「ねつが でて くるしい」
星をみるひととは、1987年10月27日にホット・ビィから発売されたファミコンソフトである。
なお、同社は6年後「バズー!魔法世界」というソフトを出した翌日に倒産した。
有志によるリメイクとして、STAR GAZERがある。
退廃的な近未来を舞台にしたSF物のRPGで、勧善懲悪で無いストーリーや選択肢によって変わるエンディングなど当時としては非常に画期的なタイプのRPG。独特の世界観とシステムによりファミコンソフトの中でも異彩を放つゲームであるためカルト的人気があり、IPSパッチやリメイク版フリーウェアを頒布されたりしている。
ストーリーや音楽面、システムのオリジナリティで評価が高い一方、その評価を覆すほどのゲームバランスの悪さと操作性の悪さにより伝説のクソゲーの1つとして語られている。
※ 以下の内容はゲーム開始までに一切説明されません。
説明書にしか書かれていないので、説明書なしの中古品だとネット等で調べないと知る方法がありません。
巨大都市「アークシティ」では、「クルーIII」と言う巨大コンピュータが全てを管理していた。
そのコンピュータの管理は人々の心の中にまで及んでおり、ほんの僅かでも都市の管理にとって不都合な思考が芽生えた場合、即座にマインドコントロールによってその思考は消され、害の無い思考に書き換えられていた。このマインドコントロールによって、人々はクルーIIIに管理されていると言うことすら記憶から消し去られ、何も知らずに暮らしていた。
しかし人々の中にはこのマインドコントロールを受け付けない者達が居た。
クルーIIIはこれらの人間を「サイキック」と名付け、あらゆる手段を用いてサイキック狩りを始めた。これによって多くの人々が捕らえられアークシティに連れ去られてしまっていた。
主人公の少年「みなみ」は、気がつくとそこにいた。
自分が何者なのか、ここはどこなのかも分からなかったが、ロボットや異形の生物、軍隊が皆自分の命を狙って襲い掛かってくる。それは、みなみが超能力者だかららしかった。
注1:本ゲームはESP能力(超能力)が登場するが、ゲーム中で言う「サイキック」は厳密にはESP能力者の事ではなく、上記の通り単にマインドコントロールを受け付けない人間の事を言う。(主人公達はサイキックであり尚且つESP能力者であるため、しばしば同一のように扱われるが)
| パスワード入力画面(星をみるひと) |
|---|
先述の通り、このゲームでは町やダンジョンから出ると入ったときとは全く違う場所に放り出される事が多々ある。
原則として、MAPの外周から外に出たときに、それまで居た場所のエリアに応じて一律に特定の場所に飛ばされる。MAPの外周から外に出るしか別のMAPに行く手段がないMAPの場合、どうあがいても特定のポイントに飛ばされるしかないという事になる。
MAP内の階段や建物入り口などの、別エリアに行くためのポイントを通ってMAPを移動する場合はきちんと対応した行き先に飛ぶ(例外あり)。
MAPの外周から外に出る事が出来ないMAPは割愛。
なお、この「飛ばされる先」は「てれぽーと」で失敗して飛ばされてしまうポイントでもある。
MAP外周に出るパターン以外で繋がりがおかしい例外として、はじめの世界の「発電所」は北側入り口と南側入り口が存在するが、北から入ってすぐにそこから出ると南に出る。逆もまた然り。当然、北から入って発電所の中を通り抜けてもう片方の出入り口から出ると北に戻される。
戦闘で敵が「かりう」という物を投げてくることがある。喰らうと病気になって一切行動できなくなり(ドラクエでいう麻痺)自然回復もしないが、死なない限り全滅扱いにはならず主人公たちが嬲り殺される様を延々観戦させられるはめになる。序盤のザコも普通に使ってくるため一人旅のときにこれ一発であっさりやられることが多く、終盤はこちらのHPが膨大なので全滅までに凄まじく時間がかかる。「かりう」で負けが確定したら、さっさとリセットしよう。
触れると「体中に寒気が襲う」とのことだが、聞き慣れない言葉なのでどんな物体なのか謎である。言葉的に近い物質で「カリウム」というものがあり、これはナトリウムとの合金にすることで熱交換媒体として原子炉の冷却材に使われる。またこの合金は-78度という非常に低い融点を持つため、「体中に寒気が襲った」という表現からも辻褄が合う事から、「かりう」は「カリウム-ナトリウム合金」ではないかという説がある。
ちなみに薬剤師に作ってもらえるが、味方が使うと自分で飲んで動けなくなってしまう。投げろよ。
最初の町の武器屋には30ゴールドで買えるお手ごろな「れいがん」から300ゴールドする「らぐらんじゃ」まで売っているが、「まずはお手ごろ価格の武器を買ってレベル上げをしよう」などと考えるとゲームが詰んでしまう場合がある。
このゲームは素手の時と武器を持っている時のダメージ計算が異なる。
素手の時は関わらず与えるダメージは常に0~3の間でランダム。こちらのレベルが上がっても増えない代わりに、相手の防御力にも影響されない。
一方武器を持つとこちらのレベルや武器の攻撃力に応じてダメージが増えるが、相手の防御力によってダメージが減らされる。
つまり武器を持っていると相手によっては何回攻撃しても全くダメージを与えられないと言う状況が発生し得るが、レベルが低いうちに弱い武器を装備してしまうと、序盤の雑魚相手でも1ダメージも与えられなくなる。ドラクエのメタルスライムのように1ダメージ当たる事もある、と言った親切な事はなく、攻撃力が足りなければ永遠にミス。
先述の通り武器は新しい武器を買う事によってしか装備変更出来ないが、この状態に陥ると外で戦ってお金を稼ぐ事も出来なくなる。つまりゲーム終了。
なおこのゲームの敵の強さは順番に強くなっていくのではなく、ゲーム全体で3段階しかない。
つまり特定の場所から急激に敵が強くなるので、十分なレベルがあっても武器を装備していると敵の強さが1段階上がるといきなり敵にダメージが通らなくなる。例えば、順当にゲームを進めていくと2段階目の敵が出る場所に最初に行くのはレベル10弱だが、武器を持っていると、その時点で手に入る最強の武器「らぐらんじゃ」を持ってしても、レベル14~15くらいないと2段階目の強さの敵には全くダメージが通らない。
弱い敵と戦って稼ぐ事は出来るので詰みではないが、物凄い時間をかけて延々レベリングをしないと先に進めなくなるため、順当にゲームを進めたいならば最終段階の敵を倒せるようになるまで武器は何も装備してはいけないと言う事になる。
(順当に、と言ってもHPの高さに物を言わせて0~3ダメージでちくちくと攻撃し続ける戦闘とレベリングとどちらが楽かと言う問題があるが)
これまで述べてきたように、星をみるひとが伝説のクソゲー扱いされる大半の理由はその理不尽な仕様にある訳だが、これらは開発陣の能力が足りずバランス調整が出来なかっただけなどではなく、理由があって意図的になされたものではないかと言う説が一部にある。
当時のファミコンゲームには中古販売によるメーカーの利益損失に対する対策として、「マニュアルプロテクト」と言う概念が割と広く取り入れられていた。
最近のゲームはゲーム内でもしつこいほどにチュートリアルによってゲームのプレイ方法を学べるのが出来るのが普通となっているが、昔はそのようなものを付け加えるだけのカセット容量も無く、説明書を読まないとゲームのプレイ方法が分からないゲームは珍しくなかった。
それを逆手に取り、意図的にゲーム開始に際して不可欠な情報を説明書にしか記載しないことで、当時多かった「箱も説明書も捨ててしまいソフト本体だけで中古に売る」と言った流れをやりづらくすると言うのがマニュアルプロテクトである。
実際、星をみるひとの説明書にはプロローグのストーリーだけでなく、最初の町(まむすのむら)がスタート地点のすぐ左にあって不可視である事もきちんと書かれている。
余談だが、最後のエンディングの分岐においてラスボスとの戦闘になるかと思わせておいて強制バッドエンドになる選択については、DQ1のような「世界の半分をやろう」的なトラップを狙ったものと言うよりは、単に容量や開発期間の不足などで最終ボスとの戦闘が省かれてしまっただけである可能性がある。
なぜかと言うと、バッドエンドはラスボスと戦いはしたが負けてしまったという事が語られるものになっているが、戦って勝ったという4つ目のエンディングが未使用データとしてROM内に残っているからである。
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最終更新:2025/12/20(土) 02:00
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