常である。そして「観光業を重視すると世の中の非正規雇用が増えてしまい、給料の不確実性・不安定性に悩まされる労働者が増えてしまう」と論じ、観光立国の政策に対して反対の立場を取ることが多い[110]

新自由主義者は観光業を重視するので、休日分散についても賛成する傾向がある。

休日分散とは、1つの国をいくつかの地域に分け、地域ごとに大型連休をずらして取得させることをいう。例えば、「5月1日~5日に北海道・東北・関東甲信越が休暇に入り、5月6日~10日に東海・関西・中国・四国・九州・沖縄が休暇に入る」といった具合に休暇を分散させる。

休日分散の利点は、道路の渋滞や新幹線・飛行機の混雑が減り、宿泊施設の宿泊代も安くなり、観光業にとっての閑散期が減って観光業の企業の売上が増える、といったところである。従来どおりに全国一斉に休暇を取ると、道路の渋滞や新幹線・飛行機の混雑が強烈になり、宿泊施設の宿泊代も高くなり、観光業にとっての閑散期が発生して観光業の企業の売上が低いままになる。

休日分散の大きな欠点は、遠隔地に住む友人・家族と同時に休暇を取ることができず、人々の間で分断が進んでしまうところである。先ほどの例のように「5月1日~5日に北海道・東北・関東甲信越が休暇に入り、5月6日~10日に東海・関西・中国・四国・九州・沖縄が休暇に入る」という制度を導入すると、「北海道で就職した人が5月3日になって関西に帰省しても、関西に住んでいる友人・家族は休暇期間に入っておらず、会えない」というような、非常に残酷なことになる。
 

性質その20 資本移動の自由

新自由主義は資本移動の自由を追求する傾向がある。

国際金融のトリレンマに従うと3種類の国家のみが地球上に存在することになる。そのうち1種類が資本移動を制限する国家で、残りの2種類が資本移動を自由化する国家である。

ブレトンウッズ体制が健在だった1945年~1971年は「資本移動を制限して、固定相場制または中間的為替相場制を採用し、自国の経済事情に合わせて金融政策を実行する国」の国家が多く、どこの国も資本移動が制限されていて、新自由主義の出る幕がなかった。

ブレトンウッズ体制が崩壊して新自由主義が盛んになった1980年代以降は世界中で資本移動の自由化が進み、「自由な資本移動を受け入れて、変動相場制を採用し、自国の経済事情に合わせて金融政策を実行する国」と「自由な資本移動を受け入れて、固定相場制または中間的為替相場制を採用し、他国の金融政策と連動した金融政策を実行する国」の国家ばかりになった。

資本移動が自由化されることにより、先進国の投資家が発展途上国の金融市場に乗り込んで現地の国債・社債・株式を買いあさる姿が日常のものとなる。19世紀の帝国主義・植民地主義とよく似た姿である。

通貨危機が起こりやすくなって金融市場が不安定になるというのが資本移動の自由化の欠点である。通貨危機をごく簡単に説明すると、A国で保有していた国債・社債・株式を売って得られたA国通貨を米ドルに両替しつつB国へ資本を移動させる投資家が大量に発生して、A国の通貨が異常に安くなりA国の輸入量が減ってA国が高インフレに苦しむことをいう。

通貨危機というと1992年のイギリス・ポンド危機、1992年のスウェーデン・クローナ危機、1997年のアジア通貨危機、2018年のアルゼンチン・ペソ危機、2018年のトルコ・リラ危機が有名だが、これらはいずれも資本を自由に移動させる機関投資家の手によって引き起こされたものである。
 

性質その21 移民受け入れ

新自由主義が猛威を振るう国家では、人々が賃下げと長時間労働に悩まされ、非婚化と少子化が進行し、人口が減少し、人手不足が深刻化していく。

自国の人口が減少していく現象に直面した新自由主義者は、「これは歴史の必然で、不可避である」とか「人口減少を悪いこととは考えず、決して問題視せず、肯定的にとらえて、楽天的な気分になろう」といった態度を示すことが多い[111]

労働者に鞭を振るって労働強化するときの新自由主義者は「『不可能はない』と思え。『できない』といったら嘘になる。人の可能性は無限大だ」などと威勢よく喋るのだが、人口減少に直面するときの新自由主義者は「人口減少を食い止めるのは不可能だ。人口減少に対して有効な対策を立てることができない。我々の可能性は無限に小さい」などと弱音を吐き、無気力そのものといった存在になる。こうした新自由主義者の姿は新・無気力主義 と表現することができる。

「賃下げと長時間労働を維持しつつ、人口減少を解決したい」と考える新自由主義者は、移民(外国人労働者)の受け入れを提唱することが多い。「移民によって国家に活力をもたらそう」などと言って、外国人技能実習制度のような移民を受け入れる法整備を進めていく。

結婚して家庭を持って出産して子育てして人材を輸出するのは発展途上国の人たちの役割で、結婚せず家庭を持たず出産せず子育てせず自己の能力開発に専念し労働に夢中になって労働に人生を捧げるのが先進国の人たちの役割だ」といった価値観が少しずつ世の中に広まる。こうした考えかたは一種の国際分業であり、「出産と労働の国際分業」と称すべきものである。

新自由主義が蔓延する国家では自由貿易が活発に行われ、安価な輸入品に対抗するため各企業が人件費の削減に励むことになり、企業の中で労働者の自信を破壊して賃下げすることが流行する。自信を破壊された労働者は自信を取り戻すため攻撃的な言動に熱中するようになる。

新自由主義が蔓延する国家において、自信を喪失した労働者たちが外国人労働者を攻撃対象にすることは全く珍しくなく、極めて一般的である。日本各地で暴言や暴力やパワハラの被害を受ける外国人労働者の姿が見られる[112]

新自由主義者は、「国家の人口が多いと、必ず国家の繁栄の原因となる」という思想を持つ傾向がある。戦後の日本がなぜ高度経済成長したかと問われると「人口が多くて人口ボーナスを享受したから」と答える傾向があるし、バブル崩壊以降の日本がなぜ経済停滞しているかと問われると「少子化が進んで人口が減少したから」と答える傾向がある。そして「日本を再生するには移民を増やして人口を増やせばよい」と考える傾向がある。

それに対して反・新自由主義者は、「国家の人口が多くても、必ず国家の繁栄の原因となるわけではない」という思想を持つ傾向がある。「労働者に給料の確実性・安定性を与えないまま移民を増やして人口を増やしても、『将来不安に備えてひたすら貯蓄に励む労働者』とか『長時間労働に忙殺されてロクに消費することができない労働者』だけが増えてさほど需要・消費が伸びない」と論じ、「労働者に給料の確実性・安定性を与える政策こそが優先されるべきだ」と論ずる。
  

性質その22 都市国家への回帰

新自由主義者は緊縮財政を志向して財政支出を削減しようとする傾向があるが、その中でも、中央政府から地方公共団体へ渡される国庫支出金[113]を削減することを好む。

さらに新自由主義者は、地方交付税[114]を敵視する傾向があり、「有力な産業がある豊かな地方公共団体に住む個人・企業から富を吸い上げて、ロクな産業がない貧乏な地方公共団体へ富をばらまく制度である」と猛批判する傾向がある[115]。地方交付税の制度を廃止することや[116]、「地方交付税の財源としていた国税」を全て地方税に変換してしまうことを主張する。

こうした政策は、新自由主義者の手にかかると「地方公共団体が有力企業の誘致を必死になって行うようになる政策であり、地方の自立を促す政策である」と美化され、反・新自由主義者の手にかかると「地方の荒廃をもたらす地方切り捨ての政策である」と厳しく批判される。


新自由主義者の言うとおりに国庫支出金を削減して地方交付税を廃止して地方に税源を移譲すると、豊富に産業を抱える地方公共団体の財源が大幅に増えて行政サービスが充実し、豊富に産業を抱えていない地方公共団体の財源が大きく失われて行政サービスが劣化する。つまり、地方公共団体の間での格差が強烈に拡大する。

その結果として、豊富に産業を抱えていない地方公共団体から人々が脱出して、豊富に産業を抱える地方公共団体に人々が流入していく。

新自由主義者の言いなりになると、豊富に産業を抱える地方公共団体において人口が増加して労働力の供給が増え、企業が人件費を安く買い叩いて賃下げできるようになる。企業は人件費の削減と税引後当期純利益の拡大と株主への配当金の増額と株価の釣り上げを行いやすくなり、新自由主義者にとって地上の楽園というべき状況になる。

豊富に産業を抱えていない地方公共団体のことを俗に表現すると「恵まれない土地」となる。また、豊富に産業を抱えている地方公共団体のことを俗に表現すると「恵まれた土地」となる。

恵まれない土地から逃げ出して恵まれた土地に住み着く人々が増えると、都市国家 という国家形態に近づいていく。

一方で、恵まれた土地から飛び出して恵まれない土地に住み着く人々が増えると、領域国家 という国家形態に近づいていく。

都市国家というのは人類の歴史の中で最初に出現した国家形態である。中国でもヨーロッパでもメソポタミアでもインドでも、まず最初に都市国家が出現して、そのあとに領域国家が出現した。そこから考えると、「国庫支出金を削減したり地方交付税を廃止したりして国家を都市国家の形態に近づけていく新自由主義者は、歴史を逆戻りさせる復古的な存在である」と見ることができる。

新自由主義は、「新(Neo ネオ)」という言葉を看板に掲げているので時代の最先端を走っている思想であるかのような印象を与えるが、別にそんなことはなく、歴史の最初期に逆戻りする復古的な思想である。

恵まれない土地に住み着いて領域国家を作り上げる行為は、冒険心・探検心・開拓心の発露と言うことができる。このため、「国庫支出金を削減したり地方交付税を廃止したりして恵まれない土地に住み着く人々を支援しない新自由主義者は、冒険心・探検心・開拓心をあまり持ち合わせていない人たちである」と見ることができる。

冒険心・探検心・開拓心を持っていない状態のことを俗に表現すると「引きこもり」となる。人々が恵まれた大都市圏へ引きこもることを肯定する新自由主義は、新・引きこもり主義 と表現することができる。


また、新自由主義は農業と林業と水産業(漁業)の自由化を求める思想である。海外から輸入される農産物や林産物や水産物への関税を引き下げる国際協定を結んで自由貿易を推進したり、政府が農産物や林産物や水産物の価格を統制することを廃止するように推進したりする[117]。こうした政策により、農業や林業や水産業が大打撃を受けるのだが、新自由主義者は「農業や林業や水産業がGDPに占める割合は非常に少ないので、それらの産業を潰しても全く問題にならない」という態度を示す[118]

多くの地方公共団体にとって、農業や林業や水産業は非常に重要な産業である。新自由主義者の政策によって農業や林業や水産業が衰退し、多くの地方公共団体が「豊富な産業を持たない地方公共団体」や「恵まれない土地」に没落していく。


新自由主義者の言うとおりの政策を実行すると、国内に人口が極めて希薄な地域(人口空白地域)が生まれることになる。日本は雨量が多くて植物が育ちやすい国なので、人口空白地域は草ぼうぼうの湿地になったり(画像)、雑木林が生い茂る山地になったりする(画像)。そういう場所は殺人事件などの凶悪犯罪の実行犯にとって望ましい場所であり、凶悪犯罪を犯したあとに証拠を隠滅するのに最適な場所である。人口空白地域は治安の悪化を引き起こしやすいものであり、発生させない方が望ましい。

つまり、治安の維持を優先するためには、新自由主義者の言うことを却下して人口空白地域の発生を押さえ込むことが望ましい。

新自由主義者といえば自助論が大好きで、経済的な苦境に陥った労働者を意地でも支援しようとしない傾向がある。しかし、そんな新自由主義者が無意識のうちに支援する存在があり、犯罪の証拠を人口空白地域に隠滅しようとする凶悪犯罪者である。新自由主義者は、国内に人口空白地域を作り出すことにより、「人目に付くことをひたすら恐れつつ証拠を隠滅する凶悪犯罪者」をしっかりと支援している。

凶悪犯罪者にとって、人口空白地域を作り出してくれる新自由主義者はとても頼りになる存在である。凶悪犯罪者は、「恵まれていない土地を開発するのは無駄で非効率的なので、そこから人を退避させて人口空白地域を作り出してしまおう」と主張する新自由主義者を見ると、「凶悪犯罪の証拠を安心して隠滅できるようになる」と考えて大喜びする。

新自由主義者は、労働者から給料の確実性・安定性を奪い取って労働者を不安に陥れることばかりしているのだが、その一方で、人口空白地域を作り出して凶悪犯罪者に「証拠隠滅の確実性・安定性」を与え、凶悪犯罪者を不安から解放している。

新自由主義者は、労働者に冷酷な仕打ちをしつつ、凶悪犯罪者に温かい支援の手を差し伸べている。

労働者が新自由主義者の顔を見ると「自分の給料の確実性・安定性を破壊する人だ」と察知して、陰鬱な表情になり、曇った表情になり、おびえた表情になる。一方で凶悪犯罪者が新自由主義者の顔を見ると「自分の凶悪犯罪の証拠隠滅の確実性・安定性を創造する人だ」と察知して、明るい表情になり、晴れやかな表情になり、安心した表情になる。

ここまでのことをわかりやすく表にすると、次のようになる。

凶悪犯罪者 労働者
新自由主義が優勢な国家でどうなるか 人口空白地域が増えて、証拠隠滅の確実性・安定性を得られる。「将来になっても隠滅した証拠が見つからない」と安心することができ、不安から解放される。温かい支援の手が差し伸べられるので、明るい表情になる 解雇規制が緩和されて、給料の確実性・安定性が失われる。「将来に解雇されるかもしれない」と思うようになり、将来不安にさいなまれ、安心することができない。冷酷な仕打ちを受けるので、陰鬱な表情になる

 
人類の歴史を振り返ると、中国でもヨーロッパでもメソポタミアでもインドでも、都市国家から領域国家へ移行していった様子を観察できる。そうした移行の原動力は、凶悪犯罪に対する恐怖心であると考えることができる。「人口空白地域を残したままにすると、凶悪犯罪者が証拠を隠滅しやすい状態が続き、治安の面で望ましくない」という恐怖心が働き、その恐怖心によって人口空白地域に人々が進出していき、領域国家が形成されていった、と見ることができる。

一方で新自由主義者は恐怖心が麻痺しており、凶悪犯罪に対する恐怖心を持ち合わせていない。このため人口空白地域を拡大させて都市国家へ逆戻りする政策を平気で支持する。ゆえに新自由主義を新・麻痺主義 とでも表現することができる。

覚醒剤を使用すると恐怖心が麻痺する。このため各国の軍隊は戦争になったら覚醒剤を兵士に投与して兵士に恐怖を克服させているし、第二次世界大戦において空襲の恐怖に悩まされた民間人が覚醒剤を使用した例がある[119]。凶悪犯罪への恐怖心が麻痺して人口空白地域を平気で作り出す新自由主義者と、覚醒剤を使用する人には、共通するところがある。

新自由主義者というのは、不幸や退廃に苦しむ人々を見たら目をそむけ、見なかったことにして、幸福感に満ちあふれた楽天的で快活な気分を維持することを得意とする人たちである[120]。そうした意識を保つことで、労働者に対して情け容赦のない賃下げを実行することが可能になり、企業の税引後当期純利益を増やして株主へ支払う配当金を増やして株価をつり上げることが可能になるからである。しかし、不幸や退廃に苦しむ人々を見たら目をそむけるという意識を維持する行為には、「凶悪犯罪がこの世に存在することを意識する能力が衰えていき、凶悪犯罪への恐怖心が麻痺していく」という望ましくない副作用がある[121]

日本国においては、昭和時代から平成時代を経て令和時代に至るまで、人口が少ない地域で公共事業を大々的に行うことが常態化している。そうした政策を象徴する言葉が「国土の均衡ある発展」や「日本列島改造論」である[122]。そういう政策に対して、新自由主義者を中心とする政治勢力が「利権政治であり、汚職政治であり、選挙で票を得るための利益誘導であり、金で票を買う行為である」などとボロクソにこき下ろすことがおなじみの風景である[123]。あるいは新自由主義者が「クマしかいない土地に立派な高速道路を敷くことは、貴重なお金をドブに捨てるような行為であり、効率的でない政策であり、無駄な政策である」といった具合に痛烈に批判するのも見慣れた光景である[124]

それに対して反・新自由主義者を中心とする政治勢力が「人口が少ない地域の人々の雇用を守るための大切な政策である」などと擁護することも恒例である。

しかし、「人口が少ない地域で公共事業を行うことで凶悪犯罪を抑制できる」といった擁護も、反・新自由主義者にとって必要と言える。「クマしかいない土地に道路を敷くことをとりやめると、クマしかいない土地に凶悪犯罪の証拠を隠滅する者が出現するようになって治安が悪くなる」というふうに即座に言い返すことも論争において必要となる。

人口が少ない地域で公共事業を大々的に行うことで、「人気(ひとけ)の少ないところに凶悪犯罪の証拠を隠滅しても、その場所で公共事業をやられてしまったら、公共事業の工事の最中に凶悪犯罪の証拠が見つかってしまう」と人々に考えさせることができ、人々が凶悪犯罪に手を染めることを思いとどまるように仕向ける効果がある。

新自由主義者が主張するように「人口が少ない地域で公共事業をすることは無駄で非効率だから今後は決して行わない」と政府や地方公共団体が宣言すると、「人気(ひとけ)の少ないところに凶悪犯罪の証拠を隠滅すれば、その場所で公共事業を行われることもないので、その証拠が永遠に見つからず、完全犯罪が成立する」と人々に考えさせることになり、人々が凶悪犯罪に対して前向きな気分になり、人々が「凶悪犯罪をやってしまおう」と考えるきっかけを作り出すことになる。

凶悪犯罪者が犯罪の証拠品を積み込んだ自動車を運転し、人里離れた場所まで行って、人気(ひとけ)のない雑木林の前に辿り着いたとする。その雑木林の前に「このあたりは令和○年から道路を建設する予定となっています」という看板が置いてあると、凶悪犯罪者は「道路建設の工事中に証拠が見つかるだろう」と考えて震え上がる。その一方で、その雑木林の前に「新自由主義者が緊縮財政を主張して地方へ渡す国家予算を削っているので、このあたりは将来にわたって決して公共工事をしません」という看板が置いてあると「永久に証拠が見つからない」と考えて堂々と証拠を隠滅する。

この例え話のように、実際に公共事業を行わずに「公共事業の予定地です」という看板を立てるだけでも、凶悪犯罪を抑止する効果がある。

新自由主義者の政治活動によって凶悪犯罪者が暮らしやすい国家になり、凶悪犯罪をする自由が拡大する。このため新自由主義を新・凶悪犯罪主義 と表現することができる。


新自由主義とは直接の関係がないのだが、新自由主義者の願望達成を支援する可能性を持つ政治運動があり、「1票の重みの格差是正を求める政治運動」という。

日本はすべての地域の人口密度が一定ではなく、田舎と呼ばれる人口過疎地域と、都会と呼ばれる人口過密地域に分かれている。

全ての選挙区の面積を同じぐらいにすると、人口過疎地域の選挙区は少ない有権者から1人の国会議員を送り出し、人口過密地域の選挙区は多い有権者から1人の国会議員を送り出すことになるので、有権者の1票の重みが選挙区ごとに異なることになる。こうした事態を問題視し、「日本国憲法第14条に従って有権者の1票の重みを均等にすべきであり、そのために人口過疎地域の選挙区の面積を広くしたり、人口過密地域の選挙区を狭くしたりするべきである」と主張するのが「1票の重みの格差是正を求める政治運動」である。

衆院選や参院選が行われた直後に「1票の重みが選挙区ごとに異なるのは日本国憲法第14条に違反している。あの選挙は無効である」といった議員定数不均衡訴訟が全国各地の地方裁判所で一斉に起きるのが日本の風物詩となっている。

裁判所が「違憲状態」と判決を下したり「違憲」と判決を下したりするので[125]、それに応じて国会でも「人口過疎地域の選挙区を広げて、人口過疎地域から選出される国会議員の数を10人減らす。人口過密地域の選挙区を狭くして、人口過密地域から選出される国会議員の数を10人増やす。10増10減をする」といった法律を可決している。

「1票の重みの格差是正を求める政治運動」にも欠点があり、人口過疎地域の選挙区を駆け回る国会議員の負担が増えて、人口過疎地域の選挙区の民意を全て吸収しきれなくなるというものである[126]

「1票の重みの格差是正を求める政治運動」が進み、人口過疎地域から選出される国会議員の数が減り、人口過密地域から選出される国会議員の数が増えると、地方交付税を廃止するような新自由主義者好みの政策が国会で可決される可能性が次第に高くなっていく。

人口過疎地域は「居住する個人・企業が国税を少なく納めているのに地方交付税を多く受け取る地方公共団体」が多くて、地方交付税を支持する政治勢力を生みやすい。一方で人口過密地域は「居住する個人・企業が国税を多く納めているのに地方交付税を少なく受け取る地方公共団体」が多くて、地方交付税を批判する政治勢力を生みやすいからである。

もちろん、人口過密地域から「地方交付税は人口空白地域の発生を抑制する効果があり、国家の治安維持のために重要な制度である」と主張しつつ地方交付税を支持する国会議員が現れることもあるので、「1票の重みの格差是正を求める政治運動」が進んだからといって直ちに新自由主義者が望むように進んでいくとは限らない。

議員定数不均衡訴訟を起こす人の中には弁護士が多く含まれている。また、議員定数不均衡訴訟で違憲状態判決や違憲判決を出すのは裁判官である。また、法律学の大学教授の中には議員定数不均衡訴訟の違憲状態判決や違憲判決を支持する者がいる[127]

1964年(昭和39年)2月5日に最高裁は「議員定数を人口比に応じて配分すべきことを積極的に命じている憲法の規定は存在しない。議員定数の配分は立法府である国会の権限に属する立法政策の問題である。参議院選挙における投票価値の比が1対4.09程度では極端な不平等であるとは言えない」という判決を下した(資料)。この判決は「1票の重みの格差是正を求める政治運動」を抑制する政治勢力が支持する判決である。

一方で1976年(昭和51年)4月14日に最高裁は「各選挙人の投票の価値の平等もまた憲法の要求するところである。衆議院選挙における投票価値比1対4.99は一般的に合理性を有するものとはとうてい考えられない」という判決を下した(資料)。この判決は「1票の重みの格差是正を求める政治運動」の出発点となる判決である。

「1票の重みの格差是正を求める政治運動」を推進する人は、「日本国憲法第14条を遵守して、人口過密地域の都市部の人々が持っている基本的人権を尊重せよ」とひたすら主張すればいいだけなので、楽に戦うことができる。一方で「1票の重みの格差を肯定すべき」と主張する人は、理屈を組み立てるのが難しく、厳しい戦いを強いられる。

1票の重みの格差を肯定するということは、人口過密地域の都市部の人々が持っている基本的人権を制限するということである。憲法の教科書によれば、基本的人権を制限するときに用いるべき口実は、他者加害原理と「限定されたパターナリスチックな制約」の2つである[128]。その中でも1票の重みの格差を肯定するときに使うべき口実は「限定されたパターナリスチックな制約」になると思われる。

「人口過密地域の都市部の人々が持っている基本的人権を尊重して1票の重みの格差を是正すると、人口過疎地域の田舎の民意が国政に反映されにくくなり、人口空白地域が発生しやすくなり、凶悪犯罪者が犯罪の証拠を隠滅しやすくなり、凶悪犯罪が増えやすくなり、人口過密の都市部の人々が凶悪犯罪に巻き込まれて回復不可能なほど永続的に人格的自律権(人生設計をする権利)を失う可能性が高まる」と述べる。

そして、「人口過密の都市部の人々が持っている基本的人権を制限して1票の格差をそのままにすることで、人口過密の都市部の人々が回復不可能なほど永続的に人格的自律権(人生設計をする権利)を失うことを防ぐ」と述べていく。

ついでに「未成年が持っている基本的人権を制限して未成年の飲酒権を取り上げることで、未成年が回復不可能なほど永続的に健康と人格的自律権(人生設計をする権利)を失うことを防いでいるが、それと同じことをする」と述べる。

このように「1票の重みの格差を肯定すべき」と主張する人は「限定されたパターナリスチックな制約」の理屈を組み立てていくことになる。


新自由主義とは直接の関係がないのだが、新自由主義者の願望達成を支援する可能性を持つ思想がある。それは「手つかずの自然は尊い」という思想である。

「手つかずの自然は尊い」という思想は「自然は尊い」という思想と似ているが、一致していない部分がある。

「自然は尊い」という思想は、人が林業を通じて植林する人工林もある程度まで肯定することになる。しかし「手つかずの自然は尊い」という思想は人が林業を通じて植林する人工林を否定することになり、人の手があまり入っていない天然林や、人の手が全く入っていない原生林を大いに肯定することになる。

「手つかずの自然は尊い」という思想は、自然に人の手を加えることを嫌がる思想であり、農業や林業を否定する思想であり、人口空白地域の創出につながりやすい思想であり、「日本において農業や林業はGDPへの貢献度が非常に少ないから縮小してしまえばいい」とか「恵まれない土地から撤退して恵まれた土地に集まればよい。それが無駄を排除した効率化というものだ」という新自由主義者の政策の追い風になりやすい思想である。

「手つかずの自然は尊い」という思想を持つ人の中には「手つかずの自然に対して感じる畏怖心や恐れ敬う心は、人類が持つ原始的な感情である」といった思想を持つ人がいる。

「手つかずの自然は尊い」という思想によく似た思想として、「手つかずの自然の奥深くに、豊かに水が湧き出てくるような静かで清浄で神聖な場所がある。そうした場所についてのイメージが日本人の魂の奥底にひそかに残っていて、日本人は『逝去したらそこに帰りたい』と誰もが考えている」という思想がある[129]。つまり「手つかずの自然がすべて尊いというわけではないが、手つかずの自然の中に尊い場所がある」という思想である。

これらの思想に対して批判的な人は「手つかずの自然のなかに凶悪犯罪者が犯罪の証拠を隠滅することがある。手つかずの自然は凶悪犯罪の温床になりやすいものであって、危ない場所である。手つかずの自然はものすごく尊いわけではない」と言ってみたり、「手つかずの自然に立ち入る人は、『ここで遭難したら誰にも見つからず、あの世行きになる』と直感して遭難への恐怖心が心の中に湧き起こる。そうした遭難への恐怖心を『手つかずの自然に対する畏怖心』に錯覚しているだけではないか」と言ってみたりする。


新自由主義者が心から好む言葉というと「効率化」と「無駄の削減」である。twitterなどのSNSや書籍で「効率化」と「無駄の削減」を連呼する新自由主義者の姿が多く見られる。そうした姿は新・効率化主義 と表現することができる。

日本は食糧やエネルギーなどの資源の自給率が低い国である。資源を無駄なく効率よく使用することは日本国民にとって永遠の課題である。このため「効率化」と「無駄の削減」は日本において大変にイメージが良い言葉となっている。

新自由主義者は「効率化」と「無駄の削減」を連呼して自らのイメージを高めつつ、実際に「効率化」と「無駄の削減」を追求する行動を起こしてさらに自らのイメージを高めている。解雇規制を緩和して生産性の高い人だけが企業に雇用されるようにして企業の生産の効率化が進むことを目指すし、緊縮財政を導入して生産性の低い土地への財政支出を削減することで生産性の高い土地に企業や人材が集まるようにして国家全体の生産の効率化が進むことを目指す。

しかし、生産性の高い土地に企業や人材が集まるようにして国家全体の生産の効率化が進むことを目指すと、人口空白地域が発生し、凶悪犯罪者が証拠の隠滅を行いやすくなり、凶悪犯罪者が大喜びする社会になる。凶悪犯罪者というのはとてもイメージが悪い。

新自由主義者は、「効率化」と「無駄の削減」を追求して自らのイメージを高めているが、それと同時に「人口空白地域の発生」と「凶悪犯罪者への側面支援」を促進することで自らのイメージを大きく損ねている。


新自由主義者といえば、労働者の賃下げを繰り返して貧困層を増やして治安が悪化する可能性を高める政策を平気で支持するし、地方公共団体への財政支出を削減して人口空白地域を作り出して凶悪犯罪の証拠を隠滅しやすい土地を増やして凶悪犯罪の発生を手助けする政策を平気で支持する。新自由主義者のこれらの行動から、「治安の良さに価値を見いださない」とか「犯罪の脅威を意識できない」という性質を読み取ることができる。治安の良さに価値を見出さない新自由主義のことを新・危険主義 と表現することができる。

日本の政治に関する言論空間では、外国の脅威を意識できない人物のことを「脳内お花畑」と表現するのが通例だが、犯罪の脅威を意識できない新自由主義者のことも「脳内お花畑」と表現することができる。新自由主義は新・脳内お花畑主義 と表現することができる。


新自由主義といえば、官営事業を民営化して「政府の費用」を目一杯削減することを追求する思想である。そして、官営事業を民営化することの代表例が鉄道の民営化である。

民営化された鉄道会社は株主から「不採算部門を廃止して費用を減らして税引後当期純利益をひねり出し、株主への配当金を増やせ」という要求を浴びることになり、人よりもタヌキの数が多いような辺境の田舎を走る鉄道を廃止して、道路にバスを走らせる事業形態へ転換していくようになる[130]

これに対して反・新自由主義は凶悪犯罪の抑止を重視する思想であり、「政府の費用」の発生をある程度容認する思想である。人よりもタヌキの数が多いような辺境の田舎を走る鉄道を抱える鉄道会社を国営化し、赤字の鉄道路線を維持しようとする。

反・新自由主義は「こんな辺境の田舎にも鉄道が走っているのか・・・なんだか人がいるような印象を受ける。これでは凶悪犯罪の証拠を隠滅できないだろう」と凶悪犯罪者に思わせることを重視しているので、赤字鉄道路線の維持という選択肢を好む。「鉄道は大量輸送で、バスは少量輸送である。鉄道が走っている光景は人が多いような印象を与え、鉄道が走っておらずバスが走っている光景は人が少ないような印象を与える。このため鉄道を走らせたほうが凶悪犯罪者への威圧の効果が高く、凶悪犯罪の抑制の効果が高い。凶悪犯罪者というのは短絡的な思考回路の持ち主で、見た目の印象だけで右往左往するような存在である。赤字鉄道路線の維持費は凶悪犯罪抑制費と割り切るべきだ」などと述べ立てる傾向がある。
 

性質その23 費用に対する嫌悪

新自由主義者は、「企業や個人というものは利益の最大化を追求する存在である。企業なら税引後当期純利益の最大化を追求するというのがごく自然な姿であり、個人なら可処分所得の最大化を追求するというのがごく自然な姿である」という思想を持っている。

税引後当期純利益というのは、売上などの収益から人件費などの費用を引いて税引前当期純利益を算出し、税引前当期純利益から法人税を引いて、最後に残った金額のことである[131]

可処分所得というのは、給料などの収入から経費を引いて所得を算出し、所得から所得税を引いて、最後に残った金額のことである。

このため新自由主義者は、費用や経費を毛嫌いする傾向にある。

新自由主義者が費用や経費を嫌っていることを示す例として、新自由主義者の「行列のできる人気店」に対する無理解というものを挙げることができる。やや細かい例だが、本項目で解説しておきたい。

ある店が商売繁盛になり、「行列のできる人気店」になった場合、その店は3つの選択肢の中から1つを選ぶことができる。①銀行から借り入れして資金を調達して店舗を増やしたり人員を雇ったりして供給を増やし、行列を解消し、商品の価格を一定にしつつ客足をさらに増やして、税引後当期純利益の大幅拡大を目指す。②客足が減って需要が減ることを覚悟の上で商品の価格を釣り上げて、高級店に変貌して、行列を解消しつつ客足も途絶えさせないという絶妙な価格を見つけて、税引後当期純利益の小幅拡大を目指す。③店舗も増やさず価格も釣り上げず、行列をそのままにして税引後当期純利益の維持を目指す。

新自由主義者が大いに理解できるのは①であり、②も理解できる。しかし新自由主義者は③を理解できず、「なぜ③の方法を採用するのだろうか。①や②を採用すればいいではないか」とSNSで困惑気味に喋ることが多い。

店にとって、行列ができている状態は儲ける機会の損失であり、機会損失である。しかし、行列ができていることで周囲に対する無言の広告宣伝になっているので、「儲ける機会を損失していて機会損失となっているが、しかし、その機会損失は一種の広告宣伝費として考えよう」という経営判断をすることができる。

客にとって、行列に並ぶ状態は他の何かをする機会の損失であり、店のサービスを享受するための機会費用[132]である。しかし、行列ができていることで「自分以外の人が人身御供・人柱(ひとばしら)になってくれている。行列ができているから良い商品なのは間違いない」という安心感を得られるので、「他の何かをする機会を損失していて機会費用となっているが、しかし、一種の『安心獲得費』として考えよう」という判断をすることができる。

③の方法を採用する店は広告宣伝費を重視しているのであり、そうした店舗の行列に並ぶ客は「安心獲得費」を重視している。このように「すきこのんで費用を支払おうとする人」は確かに存在するのだが、新自由主義者はそういう人を理解することを苦手としている。

「行列のできる人気店」が発生するのは日本のような治安が良い国に限られる。治安が悪い国で行列を作ると拳銃を持った強盗犯や足の速い窃盗犯がやってきて金目の物を奪われてしまうので、治安が悪い国では「行列のできる人気店」が発生しにくい。

日本でそこら中に「行列のできる人気店」が発生することは日本の治安の良さを証明する出来事であって、ある程度賞賛されるべきことであるが、新自由主義者にとっては「日本で『行列のできる人気店』が発生するのは日本人が政府に飼い慣らされて奴隷根性を植え付けられているからである」とか「日本人は効率を意識できず無駄なことばかりする劣った人たちである」ということになって「恥ずかしいこと」ということになる。「治安の良さを誇らない」とか「治安の良さに価値を見いださない」というのが新自由主義者の性質のひとつである。
 

核となる人間観その1 働かざる者食うべからず

新自由主義者の心の中に根を張っているのは「働かざる者食うべからず」の思想である[133]

新自由主義の信奉者であるミルトン・フリードマンは、「無料の昼食(フリーランチ)のようなものは存在しない(There ain't no such things as a free lunch)」という格言を自著の題名に採用した[134]。それを受けて「無料の昼食のようなものは存在しない」という言い回しが新自由主義の支持者たちに根付くことになった。「無料の昼食のようなものは存在しない」は「働かざる者食うべからず」と酷似した思想である。

「働かざる者食うべからず」の格言からは、「人というものはまず第一に供給・生産を行うべきである。人というものは供給・生産をするとそれに応じて需要・消費をする権利を得る」という思想が導かれる。

そして「供給・生産をしないまま需要・消費をしようとするのは不道徳であり堕落であって、卑しいフリーライダーのすることである」という思想が導かれ、供給・生産よりも多くの需要・消費をしようとする者に対して露骨に軽蔑したり公然と嘲笑したりする心理傾向も導かれていく。

人が人を露骨に軽蔑したり公然と嘲笑したりするのは「礼儀を失する行為」のうちに入るはずだが、「働かざる者食うべからず」の格言が胸の中に生きる新自由主義者の中には、そうした行為を行う人もいる。

「供給・生産よりも多くの需要・消費をしようとする者」の典型例は、政府と「年金暮らしの老人」である。新自由主義者の一部は、「働かざる者食うべからず」の思想に従って、政府や「年金暮らしの老人」に対して冷ややかな態度を取る傾向がある。

「働かざる者食うべからず」の格言が胸の中に生きる新自由主義者の一部が「供給・生産よりも多くの需要・消費をしようとする者」を軽蔑したり嘲笑したりするときの様子というのは目を引くものがあり、「自分は供給・生産をしてからその範囲内で需要・消費をしていて、名誉ある存在である。そして彼らは供給・生産をせずに需要・消費をしていて、とても恥ずかしい存在である」という態度を全開にする。「名誉ある行動とはなにか、恥ずかしい行動とはなにか」ということを懸命に考えている様子がうかがわれる。

「供給・生産よりも多くの需要・消費をしようとする者」に対して「働かざる者食うべからず」の思想の信奉者が浴びせる言葉には「高望みしている」「わがままなだけ」「身の程知らず」「享楽にふけっている」「不道徳である」といったものがあり、道徳心に訴えかけるものが多い。また、「現代の日本の庶民は昔よりも生活水準が向上していて、明治時代の大富豪と同程度の生活をしている」などと述べてから、「それなのに彼らは、きわめて恵まれていることに気付かず、ただひたすら高望みをしようとしている」と述べて、「彼らは高望みしている」という言葉をさらに引き立たせる工夫をすることもある。

新自由主義の信奉者が「働かざる者食うべからず」の思想に基づく道徳を説いて、相手の「高望みをする自由」を奪ったり「供給・生産よりも多くの需要・消費をする自由」を抑圧したりする光景は、多く見られる。やはり新自由主義は新・不自由主義 とか新・抑圧主義 と表現することができる。

新自由主義者は、戦中の軍国主義日本における自由の抑圧を徹底的に批判する。「戦中は軍国主義という全体主義が日本を征服し、『欲しがりません勝つまでは』『ぜいたくは敵だ!』『日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!』という標語が掲げられて、人々の自由が押し潰された」と厳しく糾弾するのがおなじみの姿である。

ところが新自由主義者は、「働かざる者食うべからず」の道徳論で説教するのが好きであり、「欲しがりません、自分の生産する能力を超える分は」「自分の生産能力を超えたぜいたくは敵だ!」「『働かざる者食うべからず』の真理を知っている人なら、自分の生産能力を超えたぜいたくは出来ない筈だ!」といった調子で説いて回り、「生産能力を超えた消費をする自由」を抑圧するのが好きである。

人は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてる生物であり、「全く働かない時間」を大量に必要とする生物であり、本質的に「働かざる者」である。そのため「働かざる者食うべからず」の思想を語ることで、その言葉を聞く人に「自分は『働かざる者』なので飯を取り上げられるかもしれない」と考えさせることができ、萎縮させておびえさせることができる。

新自由主義者の口から放たれる「働かざる者食うべからず」の思想は、聞く人を萎縮させる。このため新自由主義は新・萎縮主義 と表現できる。

「働かざる者食うべからず」の思想を語る新自由主義者は、言葉を発するだけでその言葉を聞く人を萎縮させる経験をすることになる。言葉を発するだけでその言葉を聞く人を萎縮させるという経験は、本来なら、なんらかの団体に参加して色々と苦労をして権力者の座にのぼりつめてから味わうものだが、新自由主義を支持して「働かざる者食うべからず」の思想を受け入れれば全く苦労をせずに味わうことができる。


「働かざる者食うべからず」の思想は「需要・消費が供給・生産よりも多い状態になってはいけない。『需要・消費>供給・生産』の状態は許されない」というもので、「需要・消費の総量が供給・生産の総量以下であるべきだ。『需要・消費≦供給・生産』であるべきだ」というものである。

そして、そこから自然に、「需要・消費というのは良くない行動だ」という思想が生まれてくる。

需要・消費というのは、消費者が生産者に向かって情報を提供する行為であり、一種の教導・教育の行為である。消費者がお金を払ってより良い製品を購入することで生産者は「こういう製品を作ればよいのか」という知識を得られるし、消費者が生産者に「この部分がダメだ。もっと良いものを作れ」と激しく要求することで「この部分がダメなのか」という知識を得られる。

生産者というものは、生産することばかりに気を取られて製品の良し悪しや製品のダメな部分に気づかないことが、しばしばある。このため消費者からの情報提供があると大きな助けとなる。

「需要・消費は生産企業に対する情報提供であり、教導・教育の行為である」という表現を企業経営者向けビジネス雑誌風に言い換えると、「消費者は企業の商品開発に参加している」「消費者というのは企業の商品開発部門における重要な一員である」といった表現になる。

需要・消費というのは生産・供給を助ける教導行為であり、決して馬鹿にできない行動なのだが、「働かざる者食うべからず」の思想から自然と導かれる「需要・消費というのは良くない行動だ」という思想にとらわれると、どうしても需要・消費を軽視するようになる。

そして、「生産者は、消費者からの情報提供がなくても、自発的な決意を持つことで、製品の良し悪しや製品のダメな部分に気づくことができるようになる。しっかりと決意を固めたときの生産者は全知全能である」という思想に傾倒するようになる[135]。生産者の決意や知力を過信する様子は新・全能感主義 と表現することができる。

「しっかりと決意を固めたときの生産者は全知全能になり、商品の良し悪しをすべて把握できるようになる」という思想はだいぶ現実離れしており、批判的に言えば「うぬぼれ」となる。このため、そうした信条を持つことを新・うぬぼれ主義 と表現することも可能である

覚醒剤を使用すると全能感に満ちあふれ、「自分はなんでもできる」と信じ込むようになる[136]。「しっかりと決意を固めたときの生産者は全知全能になり、商品の良し悪しをすべて把握できるようになる」という思想を抱える新自由主義者と、覚醒剤を使用する人には、共通するところがある。


「働かざる者食うべからず」の思想は「需要・消費が供給・生産よりも多い状態になってはいけない。『需要・消費>供給・生産』の状態は許されない」というもので、「需要・消費の総量が供給・生産の総量以下であるべきだ。『需要・消費≦供給・生産』であるべきだ」というものである。

そして、そこから自然に、「需要・消費よりも供給・生産の方を多く行う人・団体は偉い。『需要・消費<供給・生産』の状態は偉い」という思想が生まれてくる。

「働かざる者食うべからず」の思想から派生しやすい「需要・消費よりも供給・生産の方を多く行う人・団体は偉い」という思想に従うと、日本が自動的に「とても偉い国」「世界で一番すごい国」「世界中から尊敬される国」に成り上がることになる。日本は1981年から40年連続で経常収支黒字を続けている国で、供給・生産が需要・消費を上回り続けている国だからである。

このため、「日本の国際的な地位」というのを気にするタイプの人が「働かざる者食うべからず」の思想を好むことがあり、そういう人が吸い込まれるように新自由主義に傾倒していく。

1991年の湾岸戦争で日本は巨額のお金を多国籍軍に支払ったが、戦後にクウェートが米国の新聞に掲載した感謝広告には日本の名前がなく(記事)、屈辱的な扱いを受けた。これを受けて「日本の国際的な地位は非常に低い」ということが政治に関する論壇で盛んに論じられた。このように、「日本の国際的な地位」というのを気にするタイプの人は一定の割合で存在する。

「新自由主義が全世界に広まると『働かざる者食うべからず』の思想が全世界に定着し、日本が『世界で一番すごい国』に昇格し、日本の国際的な地位が向上する」とか「新自由主義を全世界に拡散し、日本の国際的な地位を向上させよう」という考えは、名誉欲を原動力にした考えである。こうした考え方を新・名誉欲主義 と表現することができる。

人間社会において、安全地帯に引きこもって金儲けに専念する人・団体は、「苦しんでいる他人を平気で見捨てる人・団体」と扱われて名誉らしい名誉を与えられない傾向がある。そういう人・団体は、お金を握りしめながら恥辱を我慢する生き方をすることになる。

ところが、新自由主義が流行して「働かざる者食うべからず」の思想や「需要・消費よりも供給・生産の方を多く行う人・団体は偉い」の思想が広まりさえすれば、安全地帯に引きこもって金儲けに専念する人・団体は「需要・消費よりも供給・生産を多くこなす人・団体で、とても偉い」ということになり、お金だけでなく名誉も手にするようになる。

新自由主義のおかげで、安全地帯に引きこもって金儲けに専念する人・団体は、お金と名誉の両方を獲得できるようになる。このため新自由主義は新・一石二鳥主義とか新・一挙両得主義 と表現できる。

1991年の湾岸戦争において露呈した「日本の国際的な地位の低さ」に悔し涙を流した人や、安全地帯に引きこもって金儲けに専念したことで「苦しんでいる他人を平気で見捨てている」と非難されて恥辱をたっぷり味わった人が、その憂さ晴らしとして、あるいは名誉回復運動として、「働かざる者食うべからず」の思想や新自由主義の信奉者になる、という流れがある。

人間社会において学術研究に専念する人たちがおり、学者と呼ばれている。学者の中には、危険地帯に飛び込んで学術研究をする人たちもいるが、安全地帯に引きこもって学術研究をする人たちもいる。

安全地帯に引きこもって学術研究に専念する学者は、安全地帯に引きこもって金儲けに専念する人・団体と同じように、「苦しんでいる他人を平気で見捨てている」と非難されることが多い。このため安全地帯に引きこもる学者の中には「『働かざる者食うべからず』の思想が広まれば、安全地帯に引きこもる生き方をしても叩かれなくなり、それどころか最大級の名誉に恵まれるようになる」と考えて、「働かざる者食うべからず」の思想や新自由主義を支持する人がいる。
 

核となる人間観その2 人は需要・消費を本能主導で行って、供給・生産を知性主導で行う

新自由主義者は、「人は打算・知性で需要・消費をするのではなく、本能で需要・消費をする」という人間観を持つ傾向がある。

新自由主義の信奉者は「人は、給料の不確実性が増すと将来不安に備えるため貯蓄に励むようになり、消費をしなくなる」という論理を無視したり軽視したりする。そして「人は給料の不確実性が増しても本能に従って一定量の消費を必ず行う」という論理を支持する傾向があり、その論理に従いつつ「労働者の給料の不確実性をもっと増大させても大丈夫だ。そうしても消費が落ち込まず、デフレ不況にならない」と主張する傾向がある。


また、新自由主義者は、「人は恐怖心・防衛本能で供給・生産をするのではなく、知性・頭脳で供給・生産をする」という人間観を持つ傾向がある。

世の中には「消費者の苛烈な要求によって生産企業が鍛えられる。消費者が企業に対して鬼の形相で激しく要求することで企業が消費者の叱責を恐れるようになり、様々な面で注意の限りを尽くすようになり、技術を向上させる。消費者に対する恐怖心や、消費者の叱責を回避したいという防衛本能が企業の生産能力を向上させる。企業は消費者に対する恐怖心・防衛本能を持つことで生産技術を高めていく」という考え方がある。新自由主義者はこうした考え方をするのが苦手であり、「生産企業は『誰からの影響も受けずに自由に発想する人』を多く抱えることで知力が高まり、頭脳が冴え渡り、創意工夫をするようになり、生産能力を向上させていく」といった風な考え方を好む。


総じていうと、新自由主義者は、「需要・消費を本能主導で行って、供給・生産を知性主導で行うのが、人間というものだ」という人間観を持つ傾向がある。

これに対して反・新自由主義の傾向を持つ者は、「需要・消費を知性主導で行って、供給・生産を本能主導で行うのが、人間というものだ」という人間観を持つ傾向があり、新自由主義者とは対照的なところがある。
  

核となる財政思想 税金は財源

新自由主義者は「税金は財源」という思想を非常に好む傾向がある。「税金は財源」という思想は、政府や地方公共団体が税金を徴収する理由を解説する思想である。

政府や地方公共団体が税金を徴収する理由を解説する思想は、大別すると2つ存在する。

1つは「税金は財源」という思想であり、「政府や地方公共団体は財源を得るために徴税する」という考え方である。「税金は財源」という思想からは租税利益説と租税義務説という2つの思想が生まれる。

もう1つは「税金は罰金」という思想であり、「政府や地方公共団体は人の悪行を罰して矯正するために徴税する」という考え方である。「税金は罰金」という思想は機能的財政論から生まれる考え方である。

憲法学の教科書には「人の基本的人権を制限するときは他者加害原理を基礎とするべきであり、『限定されたパターナリスチックな制約』を基礎とすることも例外的に容認される。一方で、人の基本的人権を制限するときに『社会における多数または全体の利益の達成』を基礎とするのは望ましくない」といった内容のことが書かれている[137]

「他者加害原理を口実に基本的人権を制限する」ということを簡単に言うと「○×は他者に危害を加えるという悪いことをしているので、○×の基本的人権を制限して○×の自由を奪う」ということになる。「『限定されたパターナリスチックな制約』を口実に基本的人権を制限する」ということを簡単に言うと「○×は自己に対して危害を加えて回復不可能なほど永続的に人格自律権(人生を設計する権利)を失おうとしているので、○×の基本的人権を制限して○×の自由を奪う」ということになる。これらは納得する人が多いと言える。

「社会における多数または全体の利益の達成を口実に基本的人権を制限する」ということを簡単に言うと「○×は何も悪いことをしていないが、全体の利益を実現するため、○×の基本的人権を制限して○×の自由を奪う」ということになり、実に何とも抑圧的であり、納得する人が少ないと言える。

「税金は財源」の思想によれば、政府や地方公共団体が「社会における多数または全体の利益の達成」を基礎にして徴税していることになり、政府や地方公共団体が憲法学の教科書の教えに反しつつ人の基本的人権を制限していることになり、政府や地方公共団体が徴税という名目で悪い行動をしていることになる。

「税金は財源」の思想は政府や地方公共団体を悪玉に仕立て上げることができる思想であり、政府や地方公共団体を悪玉に仕立て上げたいと思う政治勢力にとって都合の良い思想である。

政府や地方公共団体を悪玉に仕立て上げたいと思う政治勢力には新自由主義の信奉者が多く含まれている。そうした人たちは「税金は財源」の思想を強く支持することになる。

「税金は財源」の思想は政府や地方公共団体に対するヘイトスピーチにやや近いものであり、扇情的な思想である。

一方で「税金は罰金」の思想によれば、政府や地方公共団体が他者加害原理や「限定されたパターナリスチックな制約」を基礎にして徴税していることになり、政府や地方公共団体が憲法学の教科書の教えに従いつつ人の基本的人権を制限していることになり、政府や地方公共団体が徴税という名目で一定の理解を得られる行動をしていることになる。

「税金は罰金」の思想は政府や地方公共団体を悪玉に仕立て上げない思想であり、政府や地方公共団体の徴税をある程度容認すべきとする政治勢力にとって都合の良い思想である。

政府や地方公共団体の徴税をある程度容認すべきとする政治勢力には、反・新自由主義の信奉者が多く含まれている。このためそうした人たちは「税金は罰金」の思想を強く支持することになる。

「税金は罰金」の思想はヘイトスピーチから遠く離れた言い回しであり、あまり扇情的ではない思想である。

以上のことをまとめると次のようになる。
 

「税金は財源」 「税金は罰金」
政府や地方公共団体が徴税する時の口実 社会における多数または全体の利益の達成 他者加害原理や「限定されたパターナリスチックな制約」
政府や地方公共団体の徴税はどういう行動か 憲法学の教科書の教えに反しつつ基本的人権を制限する行為であり、とても悪い行為である 憲法学の教科書の教えに従いつつ基本的人権を制限する行為であり、ある程度容認すべき行為である
政府や地方公共団体をどう扱うことが可能か 悪玉に仕立て上げることができる 悪玉に仕立て上げることができない
どういう思想か 政府や地方公共団体に対するヘイトスピーチに近く、扇情的な思想である ヘイトスピーチから遠く離れていて、あまり扇情的ではない思想である
支持者 新自由主義者 反・新自由主義者

 
「税金は財源」の思想からは、「税金で○×をする」「税金の無駄遣い」といったような言い回しが生まれる。国家予算とか官費とか公費とか政府支出と表現すべきところを「税金」と表現するようになる。逆に言うと、「税金で○×をする」「税金の無駄遣い」という言い回しをする人は、「税金は財源」の思想を濃厚に抱いている可能性が高い。
 

核となる経済思想 見えざる手

アダム・スミスは『国富論』という著作で「見えざる手」という経済思想を書いた。そして、後世の経済学者たちがアダム・スミスの言葉を引用しつつ「それぞれの個人が自分の利益だけを自由に追求すると、見えざる手により導かれ、社会全体の利益が増進する」と説くようになった。

それぞれの個人が自分の利益だけを自由に追求すると、見えざる手により導かれ、社会全体の利益が増進する」という考えは、「それぞれの個人を規制から解放して、自分の利益だけを自由に追求するのを肯定しておけば、何もかもよくなっていく。政府の規制を緩和して、それぞれの個人を自由に活動させよう」という考え方となり、新自由主義の規制緩和を後押しするものとなった。

新自由主義者は、「見えざる手」という経済思想を引用して「自由は尊い」と語り、それと同時に「企業経営者が成果主義・能力主義に基づいて従業員の給料を削減する自由を認めろ」と要求したり、「企業経営者が解雇規制にとらわれず従業員を解雇する自由を認めろ」と要求したり、「企業経営者は原材料などを納入する協力企業に対して目一杯の値下げ圧力をかける自由を思う存分に楽しむべきだ」と主張したりする。

ちなみに「見えざる手」の思想と対照的な思想は、ジョン・スチュワート・ミルが提唱した他者加害原理である。「見えざる手」の思想は「自由は利益を作り出す」という考え方で自由を絶対視するものであるが、他者加害原理は「周囲に害をまき散らす人に与える自由は損害を作り出す」という考え方で自由を絶対視せずに相対視するものであり、水と油のように正反対である。

他者加害原理に基づけば、「企業経営者が成果主義・能力主義に基づいて従業員の給料を削減することは従業員の生活に害を与える行為であるから、従業員の労働組合の結成を推奨するなどして、そうした自由を制限すべきである」となったり、「企業経営者が解雇規制にとらわれず従業員を解雇することは従業員の生活に害を与える行為であるから、解雇規制を維持したり強化したりして、そうした自由を制限すべきである」となったり、「企業経営者が原材料などを納入する協力企業に対して目一杯の値下げ圧力をかける自由を楽しむことは協力企業に害を与える行為であるから、政府が公共事業に入札する企業に原材料費の維持を要求するなどして、そうした自由を制限すべきである」となったりする。
 

核となる経済理論

新自由主義の基礎となった経済学者は、フリードリヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンとされる。ミルトン・フリードマンはアメリカのシカゴ大学で教鞭を執り多くの弟子を育てたので、彼を慕う経済学者の一群をシカゴ学派(シカゴボーイズ)という。また新自由主義の基盤となる経済学を新古典派経済学と呼ぶこともある。

人々の労働意欲を刺激して国内の生産力・供給力を強めることを重視するサプライサイド経済学(供給者側経済学)も、新自由主義の基礎の1つとされる。これの支持者をサプライサイダーというが、主な人はロバート・マンデル、アーサー・ラッファーなどである。

ちなみにサプライサイド経済学の反対に位置するのはケインズ経済学で、需要・消費の活性化を重視するものである。

サプライサイド経済学は、ジャン=バティスト・セイが唱え始めたセイの法則(セーの法則、販路法則)を中核にしている。セイの法則とは、「供給は、それ自体が需要を創造する」と表現されるものである。

デヴィッド・リカードは比較優位という考え方を提唱した。ごく簡単に言うと「国家は、自国の得意とする分野の生産に特化すべきであり、自国が得意としない分野において自国生産をとりやめて貿易によって賄うべきである。つまり国際分業をすべきである。そうすると世界全体の富が増大する」というものである。この考え方は新自由主義者が自由貿易を推進するときに必ずといっていいほど持ち出す考え方である。

ジェームズ・マギル・ブキャナン・ジュニアは、新自由主義の流行が本格化した1986年にノーベル経済学賞を受賞した。彼の提唱する均衡財政論・健全財政論は新自由主義の理想視する小さな政府と極めて相性が良い。

通貨の成り立ちや定義を論ずる学説の中に商品貨幣論というものがある。この商品貨幣論は新自由主義と極めて相性が良い。

「通貨を発行する中央銀行は政府から独立しているべきである」という思想がある[138]。この思想があると、政府が国債を発行して長期金融市場に売却するときに、政府が「中央銀行が通貨を発行して長期金融市場に参加する銀行・企業に余剰の通貨を持たせる」という支援を受けられなくなるので、政府が自由自在に通貨を獲得できなくなる。ゆえに、この思想は新自由主義の理想視する小さな政府と極めて相性が良い。
 

親和性の高い思想 優生学

新自由主義や株主至上主義を支持するものは弱肉強食という四文字熟語を好み、立場の強い雇用主が立場の弱い労働者に対して威圧的に接して人件費を削減して税引後当期純利益を増やすことや、立場の強い大企業が立場の弱い中小協力企業に対して威圧的に接して「協力企業に支払う費用」を削減して税引後当期純利益を増やすことを大いに肯定する。

また、新自由主義や株主至上主義を支持するものは、弱肉強食という言葉の他に、適者生存とか優勝劣敗とか生存競争とか自然淘汰といった言葉を好む傾向がある。これらの言葉は、チャールズ・ダーウィンの進化論や優生学を連想させるものである。

1859年にチャールズ・ダーウィンが『種の起源』を発表し、進化論を提唱した。それに影響された人々の一部が、20世紀初頭に優生学というものを作り上げ、悪性の遺伝形質を淘汰して優良な遺伝形質を増加させることについて研究するようになった。

この優生学は、優良な遺伝形質を持つ人の生殖を奨励する積極的優生学と、悪性の遺伝形質を持つ人の生殖を制限する消極的優生学とに分けられるが、特に注目されるのは消極的優生学の方である。

そして消極的優生学にも様々な考え方があり、①悪性の遺伝形質を持つ劣った者に対して結婚を許すが子作りを奨めず養子をもらうことを奨める、②悪性の遺伝形質を持つ劣った者に対して結婚を許すが子作りを認めず強制的に断種して生殖能力を喪失させる、③悪性の遺伝形質を持つ劣った者に対して結婚を許さない、④悪性の遺伝形質を持つ劣った者を殺害して間引きする、といったものがある。

これらの中で最も穏健な考え方は①である[139]。そして、これらの中で最も過激な考え方は④であり、1933年~1945年のナチス・ドイツが④の考え方に従って政策を研究し、精神病患者などを公然と殺害するT4作戦という政策を実行した。日本においても2016年7月26日に植松聖という人物が④の考え方に従って相模原障害者施設殺傷事件を起こした[140]

こうした消極的優生学と、新自由主義や株主至上主義は共通するところがある。

新自由主義や株主至上主義の支持者は、企業経営者が「労働者は劣った者なので、結婚できなくなっても一向に構わない」といった態度で労働者に対して結婚を諦める水準まで賃下げすることを肯定する傾向があるが、そうした態度は、消極的優生学③の「悪性の遺伝形質を持つ劣った者に対して結婚を許さない」といった態度とよく似ている。

新自由主義や株主至上主義の支持者は、企業経営者が「労働者は劣った者なので、過労死してしまっても一向に構わない」といった態度で労働者に対して目一杯の労働強化をすることを肯定する傾向があるが、そうした態度は、消極的優生学④の「悪性の遺伝形質を持つ劣った者を殺害して間引きする」といった態度とよく似ている。

新自由主義や株主至上主義の支持者は、大企業経営者が「大企業に納入する中小協力企業は劣った企業なので、倒産しても一向に構わない」といった態度で中小協力企業に対して目一杯の費用削減をすることを肯定する傾向があるが、そうした態度は、消極的優生学④の「悪性の遺伝形質を持つ劣った者を殺害して間引きする」といった態度とよく似ている。

「立場の弱い人々というのは、要するに『劣った者』なので、結婚できるほどの給料を与える必要がない」とか「立場の弱い人々というのは、要するに『劣った者』なので、生かしておく必要が無い」という態度で人件費や「協力企業に支払う費用」を目一杯削減する新自由主義者や株主至上主義者は、消極的優生学の支持者と共通するところがある。このため新自由主義は新・消極的優生学主義 とか、あるいは単に新・優生学主義 と表現することができる。

人は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてる生物であり、「極めて劣った状態」を大量に必要とする生物であり、本質的に「劣った者」である。「自分が本質的に『劣った者』である」という現実は、人なら誰でも薄々ながら自覚している。このため「劣った者」を迫害する考え方を導入すると、理論上はすべての人が迫害対象になってしまい、すべての人を萎縮させておびえさせることになる。ゆえに「劣った者」を迫害する考え方は好ましくない。

優生学の中の消極的優生学は、「劣った者」の基本的人権を制限する思想であるが、社会における多数または全体の利益の達成を口実として基本的人権を制限する思想であるとみてよい。社会における多数または全体の利益の達成を口実として基本的人権を制限するのは、非常に抑圧的で人々を納得させるのが難しいという欠点があり、憲法学の教科書においてもあまり奨められていない[141]

優生学の中の消極的優生学によって社会における多数または全体の利益を確実に達成できるかというと、疑わしい。「劣った者」を公然と迫害することにより、社会保障費を削減できるという利益が見込まれるが、「自分は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてており、本質的に『劣った者』である」と薄々ながら自覚している大勢の人々をおびえさせて萎縮させるという損失も発生するからである。

優生学の中の消極的優生学と正反対の政策は、「劣った者」に最大限の保護を与える福祉政策である。そうした福祉政策を行って「『劣った者』が迫害されない」という様子を見せつけて、「自分は1日24時間のなかの3分の1にあたる8時間程度を睡眠にあてており、本質的に『劣った者』である」と薄々ながら自覚している大勢の人々の萎縮やおびえを除去することができる。そうした福祉政策にかかる社会保障費は「萎縮除去費」と考えることができる。
 

親和性の高い自己啓発本

サミュエル・スマイルズという英国の作家は1859年に『自助論』という作品を発表した。序文に「天は自ら助くる者を助く」という文章があり、そのあとはひたすら「努力すれば成功する」「成功者は他人の援助を当てにせずに努力をした」という内容が続く。新自由主義者のなかには『自助論』を絶賛するものがいる[142]
 

名称

新自由主義英:Neoliberalism)という言葉を考案したのは、ドイツのアレクサンドル・リュストウという経済学者である。1938年に知識人が集まって開催されたウォルター・リップマン国際会議で、この言葉を発表した。
 

市場原理主義という表現

市場原理主義英:Market fundamentalism)という表現は、新自由主義(英:Neoliberalism)の別名称である。
  

命名者とされる人、学術誌における初出

Market fundamentalismという言葉は、イギリスの社会問題ジャーナリストであるジェレミー・シーブルックが生み出したものであるという。パラグミ・サイナートというインドの社会問題ジャーナリストが、そのように述べている(記事)。

ジェレミー・シーブルックは、『世界の貧困―1日1ドルで暮らす人びと』という著作を持っており、新自由主義を批判し、格差の拡大に警鐘を鳴らすタイプの人である。

1991年8月の『Anthropology Today(こんにちの人類学)』という人類学者向けの学術誌の1~2ページに、Market fundamentalismという言葉が載っている。

経済学者の八代尚宏は「市場原理主義という言葉は、そもそも経済学にはありません。」と『日刊サイゾー』の2011年10月29日版で語っている。

パラグミ・サイナートと八代尚宏の発言を総合すると、「Market fundamentalismという言葉は、経済学の外にいるジャーナリストが、新自由主義に対して独自の感覚で名付けたものであり、経済学者たちの議論から生まれた経済学用語ではない」ということになる。
 

蔑称の響きがある

市場原理主義(Market fundamentalism)という言葉には蔑称の響きがある。

原理主義(fundamentalism)というのは、天地創造など聖書の記述をすべて事実と扱う米国キリスト教運動のことを指す言葉である。そうした運動をする人たちを批判するときに使われた蔑称だという(臼杵 陽の論文)。

1979年にイランで革命が起こった。このとき政権を奪取した人たちをイスラム原理主義者(Islamic fundamentalist)と呼ぶようになった。このため、「○×原理主義」というのはイメージが悪い言葉で、これを自称する人はとても少ない。
 

批判者達に使用される

市場原理主義という言葉は、新自由主義を批判する立場の経済学者によって使われることがある。

ジョセフ・スティグリッツ は、2001年にノーベル経済学賞を受賞したとき、次のような文章を書いている。

More broadly, the IMF was advocating a set of policies which is generally referred to alternatively as the Washington consensus, the neo-liberal doctrines, or market fundamentalism, based on an incorrect understanding of economic theory and (what I viewed) as an inadequate interpretation of the historical data.

-ジョセフ・スティグリッツ『Facts』-

 
the neo-liberal doctrines, or market fundamentalism と書いてある。「新自由主義の信条、言い換えると市場原理主義」といった意味であり、新自由主義をわざわざ言い直している。
 

「市場・原理主義」なのであって「市場原理・主義」ではない

市場原理主義という言葉はMarket fundamentalismを翻訳した言葉であり、市場・原理主義という意味である。

しかし、市場原理主義のことを市場原理・主義のことだと考えている人がいる。つまり「英語のMarket principle-ismを翻訳した言葉なのだろう」と漠然と考えている人である。それは、厳密に言うと間違いである。

しかし、市場・原理主義(Market fundamentalism)は市場原理(Market principle)をやたらと重視するので、市場・原理主義(Market fundamentalism)と市場原理・主義(Market principle-ism)を混同しても、おかしいことにはならない。
 

歴史的背景

第二次世界大戦後、先進国で目指されたのは、第一次世界大戦と第二次世界大戦やその間に起きた世界恐慌を再び繰り返さないようにするべく、国際的・国内的な政治的平和と経済的安定化を確保するような秩序の構築だった。

この秩序を可能にする政治経済体制として多くの国々に合意されたものを、国際政治学者のジョン・ラギーは「埋め込まれた自由主義」と定義した。すなわち、市場を自由放任にすると不況や失業が生じるので、調整的・緩衝的・規制的な諸制度の中に自由主義を埋め込む。つまり、国際的には自由貿易体制によって国際経済の開放性を高めつつ、他方で、国内的には政府が国際競争に脆弱な国内の社会集団を保護する福祉国家的政策を進めた。いわゆる修正資本主義であり、ケインズ経済学はこれを後押しするものである。

この修正資本主義は、先進諸国の経済成長があった1960年代まではうまく機能してきたが、1960年代末頃から機能しなくなった。国際経済的には世界的規模のスタグフレーション(不景気とインフレーションの同時進行)が起き、各国の国内経済的には財政危機が起きた。それらの原因は、1965年~1975年のベトナム戦争、1973年の第一次オイルショック、1979年の第二次オイルショックとされる。

こうした深刻な危機に直面する中でいくつかの対案が出されたが、結局、国家によるコントロールを維持すべきだとするケインズ経済学陣営と、市場の自由競争を活発化させるべきだとする新古典派経済学陣営に分かれることになり、後者の、新古典派経済学陣営が先進国の政治の中で影響力を持つようになった。これが新自由主義と呼ばれるものであり、批判者に市場原理主義と呼ばれるものである。

1980年代のアメリカでロナルド・レーガンがレーガノミクスという経済政策を推し進め、同じ時期にイギリスでマーガレット・サッチャーがサッチャリズムという経済政策を採用した。いずれも、規制緩和と累進課税弱体化を組み合わせた経済政策で、新自由主義の影響を濃厚に受けている。また、日本においても、中曽根康弘首相が、国鉄、電電公社、専売公社、日本航空を相次いで民営化し、新自由主義的政策を実行している。

理論の柱

新自由主義は「埋め込まれた自由主義」から自由主義を解き放つことを主張する。すなわち、社会民主主義的福祉国家政策(大きな政府)によって膨らんだ財政赤字を削減するための口実として小さな政府が謳われる。ここから国営事業、公営事業の民営化が進められた。また、国家による市場介入ではなく、市場を自由放任にすることが国民に公平と繁栄をもたらすという自由放任主義が求められた。この考えから市場の自由を妨げる様々な領域での規制を緩和していくことが目指された。

理論の実践

新自由主義的国家編成の最初の実験が行われたのは、1973年のチリである。民主的に選ばれた左翼社会主義政権が、アメリカのCIAとキッシンジャー国務長官によって支援されたピノチェト将軍によるクーデターで転覆させられたあと、ミルトン・フリードマンが拠点としていたシカゴ大学から送られた経済学者たち(シカゴ学派)によってピノチェト軍事政権下で新自由主義政策が推進された。チリ経済は短期的には復興を見せたが、大半は国家の支配層と外国の投資家に利益をもたらしただけだった。

しかし、この実験を成功とみなした陣営が、1979年以降、イギリスのマーガレット・サッチャー政権とアメリカのロナルド・レーガン政権下で新自由主義政策を推進した。その後、アメリカで1990年代に加速された金融化が世界中に広がり、アメリカへと利益を還流させた。結果、アメリカ経済は好況を呈するようになる。

こうしてアメリカの新自由主義が様々な経済問題の解決策であるかのように振る舞うことが政治的に説得力を持つようになり、1990年代のワシントン・コンセンサス、1995年のWTOの創設で新自由主義は確立するようになる。更に、1990年代には発展途上国だけでなく、日本やヨーロッパも新自由主義的な道を選択するよう経済学や政治の場で主張されるようになる。

トリクルダウン

新自由主義理論の一つの理論的根拠として、トリクルダウン理論 がある。トリクルダウンとは、社会民主主義的福祉国家のように、国家の財政を公共事業や福祉などを通じて貧困層や弱者に直接配分するよりは、大企業や富裕層の経済活動を活性化させることによって、富が貧困層や弱者へと「したたり落ちる」のを待つ方が有効であり、その方が国民全体の利益になるという考え方である。

税制の改正に関して言えば、これを根拠に富裕層の税金が軽減され、企業に対しておびただしい数の補助金や優遇税制が提供された。こうして富の配分比率が富裕層寄りに変えられた。また、企業の経営方針の見直しが行われ、その延長線上で労働法の改正が行われた。日本では、その経営の特徴と言われた長期雇用と年功序列型賃金が見直され、アメリカ型とされた株主利益重視になった。これにより、リストラや労働者の賃下げをしてでも、株主への配当を優先することが動機づけられた。この労働者の賃金削減のために雇用の流動化が推進され、労働基準法改正、規制緩和が推進された。日本では2008年において労働者全体に占める非正規労働者の割合が三分の一を超えるまでになった。

富裕層への優遇は、投資をめぐる法解釈にも現れている。投資に関して、借り手より貸し手の権利を重視するようになった。例えば、貧しい者がその住居を差し押さえられる事を何とかするよりも、金融機関の保全と債権者への利払いを優先させる。実際、サブプライムローンの焦げ付きから端を発した2008年の金融危機では、多くのローン返済が困難になった貧困者が住居を追い出されたのに対して、アメリカの金融機関のいくつかは国家に救済された。

主な論者による批判

東京大学名誉教授の宇沢弘文は、「新自由主義は、企業の自由が最大限に保証されてはじめて、個人の能力が最大限に発揮され、さまざまな生産要素が効率的に利用できるという一種の信念に基づいており、そのためにすべての資源、生産要素を私有化し、すべてのものを市場を通じて取り引きするような制度をつくるという考え方である。新自由主義は、水や大気、教育や医療、公共的交通機関といった分野については、新しく市場をつくって、自由市場・自由貿易を追求していくものであり、社会的共通資本を根本から否定するものである」と指摘している。

ニューヨーク市立大学名誉教授のデヴィッド・ハーヴェイは、著書『新自由主義―その歴史的展開と現在』で、新自由主義とは国家権力によって特定企業に利益が集中するようなルールをつくることであると指摘し、著書『ネオリベラリズムとは何か』で、ネオリベラリズムとはグローバル化する新自由主義であり、国際格差や階級格差を激化させ、世界システムを危機に陥れようとしていると指摘している。また自由主義は、個人の自由な行為をそれがもたらすかもしれない代償の責任を負う限りにおいて認めるのに対して、新自由主義は、金融機関の場合、損害を被る貸し手を救済し、借り手には強く返済を求める点から、実現された新自由主義を階級権力の再生と定式化する。

ノーベル経済学賞受賞者であるジョセフ・ユージン・スティグリッツは、「ネオリベラリズムとは、市場とは自浄作用があり、資源を効率的に配分し、公共の利益にかなうように動くという原理主義的な考え方にもとづくアイデアをごちゃまぜにしたものだ。サッチャー、レーガン、いわゆる「ワシントン・コンセンサス」である民営化の促進にもとづいた市場原理主義である。4半世紀のあいだ、発展途上国のあいだでは争いがあって、負け組は明らかになった。ネオリベラリズムを追求した国々はあきらかに成長の果実を収穫できなかったし、成長したときでも、その成果は不均等に上位層に偏ることになった」と指摘している。また1990年代の資本還流によるアメリカ経済の好景気は、IMFと世界銀行によるものと説明する。つまり、この2つは、発展途上国が求める融資を提供することと引き換えに債権国やアメリカの意向を反映した、構造調整計画を、1980年代から1990年代を通じて実施要求してきた。しかしこの改革は、メキシコ、アジア通貨危機、ロシア、ブラジルの経済危機、アルゼンチンの全面破綻を引き起こした。結果が伴わない場合は、「改革が十分に実行されなかった」と、責任転嫁をしてきたという。

各国の議論

中国

思想家の汪暉は、中国における新自由主義の特徴の一つとして、国家の推進する国有企業改革を擁護する「国家退場論」を挙げる。1990年代以降、急速に進められてきた国有企業改革は、国有企業の資産や経営権を国から民間へ譲渡する「国退民進」として現れる。しかし、その過程自体が国家的に推進されているため、本来公有資産であったものが、国有企業指導者層ら既得権益者によって実質上私有化されるとして批判される[143]

新自由主義と共産主義の共通点

共産主義(社会主義)という経済思想がある。国内のすべての生産手段を国有化し、 国内のすべての企業を国営企業に変えてしまおうという思想である。

新自由主義は「小さな政府」を志向する思想で、共産主義は「大きな政府」を志向する思想であり、 両者は水と油のように正反対であるかのように見える。

ところが、新自由主義と共産主義には、共通点がいくつか見受けられる。 その共通点を挙げると、以下のようになる。

  • 経済格差が拡大する

新自由主義を採用すると、自由競争が激しくなることでごく一部の勝ち組が富を独占し、大部分の負け組との格差が広がっていく。

共産主義の経済格差も顕著である。国営企業の経営を一手に握る官僚は、富を独占して贅沢な暮らしをする。ソ連のノーメンクラトゥーラは特権階級として有名で、彼ら向けの百貨店も存在した。一方、庶民は配給の列に並んで、決まった量の粗末な品物を受け取る毎日になる。

経済格差を肯定的に扱い、決して修正しようとしないところが、新自由主義と共産主義の共通点である。
 

  • 市場の独占・寡占が進む

新自由主義を採用すると、自由競争が激しくなることで企業の合併が進んでいく。「国際競争力を付けなければならない」といいつつ同業の企業が合併していき、大きな市場シェアを抱える企業ばかりになり、市場を2~3社で寡占したり1社で独占したりするようになる。また解雇規制が緩和されることで各企業が積極的に雇用拡大できるようになり、各企業が生産能力を一気に拡大できる社会になり、市場占有率を一気に上昇させる企業が増えやすくなり、寡占・独占に突き進む大企業が多い社会になる。

共産主義も同じで、国内のすべての企業を国有化することで、政府という超巨大企業1社が全業種の市場シェアを100%独占するようになる。

市場の独占・寡占を肯定的に扱うところが、新自由主義と共産主義の共通点である。
 


明確な共通点は、以上の2点となる。

「既得権益に対する嫉妬心を煽りつつ、既得権益の解体を目指す」という点も共通点の1つといえる。新自由主義も共産主義も大衆のルサンチマン(恨み・憎しみ・ねたみ・ひがみ・嫉妬心)を煽るのが上手い。

新自由主義は「政府の規制に保護されている存在」に対する嫉妬心を煽る。公務員、農家、労働組合、正社員といった人たちを既得権益と呼び、そうした人たちが政府規制の保護を受けて不当な利益を享受していると論じたて、既得権益の解体を主張する。

共産主義は資本家・金持ちに対する嫉妬心を煽る。会社を所有する資本家・金持ちを既得権益と呼び、そうした人たちが労働者を搾取して不当な利益を享受していると論じたて、既得権益の解体を主張する。


富を生み出さないのに富を得ている存在、供給・生産をしないのに需要・消費をする人、すなわちフリーライダーへの軽蔑と憎悪が強いことも、新自由主義と共産主義の共通点である。

新自由主義は、払った税金の額よりも多くの額の利益を政府の福祉部門から受けている人を軽蔑する傾向にある。新自由主義の旗手であるロナルド・レーガンは、「福祉の女王(welfare queen)が存在していて、税金をロクに払わないのに福祉制度を悪用して高級車を乗り回している。納税者の富にただ乗りして、納税者を搾取している。フリーライダーを許してはならない」と選挙の時に主張していて、批判者から「でっち上げ」と指摘されていた[144]。また、新自由主義の主導者であるミルトン・フリードマンは、「無料の昼食のようなものは存在しない」という格言を自著の題名に採用しており、その格言を流行させた。

共産主義というと労働価値説であり、そこから「会社の富を本当に作り出しているのは、労働者である」という論理を展開していた。その論理から、「株主である資本家は労働もしていないのに利潤を得ている。労働者の富にただ乗りして、労働者を搾取している」と主張していた。ウラジーミル・レーニンは論文で盛んに「働かざる者食うべからず」の格言を引用しており、そこから先述の通りに「資本家は労働をしていないのに美味しい料理を食べている」と主張していた。

新自由主義者の好む格言が「無料の昼食のようなものは存在しない」で、共産主義者が好む格言が「働かざる者食うべからず」であり、両者の思想はぴったり共通している。需要・消費を不道徳な怠惰として軽蔑し、供給・生産を道徳心あふれる勤勉として尊重するという思想である。


「巨大な団体に所属して人事権を振るう現役の権力者」に対する個人崇拝が発生するところも共通点である。新自由主義が流行って累進課税が弱体化した国では、大企業経営者が「カリスマ経営者」になって高額報酬を受け取ることを目指すようになり、経済雑誌に登場してロック歌手かアイドルであるかのように振る舞って、「経営者の超人的な判断能力が大企業を正しい方向に導いた」と宣伝して、民衆が自らを崇拝するように仕向ける[145]。共産主義国では独裁者の肖像画や彫刻を広場に設置して、「独裁者の超人的な判断能力が国を正しい方向に導いた」と宣伝して、民衆が崇拝するように仕向ける。

新自由主義の国も共産主義の国も「働かざる者食うべからず」の思想が広まっており、「高額の報酬と高い地位を得ている者はそれだけ超人的に働かねばならないしそれだけ有能でなくてはならない」という強迫観念が固定されているので、高額の報酬と高い地位を得ている権力者が必死になって「自分は超人的な働き者でものすごく有能である」と周囲にアピールすることが常態化する。その結果として民衆が権力者を個人崇拝するようになる。


「人というものは凄い存在であり、『全面的に信頼してもいいような優秀な能力』を備えている」という思想を持っていて、致命的な思い上がり [146]をしていることも共通している。覚醒剤を使用するとスーパーマンになったかのような感覚になって全能感・万能感に満ちあふれるようになって致命的な思い上がりをするようになるが、そうした覚醒剤使用者の姿は、新自由主義者や共産主義者と非常に良く似ている。

新自由主義者は「人はどんなに貧乏になっても、強大な生存本能があるのでいくらでも生きていける」といった具合に人の生存本能を全面的に信用し、労働者に対して目一杯の賃下げをする傾向がある。また新自由主義者は「生産者は自らの決意を固めさえすれば完璧な商品を作り出すことができる」といった具合に生産者の生産能力を全面的に信用し、「生産者は消費者からの情報提供を得て商品を完璧なものへ作り替えていく存在であり、消費者に助けてもらう存在である。ゆえに需要・消費を増やすことが経済発展に必要である」といった提言を完全に無視する傾向がある。

共産主義者は「人はどんな複雑な経済現象も完全に支配する理性・知性を持っている」といった具合に人の理性・知性を全面的に信用し、経済官僚が国家のすべてを統制する統制経済・計画経済を大いに支持する傾向がある。


労働者の権利を認めず、「物言う従業員」を経営上の脅威と位置づけ、反抗的な労働者を追放する仕組みを整えている点も共通点である。新自由主義者も共産主義者も、覚醒剤を使用したときに得られるような全能感・万能感に満ちあふれていて致命的な思い上がり をしているので、「経営者というものは自分の決意だけで完璧な判断をすることができるのであり、下々(しもじも)の言うことなど聞く必要は無いのだ」という感覚にとらわれやすい。

新自由主義がはびこる国では労働組合が弱体化して解雇規制が緩和され、経営者に対して反抗的な労働者が解雇される。共産主義国でも同じであり、企業経営者である政府に反抗的な労働者はシベリア送りにされたり強制収容所に放り込まれたりして、極度に悪い労働環境をあてがわれて健康を破壊される。


「官と民が力を合わせて共存するべきであり、官民協働が大事だ」とか「官には『民間に存在しない長所』があり、民間には『官に存在しない長所』があるので、双方が補い合うべきだ」という思想を持っておらず、「官と民がこの世に存在するが、片方は完全無欠であり、もう片方は全てにおいて劣っている」とか「官と民がこの世に存在するが、優秀な片方に全てを任せるべきであり、劣った片方は消滅するべきだ」という思想を持っていることも共通している。新自由主義者も共産主義者も、覚醒剤を使用したときに得られるような全能感・万能感に満ちあふれていて致命的な思い上がり をしているので、そういう極端な判断に傾くことになる。

新自由主義は典型的な民尊官卑で、「民間は全てにおいて優秀である」と考えて民間主導の経済にすることを目指しており、政府に回す予算を徹底的に削ることを好み、「経済における政府の存在を決して許さない」という傾向が非常に強い。一方で共産主義は典型的な官尊民卑であり、「官僚は全てにおいて優秀である」と考えて官僚主導の経済にすることを目指しており、「経済において民間企業の存在を決して許さない」という傾向が非常に強い。


「企業の倒産」を忌まわしい現象と位置づけ、企業の延命をなによりも優先し、「倒産しない企業や倒産しにくく永続しやすい企業ばかりになる社会」を理想視するところも共通点である。新自由主義者も共産主義者も企業の倒産を極度に怖がる倒産恐怖症 というべき心理状態になっている。

新自由主義がはびこる国では、解雇規制が緩和されて人件費を急減少させることが可能になり、さらに株主至上主義が蔓延して人件費と協力企業へ払う費用を削減することが流行し、不況になっても税引後当期純利益を叩き出す企業が主流となり、貸借対照表(バランスシート)の純資産の部の利益剰余金が大きくて自己資本比率が大きい企業が主流となり、倒産しにくく永続しやすい企業が主流となる。また新自由主義が主導権を握る国では直接金融の「株式発行による資金調達」が主流になり、貸借対照表(バランスシート)の純資産の部の資本金・資本剰余金(資本準備金)が大きくて自己資本比率が大きい企業が主流となり、倒産しにくく永続しやすい企業が主流となる。一方で共産主義国ではすべての企業が国有化され、決して倒産しない企業になる。

新自由主義も共産主義も「倒産しにくく永続しやすい企業」を作り出す思想であるが、そうした「倒産しにくく永続しやすい企業」は宗教団体とよく似ている。多くの国において、政府が宗教団体に対し「宗教活動によって得られる法人所得」について法人税を課税しておらず、宗教団体が「倒産しにくく永続しやすい団体」になっている[147]。つまり、新自由主義も共産主義も企業を宗教団体に近づけようとする思想である。

新自由主義も共産主義も、企業を宗教団体に近づけようとする思想なので、どことなく宗教と似たような雰囲気を漂わせることになり、権力者への個人崇拝が進むなどの性質を持つことになる。
  

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    • 安倍晋三
  • 小泉進次郎
  • 日本維新の会
    • 橋下徹
  • ワタミ
    • 渡邉美樹
  • 経団連(日本経済団体連合会)
  • 幸福実現党
    • 幸福の科学
    • 大川隆法
  • 親米保守

脚注

  1. *日本において新自由主義の推進者となったうちの1人は小泉純一郎だが、その彼は、1990年代後半に「経世会支配からの脱却」を訴えていた。経世会は田中角栄の流れを汲む自民党の派閥であるので、「経世会支配からの脱却」は「田中角栄が推進した政治からの脱却」という意味になる。
  2. *田中角栄が首相に就任していたのは1972年7月7日から1974年12月9日までだが、1973年になって「福祉元年」と宣言し、老人医療の無料化や老人に対する年金支給額の大幅引き上げを実行した。このため、田中角栄こそが日本を福祉国家に変貌させた政治家だと言える。
  3. *医療器具の製造はとにかく難易度が高い。素材が難切削材であり、形状も小さくて加工が難しい。「工作機械 医療」と検索するだけで医療器具の製造の難しさを指摘する文章が次々とヒットする。
  4. *日本において国家公務員の給料を引き下げる現象の代表例が2021年8月~2022年6月に発生したので紹介しておきたい。まず、人事院が2021年8月10日に国家公務員の賞与を引き下げることを政府に対して勧告した(記事)。人事院勧告を受け入れるか拒否するかは日本政府が自由に決めることができるのだが、岸田文雄首相が率いる日本政府は2021年11月24日に人事院勧告を受け入れることを決め(記事)、2022年1月17日から始まった通常国会に給与法改正案を提出した。同法案は2022年3月10日に衆議院本会議で可決され、同年4月6日に参議院本会議で可決され(記事)、同年6月30日に支給される国家公務員の賞与が減らされた(記事)。
  5. *2020年東京オリンピックでは観光客向け案内人や医師や看護師をボランティアで募集した。
  6. *「官から民へ」や「民間でできることは民間に」は、新自由主義の信奉者とされる小泉純一郎首相が好んで使った言い回しである。
  7. *「垂れ流し」とは汚水を排出する公害企業を連想させるネガティブな表現である。財政政策の論争では、相手のイメージを悪くさせるネガティブ表現を駆使するのが恒例である。
  8. *多重請負は重層下請構造ともいう。建築業などで多重請負が問題視されている(国土交通省資料)。
  9. *トヨタ自動車社長と日本自動車工業会会長を兼務する豊田章男は2019年5月13日に「雇用を維持し、税金を払っている企業にとってもう少しインセンティブが出てこないとなかなか終身雇用を守っていくのは難しい局面に入ってきたのではないか」と発言した(動画記事)。トヨタ自動車の2018年4月~2019年3月の連結の税引後当期純利益は1兆8828億円であり、日本有数の金満企業だったので、この発言は驚きをもって伝えられた。ちなみに2019年の時点の日本は、かつての三公社五現業の大半を民営化しており、官営事業による終身雇用が非常に少なくなっていた。
  10. *労働三権は団結権と団体交渉権と団体行動権である。団体行動権の中核となるのは争議権なので、「労働三権は団結権と団体交渉権と争議権である」と言われることも多い。
  11. *自衛隊法第64条、自衛隊法第119条第2項、国家公務員法第108条の2第5項、国家公務員法第110条第20項、地方公務員法第52条第5項などで自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士の労働三権が否定されている。ちなみに自衛官・海上保安官・刑務官には労働組合の代わりとして人事院というものが用意されており、労働待遇に問題があると考えるときは人事院に相談することができる。また警察官・消防士には労働組合の代わりとして人事委員会というものが用意されており、労働待遇に問題があると考えるときは人事委員会に相談することができる。
  12. *米国の巨大IT企業Amazonの社内において、長年にわたって企業側の圧力により労働組合が結成されなかったが、2022年4月になって史上初めて労働組合が結成された(記事1記事2)。ちなみにGoogleの社内に初めて労働組合が作られたのが2021年1月であり(記事)、AppleやFacebookには労働組合が2022年4月の時点で存在しない。新自由主義が隆盛を誇る時代で急速に発展した巨大IT企業4社のGoogle、Amazon、Facebook、AppleをGAFAと呼ぶが、2020年12月の時点でどこも労働組合を持っていなかった。
  13. *日本において、「自衛官・海上保安官・刑務官・警察官・消防士以外の公務員」は、団結権と団体交渉権を与えられているが、国家公務員法第98条第2項や地方公務員法第37条第1項といった法律によって団体行動権(争議権)を禁じられている。国鉄・電電公社・専売公社といった3つの公社に属する人々も公務員と同じで、団結権と団体交渉権を与えられていたが、公共企業体等労働関係法第17条第1項という法律で団体行動権(争議権)を禁じられていた。

    ちなみに国鉄の労働組合は、団体行動権(争議権)を法律で禁止されていたにもかかわらず、就業規則や安全規則を過剰に尊重して業務をサボタージュする順法闘争を行っており、団体行動(争議行為)を事実上行っていた。

    やや話がそれてしまうが、日本における労働運動の退潮に深く関わってくるので、国鉄の労働組合による順法闘争についてもう少し掘り下げて解説しておきたい。

    当時の政府は国鉄労働組合の順法闘争を法律違反と認定していた。1973年3月13日衆議院予算委員会で田中角栄首相が「その意味で、国有鉄道の順法闘争という名における違法行為が依然として行なわれておるということは、はなはだ遺憾なことでございます」「これはもう当然違法だと考えております」と答弁している(資料)。

    本来なら、国鉄の労働組合は、職場の休日を利用してデモをするなどして国会議員に主張を訴えて、国会議員に法律を改正してもらって団体行動権(争議権)を得て、それから団体行動(争議行為)を行って経営者に主張を訴えるべきだった。しかし国鉄の労働組合はそうした手順を踏まず、政府に法律違反と認定された『順法闘争』という名の団体行動(争議行為)を行って経営者に主張を訴えるという方法を採用していた。

    純粋なストライキは決行日時が予告されるので、利用者としても計画を立てやすい。しかし『順法闘争』は決行日時が予告されないことが多く、いつも通りに列車を運行しているように見せかけつつ実行することが多かったので、利用者にとって非常に計画を立てづらかった。富士銀行人事部長の山名博は「順法より対策がたつストがまし」と語ったが(三宅明正『日本の社会・労働運動の史的研究』18ページ 1973年3月17日朝日新聞からの引用)、『順法闘争』の予測しづらさを示す発言である。こうして『順法闘争』で国鉄の利用者が苦しめられた。

    さらに国鉄労働組合は、1975年11月26日から12月3日にかけて8日間にわたって純粋なストライキを実行していた。もちろん法律に違反しているのだが、それでもストライキを決行した。この8日間のストライキを特別にスト権ストと呼ぶことが多い。

    「国鉄の労働組合は、1970年代に『順法闘争』を繰り返し、1975年冬にスト権ストを行い、その結果として民衆からの支持を失い、1980年代の中曽根康弘政権による国鉄の解体を誘発し、勢力を失っていった」と語られることが多い。
  14. *事業で大成功を収めて一気に大金持ちになった人のことを成金(なりきん)という。
  15. *ちなみに日本の税制では、政治家がその子どもに資産を相続させるときに、親の政治団体から子の政治団体へ寄付するという方式を使うと簡単に相続税を回避できる。日本の政治家一族にとって日本はパナマよりもはるかに安全で確実な租税回避地(タックスヘイブン)である。日本の政治家たちがパナマ文書に登場しないのはこのためである。『税のタブー インターナショナル新書(集英社インターナショナル)三木義一』 44~48ページにて、『世襲議員のからくり 文春新書(文藝春秋)上杉隆』の69~70ページを引用し、小渕恵三の政治団体から小渕優子の政治団体へ大量の資金が流れたのに相続税がかからなかったことを紹介している。
  16. *この典型例が渡部昇一で、『歴史の鉄則―税金が国家の盛衰を決める(PHP研究所)1993年初版』の151ページで普通選挙を敵視する文章を書いている。
  17. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵や小泉純一郎が愛読して絶賛するサミュエル・スマイルズの『自助論』には、「不幸や退廃から目をそむけて、幸福感に満ちあふれた楽天的な性格になり、得をしよう」という記述が見られる。
  18. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵や小泉純一郎が愛読して絶賛するサミュエル・スマイルズの『自助論』には、「劣った人と交際すると劣った人から悪い影響を受けて自分が劣化してしまうので、劣った人と交際すべきではない。優れた人から良い影響を受けて自分を高めるため、優れた人とだけ交際すべきだ」という記述が見られる。
  19. *所得税累進課税を弱体化させることを望む政治思想というとリバタリアニズムである。新自由主義は経済思想で、リバタリアニズムは政治思想なので、この2つの言葉は畑違いだが、所得税累進課税を敵視するところなどの共通点がある。このため新自由主義を支持する人の中には、リバタリアニズムと掛け持ちして支持する人が見られる。
  20. *新自由主義者の渡部昇一は、所得税を一律10%の一律課税にすることや相続税を無税にすることを様々な著書で繰り返し主張していた。
  21. *人は息子や娘にお金などの資産を渡すことに情熱を注ぐ傾向がある。ある大学教授は「娘が重病になったら臓器でも目玉でも何でも提供します。でも妻が重病になったら絶対に提供したくない(笑)」といった発言を大学受験用参考書の中で行っていた(本人の名誉のため名前を伏せておく)。この発言は、人が「息子や娘のためならあらゆる努力をする」という心情を抱えがちであることの一例になり得る。
  22. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵や小泉純一郎が愛読して絶賛するサミュエル・スマイルズの『自助論』には、人が労働を積み重ねて成果を得る姿を紹介する文章が頻繁に現れるが、「労働をしすぎると肉体や精神が疲労してしまう」と危惧する文章が全く現れない。「労働強化の副作用に悩まされる人など存在しない」といった雰囲気で進んでいく書物である。
  23. *覚醒剤を使用すると疲労感を感じなくなり、何日も不眠不休で働くことが可能になる。長時間にわたって労働や受験勉強をするために覚醒剤を利用する例がある(資料)。
  24. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵や小泉純一郎が愛読して絶賛するサミュエル・スマイルズの『自助論』には、「人は余暇や消費を楽しむべきだ」という文章が見あたらず、「人は労働によって目標を達成すべきであり、時間を惜しんで働くべきだ」という意味の文章が多く存在する。
  25. *若い消費者を囲い込む営業戦略はどこの巨大外食企業も重視している。ちなみに2022年4月には吉野屋の常務取締役が大学の講義で「生娘をシャブ漬け戦略」という不適切な表現をして炎上した。
  26. *「我慢して痛みに耐える労働者」を心から愛する新自由主義者というと小泉純一郎が筆頭格である。小泉純一郎は2001年4月26日になって首相に就任し、2001年5月5日の国会における所信表明演説で「痛み」という言葉を3回使用しつつ(資料)、「構造改革で国民に痛みを強いることになるが、しかし、国民が痛みに耐えることで日本の国際競争力が向上するのだ」という内容の演説をしており、それ以外の場所でもそうした内容の演説を繰り返していた。また小泉純一郎は、2001年5月27日の大相撲夏場所優勝決定戦で勝利した貴乃花に向かって「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!おめでとう!」と叫んでいた(この動画の3分30秒あたり)。この小泉純一郎の姿は、ただ単に怪我の痛みをこらえて頑張ったスポーツ選手へ賛辞を送っただけに過ぎないのだが、我慢して痛みに耐える労働者を好む新自由主義を象徴する姿であるとも言える。
  27. *こうした心理傾向をダニング=クルーガー効果という(記事)。
  28. *この心理傾向もダニング=クルーガー効果という。
  29. *窪田順生は「企業が終身雇用を廃止すると労働者の賃上げが進む」と主張している。その主張の根拠は「企業が終身雇用を廃止すると、優秀な人が高賃金企業へ転職することが増える。優秀な人の転職を防ぐために企業が賃上げをする」というものである(記事)。しかし、現実の人々はダニング=クルーガー効果の心理を抱えている。本当に優秀な人は自分の優秀さに気付くことができず、「自分の能力は他所の企業で通用しないかもしれない。転職することをやめよう」などと考えがちであり、軽々しく転職に踏み切ることができない。
  30. *医療器具の加工は非常に難しい。切削しにくい難切削材の素材であることが多く、切削しにくい複雑な形状であることが多く、切削しにくい微小な形状であることが多いためである。医療器具を上手く加工するには、切削工具、切削油、工作機械、CADソフト、CAMソフトといったすべての要素を改良する必要がある。切削工具のメーカーや工作機械のメーカーが自社の商品を売り込むときの定番文句の1つは「我が社の商品は医療器具の加工に使われております」である(記事1記事2記事3)。
  31. *ちなみに、産業を振興する効果の強さという点で「医療器具に対する需要」に匹敵するのは「軍需物資・兵器に対する需要」である。軍人が「できるだけ良い軍需物資・兵器を作ってくれ。さもないと味方が死んでしまう!」といった具合に鬼気迫る表情で高品質の製品を要求するからである。そんな風に発破を掛けられた製造業者は大いに張り切ることになり、技術を向上させる可能性が高い。

    日本は憲法で平和国家であることを定められている。そして、エネルギーや食糧といった資源の自給率が非常に低い国家なので、すべての国家と仲良くする全方位外交を維持する必要があり、軍事行動を起こすことが難しく、外国の恨みを買うような兵器輸出が難しい。ゆえに日本が「軍需物資・兵器に対する需要」を大幅に増やして技術を進歩させるという国策をとるのはあまり現実的ではない。
  32. *姥捨て山(うばすてやま)とは江戸時代の日本の中の貧困地帯で存在したとされる風習で、生産能力が低くなった老人を人里離れた山に放置して絶命させ、その共同体の人件費を削減することをいう。ちなみに、共同体の構成員を追放したり殺害したりすることで人件費を削減することを口減らし(くちべらし)という。
  33. *不確実性に備えて通貨を貯蓄することを予備的貯蓄という。「不確実性が強まるほど人は通貨を予備的貯蓄したがるようになり、消費を避けるようになる」と指摘したのはジョン・メイナード・ケインズである。
  34. *1980年代日本の新自由主義の旗手というと中曽根康弘首相である。中曽根康弘首相は国鉄の民営化を実行し、当時の日本で最大最強とされた国鉄の労働組合を弱体化させた。労働組合の弱体化を目指していたことを各種のインタビューで語っている(記事1記事2)。
  35. *「解雇規制の緩和で賃上げが実現する」と主張する議員を多く抱えているのは日本維新の会である。
  36. *タガは箍と書き、桶(おけ)や樽(たる)の外側にはめて締める輪のことをいう(画像)。「良心のタガが外れる」とは、悪行を制止する良心の働きが弱まることを示す慣用句である。
  37. *ナニワ金融道の作者である青木雄二は、「金貸しは、アルバイト・フリーター・水商売・超一流以外のマンガ家といった人々に対しては『定期収入がない』と判断して融資しない。金貸しが好んで融資するのは社会的な信用のある会社に勤めているサラリーマンと公務員である。なかでも金貸しが好んで融資するのは自衛官と警察官である。自衛隊も警察も『身内から破産者を出しては体裁が悪い』といった古い体質を持つ組織であり、構成員が借金をしすぎて破産しそうになると組織が肩代わりしてくれることが多く、融資を確実に回収できるからである」と語っている。土壇場の経済学(南風社)青木雄二・宮崎学 60~61ページ
  38. *2007年米国におけるサブプライム住宅ローン危機は、収入が途絶える危険性がある者が「不動産を買いたいので融資してくれ」と申し込み、それに対して銀行が融資したことが問題の発端だった。2007年頃に銀行の多くが不良債権を抱えていることが発覚し、世界中の金融機関が連鎖的に経営不調に陥り、そのまま2008年9月のリーマンショックになり、世界的な大不況になった。
  39. *窮鼠(きゅうそ)とは、絶体絶命の窮地に追い詰められた鼠(ネズミ)のこと。「窮鼠猫を噛む」とは、猫に追い詰められて絶体絶命となったネズミが猫に噛みつくことがある、という意味である。
  40. *禽困覆車(きんこんふくしゃ)を書き下し文にすると「禽(きん)も困(くる)しめば車を覆(くつがえ)す」となる。「狩猟対象の鳥も、追い詰められると狩猟用の車を引っ繰り返すほどの力を発揮する」という意味である。
  41. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵や小泉純一郎が愛読して絶賛するサミュエル・スマイルズの『自助論』には、人が努力を積み重ねて成果を得る姿を紹介する文章が頻繁に現れるが、「病気や怪我といったハンディキャップに悩まされる人が努力してハンディキャップを克服する姿」を紹介する文章は全く現れない。「病気や怪我といったハンディキャップに悩まされる人など存在しない」といった雰囲気で進んでいく書物である。
  42. *埼玉県資料
  43. *預貯金取扱金融機関とは銀行法第2条によって定められた存在で、預金を受け入れつつ融資をする団体のことをいう。最も代表的な存在は普通銀行だが、信用金庫・労働金庫・信用協同組合(信用組合)・JAバンク(農協の金融事業団体)・JFマリンバンク(漁協の金融事業団体)、農林中央金庫も含む。
  44. *証書貸付は貸し手と借り手が金銭消費貸借契約を結び、金銭消費貸借契約証書(借用証書)を作成して融資を行うものである。手形貸付は借り手が手形を発行して貸し手がその手形を買い取るものである。電子記録債権貸付は借り手が電子記録債権を発行して貸し手がその電子記録債権を買い取るものである。金銭消費貸借契約証書(借用証書)や手形や電子記録債権は「金銭債権の記録」であるが、市場で売買しやすいように最適化されておらず、市場に売却することがやや難しい。このため、これらの貸し付けは市場を通さずに行われる。
  45. *社債は市場で売買しやすいように最適化されている。
  46. *「貯蓄から投資へ」とか「貯蓄から資産形成へ」は日本政府が好む標語である。1990年代後半の金融ビッグバンの頃から日本政府が「貯蓄から投資へ」という標語を使うようになり、2001年~2006年の小泉純一郎内閣も「貯蓄から投資へ」という標語を好んで使っていた(資料)。金融庁ウェブサイトのこのページにも「貯蓄から投資へ」の標語がある。また、2016年の金融庁は「貯蓄から資産形成へ」という標語を掲げている(資料)。

    2021年に発足した岸田文雄内閣は、「新自由主義からの脱却を目指す」と宣言しているが(記事)、その一方で「『貯蓄から投資へ』を大胆かつ抜本的に進めて『資産所得倍増プラン』を推進する」と宣言し(記事)、新自由主義の中核である直接金融を推進する構えを見せている。さらにいうと岸田文雄首相は2022年5月5日に英国金融街のシティで講演し、「Invest in Kishida」と述べて「岸田文雄率いる日本に投資をしてください」といった意味の語りかけをして、直接金融を重視する姿勢を鮮明にした(記事)。
  47. *真説 経済・金融の仕組み(日本評論社)横山昭雄 92ページ
  48. *人格的自律権とは法学用語であり、「人が自分の人生を設計する権利」と定義できる。『日本国憲法論 法学叢書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治』の121ページに次のような文章がある。・・・ここには、「個人の尊重」が「国政」のあり方の基本にかかわることが示唆されている。ここに「個人の尊重」ないし「個人の尊厳」とは、一人ひとりの人間が人格的自律の存在(やや文学的に表現すれば、各人が社会にあってなお“自己の生の作者である”ということ)として最大限尊重されなければならないという趣旨である。・・・
  49. *パターナリスチックは英語のPaternalisticであり、「父親的温情主義の」と訳される。Paternalisticの名詞形はPaternalismで、パターナリズムと読み、「父親的温情主義」と訳される。父親的温情主義は、親が子のことをおもんばかるように「君の人格的自律権を損なうから」「君が君の人生を設計するにあたって障害になるから」という理由で基本的人権の一部を取り上げることをいう。

    「パターナリスチックな制約」は、人々が人格的自律権を喪失することを防ぐために基本的人権を制限することであり、「受験生がマンガを読むと『受験に合格して良い大学に入る』という人生設計に悪影響が及ぶから、受験生に対してマンガを読ませない」といったものが例として挙げられる。

    「限定されたパターナリスチックな制約」は、人々が人格的自律権を回復不可能なほど永続的に喪失することを防ぐために基本的人権を制限することであり、「肉体が成熟していない未成年が飲酒や喫煙をすると、回復不可能なほど永続的に肉体が損傷して、回復不可能なほど永続的に人生設計に悪影響が及ぶから、未成年に対して飲酒や喫煙を許さない」といったものが例として挙げられる。

    「政府が『パターナリスチックな制約』を理由として基本的人権を制限することは認められない。ただし、『限定されたパターナリスチックな制約』を理由として基本的人権を制限することは例外的に認められることがある」と憲法の教科書で説かれる。

    『日本国憲法論 法学叢書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治』の135ページには次のような文章がある。

    ・・・先に触れたミルの「他者加害原理」の中に、「彼自身の幸福は、物質的なものであれ道徳的なものであれ、十分な正当化となるものではない」という言明があることをみた。要するに、あなた自身のためにならないからという理由で権力が後見的に(パターナリスチックに)その人の生に干渉することは許されない、ということである。

    この言明も「自由の原理」としてきわめて重要なものであるが、後述のように、特に人格的自律権(自己決定権)を「権利」として広くかつ独自のものとして捉えた場合(第2章第1節参照)、このような権利に対する制約(「自己加害」に対する制約)は一切認められないかが現実的問題として浮上する。この点、未成年者の場合を考えれば分かりやすいが、人格的自律そのものを回復不可能なほど永続的に害する場合には、例外的に介入する可能性を否定し切れないと解される(限定されたパターナリスチックな制約)。・・・
  50. *企業が新規株式を発行して売却する場合、銀行預金という資産が増えると同時に資本金という純資産が増えることが通常である。しかし、資本金1億円以下の中小企業のままでいれば政府から税制面で優遇措置を受けられる。そのため、新規株式を発行売却して銀行預金という資産を増やしても資本金を増やさず、純資産の資本剰余金の中の資本準備金を増やす企業も多い。
  51. *株主至上主義(株主資本主義)の反対語をステークホルダー資本主義といい、企業が従業員・取引先・顧客・地域社会といったあらゆるステークホルダー(利害関係者)へ貢献することを目指すものである。
  52. *株主が時価会計主義で財務諸表を作っている場合、保有する株式の株価が上がったら損益計算書で有価証券評価益という収益を計上し、貸借対照表で資産の部における有価証券の金額を増やすので、「株主が利益を得て富を増やした」と表現することができる。

    株主・投資家が簿価会計主義で財務諸表を作る場合、保有する株式の株価が上がっても損益計算書で収益を計上するわけではなく、貸借対照表で資産の部における有価証券の金額を増やすわけでもないが、「株主が含み益を得て実質的に富を増やした」と表現される。
  53. *ちなみに、株価に最大限の注意を払う内閣や、株価上昇に連動して内閣支持率が上がる内閣のことを株価連動内閣と呼ぶことがある。
  54. *企業会計をごく簡単に説明すると次のようになる。商品を消費者に売って売上金を稼ぎ、売上金から「従業員に払う人件費」や「協力企業に払う費用」といった様々な費用(コスト)を引いて税引前当期純利益を出す。税引前当期純利益から法人税を引いて税引後当期純利益を出す。税引後当期純利益は、貸借対照表(バランスシート)の純資産の部の利益剰余金(内部留保)になり、その一部が 株主への配当金として株主へ分配される。

    株主への配当金を増やすと、長期金融市場の株式市場で株式に買い注文が増え、株価が上がる。利益剰余金(内部留保)を増やすだけでも「将来にその利益剰余金が株主への配当金に化けるかもしれない」と判断されやすく、株式に買い注文が増えやすくなり、株価が上昇しやすくなる。

    株価が上がれば、時価会計主義の株主なら有価証券評価益という収益が増えて利益が増え、簿価会計主義の株主なら含み益が増える。

    税引後当期純利益と利益剰余金と株主への配当金を増やす方法には、①消費者に払わせる商品価格を維持して多くの消費者に商品を売って売上金を稼ぐ方法と、②消費者に払わせる商品価格を上げて売上金を稼ぐ方法と、③「従業員に払う人件費」を減らす方法と、④「協力企業に払う費用」を減らす方法と、⑤国会議員に影響力を与えて法人税を減税する法律を立法させる方法の5つが主に考えられる。

    最も難しいのが①の消費者に払わせる商品価格を維持して多くの消費者に商品を売って売上金を稼ぐ方法であり、会社の総合力が問われる。①を追求するには、営業部門における効果的な広告宣伝のノウハウとか、開発部門における設計の基本思想とか、生産部門において不良率を低下させる優秀な工具の調達といった専門的な知識が必要になり、株主にとって何が何だかわからないレベルの話になりがちである。①を追求する場面では、株主は黙って経営者のいうことを聞くしかない。

    ②は独占・寡占の地位を築いてある場合なら容易であるが、そうでない場合なら難しい。⑤はいわゆるレントシーキングであるが、多くの国会議員を説得せねばならず、難しい。

    最も手軽なのが③の「従業員に払う人件費」を減らす方法であり、従業員にパワハラをするだけで簡単に達成できる。④の「協力企業に払う費用」を減らす方法も手軽であり、協力企業に対して「言うことを聞かないのなら他の企業に乗り換える」と脅して威圧的に接するだけで簡単に達成できる。
  55. *公的職場の労働者の給与を下げる政策の1つは、政府が緊縮財政を導入して教育予算を削り、給与の少ない非正規教員を増やす政策である。日本政府はそういう政策を続けており、2012年の時点で非正規教員の割合が全体の16.1%になっている。時事通信2020年12月10日記事
  56. *協力企業へ支払われる費用というと、小売業・卸売業なら「商品を仕入れる仕入れ費用」となり、製造業なら「原材料を購入する原材料費」や「労務を購入する外注費」となる。そのほか、「会社の昼食を提供する弁当屋に払う費用」のようなものも含まれる。
  57. *帝国データバンクが2022年1月後半に実施した価格転嫁の実態調査(1万1981社回答)では、約8割の企業が自社の商品やサービスに原材料価格高騰などの影響があると回答し、さらに36.3%は「価格転嫁が全くできていない」と答えた。時事ドットコムニュース2022年02月10日20時33分
  58. *日本政府は、2022年4月以降に契約する物品調達や公共工事の入札において、賃上げを表明した企業を優遇する方針を固めた。日本経済新聞2021年12月28日
  59. *顧客からの注文が舞い込んでくるのにも関わらず、人手不足で生産したり販売したりすることができず倒産に追い込まれることを人手不足倒産という。2022年現在の日本は少子化などの影響で人手不足倒産がいくつかの業界で見られるという。この人手不足倒産は企業の経営者にとって実に恐ろしい現象である。
  60. *この典型が小室直樹であり、『日本人のための経済原論』などの著作で熱心に「日本人は株主至上主義と所有権の絶対性を理解していない」と主張していた
  61. *森生明は会社の値段(ちくま新書)の第二章の58ページあたりにおいて「1960年代頃までのアメリカ合衆国には『株主は黙って経営者のいうことを聞いていればよい』という風潮があった」と指摘している。また、アドルフ・バーリガーディナー・ミーンズが1932年に発表した『現代株式会社と私有財産』という論文を紹介していて、「現代の大企業を支配しているのは雇われ経営者であり、株主は会社の所有者であるにもかかわらず会社の支配とは無縁な存在になる」と論文の内容を要約している。
  62. *他者加害原理とは他者危害原理とも呼ばれるもので、「ある人の基本的人権を権力者が制限するとき、十分に正当化される理由は、『他者に危害を加えることを防ぐため』という理由である」というものであり、19世紀英国のジョン・スチュワート・ミルが提唱した考えである。「基本的人権の絶対性は他者に危害を加えない範囲においてのみ成立する。政府が『公共の福祉』を名目に基本的人権を制限するときは他者加害原理を基礎にするべきである」と憲法の教科書で説かれる。

    『日本国憲法論 法学叢書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治』には次のような文章がある。

    ・・・上述のように、基本的人権はその不可侵性を本質とするが、そのことは基本的人権の保障が絶対的で一切の制約が認められないということを意味しない。それは、基本的人権観念も共生(人間の共同の社会生活)を前提に成立している以上当然のことで、基本的人権が絶対的であるとは他人に害を与えない限りにおいてのみ妥当とする。・・・(131ページ)

    ・・・J・S・ミルは、その著『自由論』において、「人類が、個人的にまたは集団的に、だれかの行動の自由に正当に干渉しうる唯一の目的は、自己防衛だということである。すなわち、文明社会の成員に対し、彼の意志に反して、正当に権力を行使しうる唯一の目的は、他人にたいする危害の防止である。彼自身の幸福は、物質的なものであれ道徳的なものであれ、十分な正当化となるものではない」(早坂忠訳)と述べている。これは“harm principle”(「他者加害原理」)として知られているが、基本的人権の制約を考える際の出発点をなすものと解される。・・・(131ページ)

    ・・・ただ、そのような抽象論のレベルであえて確認すべきことがあるとすれば、上述のように、「公共の福祉」は、本質的に個人の基本的人権と対立する実体的な多数者ないし全体の利益を意味するものではなく、ミルのいう「他者加害原理」を基礎とするということである。・・・(134ページ)
  63. *間接金融の銀行借り入れや、直接金融の社債発行をすると、企業は利子を支払うことになる。この利子は企業会計における費用であり、税務における損金であり、法人所得を圧縮するものであり、法人税の節税につながるものである。

    一方で、「株式発行による資金調達」をすると株主へ配当金を払うことになる。株主への配当金は企業会計における費用にならず、税務における損金にならず、法人所得を圧縮しないものであり、法人税の節税につながらないものである。なぜなら株主への配当金は、法人税を支払ったあとに残る税引後当期純利益から支払われるからである。

    企業会計をごく簡単に数式で表現すると、「売上高-間接金融や社債の利子以外の費用-間接金融や社債の利子-法人税=税引後当期純利益(ここから株主への配当金が支払われる)」となる。この数式を見ると、「間接金融や社債の利子と、株主への配当金は、数式の中で全く別の場所に位置しており、似ているようで全く異なる存在である」ということがよく分かる。
  64. *2021年12月31日の時点において、日本の株式等譲渡益課税(キャピタルゲイン税)や株式等配当課税(インカムゲイン税)は一律課税であり、一律で20.315%(所得税・復興特別所得税15.315%、住民税5%)となっており、累進課税が導入されていない。そして高額所得者ほど株式譲渡や株式配当で得られる収入の割合が多い。このため申告納税者の所得税負担率を見てみると、所得金額が1億円までは所得税負担率が右肩上がりの累進課税となっているが、所得金額が1億円を超えると所得税負担額が右肩下がりになっている(記事)。このことを1億円の壁という。2021年8月26日になって自民党総裁選挙に出馬した岸田文雄は、「株式等譲渡益課税(キャピタルゲイン税)や株式等配当課税(インカムゲイン税)の一律課税を見直す。1億円の壁を打破する」と発言し、9月29日になって総裁選に勝利して10月4日に首相へ就任したが、10月10日になって「金融課税について、当面、見直しをしない」という発言をした(記事)。
  65. *日本における宗教法人は、「宗教活動」で得られる法人所得に対して法人税を課税されないが、「収益事業」で得られる法人所得に対して法人税を課税される。「宗教活動」と「収益事業」の区別はやや曖昧で、おみくじの販売は「宗教活動」となり、絵葉書の販売は「収益事業」となる。結婚式の挙式料は「宗教活動」となり、結婚式のついでに行われる披露宴の飲食サービス提供は「収益事業」となる(国税庁資料14~15ページ)。
  66. *新自由主義者が理想視する「法人所得に対して法人税が課税されない株式会社」と、「宗教活動だけを行っていて法人所得に対して法人税が課税されない宗教団体」は、厳密に言うと異なる存在である。前者は出資者の株主に利益を配分することを予定しているが、後者は公益法人等に属するので出資者に利益を配分することを予定していない。前者は解散したときに株主という個人が残余財産を勝手に受け取ってよいが、後者は公益法人等に属するので解散したときに個人が残余財産を勝手に受け取ることができない。(『税のタブー(集英社インターナショナル)三木義一 19ページ』)
  67. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵や小泉純一郎が愛読して絶賛するサミュエル・スマイルズの『自助論』には、「貧困になっても生活費を切り詰めれば十分に生活できるはずだ」という文章が見られる。
  68. *「労働組合を結成して経営に口を出す『物言う従業員』は経営上の脅威である」とか「labor organizing threats(労働組合を結成することによる脅威)」と認識している企業の代表格はAmazonである(記事1記事2)。
  69. *一例を挙げると、カルロス・ゴーンは人件費を削減するコストカッターとして有名であるが、日産自動車CEOの地位を解任されるまで日産自動車から高額の役員報酬を受け取り続けていた(記事)。「役員報酬が高すぎる」と言われると世界各国の自動車会社における役員報酬を調べ上げて「日産と同規模の自動車会社では日産よりも多くの報酬を役員に支払っている」と反論していた(記事)。
  70. *イギリスの非政府組織(NGO)「オックスファム(Oxfam)」は、2016年1月18日に、「世界の最富裕層1%が保有する資産の総額が、残る最富裕層以外の99%が保有する資産の総額を上回った」と発表した(記事)。
  71. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵や小泉純一郎が愛読して絶賛するサミュエル・スマイルズの『自助論』には、「貧困になっても成功できる。貧困が人を成長させる」という思想が随所に見られる。
  72. *ウォーレン・バフェットはアメリカ合衆国の大富豪で、株式投資によって巨万の富を稼ぎ出した。彼の私生活は非常に質素であり、こぢんまりとした小さな住居に住み、一般市民が飲むようなチェリーコークを愛飲し、年会費無料のごく一般的なクレジットカードを使っている。
  73. *トーマス・フリードマンというジャーナリストは「自由貿易で国家間の相互依存が深まれば国家間の戦争が起こらなくなる。マクドナルドの店舗がある国どうしでの戦争は起こらない」という内容のマクドナルド理論(黄金のM型アーチ理論)を唱えた。
  74. *第一次世界大戦の直前、イギリスとドイツの間の貿易はとても盛んで、ドイツにとってイギリスが最大の貿易相手国であり、イギリスにとってドイツは第二の貿易相手国だった。中野剛志が『富国と強兵』の342ページでそのことを指摘している。ちなみに中野剛志は、ピーター・リバーマンの『Trading with the Enemy: Security and Relative Economic Gains』という論文を引用している。
  75. *19世紀末~20世紀初頭において欧州やアメリカ合衆国や日本といった各国が金本位制を導入して盛んに自由貿易を行っていたが、これを第一次グローバリゼーションと呼ぶことがある。一方、1991年に冷戦が終結して1990年代から自由貿易が盛んになったが、これを第二次グローバリゼーションと呼ぶことがある。
  76. *GATT(関税貿易一般協定)の体制では、農業・金融・電力・建設などの分野は貿易自由化の交渉から基本的に外されていた。貿易自由化の対象とされたのはもっぱら工業分野だったが、その工業分野においても様々な例外措置や緊急避難的措置(セーフガード)が設けられていた。例を挙げると、1956年から1981年の頃の日米両国はどちらもGATTに加入していたが、米国の要求により日本が綿製品・鉄鋼・繊維・カラーテレビ・自動車といった工業品の対米輸出を次々と自主規制することになった。GATTの体制における貿易は「管理された自由貿易」「マイルドな保護貿易」と言っていいようなものだった。(『富国と強兵』東洋経済新報社 中野剛志 448~449ページ、『奇跡の経済教室』株式会社ベストセラーズ 中野剛志 308~311ページより引用)
  77. *鈴木修は1978年6月にスズキの社長に就任した。半年後の1979年1月に産油国イランで革命が起こり、第2次オイルショックが始まって物価が上昇していった。同年2月頃から行われる春闘ではスズキの労働組合が物価上昇に対応する賃上げを要求していたが、鈴木修社長は団体交渉で「だいたいおまえたちは、トヨタや日産には入れなかったから、ここ(スズキ)にいるんだろう。落ちた奴らが、(トヨタなどと)同じ条件を要求しても無理だ」と言い放ち、この一言で団体交渉を決着させてしまったという(『プレジデント』2011年10月3日号 33ページ、プレジデント・オンライン2013年4月3日記事)。このように、従業員の自信を打ち砕くと賃上げを防ぐことができるし、賃下げすることも大いに可能となる。もちろん、従業員の自信を打ち砕くと従業員の作業に対する集中力などを弱めることになって企業の実力を低下させることになるので、従業員の自信を破壊して賃下げをするという手段を乱用するべきではない。
  78. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵や小泉純一郎が愛読して絶賛するサミュエル・スマイルズの『自助論』には、「努力をしない劣った怠け者」を見下して軽蔑する文章が頻繁に出現する。
  79. *陰謀論を支持する人には、「迫り来る危機について大衆は気づいておらず、自分たちだけが気づいている」と主張する人が多く含まれているようである。
  80. *意識高い系と呼ばれる人たちは、ビジネスの会議で外国語を多用することで知られている。
  81. *日本国の東京で行われた2020年東京オリンピック・パラリンピックでは英語の標語が掲げられ、その英語の標語を日本語に翻訳しなかった。そのことを決定したのは日置貴之という人物である(記事)。彼の発言からは「外国語を理解できない人に対する軽蔑」という心理が見え隠れする。
  82. *攻撃的言動を繰り返す政治指導者の代表例というと安倍晋三である。その安倍晋三は、首相に就任して権力を握っている期間において、出版社・テレビ局に対して執拗に抗議して「表現の自由」を抑圧することに熱心だった。

    池上彰は、「ところが、安倍政権になってからは、自民党はおもなニュース番組をすべて録画して、細かい部分まで毎日のように抗議し、訂正を求め、注文をつけてくる。すると、テレビ局は『面倒くさい』となる。対応が大変で、次第に『文句を言われない表現にしようか』となってしまうのです」と語り、続いて「私が特定秘密保護法についてテレビで批判的な解説をした時も、すぐに役所から『ご説明を』と資料を持ってやってきた。こういうことが日常的にあるわけです」と語り、さらに「第1次安倍政権(06~07年)の時に、メディアへの抗議が増えたんです。ところが、安倍さんが辞めた後にパタリとなくなりました。福田政権、麻生政権、民主党政権の時は抗議が大量にくるようなことはなかった。それが第2次安倍政権(12年~)になって復活しました」と述べている(『週刊朝日増刊 緊急復刊朝日ジャーナル リベラルへの最終指令!2016年7月7日号(朝日新聞出版)21ページ』)。
  83. *週刊文春は統一教会を批判する記事を掲載する雑誌である。その週刊文春を出版する(株)文藝春秋は、統一教会のデモ隊に社屋を取り囲まれたことがある(記事)。
  84. *1992年(平成4年)8月26日の朝日新聞は、TBS広報部の発表を伝える形で、TBSに大量の無言電話がかかってきている事実を報道している。8月20日午前にTBSが「モーニングEYE」という番組で統一教会を批判的に取り上げてから無言電話がかかり始め、TBS代表電話にかかってきた無言電話は8月24日だけでも1万9千件に及び、8月25日もほぼ同様の状態が続いた。この両日だけでTBS代表電話に無言電話が3万件以上もかかってきたことになる。代表電話以外の、番号を電話帳に掲示していない直通電話にも無言電話が殺到し、1日に約600本の無言電話がかかってきたところもあるという。TBSの社会情報局や報道局は臨時電話を引くという対応を強いられた。

    同じ記事で朝日新聞は、フジテレビの発表を伝える形で、フジテレビに大量の無言電話がかかってきている事実を報道している。8月19日朝にフジテレビが「おはようナイスデイ」という番組で統一教会と霊感商法の関係性を取り上げてから無言電話がかかり始め、8月19日においてフジテレビ代表電話にかかってきた無言電話は1時間に700本を超える頻度であった。8月19日を過ぎてからは無言電話の頻度が減ったが、1日数十本程度の頻度の無言電話が続いているという。

    1990年代から統一教会の被害者を救済する活動をしている紀藤正樹弁護士は、「当時電話番号を書いた紙を渡されここに無言電話をかけるようにと指示された統一教会信者を何人も知っています」と発言している(資料)。

    1992年から30年が経過した2022年になっても統一教会は抗議電話を得意としているようである。テレビ朝日で報道番組のプロデューサーを務めた経験がある鎮目博道は、「2022年7月13日に全国霊感商法対策弁護士連絡会メンバーの紀藤正樹弁護士がテレビ朝日の番組にスタジオ出演した際に、『統一教会側の意見を出さず、一方的な批判ではないか』というような内容の抗議電話が殺到したという話を聞いた」とテレビ朝日の関係者から知らされたという(記事)。
  85. *突撃隊(SA)は、ナチス(1920年に結党して1945年まで存在したドイツの政党)に直属する私兵組織で、ナチスと対立する政党に殴り込みをかけるなど武力攻撃を行う役目を果たしていた。ちなみに、突撃隊に似た組織として親衛隊(SS)というものがあり、ナチスに直属する私兵組織だったが、ナチスと対立する政党に殴り込みをかけることをあまり行わず、ナチスの幹部の身辺を警護することや政府の警察組織を監督して傘下に収めることが主な役割だった。
  86. *自民党は、民主党政権時代の2010年5月に自民党ネットサポーターズクラブ(ネトサポ J-NSC)を設立し、ネット上での連帯を目指すようになった。2012年12月26日に安倍晋三が内閣総理大臣に就任したあとも同組織は存続し、2022年8月現在に至っても存続している。この組織は自民党の党員資格を持っていない人物でも参加できるので、カルト宗教団体の信者が自民党の党籍を持たないまま参加することができる。
  87. *池上彰は、「さらに深刻なのは『電凸』です。『電話で突撃する』という意味のインターネット用語ですが、一般の読者や視聴者が、気に食わない報道があると、スポンサー企業に一斉に抗議電話をかける。『不買運動をする』なんて言われるとビックリするんですね」と述べ、一般視聴者からの抗議電話で出版社やテレビ局が萎縮することを述べている(『週刊朝日増刊 緊急復刊朝日ジャーナル リベラルへの最終指令!2016年7月7日号(朝日新聞出版)22ページ』)。池上彰が電凸とか抗議と呼んでいるものの中には、安倍晋三政権を支持するカルト宗教団体の信者が行っているものが含まれている可能性がある。

    ちなみに余談だが、lite-ra.com2016年7月6日記事では「一般視聴者からの抗議電話によるメディアの萎縮」を紹介した後に池上彰の「第1次安倍政権(06~07年)の時に、メディアへの抗議が増えたんです。ところが、安倍さんが辞めた後にパタリとなくなりました。福田政権、麻生政権、民主党政権の時は抗議が大量にくるようなことはなかった。それが第2次安倍政権(12年~)になって復活しました」の発言を紹介しているので、「安倍晋三政権のときに一般視聴者からの抗議電話が増えた」というような印象を受ける。しかし、当該記事が引用している『週刊朝日増刊 緊急復刊朝日ジャーナル リベラルへの最終指令!2016年7月7日号(朝日新聞出版)21ページ』を見てみると、「役所からの抗議」を紹介した後に池上彰の「第1次安倍政権(06~07年)の時に~」の発言が並んでいて、「安倍晋三政権のときに役所からの抗議が増えた」という文脈になっている。lite-ra.com2016年7月6日記事は、引用の仕方が雑である。
  88. *総務省の資料を見ると、新自由主義がさほど流行っていなかった昭和時代は選挙の投票率が高く、新自由主義が本格的に流行るようになった平成時代は選挙の投票率が低くなった、という傾向を見て取ることができる(資料1資料2)。
  89. *さしたる地盤を持たない弱小議員は、ほんの数百票で当落が決まってしまう過酷な選挙戦を強いられる可能性がある。そういう弱小議員にとって、投票率が低くて浮動票を得ることを期待できないのなら、組織票が生命線になる。また、派閥首領議員は「さしたる地盤を持たない弱小議員」を数多く子分にすることで権力を強化し、権力の階段を駆け上がって総理大臣の座に近づいていく存在である。このため派閥首領議員は、極めて強固な地盤を持っていて自らの当選に関して組織票を全く必要としなくても、子分議員を当選させて権力を強めるために、組織票を大いに必要とする。
  90. *統一教会の信者を秘書にする自民党議員は数多いとされる。2022年7月12日の全国霊感商法対策弁護士連絡会の記者会見において、渡辺博弁護士は「20何年前のことで、かなり前のことだが、私どもが調べたところによると、『百何十人の数の統一教会信者が国会議員の秘書になっていて、そうした秘書たちが国会議員の知らないところで集まって会議を開き、そして統一教会に国会議員の動向を報告し、統一教会からの指示を仰いでいる』という実態を掴んだことがある。『国会議員が統一教会の信者を秘書に起用し、そのあとに国会議員の地元において区議会議員や市議会議員に立候補させて、当選させている。つまり統一教会の信者が国会議員の秘書を経て区議会議員・市議会議員に当選するという転身を遂げている』という実態も掴んだことがある。統一教会の信者で国会議員の秘書を務めた人物から相談を受けたことがあり、『統一教会の信者は統一教会の友好団体の勝共連合からわずかなお小遣いをもらうだけで、国会議員から給料を受け取っていない』という話を聞かされた」という内容の発言をした(動画)。
  91. *安倍晋三は中国と北朝鮮に対する強硬姿勢を維持しつつ、野党議員やマスコミに対する痛烈な批判を惜しまなかった政治家である。その安倍晋三は統一教会との関係が深く、現職の官房長官だった2006年5月13日に統一教会系のUPF(天宙平和連合)が主催するイベントである『祖国郷土還元日本大会』へ祝電を送ったし(動画記事 ちなみにこのイベントは合同結婚式も併催された)、統一教会の機関誌の『世界思想』の表紙に何度も登場したことがあるし(画像)、2021年9月12日には統一教会系のUPF(天宙平和連合)が開催するイベントである『THINK TANK 2022希望の前進大会』にドナルド・トランプとともにビデオメッセージを送っている(動画日本語字幕付き動画記事)。安倍晋三はビデオメッセージで「ご出席の皆さま、日本国、前内閣総理大臣の安倍晋三です」「今日(こんにち)に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁をはじめ皆様に敬意を表します」と発言し、「前内閣総理大臣」と名乗りつつ統一教会の組織の頂点に君臨する韓鶴子に敬意を表した。

    統一教会は信者に壺などを高値で売りつける霊感商法で悪名高い宗教団体であり、人々の財産に対して危害を加える危険な存在である。このため、全国霊感商法対策弁護士連絡会は安倍晋三に対して質問状や抗議文を送っている。しかし、安倍晋三からの返事が来ることはなかった。2006年6月19日に全国霊感商法対策弁護士連絡会は質問状を安倍晋三の事務所に送付したが、安倍晋三の事務所は返事をしなかった(記事1記事2動画)。2021年9月17日に全国霊感商法対策弁護士連絡会は抗議文を内容証明郵便で送付しつつウェブサイトで公開したが(資料)、東京都千代田区永田町にある安倍晋三の国会事務所は受け取りを拒否して抗議文を送り返し、山口県下関市にある安倍晋三の地元事務所は受け取るだけで返事をしなかった(記事1記事2記事3動画1動画2動画は全国霊感商法対策弁護士連絡会の2022年7月12日記者会見)。

    ちなみに合同結婚式というものは統一教会特有の儀式で、年ごろの男女信者を参加させ、教祖の決めた組み合わせで強制的に結婚させるというものである。1992年6月30日に女優の桜田淳子が統一教会の合同結婚式に参加することを表明し、それをきっかけとして、1990年代前半の日本のテレビ局はお昼のワイドショーなどで統一教会の合同結婚式を大いに報道していた。1958年生まれの桜田淳子は1970年代においてヒット曲を何度も飛ばす大人気アイドルであり、1980年代になって女優に転身してからも評価が高い存在だったので、その彼女が統一教会の合同結婚式に参加したことは日本のお茶の間に強い衝撃を与えた。1995年3月20日にオウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたので、テレビ局のワイドショーのネタはオウム真理教ばかりになり、オウム真理教がカルト宗教団体の代表格になったが、1995年3月19日以前の日本にとってカルト宗教団体の代表格といえば統一教会だった。

    ちなみに日本において統一教会が勧誘の標的にするのは圧倒的に女性が多い(動画)。そして合同結婚式に参加する日本人女性信者は「海外の男性と結婚するように教団に指示されても決して断るな」「極貧の男性と結婚するように教団に指示されても決して断るな」と言われ(動画)、極貧の韓国人男性と結婚することを強要されたという例もある(動画1動画2)。韓国人男性と強制的に結婚させられて韓国に単身で渡ってそちらで生活するはめになった日本人女性信者も数多く、6千人以上の日本人女性が統一教会の合同結婚式で韓国に渡ったという(動画)。

    統一教会の教義によると韓国がアダム国家で日本がエバ国家とされる(動画)。アダムとエバはどちらも旧約聖書の創世記の「エデンの園」に登場する人物であり、アダムが男性でエバは女性であるから、韓国人男性と日本人女性の結婚というのは統一教会にとっては理想の結婚ということになる。

    1990年代において韓国人信者が統一教会の合同結婚式に参加するための費用は140万ウォンで、日本人信者が統一教会の合同結婚式に参加するための費用は140万円であり、韓国人は日本人よりも10分の1ほどの安い値段で合同結婚式に参加することができた(動画1990年代為替レート資料)。統一教会は「日本は韓国に償いをする国である」という思想を持っているので(動画)、韓国人に優しく日本人に厳しい価格設定をする。統一教会は韓国で創立した宗教団体であるにもかかわらず日本を資金集めの主な拠点としているのだが(動画)、そうした行動も「日本は韓国に償いをする国である」という思想のためである。

    統一教会は「戦前の日本は朝鮮半島を植民地にして迷惑をかけたから日本は韓国に償いをしろ」という思想を濃厚に抱いている。そして統一教会は「韓国がアダム国家で日本がエバ国家」という位置づけをしている。旧約聖書の創世記の「エデンの園」では、「絶対神の禁じた行為を先に行ったのがエバであり、エバはアダムに迷惑をかけた」という物語構成になっている(資料1資料2)。統一教会にとって、韓国とアダムは「迷惑をかけられた存在」として共通しており、日本とエバは「迷惑をかけた存在」として共通している。

    安倍晋三は2015年8月14日に安倍談話を発表して「戦争を体験していない世代に謝罪をする宿命を背負わせてはいけない」と宣言した。しかし、安倍談話とは裏腹に、安倍晋三は「戦争を体験していない世代に謝罪をする宿命を背負わせるべきだ」という教義を持つ統一教会の韓鶴子(ハン・ハクチャ)総裁に敬意を表した。安倍晋三のような生き様のことを二枚舌とかダブルスタンダードとか風見鶏とか日和見主義(オポチュニスト)という。

    余談であるが、統一教会は、四大名節という記念日に、日本の昭和天皇やアメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンやキリストや釈迦やマホメットなどに扮した幹部が教祖の文鮮明の前にひれ伏す儀式を行うような組織である(1987年5月15日 衆議院文教委員会 山原健二郎議員の質問)。
  92. *1997年から長年にわたって統一教会は文化庁に改名を申請し続けてきたが(資料記事1記事2)、全国霊感商法対策弁護士連絡会からの「名称変更を許可すると霊感商法の被害が隠蔽されてしまうので改名申請を却下すべきだ」という意見もあり、文化庁は統一教会の改名申請を却下し続けてきた。しかし文化庁は、安倍晋三が内閣総理大臣を務めている時期である2015年8月26日になって、突然改名を許可した(記事)。これで統一教会は霊感商法や合同結婚式といった悪いイメージがつきまとう「世界基督教統一神霊協会(略称:統一教会 統一協会)」という名称を捨てることができ、「世界平和統一家庭連合(略称:家庭連合)」という名称に衣替えしてイメージを刷新することに成功した。

    2015年3月26日に全国霊感商法対策弁護士連絡会は「統一教会の名称変更を認めないように」という申し入れを文化庁に対して行っている(動画)。しかし、その申し入れからちょうど5ヶ月後に文化庁宗務課が改名申請を許可した。

    全国霊感商法対策弁護士連絡会の代表世話人の山口広弁護士に対して、文化庁宗務課はずっと「統一教会の名称変更は認めない」と言っており、その担当職員も「弊害がたくさんありますからね、受理しませんから大丈夫ですよ」と言っていた。しかし2015年8月26日になって、文化庁宗務課が統一教会から家庭連合への名称変更を受理してしまった。その後に山口広弁護士が文化庁宗務課の担当職員に対して「ずっと受理しないと言ってたのに、どうしてだ」と問い詰めても、「ちょっと言えないんですよ」という返事しか返ってこなかったという(記事)。

    ちなみに、2015年8月の改名許可に関する決裁文書や申請書を資料として提出するように求められた文化庁は、名称変更理由(規則変更理由)の部分を黒塗りにして提出している(資料1資料2)。
  93. *2004年12月に、久保木修己という統一教会の幹部の遺稿をまとめた「美しい国 日本の使命」という書籍が世界日報社から発表された。世界日報社は統一教会の関連出版社で、世界日報という統一教会の機関誌を発行している。それから約1年10ヶ月後の2006年9月26日になって内閣総理大臣に就任した安倍晋三は「美しい国日本」という言葉を政権の標語にした。
  94. *2022年7月30日に全国霊感商法対策弁護士連絡会に所属する弁護士3名が日本外国特派員協会で記者会見を開いた。その場で、川井康雄弁護士が「2007年9月26日に安倍晋三首相が辞任して、第一次安倍政権が終わった。2007年10月に天守堂事件が発生し、そこから2年ほどの間、統一教会が関係する販売会社への刑事摘発が相次いだ。2007年9月26日に第一次安倍政権が終わってから一気に統一教会への刑事摘発が増えたが、2012年12月26日に第二次安倍政権が始まってから統一教会への刑事摘発が全く無くなった」という内容のことを述べている(動画)。
  95. *『日本国憲法論 法学叢書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治』131ページ
  96. *ホウレンソウ(報連相)は報告・連絡・相談の頭文字をとった造語であり、社会人教育の教材で使われることが多い。
  97. *ジャーナリストの多田文明は統一教会の元信者であり、統一教会の内情をよく知っている。教団に毎日通う数十人の信者たちを統括する部署の責任者をしていたとき、信者同士にホウレンソウ(報連相)をさせていたので、全員の行動や悩みをすべて把握できていたという(記事)。
  98. *ジャーナリストの多田文明は統一教会の元信者であり、「数十人を統轄する幹部を務めていたときに信者同士にホウレンソウ(報連相)をさせていたので、全員の行動や悩みをすべて把握していた」という経験を持っている。その経験から「統一教会は政治家の行動についての情報収集を行っているはずだ」という推測をしている(記事)。また、先述のように、渡辺博弁護士は「20何年前のことで、かなり前のことだが、私どもが調べたところによると、『百何十人の数の統一教会信者が国会議員の秘書になっていて、そうした秘書たちが国会議員の知らないところで集まって会議を開き、そして統一教会に国会議員の動向を報告し、統一教会からの指示を仰いでいる』という実態を掴んだことがある」と2022年7月12日の記者会見で発言している(動画)。
  99. *カルト宗教団体の代表格である統一教会が信者に浴びせる言葉の代表例は「我々の言うことを聞かないと地獄に落ちる」である(検索例)。
  100. *カルト宗教団体の代表格である統一教会は、ごく普通の書籍を3千万円で売りつける霊感商法を得意としている(動画)。
  101. *官公需とは政府と地方公共団体が作り出す需要のこと。
  102. *民需とは民間が作り出す需要のこと。
  103. *内需とは国内の政府・地方公共団体・民間が作り出す需要のこと。
  104. *内需を減らして物資を片っ端から輸出して外貨を稼ぐことを極端に行うと飢餓輸出という状態になる。
  105. *外需とは国外の政府・地方公共団体・民間が作り出す需要のこと。
  106. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵や小泉純一郎が愛読して絶賛するサミュエル・スマイルズの『自助論』には、「他者からの苛烈な要求によって人間は向上する」という記述が全く存在せず、その代わりに「自らの決意や心がけによって人間は向上する」という記述が大量に存在する。
  107. *比較優位については池上彰がこの記事で簡潔に解説している。
  108. *観光業 非正規雇用」で検索するだけで、観光業において非正規雇用の割合の多さを指摘する学術論文がいくつもヒットする。
  109. *新自由主義の旗手として知られる竹中平蔵は、2015年1月1日にテレビ朝日の「朝まで生テレビ」に出演し、「正社員をなくしてしまえばいい」と発言した(記事)。
  110. *沖縄県の経済は観光業に依存している(資料)。観光業は第3次産業に分類されるのだが、沖縄県は第3次産業の割合が全国で一番高いレベルである(資料1資料2)。そして沖縄県は非正規雇用の割合が全国で一番高く、正規雇用の割合が全国で一番低く、県民1人あたり所得の額が全国で一番低い(資料)。こうした事実と反・新自由主義者の主張は一致している。
  111. *小泉進次郎は「人口減少は不可避です。人口減を悔やむ発想から早く飛び出して、人口減少でも大丈夫だという楽観と自信を生むべきだ」と語った。2016年9月28日朝日新聞デジタル
  112. *ベトナム国籍の技能実習生が実習先の岡山市の建設会社で2年間にわたって暴行を受けたことが2022年になって発覚したが(記事1記事2)、そうした例は氷山の一角とされる。
  113. *国庫支出金とは、中央政府から地方公共団体へ渡されるお金の一種で、国庫負担金と国庫補助金と国庫委託金に分類される。「国からの補助金」と略して呼ばれることが多い。お金の使い道を決めた上で中央政府から地方公共団体へ渡されるので、地方公共団体にとっての特定財源である。
  114. *地方交付税とは、中央政府が徴収した税金(国税)による収入の一部を地方公共団体に分配する制度のことである。「○×税」という表記なので税金の一種に見えるが、そうではない。地方交付税はお金の使い道を決めずに中央政府から地方公共団体へ渡されるので、地方公共団体にとっての一般財源である。
  115. *地方交付税は、所得税収入の33.1%と法人税収入の33.1%と地方法人税収入の100%と酒税収入の50%と消費税収入の19.5%を原資としているが、これらの国税を多く負担しているのは有力な産業がある地方公共団体に住む個人・企業である。そして地方交付税は、財政需要から財政収入を引いて算出される財政不足金額に応じて地方公共団体に交付されるので、有力な産業があって財政収入に恵まれている地方公共団体には少額だけ交付されたり全く交付されなかったりする。東京都は、地方交付税の制度が始まった1954年度から2022年6月現在に至るまで一度も地方交付税の交付を受けたことがない。このため「豊かな地方公共団体に住む個人・企業からお金を巻き上げて貧乏な地方公共団体にお金をばらまく制度である」と新自由主義者に批判される。
  116. *地方交付税を廃止することを主張し続けているのは、日本維新の会である。日本維新の会の母体は大阪維新の会であるが、その大阪維新の会は大阪府の地域政党として設立されている。大阪府に居住する個人・企業が国税を多く支払っているのにもかかわらず、そうした国税の納税額に比べて大阪府は少額の地方交付税しか受け取っていない。このため大阪府は、地方交付税の廃止を訴えると有権者からの受けが良くなる土地柄である。
  117. *日本政府は農産物や林産物や水産物の価格を統制する体制を維持していて、農家や林業従事者や漁業従事者の収入が安定するように努めている。たとえば、天候に恵まれて農家が農産物を過剰に作りすぎてしまったとき、農産物を廃棄して農産物の供給を減らして農産物の価格を高い状態に維持している。こういう政策を「豊作貧乏を防ぐための緊急需給調整施策」といい、農林水産省や農協が指導して行っている。
  118. *2010年10月19日に、前原誠司外務大臣(当時)は「日本のGDPのうち、農業など第1次産業は1.5%。1.5%を守るために98.5%が犠牲になっているのでは」と講演で発言した(記事)。外務省が作成する外交専門誌の『外交 vol.4』においても、8ページで全く同様の発言をしている(資料)。
  119. *覚醒剤を使用すると恐怖心が麻痺する。このため各国は軍隊が覚醒剤を備蓄できるように法律を整えており、戦争に突入したら兵士に覚醒剤を投与して兵士に恐怖心を克服させて戦争を遂行する用意をしている。日本の自衛隊は自衛隊法第115条の3によって覚醒剤の所持が認められているし、アメリカ合衆国の軍隊もアフガニスタン戦争で兵士たちに覚醒剤を供給した。作家の坂口安吾は、覚醒剤を使用して空襲の恐怖から逃れたという(資料動画)。
  120. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵や小泉純一郎が愛読して絶賛するサミュエル・スマイルズの『自助論』には、「不幸や退廃から目をそむけて、幸福感に満ちあふれた楽天的な性格になり、得をしよう」という記述が見られる。
  121. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵や小泉純一郎が愛読して絶賛するサミュエル・スマイルズの『自助論』には、凶悪犯罪の取り締まりに力を注ぐ人が全く登場しない。「凶悪犯罪などこの世に存在しない」といった雰囲気で進んでいく書物である。
  122. *1962年(昭和37年)に策定された第一次全国総合開発計画において「地域間の均衡ある発展」という目標が掲げられ、人口が少ない地域で公共事業を大々的に行うようになった。「地域間の均衡ある発展」やそれを変形させた「国土の均衡ある発展」といった言葉は、全国総合開発計画やそれを引き継いだ国土形成計画において継承されていった。2015年(平成27年)の第二次国土形成計画においても「国土の均衡ある発展」の言葉が盛り込まれている(資料)。

    1972年(昭和47年)6月に田中角栄は『日本列島改造論』という書籍を発表し、「国土の均衡ある発展」を大いに支持する政治姿勢を鮮明にして、同年7月5日の自民党総裁選に勝利して、同年7月7日に首相に就任した。首相に就任してから、その書籍の内容どおりに人口が少ない地域での公共事業を推進した。田中角栄は1974年12月に首相の座を退いたが、自民党の最大派閥である田中派(木曜クラブ)の首領であり続けたため歴代の自民党政権に大きな影響を与え続けており、1980年代中盤までの自民党政権は「角影内閣(角栄が影から操る内閣)」「田中曽根内閣(中曽根康弘首相を田中角栄が影から操る内閣)」などと表現された。田中角栄は1985年2月27日になって脳梗塞に倒れて政治生命を失ったが、田中派(木曜クラブ)やそれから分離独立した竹下派(経世会)が自民党の主流である状況に変化はなく、田中角栄の『日本列島改造論』に示されるような政策が継承された。
  123. *地方 利権 票」と検索するだけで、そうした批判をする記事が山のようにヒットする。
  124. *石原伸晃は、2001年(平成13年)10月16日に島根県松江市でのタウンミーティングで「北海道の高速道路でヒグマが跳ねられた。車よりクマが多いからだ」と発言した。この発言は2004年(平成16年)4月14日衆議院国土交通委員会でも取り上げられ、国土交通大臣に就任していた石原伸晃は答弁に追われている(資料)。
  125. *「違憲状態」というのは、「憲法に違反している状態であるが、その状態が始まってからまだ十分な時間が経っておらず、国会に責任を負わせられない」という意味である。「違憲」というのは、「憲法に違反している状態であり、その状態が始まってから十分な時間が経っており、国会が修正する義務を怠っていて、国会に責任を負わせるべきである」という意味である(資料)。要するに、「違憲」の判決の方が深刻度が高い。
  126. *仮に東京都を1つの選挙区にしつつ1票の重みを均等にしたら、人口過疎地域の選挙区は極めて広大になり、人口過疎地域の選挙区の国会議員の負担が極めて大きくなる。『都道府県を東京都レベルの人口に再編してみた』という動画を見てみると、そのことがよく分かる。
  127. *日本の憲法学の中で標準的な教科書とされている書物は佐藤幸治・京大名誉教授が書いて成文堂から発行している『日本国憲法論 法学叢書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治』だが、その中の406~409ページには議員定数不均衡訴訟の違憲状態判決や違憲判決を支持する文章がある。
  128. *『日本国憲法論 法学叢書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治』の131ページ、134ページ、135ページ
  129. *この思想を持っているとされるのが宮崎駿であり、「TECH WIN 10月号別冊/VIDEO DOO! vol.1(1997年10月1日 アスキー)」などのインタビュー記事でそのようなことを語っている。

    杉田俊介は、「宮崎駿は『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『となりのトトロ』『もののけ姫』『風立ちぬ』といった映画で、手つかずの自然の奥深くにある清浄で神聖な場所を描写している」と指摘している(宮崎駿の自然観について-そのアジア主義的な命脈-杉田俊介)。

    ちなみに日本は火山が多い国であり、全世界の活火山の7%が日本に集中しているほどである(資料)。火山の周辺には火山噴出物(火山砕屑物)が積もっていて、普通の土でできた土地よりも隙間が多くて水を通しやすい土地になっており、雨が降ったら地下に水がしみ込んでいきやすく、地下水や湧き水を作り出しやすい(資料1資料2)。火山である富士山の周辺には湧き水が多く、各種の飲料メーカーがその湧き水を利用してミネラルウォーターを作っている。静岡県富士市も地下水を使って上水道を供給している(資料1資料2)。

    火山の多い日本国では湧き水が多いので、「手つかずの自然の奥深くには豊かに水が湧き出るところがある」という思想を持つ人を生み出しやすい。

    また、火山周辺の湧き水は、火山が作り出した火山砕屑物によって何重にも濾過(ろか)されていて清浄であり、そのまま飲むことも可能である。このため火山周辺の湧き水を「清浄で生命力をもたらすもので尊い」と感じる人が多い。

    このため「手つかずの自然の奥深くに、豊かに水が湧き出てくるような静かで清浄で神聖な場所がある」といった思想は、火山性思想 という風に表現することができる。
  130. *2022年7月28日にJR東日本は路線別の収支を初めて公表し、利用者が少ない地方の35路線の66区間すべてが2019年度に営業赤字だったと発表した。収支が特に厳しい区間はバスへ転換する協議に入りたいという考えを見せた(記事)。
  131. *ちなみに税引後当期純利益というのは会計学風の表現であり、経済学的な表現に直すと「利潤」となる。
  132. *機会損失と機会費用はよく似た意味を持つ言葉であるが、ごくわずかに意味が違う。Aという行為を行わなかったとき、Aという行為で得られるはずだった利益を機会損失という。Aという行為を行わずBという行為を行ったとき、Aという行為で得られるはずだった利益を「Bという行為のための機会費用」という。

    19歳から22歳の4年間を無職で過ごした人がいるのなら、その人は4年間で就職して●千◆百万円の所得を得るはずだったのにそれを行わなかったので、「機会損失●千◆百万円」ということになる。19歳から22歳の4年間を大学で学生として過ごした人がいるのなら、その人は4年間で就職して●千◆百万円の所得を得るはずだったのにそれを行わなかったので、「大学に通うという行為のための機会費用●千◆百万円」ということになる。

    このため本記事では「店が店舗拡張をしなかったとき、店舗拡張で得られるはずだった利益」を機会損失と表現し、「客が行列に並んだとき、行列に並ばず他のことをすることで得られるはずだった利益」を機会費用と表現した。

    とはいえ、機会損失と機会費用は非常によく似ている言葉なので、混同しても大きな問題にはならない。
  133. *「働かざる者食うべからず(He who does not work, neither shall he eat)」とは、新約聖書の「テサロニケ人への第二の手紙3:10」に出てくる言葉を原典とした格言である。共産主義者のウラジーミル・レーニンは論文で盛んに「働かざる者食うべからず」の格言を引用したことで知られている。
  134. *「無料の昼食のようなものは存在しない(There ain't no such things as a free lunch) 」とは、「働かざる者食うべからず」と酷似した格言である。頭文字をとってTANSTAAFL(タンスターフル)と呼ばれ、日本語版Wikipedia記事も作られている。

    ちなみにain't noを本来の表記に戻すとare not noになり、notとnoという2つの否定語が並んだ形となり、この文章においては否定を強調する意味がある。否定語を重ねて否定を強調するのは、くだけた話し言葉ではよくあるが、書き言葉では非標準とされる(大修館書店・ジーニアス英和辞典第4版の「not」の項目より引用)。またare notain'tと省略するのも非標準なもので、スラング・俗語と言っていい表現である。

    There ain't no such things as a free lunchは全体的に俗語という感じの文章なので、そのことを踏まえて邦訳すると「無料の昼食のようなものは存在しねえよ」といった調子になりそうである。

    ミルトン・フリードマンの著書の題名にはThere's no such thing as a free lunchという表現が採用されている(Amazonリンク)。この文章ではthingを単数形にしている。また、否定語がnoだけで標準的な書き言葉であり、There isの短縮形としてThere'sと標準的な書き言葉で表記していて、全体的に標準的な文章になっている。
  135. *新自由主義の信奉者とされる竹中平蔵や小泉純一郎が愛読して絶賛するサミュエル・スマイルズの『自助論』には、「決意さえ固めたら何でもできるようになる。心からの決意は全能の神ほどの力を持っている」という記述が見られる。
  136. *埼玉県資料
  137. *『日本国憲法論 法学叢書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治』の131ページ、134ページ、135ページ
  138. *ちなみに日本は日銀法第4条で「日本銀行は、その行う通貨及び金融の調節が経済政策の一環をなすものであることを踏まえ、それが政府の経済政策の基本方針と整合的なものとなるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない」と定められている国であり、この条文をそのまま読めば「中央銀行の独立性が全く存在しない国」ということになる。日銀法第54条第3項で「日本銀行の総裁若しくは政策委員会の議長又はそれらの指定する代理者は、日本銀行の業務及び財産の状況について各議院又はその委員会から説明のため出席することを求められたときは、当該各議院又は委員会に出席しなければならない」と定められ、日銀法第56条で「財務大臣又は内閣総理大臣は、日本銀行又はその役員若しくは職員の行為がこの法律若しくは他の法令若しくは定款に違反し、又は違反するおそれがあると認めるときは、日本銀行に対し、当該行為の是正のため必要な措置を講ずることを求めることができる」と定められているので、日銀は日銀法第4条を無視して「中央銀行の独立」を目指した際に、立法府と行政府の両方から厳しい反発を受けることになる。
  139. *養子は江戸時代の日本で非常に盛んに行われた。「江戸時代の家系図をみてみたが養子が多くて驚いた」といったことを語る人がTwitterにも多く存在する(検索例)。
  140. *ちなみに2016年7月26日に神奈川県相模原市で相模原障害者施設殺傷事件を起こした植松聖は、「障害者を殺害することで社会保障費を削減できる」といった内容の発言をしており(記事1記事2記事3)、緊縮財政を愛する新自由主義者とよく似た考え方を持つ人物である。
  141. *『日本国憲法論 法学叢書7 2011年4月20日初版(成文堂)佐藤幸治』の131ページ、134ページ、135ページ
  142. *【竹中平蔵の骨太対談】vol.29 天は自ら助くる者を助く 自助・自立の勧め/vs リンクアンドモチベーション社長 小笹芳央にて、竹中平蔵が「小泉純一郎にとって一番好きな本のうちの1つが『自助論』である」と証言している。また、竹中平蔵も『自助論』が好きで、「ゼミの学生に経済学の本よりも先に『自助論』を読ませる」と語っている。また、渡部昇一も『歴史の鉄則』などの自著で『自助論』を絶賛していた。マーガレット・サッチャーも『自助論』を愛読し、「英国の全ての小学生に『自助論』を贈りたい」と発言したという(記事)。

    ちなみに竹中平蔵と渡部昇一とマーガレット・サッチャーはいずれも商店を実家としており、両親が商店の経営者だった。『自助論』の著者サミュエル・スマイルズも商店を実家としており、両親が商店の経営者だった。こうした共通点も注目すべきところである。
  143. *汪暉(著)、石井剛・羽根次郎(翻訳).『世界史のなかの中国:文革・琉球・チベット』.青土社,2011年,p.132
  144. *ポール・クルーグマンの『格差はつくられた』の119ページでこの事件が語られている。1976年の大統領選挙に出馬したロナルド・レーガンはシカゴで起こった福祉詐欺事件を大袈裟に誇張し、「福祉の女王」という表現を広めた。このときレーガンが批判したのはリンダ・テイラーという女性で、黒人の父親と白人の母親の間に生まれた人であり、つまりは黒人と扱われるタイプの女性だった。「レーガンなどの保守派は、人々の人種差別意識を利用して福祉予算を削減しようとする傾向がある」という内容のことをクルーグマンは『格差はつくられた』の117~121ページで語っている。
  145. *累進課税を弱体化させるとこうした大企業経営者の姿が見られることは、トマ・ピケティが『21世紀の資本』の532ページで、ポール・クルーグマンが『格差はつくられた』の101~104ページで、それぞれ指摘している。
  146. *致命的な思い上がり(the fatal conceit)」というのはフリードリヒ・ハイエクの言葉である。フリードリヒ・ハイエクは、統制経済・計画経済を推し進めた共産主義国の経済官僚を批判するとき、「彼らは『人はどんな複雑な経済現象も完全に支配する理性・知性を持っている』と考えており、致命的な思い上がりをしている」と表現した。最晩年の著作の題名も『致命的な思い上がり(The Fatal Conceit)』というものである。
  147. *宗教団体の「宗教活動によって得られる法人所得」に対して政府が法人税を課税しない理由の1つには、「人々の心のよりどころとなっている宗教団体が倒産しにくく永続しやすい団体になれば、人心が安定する」といったものが考えられる。

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