あ、あたし…夕雲型…駆逐艦…十三番艦……。
ちゃ、着任…しました……。は、浜波……です…。
あの…あの……あたしは……。
浜波(濱波/はまなみ)とは、艦隊これくしょん~艦これ~に登場する夕雲型駆逐艦13番艦「浜波/濱波」をモチーフとした艦娘である。図鑑番号はNo.284。僚艦藤波のとなり。
イラストレーター・CVいずれも未公表。
2018年冬イベント「捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)」の後段作戦解放(2月22日)オンメンテで実装された夕雲型姉妹の13女。夕雲型姉妹ではちょうど1年前の「偵察戦力緊急展開!「光」作戦」で実装された藤波に続く11人目の実装である。
今までも、甲型駆逐艦娘を中心にメカクレ艦娘は見受けられた(浜風/朝霜・早霜等)が、彼女は両目とも隠れており、中破グラを含め素顔が殆ど見えない。
勇猛果敢な水雷屋気質を持つ駆逐艦娘が多いなか、何と、引っ込み思案(先輩には山風がいるか?)で早口、ボソボソと喋り、しかも噛む。この子、艦娘になっちゃダメなんじゃ・・・
第32駆逐隊の僚艦でもある藤波は「ふーちゃん」、多号作戦第三次梯団護衛部隊での僚艦長波を「なっちゃん」と呼んでいる。
夕雲型駆逐艦《浜波(当時は「濱波」)》は、マル急計画仮称341号艦として、1942年(昭和17年)4月28日に舞鶴海軍工廠にて起工、翌43年(昭和18年)4月18日進水、同年10月15日に竣工し、第十一水雷戦隊にて同年12月15日まで訓練を受けた。
12月15日付で、第二艦隊第二水雷戦隊(旗艦:能代)の第32駆逐隊(玉波・早波・藤波)に編入されたが、翌44年(昭和19年)初頭、32駆各艦はバラバラに護衛任務に従事しており、全艦が揃うのは5月のタウイタウイ進出時となった。
その後32駆は、6月の対潜哨戒中に司令駆逐艦の早波を米潜ハーダーの雷撃で駆逐隊司令共々戦没。玉波艦長から駆逐隊司令に昇進した青木中佐も、7月、米潜ミンゴ(後に海上自衛隊に供与され初代「くろしお」となる)の雷撃により喪失。戦いの中で…一隻一隻いなくなって…レイテ沖海戦前に32駆は藤波と浜波のみとなっていた。(8月25日の五月雨放棄により、27駆司令大島一太郎大佐が次の32駆司令となる。)
レイテ沖海戦で、32駆の属す第二水雷戦隊は、第一遊撃部隊第一部隊(1YB1H、「栗田艦隊」)に属す。
10月26日、浜波はサマール沖海戦により戦没した旗艦能代を2駆秋霜(艦これ未実装、夕雲型18番艦)と共に救援、早川幹夫司令官等を収容し、一時的に二水戦旗艦となる(その後、早川少将は島風に将旗を移す。)
承知の通り、32駆では藤波が救援した鳥海乗員共々戦没し、藤波単艦となっていた。残された二水戦各艦は第二遊撃部隊指揮下に入り、制空権を喪ったレイテ島に陸軍増援部隊を送り届ける多号作戦に投入された。
浜波は、第3次梯団(第二水雷戦隊、旗艦「島風」)に加わり、途中、第4次梯団から加わった(このあたりは「霞」記事参照)長波・朝霜・若月と共に、レイテ島オルモック湾に進出した。が、そこへ米軍機347機が襲来、オルモック湾は地獄絵図と化した。長波は弾薬をすべて撃ち尽くすも撃沈され、自慢の足と巧みな操艦で回避を続けていた旗艦島風もボイラーが爆発し沈没。浜波も舵が壊れ航行不能となった。
このような中、殿につけていた朝霜が決死の接舷を行い浜波乗員は朝霜に移乗し、浜波は放棄された・・・のだが、戦闘終了後も残っていた浜波に長波生存者が乗り込み、機関の再起動に成功はしたものの、帰投するための真水が足りず、結局は放棄された。
その後の経緯は不明とされていたが、2018年1月、ポール・アレン氏らのグループが、浜波と思われる艦の沈没した姿をレイテ島オルモック湾内にて発見した。
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| 2018年冬イベント 『捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)』新規実装艦娘 | ||
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| 夕雲型姉妹 / 夕雲型駆逐艦 |
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最終更新:2025/12/10(水) 12:00
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