最上義守 単語


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モガミヨシモリ

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「最上義守」(もがみ・よしもり 1521 ~ 1590)とは、伊達家にフルボッコにされた状態の最上家を、わずか二~三歳で継承するマイナススタートから大きくプラスに転じる事が出来なかった事と、最上義光と言う超人を生みだしてしまった事から、「鷹(狐?)を生んだ鳶」と言う低いを評価を受けている空気読めない親父。

最上家当主としては、山形城主としての在位最長記録保持者だったりする。(まぁ片手の年齢からだしね・・・)

概要

「最上」氏は、清和源氏の足利氏の一族で、奥州探題・斯波家兼の次男・斯波兼頼が、羽州探題として出羽国に入部し、山形に居城をかまえて同地に定着する際に土地の名である「最上」を名のったのを祖とする、山科言継の日記にも「御所」との敬称を使用されている奥州の名門で、斯波兼頼の後を継いだ二代目・最上直家が、

  • 天童に次男・頼直
  • 黒川に三男・氏直
  • 高櫛に四男・義直
  • 蟹沢に五男・兼直
  • 成沢に六男・兼義

を配置してそれぞれ最上氏の庶流となって本家を支える家臣となり、三代目・最上満直も、

  • 中野に次男・満基
  • 大窪に三男・満頼
  • 楯岡に四男・満国

を配置して最上一族が有力家臣団として最上本家を支える構造を固めて行った。

九代目の最上家当主・最上義定は、宿敵・寒河江氏を降伏させる等、着々と勢力を拡大させていたが、伊達家のチート爺こと奥州みんな親族状態の祖・伊達稙宗の山形侵攻による長谷堂城の戦いに敗れて、一族の有力な将と1000名にも及ぶ将兵が討死する大敗を喫した。
絶体絶命に追い込まれた最上義定だったが、何故か伊達稙宗がトドメをさすことなく、妹を最上義定に娶らせることで伊達家に組み込む方針をとった為に、命はながらえたものの「御所」の敬称を使用する名門斯波一族の最上家の力は大きく衰退した。
そんなマイナスな状況の中で、更に最上義定が結婚して数年後に後継者が生れぬままに没すると言う状況で、一度は伊達稙宗が傀儡化を目論んだものの、一族の最上義房らの反抗により、最上満直の次男満基を祖とする中野義清の子で、数えで二~三歳程の幼児が最上氏の後継者として山形城に向かい入れられる事となった。

この少年が後の最上義守である。

伊達家に事実上服従するマイナスからのスタートとなった最上義守だったが、伊達稙宗と略奪婚に定評のある伊達晴宗との間で後継者を巡って発生した「天文の乱」の際には、伊達稙宗に協力して、伊達晴宗領に出兵し、上長井・下長井の全域を制圧する等して独立を果たし、とりあえずプラマイゼロの状態にまでは戻す事に成功した。

しかし、その後はプラスに転じようと、宿敵の寒河江氏を攻めたが上手くいかず、勢力拡大に手間取った為、最上義守の評価を下げる要因になったと思われる。

1563年には、18歳の息子・最上義光をつれて室町幕府将軍・足利義輝に馬や太刀を献上する為に京都に行った事が、山科言継の日記に、

しばらくぶりに将軍足利義輝公の邸にうかがったら、ちょうど出羽国の御所山形殿父子が来ておられた。
父子は、将軍に馬と太刀を献上して御礼を申された。

※山形殿父子=最上義守と最上義光

と記録されており、室町幕府に羽州探題として認めてもらう為の活動の一環と思われる。

また、漢娘の鬼姫こと義姫を伊達輝宗に嫁がせて、伊達家との関係を強化しつつも、争いの火種は残すという外交的な問題も作り出したりする中で、禅に帰依して仏門に入った最上義守は、後継者の最上義光と仲良く喧嘩しつつ、氏家定直に一喝されて仲直りして家督を最上義光に譲って隠居した後に、一時危篤状態に陥った。

死の床で、最上氏と伊達氏の事を案じた最上義守の願いにより、最上義光と、義姫とその夫・伊達輝宗が最上義守の元に集められ、

今自分が亡くなったら、最上と伊達が合戦をはじめるのではないかと言う事だけが心残りだ。
最上と伊達が争い、伊達が勝ったとしても最上の主人になることはできず、最上が勝ったところで、奥州を手に入れることはできないだろう。
小さな大名が、身内同士で仲たがいをしたら、他の大名が得するだけで、最上も伊達も関東の佐竹や越後の上杉に討たれてしまうだろう。
両家が仲良くしているならば、佐竹・上杉が一つになって攻めようとも、奥州は安泰だ。

との遺命を述べ、緊張関係になった最上義光と伊達輝宗に賛同させて不可侵協定を結ばせた。

で、ここで亡くなっていれば、マイナス状態だった最上家を、次代の最上義光が栄光に導く為の準備をした傑物みたいな評価になったのかもしれないが、何故かこの時は空気読めずにそのまま回復してしまった。

まだまだ最上義守と緊張関係にあった最上義光は、父の謀略との疑念にかられ、伊達輝宗も最上義光の父親をも利用した謀略とでも思ったのか、お互いに戦の準備を始めて両軍が激突すると言う、最上義守の思いとは真逆の状況になった。

まったく良い迷惑な親父である。

結局、最上と伊達の仲をより険悪にさせた最上義守は、その7年後に亡くなった。

最上義守の評価を下げている要因のひとつに、息子・最上義光との確執がある。
その中に、家督を嫡男の最上義光ではなく、次男の中野義時に譲ろうとして家中に混乱を招いた空気読めないダメ親父とするエピソードがあるが、これらは史書には記録が残らず、そもそも中野義時と言う人物の存在も現在では否定されており、江戸時代初期に断絶・改易された最上氏ならではの資料の少ない事を利用した捏造と言われている。

勢力規模的に兵を率いて戦う道を選びにくかった最上家ゆえに、謀略を用いることが多かった最上義光とはどこかあわなかったのかもしれないが、

父子で対立があったが、現在では和解した

との手紙が残っているほか、最上義守が危篤に陥った際は、最上義光の命で盛大な祈祷が行われ、豊臣秀吉の小田原征伐の際には、最上義光は

最上義守の葬儀を盛大に執り行った為

参加が遅れており、親子の確執は最終的には解消されたのではと思われる。 

その他「最上義守」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。

関連動画

▼「アイドル」を「愛度流」と最初に読み替えた戦争嫌いな人物として登場するiM@S架空戦記「閣下の野望」

▼名族戦隊三斯波漢の一人「斯波鮫」役を務めるiM@S架空戦記「千早創世録」

補足

「信長の野望」(PC)シリーズにおける最上義守の能力一覧。

軍事能力 内政能力
戦国群雄伝(S1) 戦闘 政治 魅力 野望
武将風雲録(S1) 戦闘 57 政治 68 魅力 76 野望 52 教養 64
覇王伝 采配 64 戦闘 57 智謀 39 政治 48 野望 46
天翔記 戦才 112(B) 智才 78(B) 政才 96(C) 魅力 74 野望 60
将星録 戦闘 50 智謀 41 政治 47
烈風伝 采配 42 戦闘 31 智謀 19 政治 42
嵐世紀 采配 25 智謀 10 政治 31 野望 18
蒼天録 統率 21 知略 18 政治 30
天下創世 統率 21 知略 18 政治 36 教養 58
革新 統率 39 武勇 24 知略 21 政治 42
天道 統率 51 武勇 39 知略 61 政治 63
創造 統率 65 武勇 48 知略 61 政治 62
大志 統率 64 武勇 48 知略 61 内政 61 外政 62

 

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