日独伊三国軍事同盟 単語


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日独伊三国軍事同盟とは、1940年9月27日に締結された軍事同盟である。
正式名称は「日本國、独逸國及伊太利國間三國條約」。

概要

先に締結された日独伊防共協定を軍事同盟に発展させたもので、のちの枢軸国の骨子となった。

1936年11月25日に日独防共協定が締結され、仮想敵ソ連を警戒する国同士緊密な関係になった。しかし何を思ったのかドイツとソ連との間に突如不可侵条約が結ばれた。このため一度はドイツとの距離が離れたが、第二次世界大戦におけるドイツ軍の精強っぷりに親ドイツ派が再燃。世論は日独関係強化を望んだ。ドイツを模範として育ってきた日本陸軍は親ドイツ派が多く、関係強化に積極的だった。一方で海軍は反ドイツ派だったため、陸海軍で喧嘩が勃発。特に反ドイツの象徴的存在だった山本五十六長官は陸軍に恨まれており、暗殺を警戒した海軍大臣に戦艦長門へ異動させられる事態にまで発展した。海軍の反対とは裏腹に、ドイツとの距離は徐々に縮まっていった。

1937年7月より勃発した支那事変が未だ終結の兆しが見えず、国際社会から孤立しつつあった日本政府は圧力を強めてくるアメリカへの牽制を考えていた。とても強いドイツと連携する事は、敵・中華民国を支援するアメリカへの威嚇に打ってつけだった。一方のドイツもアジア方面から米英仏等を牽制して貰いたかったので、1939年1月に日本を同盟に誘った。ちょうどその頃、何かと親しいイタリアが英仏と対立して国際社会から孤立していた。このためイタリアにも声をかけて同盟を持ちかけた。

1940年9月にハインリッヒ・シュマーター特使が来日。松岡外相と交渉に入った。この頃になると、海軍内から盛んに上がっていた反対意見も少なくなっていた。そして9月27日にベルリンで日独伊三国同盟が調印された。同盟を大別すると「独伊は日本が築こうとしている大東亜共栄圏を認める事」「日本はドイツとイタリアのヨーロッパ新秩序を認める事」「日独伊のうち一ヶ国が攻撃を受けた時は、他二ヶ国が攻撃を仕掛けた国に宣戦布告し、軍事と経済支援を行う」「有効期限は10年」になる。元の防共協定はソ連を仮想的にした同盟だったが、三国軍事同盟ではアメリカも仮想敵に加えている。日本は三国同盟にソ連を加えた四国同盟を構想していたが、ヒトラーの支持を得られなかったので単独で交渉する羽目になる。こうして日独伊は同盟国の関係になり、軍事顧問として中華民国に力を貸していたファルケンハウゼンが本国に引き上げた。

11月23日、ハンガリー、ルーマニア、スロバキアが三国同盟に参加。1941年3月1日にはブルガリアが参加した。ドイツはユーゴスラビアに圧力をかけて3月25日に三国同盟に参加させたが、反枢軸派のクーデターによって政権が転覆。これに激怒したヒトラーはバルカン半島に侵攻し、ユーゴスラビアを粉砕。新たに誕生したクロアチア独立国が6月15日に参加した。

第二次世界大戦中の1943年9月にイタリア王国が降伏し、日独伊の一角が崩れる。が、直後に成立したイタリア社会主義共和国が抜けたイタリア王国の代わりに参加。しかし1945年5月8日、イタリア及びドイツの降伏によって日本一国だけになってしまったため三国軍事同盟は消滅した。

加盟国

  • ナチスドイツ
  • 大日本帝國
  • イタリア王国(1943年の休戦後はイタリア社会共和国が加盟)
  • ルーマニア
  • ハンガリー
  • ブルガリア
  • スロバキア
  • クロアチア独立国
     

関連項目

  • 第二次世界大戦
  • 枢軸国
  • 軍事関連項目一覧
  • 日独防共協定

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