日蓮正宗 単語


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日蓮正宗とは、日蓮を宗祖する伝統系日蓮教団の内、日蓮の高弟の日興を派祖として大石寺を総本山とする宗派である。現在の法主(六十八世)は早瀬日如(常聡院日如)である。

概要

日蓮没後、日蓮の高弟である六老僧(日昭・日郎・日興・日向・日頂・日持)は身延山の日蓮の墓に輪番制で奉仕することを、当時他用で不在であった日向・日頂以外の六老僧で定めたが、富士周辺を布教地帯とする日興以外の五老僧は布教や弟子の育成で忙しく身延山へ登山することが困難であった。
この為、富士周辺に在住している日興と六老僧は次第に不仲になっていった。身延山久遠寺の開基檀那の地頭・波木井実長(日興が教化し、日蓮に帰依した)は日興に身延山久遠寺の住職に晋山することを要請した。日興が他の六老僧と疎遠になっていた間に、六老僧の一人である日向が身延へ登山してきたので、日興は日向を学頭職につけた。地頭・波木井実長はこれを歓迎して日興とともに迎え入れた。
しかし、日蓮の教義の変遷により、日蓮は日本国にいる神が居なくなっていると言っており、波木井実長はその教義を受け入れることができなかったため、厳格に日蓮の教義を伝持したいと考えていた日興と波木井実長は次第に不仲になっていく。
日興は日蓮の本尊や文章等を持ち出し身延山久遠寺を離れ、富士山嶺の地頭・南条時光の招請により、現在の上条の地(大石ヶ原)に大石寺を創建した。
その後、身延山久遠寺には日向が、地頭波木井実長の推挙により晋山した。
また、富士に下った日興も日朗や日昭、日頂と和解している。
ただし、信仰上の違いがあるためその点については和解していない。
(上記は日蓮正宗の立場であって日蓮宗の立場は又違う)

日蓮正宗の特徴

前提条件
当時、中国から伝わった「正法(釈迦の教義が正しく伝わる期間)一千年間・像法(釈迦の教義が正法でないにしろ伝わる期間)一千年間・末法(間違った教えが広がる期間)一万年間の考え方により日蓮は末法には法華経に予言として記されている地涌の菩薩(複数)が出現し、末法を守る。「自分は地涌の菩薩である。」と自覚して布教していった。
(このため、どこの仏教教団でもある一定の集団は祖師信仰を保持しており、日蓮宗内でも日興門派の寺院は祖師信仰がある。)

 1.教義

  • 本門戒壇の大御本尊
  • 日蓮が中老僧日法によって謹刻させたと言われる本尊であり、日蓮正宗のすべての本尊の根源であるとされている。
     日蓮正宗の信仰はこの大御本尊を信仰し、帰依するということを意味している。
  • 宗祖本仏論
  • 日蓮は地涌の菩薩として、法華経に説かれる久遠実成の釈迦(唯一神的な仏)に末法を付属された立場であるが、逆の見方をすると末法万年という 困難な時代に対して「久遠実成の釈迦でも救えきれない」として、祖師信仰と習合し地涌の菩薩(日蓮)が実は本仏(仏の中で一番偉く一番最初に悟った仏)として末法に法華経を布教するために僧として仮の形で現れたのであって、日蓮のその正体は本仏であるという信仰している。
  • 法主の血脈相承
    日蓮が日興以下大石寺の歴代住職に法を付嘱したという立場のため、本尊の書写、教義解釈の裁量は法主(大石寺住職)だけが持つ権能とされている。このため、大石寺住職が法主(法脈継承者)、管長(宗教法人上の代表責任者)、総本山住職の任を兼ねている。

 2.戒律

  • 謗法厳誡
  • 日蓮が書写し定めた十界曼荼羅本尊以外の本尊を崇めることを「謗法(正法を信仰しないことによって正法を謗る行為としている)」といい、 日蓮が立正安国論の中で「日本の神は日本の国主が法華経を信じないから天上に帰った。」としているため神社及び他宗教の寺院の本尊を拝んではならないとする事をもって戒律とする。
    ただし、神社に祭祀されている神様を拝もうとするならば、ご神体を十界曼荼羅にすることで拝めるようなシステムになっている。
    (宗内では正式名称を金剛宝器戒と言われ、日蓮正宗に帰依する際に通称「御受戒」といい誓約する)
    立正安国論や日蓮の真蹟である諌暁八幡抄(日本の最高神に次ぐとされていた八幡大菩薩を日蓮が叱る内容)を有しているために謗法厳誡の傾向は強く、宗内に伝統として保持されている。
3.布教活動 
  • 折伏と言われる論理的に仏教を解釈し、論破する布教方法をする。
    しかし、日蓮正宗では「相手に礼儀を正して接するようにしなければならない」(感情的な喧嘩になってはいけない)と規定している。全世界に布教する事を目指している。
    信徒に日蓮仏教のみならず仏教諸派の学問を納めるように指導している。(最近は自分の理解度を知るために教学試験というものがあり宗門が実施している。)

 4.生死観

  • 上記のように謗法厳誡という戒律と、日蓮の四箇格言があるために、鎌倉時代から続く伝統仏教教団として独特の生死観を有している。 また、日蓮自身がその著作(妙法尼抄・千日尼抄)の中で臨終の相は「大論・摩訶止観に書かれているように大事なこと」として説いている。 (伝統仏教教団なので、古来からその言い伝えがある。死相観ばかり有名であるが、一番大事なのは「臨終に対する心構え」と「臨終者への心遣い」である)
  • 臨終の作法として、臨終者は家人が泣き叫ぶことを辛く痛く不安に思うものなので、泣き叫んだりすることを慎んで静かに爽やかにゆっくりと唱題(南無妙法蓮華経を連続して唱えること)しながら見送ってあげるのが良いとされている。
    臨終の際に、五辛(ネギ・にんにく・はじかみ・ニラ・らっきょう)を食べた人や、お酒を飲んだ人を近くづけ臨終者の心を不快にしてはいけないとしている。
    臨終に際しては本人が息を引き取ったあとでもしばらく静かに唱題することで、底心に呼びかけることで動けなくなったあとの無意識の層に一心に題目に注視させることで安心させてあげることでもあるとしている。

総本山・本山・寺院

  • 静岡県富士宮市上条にある大石寺(白蓮阿闍梨伯耆房日興開基)を以て総本山とする。正式名称は「多宝富士大日蓮華山大石寺」と言い、「大石寺」は大石ヶ原の地名から仮にとったものであるとして、 全世界に布教した暁には「大本門寺」と号する予定であると言われている。
  • 境内地は南北約1550m、東西約1150mで約70ヘクタールあり、御影堂・五重塔・三門等の歴史的建築物から
     山内には塔頭寺院として約20の坊舎(寺院)があり、その他、御宝蔵・多宝蔵、経蔵、十二角堂、鐘楼、鼓楼、五つの門(不開門・総門・二天門・鬼門・裏門)等からなる巨大寺院である。
  • その他の本山として、以下の三本山がある。
    ・下条妙蓮寺(多宝富士山妙蓮寺)二十家阿闍梨寂日房日華開基
    ・讃岐本門寺(高永山本門寺)   二十家阿闍梨寂日房日華開基
    ・日向定善寺(日知屋山定善寺)   薩摩阿闍梨日叡開基
  • 末寺として全国に七百カ寺等ある。

その他

・法主の下に若干名の能化衆(権僧正以上の僧侶は日号「〇〇院日○能化」を名乗れる。能化以下は「〇〇阿闍梨〇〇房日○」)がいる。
・日蓮正宗は謗法厳誡であるため厳しい宗派であると思われがちだが、各末寺においては結構フランクなお坊さん(ご住職・ご主管)もいたりして、いろいろな相談にのってくれる。
・お盆などのお祀りの仕方は日蓮正宗で正式なものは一応あるのだが、地域に合わせた柔軟さも持っている。
・wikiで書かれている主要な祭事以外にも、末寺が正月用に企画している餅つき大会とか成人式とか結婚式とかもある。
・仏像の造立は日蓮の立てた本尊とは違い十界総具ではないとして謗法として禁止しているが、フィギュア(人形やドール含む)は本尊ではないから飾っても良い。(ただし仏壇以外に)
・謗法に厳しいのと同時に、教義をある程度習得すると法華経サイクルにはまり「俺が俺が」となりやすいので、
 「俺が俺が」といった自分勝手な行動や、勝手な教義の改変は慎むべき行動とされている。
・日蓮宗とは学術的な交流はあるが、宗教儀礼的な交流はない。また、萌え系の方法論についても交流はない。
・初音ミクはニコニコ内においては「天使」と形容されるが、初音ミクに萌える行為は生命の温かみを感じる行為であって、宗教的行為ではないため「萌え」は特に禁止されていない。
・真っ当に信仰や仕事を続けていると、青い子みたいに自身のソウルジェム的なもの(心)が黒くなって魔女化(頭破七分)しそうになるが、そんなときはお題目をあげてフラストレーションを開放してやるといいです。
・それでも苦しい時は、総本山に参詣して山内を探索してソウルジェム的なものを浄化します。
・ご本尊は十界曼荼羅というインデックスでもある。勇気を失ったら、御書(日蓮遺文)を検索してがんばる。
頑張れないときは、無理やり頑張らなくてもいい。なに、人間誰だってそんな時はあるさ。
・宗派を変える際は、家族親族共によく協議して変更することを薦めている。(無理矢理宗派を変えさせる様な真似はさせてはならない)
・ご供養(お布施)は強制されないので、自分の出来る範囲ですることが望ましい。(大根が豊作だから、大根をご供養するでも可能)
・大乗仏教の信仰者として信徒が守るべき五戒があるが、血流を良くし暖を取るためにお酒を飲んでもいい。(ただし飲み過ぎて前後不覚になってはいけない)
・神主さんの普段着(白衣・袴)ような格好の上に僧衣(袈裟・衣)を着用する。

・題目(南無妙法蓮華経)は「な みょう ほう れん げ きょう」と読むとしている。(日蓮宗の場合、「な みょう ほう れん げ きょう」と読む)

・信仰は「火の燃え滾るようにするのではなく、水が流れるように」するのがいいとされている。

関連項目(´・ω・`)

当時の思想史を省みることによって、日蓮の説いた思想というものが顕らかになる一助になれば、私にとっても幸いであると感じます。(´・ω・`)

仏教史を一通り、振り返ってみればわかりますが「地獄に堕ちる。」等の文句は日蓮に限ったものではなく、仏教の三蔵(経・律・論)つまり、「悟った人の言葉・僧侶の集団のルール・注釈や解釈」を見れば見るほど極めて当たり前の「慣用句」でした。

その他にも、仏教的に誹謗中傷合戦を遡れば第一回経典結集の時からアーナンダさんがマハーカッサパから虐められ、ディーバ・ダッタが破和合罪で僧団を追放されずに悪者として描かれ(以下は省略されました…。

数えてみたわけではありませんが、仏教書を読みますと結構色々と悪口っぽいのが書いてあります。今現在に残っているテキストの具体例は上げませんが、仏教徒にとって…もうね…憧れのお祖師様がこんな事言うわけ無いよ(白目) って、いうのは仏教史をたどるとみんな通る道なので(ry

基本的に一切経(大蔵経)を一通り読めば、まるで人体の様に思えます。宗派の祖師たちも一切経を何度も読まれ、其の全体像に対して気がついた事など幾多もあるでしょう。愚凡なる筆者の筆に表すには恐れ多いことです。(だから、筆者のストーキングとかやめて。個人特定とかしないで、社会的に抹殺しないで((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル)

話を戻し、一切経が模す物が人体であるなら「心はどこか、頭はどこか、手は、足は、五臓六腑は…」という風に感じるはずです。その中で、法華経を中心に据えた方が日蓮です。富士門流では派祖であり、直接の高弟の一人である日興の主導で、日蓮遷化後すぐにご遺文である御書(手紙や著作集)の散逸を防ぎ、積極的に収集を行って来ました。

(日蓮自身が重要な著作は保管目的のため、論書等、富豪の富木常忍に託しています。)

日蓮在世の当時も基本的には平安時代の風習が残っており「文章というのは漢文、異論は認めない(キリッ ひらがな使う奴はスイーツ(笑)」と、した雰囲気でした。 日蓮は和文である「ひらがな」を用いて、カウンセリングを行った女性に手紙を差し出して居ます。…やだ、あの御坊(日蓮)様、マジ女子力高い(ゴロンゴロン

というわけで、富士門流(日蓮正宗含む)は日蓮の直弟子日興の代から「漢文」「和文」の差別なく収集し、学究研鑽を行い、教理を深化させたところです。(日蓮の高弟の中にも、「和文はちょっとスイーツだよねorz」と思われた方がいたらしく、日蓮遷化後、「日興が聞くところによれば師匠(日蓮)の直筆の手紙を「再生紙」にしたり、「師匠の黒歴史まっさつ☆」とばかりに焼いたりしている様ですね…(愕然)」とかありました。)

あと、日蓮の女子力高さは日興にも受け継がれています。日興はウリ(スイーツ)が好きだったようです。重須談所(重須本門寺)でのこと、普段厳しくツンツンしている日興が、偶然ウリにがぶりと囓っている姿を弟子に見られました。その時、日興は思いました。「普段弟子には厳しく接してるつもりなのに、あんな姿見られて、やだ…は、恥ずかしい/// (主意)」って記録に書いてあります…ええ(白目)

あと、日蓮の手紙の中で「月水御書」と呼ばれるものがあります。

「月水」いわゆる「生理・月経」というもので・・・。法華経は女人作仏(それまで女性は成仏できないとされてきた。)を説いた関係上、女性とも関係が深く日蓮が女性のカウンセリングを行った際、質問に答えたお手紙です。

女性(プライバシー保護のため名前は伏せさせて頂きます。)「生理って汚いですか?生理の時は、どうして過ごしていたほうがいいですか?」

日蓮「生理は穢れじゃありません(´・ω・`) 命のもといです。安静にしてくださいませ」と書いています。また、

「死の床にあっては、命を少しでも長らえるために(戒に拘らず)栄養のある魚鳥を食べてもいいんですよ。」とも・・・。

【聖典】

日蓮の遺文だいたい全部。

妙法蓮華経その他天台宗関係の書類。

(玄奘三蔵がインドから中国へ持ち帰った新訳に対して、旧訳の「妙法蓮華経」を所依の経典とします。法華経の心を知っている、韻律が美しい、訳が壮大でカッコイイ等の理由です。)

 

【日蓮本佛論】

まあ、どこの宗派でもそうですけど、宗祖に対して「お師匠様…お師匠様(´;ω;`)」っていう弟子の追慕の念はあります。元々、お寺の配置で重要な仏舎利を祀ってた塔(ストゥーパ)が寺院の中心になっていたことからも、祖師信仰というのは大切であると推察されますね。日興は特にその思いが強く、末法に対して自分で立宗布教(普通、立宗した僧と、布教して広めた僧は別。)した法花聖人(日蓮)を尊崇していました。その為、富士門流の日蓮正宗においては本堂≒御影堂とされています。

 

【鎌倉仏教の特徴】

比叡山の伝教大師最澄は平安時代、他の仏僧との法義上の論争・弟子の育成等忙しく、最澄の在世中に自身の法華一乗の思想を纏めきることが出来ませんでした。(天台宗の最澄は法相宗の徳一(福島県)との五性各別論・三乗一実論争等がありましたが・・・色々有ってうやむやです。)

その為、弟子にとっては最澄の思想を継承し、まとめる余地があります。(円珍・円仁の密教補完計画等)

また、鎌倉時代の新仏教当時の思想史に於ける特徴の一つには、中国から伝わった「末法思想」(終末論の一つ。)があります。鎌倉新仏教において有名な祖師が誕生したのも抑々、その「末法思想に対する対処のため」であります。

ただ、平安後期~鎌倉時代の比叡山は密教に押されがちながらも、基本的には法華一乗の思想が基本にありました。

【布教活動】

折伏はあくまで、法華経の心である「あなたと成仏したい♡(CV:か○○○み)」(法華経本門要品・如来寿量品第十六自我偈

「毎(つね)にわたくし(仏)は割愛を離れる気づき(悟り)が皆さんにある事を、思っています・・・あなたと成仏したい・・・。」)を広める為にしているのであって、

そこに

崇めよ我こそが唯一絶対の神なり」といった思い上がり・差別意識を持ち込み、その格差の押し付けをする行為は、法華経・日蓮の本意に適わないことだろうと感じます。

しかしまあ、当時は「賭け問答」なんていくらでもありましたし、末法(という時代)の始まりの時期でしたし全部が全部肯定・否定できるものではありませんが(白目)

…一応、宗論で勝ったとしても、負けたとしても(釈迦)・(日蓮)の恥なので、気を付けられますようにorz。

例・仙代問答:日興の高弟の日仙・日代の問答。結論として、両師はお互いに拠点の寺(重須談所・現本門寺)より退出することになった。)

基本的に折伏とは「礼儀正しく、しつこくなく、「あなたと成仏したい♡(CV:○○○み)」という事実を伝える事」です。まあ、しかし設定が膨大なので、全部話すには長い時間が必要です。その為、自らの行動すべてが折伏になります。

つまり…「優しく、律儀で、礼儀正しく、驕らず、思い遣りがあり、公平で、誠実な人になるのが…そのまま折伏なのです。(化儀の折伏)

あと、銭ゲバじゃないので布施(三宝尊への供養)にこだわりは有りません。頂けるモノを有りがたく受け取り、御宝前に供え、住職と信徒は常不軽菩薩の様にお互いにこやかに「ありがとう」「いいえ、どういいしまして」というやり取りを目指します。

実は、日蓮自身「牛蒡とか蒟蒻とかありがとう」って手紙が多いです。時には「供養の食料、50種類全部の名前を一々上げて食料を布施(供養)に関する御礼の手紙を送られています。其の様に食べ物の手紙が多いのも特徴で、当時の僧侶がどのような物を頂いて(食べて)いたか、歴史的な資料価値が高いです。

因みに日蓮正宗はもともと貧乏寺院なので、時の法主・大石寺六十六世日達は『いざとなったら鍬持って畑を耕します。(キリッ)』という、言葉を残しています。

【ちょっと注意】

日蓮正宗ではよく「他宗派」を「邪宗」・「邪教」と言いますが、あくまでも「歴史用語」であり、伝統的な言い方なのです。ですので、知らない人から見れば「差別的」というイメージで思われています。現在では「他宗派」「異流義」と呼ぶことがあります。(また、興奮して一方的に「邪宗」「邪宗」と言っている輩に対しては一知半解の増上慢(思い上がり)の行為として見做しているフシがあります。それは、まるで好きなアーティストにのめり込んだ痛いファンを見る目のようで、なんとも言えない気分です。…ヨハネ・クラウザーⅡ世さんを真似た弟くんのように。その時に法主はベーベーしたり、鎌で畑の草を刈ったりして、自ら範を示しています。

取り敢えず崇拝の対象がミュージシャンにせよ、モンスタースパゲッティ教にせよ、クツゥルーにせよ・・・信仰の初心者が落ちうる魔境の一つです。法華経や日蓮にその要素がないわけではありませんが、結局、自分自身の制御の問題ですね…。誰でもそういう万能感を望む面は持ってますし…ただ、自分を解き放つというのは、自分勝手にしていいということではありません。マナーとかモラルとかデリカシーとか大切(´・ω・`)

自己が尊大であるという錯覚をおこすのは、長い人生の中、人間誰しもあることですがよくよく注意せねばなりません。

(なので、そんな時は手続きの師(末寺住職)が冷静になるようにベーベーします。)

 

…それにただの常識なしって思われちゃうしさ…。少し落ち着いて考えれば…本人にとって黒歴史に間違いありませんよ。 手続きの師匠(末寺の住職)さんとニコニコとお話ししながら、万能感から抜け出すように努めて自らの仕事に励む事が大切です。

(…勝てばいい?どこのう○たんだーなの?某大統領がパワードスーツ着て戦うステートじゃないんだよ・・・orz) 

【言論活動】

日蓮は「鎮護国家」「草木国土一切成仏」「宗教的危機管理」の側面から言論的には過激ですが、やることは非常に地味です。お手紙書いたり、教科書作ったり、解説書作ったり、設定考えたり、辻(スラムの街角)で説法したり、迫害されたり、迫害されたり(ry

…は、迫害されたり(´;ω;`)ウッ… 

でも、でも・・・そんな時でも、富士山(大本門寺)になるって言っただろ・・・日本一になるって(開目抄)言っただろ・・・ネバーギブアップ!(CV:炎の妖精・BGM:夏影)

まあ、でも…やはりツテもコネも頼りない徒手空拳の学僧がそれなりに為政者に伝えようとしたら、インパクトが大切になってきます。日蓮も「貞観政要に諫言は正義(キリッ 過去の偉大な賢聖・僧侶も言ってるし…)という考えの元、立正安国論を上奏しました。

基本的に、日本には言霊信仰 (言葉には霊威があり、口にすることで暴力にもなる) がありますので、「悪口は言ってはいけません。(御成敗式目の条文)」で捕まえられたり、(ry

…で、(中略) 四大法難と呼ばれるように、超虐められました。 (因みに佐渡流罪の刑罰がある記録中、公式に生還できた人は21/700[人] の一人。生還確率3[%])

 

【四箇格言】

抑々、四箇格言は日蓮が書いたことをそれぞれ抜き出し、「他人が一つにまとめたもの」…らしいので、格言の前後の文章を読まなければその真意は分かりかねるものです。(偏向報道をするようなもので、雰囲気脳の方にはあらぬ誤解を受けるので、伝統系日蓮教団は頭を悩ませております。…ぐぬぬ。)

すなわち、日蓮系伝統仏教諸派(日蓮正宗含む)はスローガン・シュプレヒコールとして「四箇格言」を声高に叫び、必要以上に他宗を貶める行為に対して忌避まではしていませんが、どちらかというと否定的ですね…。

 

【真言亡国】

日蓮「密教学んだけどさ、結局は密教修法しても…現実的にはなんの救済にもならないし、僧侶が宇宙の真理的存在と一体になったところで、人々を救えてないのって何でなの(´;ω;`)そもそも「宇宙の真理的存在と一体になる」って在家さん向けじゃないし、それは完全にこの終末に必要な救済じゃないよね…それに、仏教の祖であるお釈迦様disって、俺の考えた仏様最強って…( ゚д゚)ポカーン い…や、マテ…でも私もちょっと厨二病の時マントラカッコイイって思ってた。真言の相承譜とか書いてたし(略)」

 

【禅天魔】

当時の禅は『海外留学帰りの超絶エリート千光国師栄西』の禅風が鎌倉(坂東八カ国の首都)に持ち込まれていました。千光国師栄西は武家の格式ある寺(寺を建てることが当時のセレブのステータス)である建仁寺に、真言院を置いたりするなどして他宗の古寺名刹の政治的な横槍をかわしていました。…それでまあ、日蓮も思ったんですー「いくらお釈迦様が禅定(座禅)で悟りを開いたからって、教化別伝・不立文字で意思が伝わるわけ無いよ…(´・ω・`)悟りなんてもっと無理だよ(白目) 場をわきまえるっていうのはわかるけど、拈華微笑の「空気読め」だけで伝わったら、抑々お経(文字)なんて要らないよねorz 大体、「不立文字・教化別伝」って言いながらお経に証拠を求めるあたり…どうなんだろうね(トオイメ 」

【念仏無間】

法然房源空(大師号多数の為、割愛。遠忌毎に大師号が追贈される。2011年現在記録更新中)は幼少時に無残にも両親を殺されました。武士であった父から遺言として「復讐してはならない」と言われ、地元の寺から比叡山に登山(入門)し、比叡山の奥義を極め戒律を保つ高名な聖僧でしたが、末法(終わり)のはじまりに対して有効的な手段を持ち合わせていませんでした。

比叡山は四宗兼学総合大学の役割を果たしていましたので、その中の浄土教の選択を行った法然房源空は自ら「異端」であるという自覚を持っていました。

しかし、日本に住む沢山の悩める人を救う事が出来れば…との思いから「称名念仏」を薦めました。

天台宗自らが法華一乗を正義とする思想史の流れの中で「異端」であることを知っていた法然房源空は、布教のおり当時の為政者から迫害されました。これは、歴史的事実です。法然房源空は遷化されるまで、当時としては珍しく持戒していた聖僧でした。しかし、浄土教を選択し「捨閉閣抛」と呼ばれるように「聖道門、と呼ばれる自力修行・菩提心(悟りたいと思う気持ち)の否定」を行った為、当時の仏教界からも否定的な「異端」として見られていました。

が、元々浄土教の流行もあって、徐々に受け入れられます。

それ故にまた「本願誇り」と言われる、「阿弥陀様が救ってくれるってよ! 世紀末だぜヒャッハー」状態に陥る者がおり、法然房源空もその様な輩や行動には頭を悩ませていたようです。現に法然房源空は「いくら、弥陀が救うと言っても、世紀末だぜヒャッハーは慎まなければならない。」と説いています。

「排他的」という面では、法華教も浄土教もまた「排他的」に含まれます。(ただし、日蓮教団の祖である日蓮は言論の上で過激なだけで、基本的に忍辱していました。また、日本浄土宗の宗祖である法然房源空、浄土真宗の祖である親鸞は末法無戒である事に対して訓戒を出して積極的に、戒めています。)

日蓮は法然房源空の「阿弥陀様が救ってくれる」「他の経を捨てろ、閉じろ、閣(さしおき)、抛(なげう)て」とするなら、「そもそもそれは仏教(渇愛から離れる気づき)なのかな、かな?(CV:竜宮レナ) つまり「菩提心(さとりを求めるこころ)の否定」だよね。それって…人が働かず、妄想に逃げたとしても、結局それは「無間地獄(絶え間ない永遠の苦しみ)」じゃん。実際に人は救えないじゃん(´;ω;`)」ってものです。

 

【律国賊】

リッちゃんは可愛いですよ(ry

…げほん。(咳払い) 伝教大師最澄が目指した大乗戒壇設立(250個の戒律を10個位にしましょう運動)があり、日蓮は「今更、250個の戒律教条主義にこだわっても、それは悩める人たちを救うことになるのかな?お釈迦様の生きていた時代でさえ持戒は難しい事なら、数の多い戒律の枝葉末節に拘っても仕方ないと思う。それは形式的な教条主義であり、仏教(渇愛から離れる気づき)の本質なのかな?もっと大切なのは、「あなたと成仏したい♡(CV:かかず ゆみ)」っていう思い遣りじゃないの?」ということであります。

因みに律国賊の首魁として名前の挙がっている忍性房良観は慈善事業を多くした事で有名ですが、その為に関所(ここを通りたければ金払え的施設・高速料金所が完全武装してる処)を設けるのは違うんじゃないの?というのが、日蓮の言ったことでして…まあ、救済のためと言いながら、権利者商売をする輩と同じで某アグネ・・・うわやめろ…くぁwせdrftgyふじこlp

「慈善活動をやるために関所を儲けるなんてことは…慈善事業団体の活動の為に慈善行為を行っている状態だよね…?それは、慈善活動をやるために関所を儲けるなんてことは…違うんじゃないかな…国のためを言い訳にしながら、クニ(land)から商売するなんて盗賊みたいな行為…私は違うと思うよ(キリッ (主意))」

というわけで、リッちゃんは可愛いですよ(ry

 

【正統の主張】

・・・とまあ、ざっと紹介しましたが・・・この文章では決して各宗派の祖師や宗祖・日蓮大聖人をdisっているわけではありません。 各宗祖の伝えたいこともわかります。日蓮自身の思考にも論理が飛躍している部分があります。頭のいい人の走り書きって一見意味が通じないのと一緒です。ただ、日蓮が伝えたかったこと、というのは・・・「南無妙法蓮華経(あなたと一緒に悟りたい)」という切なる願いの様に感じられます。

法華教復興の潮流の中で所謂、サイコパス(独善・無反省・良心の欠如)の象徴の様に見られることの多い日蓮ですが、少し視野を広げて全体像を見渡すと、日蓮の「厳しい優しさ」は不条理に対する「やるせなさ」の吐露だとも感じられます。

A:「でも、一天四海広宣流布なんて無理だよね・・・。」

B:「まあ、でもそうあせらずに・・・宗祖も大変お酒を好まれていたと聞きます。どうですここは一杯?

   

やあ (´・ω・`)

ようこそ、バーボンハウスへ。

このテキーラはサービスだから、まず飲んで落ち着いて欲しい。


うん、「また」なんだ。済まない。

仏の顔もって言うしね、謝って許してもらおうとも思っていない。


でも、このキーワードを見たとき、君は、きっと言葉では言い表せない

「ときめき」みたいなものを感じてくれたと思う。

殺伐とした世の中で、そういう気持ちを忘れないで欲しい

そう思って、このキーワードを作ったんだ。


じゃあ、注文を聞こうか

日興の素朴な祖師信仰が富士門流の原点です。日目の苛烈な42回にも及ぶ天奏の歴史が「南無妙法蓮華経(あなたと一緒に悟りたい)」というただ一つの願い。依存関係でもなく、孤独でもなく、共存関係でもなく、互恵関係をつくれれば、その時「南無妙法蓮華経(あなたと一緒に悟りたい)」という願いはあなた自身をあなた自身たらしめることによって、ポジティブに最初の一歩を踏み出す「勇気」を持てるのではないでしょうか(´・ω・`?)

大丈夫、一寸先は闇・障子に目有り・壁に耳あり・戸板一枚下は地獄・・・それらではありません。日蓮の思い遣りはあなたの抱える不安も寂しさも、分かち合いましょう。あなたと共にあります。願わくば、その優しさを誰か同じく悩む人に教えてあげてください。

日蓮正宗の折伏は「優しく、律儀で、礼儀正しく、驕らず、嘘をつかず、思い遣りがあり、公平で、誠実な人になるのが…そのまま折伏なのです。(化儀の折伏)

また謗法とは、「穢」や「独善的差別意識」ではありません。 自らが戒める行動ではありますが、深読みしすぎて押し付けることではありません。他の人と接する時は、ちゃんと法体の化儀を行うことが肝要です。

また、自然に宗教を聞かれたら「おれ(わたし)、起きたら毎朝神様に祈っている(の)。 (初座・諸天善神(東天)礼拝 )」とにこやかに言えば、角も立ちません。

日蓮正宗(大石寺)系から派生した異流義の中には、江戸時代に存在した「堅樹流(武蔵野流)」と言われる「四箇格言を声高に叫び、必要以上に過激になって他宗を貶める行為を行う宗派」が派生したりすることが多いため、『それは違うよね…少し、頭冷やそうよ(CV:高町なのは)』的な意味で、法主を第一人者として、中央集権化します。派粗・日興が「師弟子の関係性をただしてこそ法華経の心は分かるのだ(迫真)」とあるように法主を中心とした中央集権体制になっています。外部から見ると法主への個人崇拝の様に見えますが、急進派が派閥作ったり、分派したりするので、残念ながらそうならざるを得ない現象でもあります。…もう派閥争いとか鎌倉時代から歴史上さんざんやってきているので嫌なのですが、現在でもその派閥解消に心を砕いています。

俺の人生は晴れ時々大荒れ、いいねいい人生だよ。

 

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