森内壽春(もりうち としはる、1985年1月2日-)とは青森県青森市出身のプロ野球選手(投手)である。現在は北海道日本ハムファイターズに所属。
「壽」が旧字のため、「森内寿春」と表記されることもある。
| 北海道日本ハムファイターズ #47 | |
| 森内壽春 | |
| 基本情報 | |
| 出身地 | 青森県青森市 |
| 生年月日 | 1985年1月2日 |
| 身長 体重 |
180cm 80kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2011年ドラフト5位 |
| 経歴 | |
|
|
| プロ野球選手テンプレート | |
八工大一高校では、甲子園出場歴なし。
青森大学では4年時にエースとなり、6年ぶりの優勝に貢献。大学卒業後はJR東日本東北に就職。
JR東日本東北では先輩に攝津正がおり、攝津が福岡ソフトバンクホークスに入団した後はエースとなったが、ドラフト候補に挙がるような目立った存在ではなかった。2011年のドラフト直前に行われた都市対抗野球で突然の転機が訪れる。1回戦の三菱重工横浜戦で、都市対抗史上2人目となる完全試合を達成。これにより一気に注目を集め、ドラフト候補に急浮上した。そして同年のドラフト会議で北海道日本ハムファイターズに5位で指名され入団。27歳のオールドルーキーとなった。背番号47。また日本ハムは1位指名した菅野智之に入団拒否されたため、森内が実質この年唯一の即戦力投手指名になった。
2012年はオープン戦で結果を残し、中継ぎとして開幕一軍入り。18試合連続無失点をマークするなど好投を見せ、勝ちパターンからビハインドまでどんな場面でも投げる便利屋として酷使重宝された。疲れからかシーズン終盤は調子を崩して、8月半ばには1.91だった防御率は最終的に4.01まで悪化してしまったが、谷間でプロ初先発も任されるなど、56試合に登板して16ホールドを挙げた。
2013年は精彩を欠き、4月に5試合投げたが防御率7.00と打ち込まれ二軍落ち。二軍ではチーム3位の35試合に登板したが防御率4点台と結果を出せず、一軍に戻れないままシーズンを終えた。
2014年は攝津と共に自主トレを行う。5月10日のオリックス・バファローズ戦で右肘内側側副靭帯を損傷。戦線を離脱し、トミー・ジョン手術を受けることになった。
攝津正を参考にしたフォームから、最速146km/hの直球とカーブ、スライダー、チェンジアップなどを操る、制球力が武器の技巧派右腕である。
ドラフト指名から5日後に交際していた一般女性にプロポーズし、2012年に結婚した。
ファンからは将棋の森内俊之にかけて「森内名人」と呼ばれる。
(2013年終了時点)
| 年度 | 球団 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2012年 | 日本ハム | 56 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 16 | .000 | 60.2 | 24 | 37 | 27 | 27 | 4.01 | 1.20 |
| 2013年 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 9.0 | 6 | 6 | 9 | 7 | 7.00 | 2.11 | |
| NPB:2年 | 61 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 16 | .000 | 69.2 | 30 | 43 | 36 | 34 | 4.39 | 1.32 | |
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最終更新:2025/12/12(金) 20:00
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