柳生十兵衛とは、江戸時代の剣豪である。
十兵衛は通り名で、本名は柳生三厳。
しかし柳生十兵衛の名の方があまりにも有名。どれくらい有名かというと、歴史をあまり知らない人間でも剣豪といえば宮本武蔵と柳生十兵衛の名前が出てくるぐらい有名。
父である柳生宗矩が柳生新陰流の地位を確立させ大和柳生藩初代藩主となり政治的に名を上げた者とするなら、十兵衛は武の方で名を広めたともいえる。
徳川家光の元で長く剣術指南役を務めるも、ある一件が元で勘当され諸国を放浪して武者修行に明け暮れたと言われ、それが講談として伝わり後世で多くの物語を生み出した。
修行中に失明したと伝えられることから後世では眼帯片目の姿で描かれる事が多いが、当時の肖像画では
両目とも開いた姿で描かれる。ひょっとしたら座頭市のように盲目、あるいは見えるけど弱視だったかもしれない。
とはいえ片目眼帯の姿がインパクトがあったのか、後世の作品でも名前をもじって剣豪役のモデルによく使われる
(後述の関連項目参照。しかし何故か女性率高し)
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最終更新:2025/12/06(土) 15:00
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