「綾波型駆逐艦『漣』です、ご主人様!
こう書いてさざなみと読みます」
漣(さざなみ)とは、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場する、大日本帝国海軍の特II型(綾波型)駆逐艦9番艦「漣」をモデルにした艦娘である。
担当声優は早坂梢。図鑑番号はNo.069。
綾波型駆逐艦の九女。特型駆逐艦として吹雪から数えると19番艦となる。
ピンクの髪をまとめたツインテールと抱えている連装砲に乗っかっているウサギ(動物搭載は第七駆逐隊共通)が特徴。
中破絵はイチゴちゃんもしくはニンジンさんのパンツが見え隠れし、(絵師Twitter証言によりイチゴで確定)
連装砲の上のウサギが怯えて頭を隠しており(ただし尻は出ている)、他の後期綾波型同様にかなり描きこまれている。
初期艦娘の中の一人であるが、そういった視点から語られることはあまりなく、
どちらかと言えば「この子も初期艦娘なのになぁ……(´・ω・`)」と言われることの方が多い艦娘でもある。
艦これの予備知識がなければ、「主人公」と記載のある吹雪か圧倒的な絵アドを持つ電、
予備知識があったとしても、若干ながらレア度の高い吹雪か後々クエストで使う電が安定するため、
初期艦娘としてその2艦を選ぶ率が高いからだと思われる。
さてそんな漣だが、実は「初期艦娘である」という点など軽く吹き飛ばしてしまうような強烈なアイデンティティを持っている。
実際のところ、漣のことが話題に上っても初期艦娘であることがほとんど語られないのは初期艦娘としてのネームバリューの問題よりも、こちらの要因の方が大きい。
すなわち、「公式ネタ要員」としての立場である。
まず、提督への二人称が「提督」でも「司令官」でもなく「ご主人様」であり、独特と表現するのすら憚られるほど強烈。当然、こんな艦娘ほかにいない。
その上、
「ktkr!」「メシウマ!」(ネットスラング ただしどちらも微妙に用法が違う)
「お帰りなさい、ご主人様!」(メイド喫茶のアレ)
「あー、今回もやられてしまいましたがー……あ、それは違うの?」(元祖アントニオ猪木のモノマネ芸人で知られる「春一番」のネタ)
「ぐぅ……! なんもいえね~……」(水泳選手北島康介の北京オリンピックでのインタビュー)
「駆逐艦漣、出る!」(厳密にはセリフネタと言えるほど狭い言葉でないがロボット物でお馴染み)
など、口を開けば何らかのセリフネタのような発言の数々。
人によっては「セリフネタが多すぎてWikiでも拾いきれてない」と言わしめるほどの豊富さを誇る。
史実を元にしたネタをもつ艦娘は数あれど、ここまで徹底してセリフネタを吐き散らす艦娘は他にいない。
なお、ごく稀にだが戦闘開始時のセリフ「これが漣の本気なのです!」から「なのです」キャラの一角として挙げられることも。(ほかには、暁・電・睦月)
また、夜戦開始時の「逃げられないよ……漣はしつこいから!」がカッコよくてハマったという提督も多い様子。
そして漣にはもう一つ強烈なアイデンティティがある。
なんと、初期艦の中ではドロップ入手、建造での入手が圧倒的に難しいといわれているのだ。
初期艦では吹雪だけがレアリティがSCで1つ上。他の叢雲、漣、電、五月雨はCと最低ランク(C<SC<R<SR<H<SH<桜)なのだが、何故か漣だけは(初期艦はおろか他の駆逐艦と比べても)ドロップ・建造報告が圧倒的に少ないのだ……。一応、最初の海域でドロップするのだがその確率は「何故か」圧倒的に低く、ゲームを進めるとなると2013年11月現在の最深部マップ5-3で稀にしか入手できない。[1]。
一応、資材ALL30という最低ラインで建造可能なのだが、他に作れる候補が多いため漣には滅多にお目にかかれない。
一部提督からは駆逐艦の中で入手難易度が最も高いとされる初風と並ぶくらいのレアと言う人すらいる始末。
性能は平均的な駆逐艦と同性能だが、手に入れられたら育ててみるのはいかがだろうか?
(以下轟沈セリフあり。反転表示)
こんな漣だが、轟沈する際には「沈むぅ~!せめて、最後は……ほんとの……こと……」と非常に意味深なセリフを残していく。彼女は提督と話すのが気恥ずかしく、『誰かの言葉』を使うことによってそれを紛らわせながら提督と楽しく話をしたがっていた提督ラブ勢なのかもしれない……というのはさすがに深読みのし過ぎだろうか。
ちなみにここで力尽きてしまうため、彼女の言い残したかった「本当のこと」が何であるのかは不明である。
漣は舞鶴海軍工廠にて1931年6月に竣工した。
漣の活躍は太平洋戦争勃発前に始まる。1937年、漣は狭霧(未実装)、そして特型駆逐艦としては妹に当たる暁と共に第十駆逐隊を結成。第二艦隊第四水雷戦隊の下で華中・華南作戦に出撃。8月23日のウースン上陸作戦、11月5日の杭州湾上陸作戦、翌年10月10日のバイアス湾上陸作戦などに参加した。
1940年、漣は曙、朧、潮と綾波型の姉妹と共に第一水雷戦隊第七駆逐隊に編入。翌年に仏印進駐に参加している。
そしていよいよ太平洋戦争が勃発。かの真珠湾攻撃と時を同じくして潮と共にミッドウェー島砲撃を行った。漣と潮は20分ほど砲撃を行って退避。この時米潜水艦アルゴノートと遭遇していたが第七駆逐隊は気付かなかった。また、この時空母レキシントンがミッドウェー島まであと1日の距離にいたという非常に綱渡り的な中で戦果を残している。
だがそれでかえって運が向いたのか、ここから第七駆逐隊の快進撃が始まる。
ミッドウェー島砲撃を成功させた第七駆逐隊はその年の暮れに日本へ帰着。その後は南方進攻作戦においてチモール島、アンボン島攻略などに参加。スラバヤ沖海戦では雷撃戦を行った。
4月には第十戦隊に編入。5月のMO作戦にはモレスビー攻略部隊の1艦として珊瑚海海戦に参加した。
そしてあのミッドウェー作戦では第二機動部隊の北方部隊に配置。アッツ島攻略に参加した。
8月以降はソロモン諸島での作戦、海上護衛などに従事。ガダルカナル増援輸送作戦に活躍し、また改装空母大鷹(未実装)などを護衛して内地とラバウルを往復し、航空機輸送に寄与した。
1943年にトラック諸島でサンゴ礁に触れ右推進器を損傷。しかし内地で修理した後第一線に復帰して8月の第一次ベララベラ海戦に参加した。
特筆すべきことは、これだけ動いて負け戦も数々経験していながらも、第七駆逐隊の面々の中では第五駆逐隊に移籍してから半年後の1942年10月に沈んだ朧以外には一隻の沈没艦も出なかった、ということである。
ただ、その運も切れてきたのだろうか。
1944年1月12日、漣は船団護衛の任を受け曙とともにラバウルを発ってトラックへ向かっていた途上、パラオ諸島東方で米潜水艦アルバコアの雷撃を受ける。魚雷3本を受け火薬庫が爆発・船体は切断され2分で沈没。艦長以下154名が戦死、89名(のち3名死亡)が曙に救助された。
余談だが、この後曙も11月には戦没。第七駆逐隊は残された潮と、同じく第六・第十八駆逐隊の生き残りである響と霞にて構成され、霞は翌45年4月坊ノ岬沖海戦にて戦没、響は同年5月第一海上護衛艦隊第一〇五戦隊に編入。最初期の第七駆逐隊のメンバーは最終的に潮のみとなってしまった。
なお、海上自衛隊では「たかなみ型護衛艦さざなみ」が現役である。第17次派遣海賊対処行動水上部隊としてソマリア沖に僚艦のさみだれと共に派遣されていたが、2014年3月に出港した第18次部隊のいなづま及びうみぎりと交代し帰国予定である。
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最終更新:2025/12/15(月) 22:00
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