特型駆逐艦、綾波型の潮です。・・・もう、下がってよろしいでしょうか?
潮(うしお)とは艦隊これくしょん~艦これ~に登場する、大日本帝国海軍の駆逐艦綾波型10番艦「潮」をモデルとしたキャラクターである。
担当声優は早坂梢
綾波型駆逐艦の十女。特型駆逐艦として数えると20番艦になる。
外見的には抱えた連装砲にウサギの顔が描いてある程度でそこまで大きな特徴はない。
内面的には提督につつかれて「ひっ!?あぁぁぁぁっ!」「ひゃぁっ!?もう、構わないでくださいぃ!」と悶えながら困惑して叫び声を上げたり、「私でも、お役に立てたのでしょうか?・・・ああっ、みんな見ないで下さい。恥ずかしいよぉ!」と劣情を催す反応をするなど基本的にはおとなしい艦娘の様である。
また、電と同じく敵兵の救助エピソードがあるためか、敵も味方も思いやる優しい面も併せ持っている。
おとなしいながらもそんな自分に自信を持ちたいと願い、提督をつつましいながら支える、潮とはそんな艦娘なのである。
性能面では雪風ほどではないにせよ他の駆逐艦よりも高い「運20」が目を引く。
詳細は史実に譲るが、まともに動いていたのに数少ない終戦までの生き残り組であること、そして最後こそ空襲で行動不能になったものの付近にいる艦船の運でも吸い取ったのではないかと思われるほどの超運が反映されたものと思われる。
が、諸兄ご存知のように潮の場合はある意味ここからが本番である。
そんな潮を艦隊に組み入れると、潮は駆逐艦であるためちょっとしたことで中破をしてしまう。大ダメージを受けた潮を心配した提督が期待しつつ目を向けると、そこにあったのは『駆逐艦としては』なんて小細工がいらないほどご立派な上部装甲なのであった。「戦艦もかくや!」と言わんばかりの圧倒的な存在感、普段は猫背なのかその片鱗すら感じさせないその双丘。これこそ誰が呼んだか「潮っぱい」である。
なお、潮に隠れて霞みがちだが、実は姉妹艦である漣も上部装甲に関して言えば駆逐艦としてはそこそこいいものをお持ちになっている。特にタンクが増設されているわけでもない綾波型最後の2隻に一体何が起こっているというのだろうか・・・。そこ!絵師がロリ巨乳属性なんだろうとか言わない!
一応潮に関しては「安産にご利益があり、乳の出などもよくなるとされている熊本県の潮神社に由来している」、「那珂、球磨、多摩などにもみられる名前ネタの一部(潮→「うし」お→牛)」と言う説もある。
もちろん前述のように潮にはこれ以外にもたくさんの魅力があることは忘れてはならない。艦娘を胸だけで判断するのは提督の風上にも置けない下劣な行いである。もう泣いてる軽空母だって2隻ほどいるんですよ!
ちなみに潮っぱいに目が行きがちだが連装砲に描かれているウサギの方も中破時にはグルグル目になっている。何気に芸が細かい。
皆さんは「幸運艦」と聞くと何を思い浮かべるだろうか。
ホロレアの殊勲艦、周囲が大打撃を受けながらも自分は軽傷で生き残り、『死神』と謳われた雪風だろうか。
自分も大破するが塞翁が馬的に功を奏して致命的な一撃を受けずに何度も立ち上がった『不死鳥』響だろうか。
『被害担当艦』とまで言われた姉に攻撃が集中するのを尻目に自分は幾度も生き延びた瑞鶴だろうか。
いや、まだいるのである。
まるで周囲の運を吸い取るがごとく、奇跡的なまでに要領良く海を駆けた駆逐艦が・・・。
潮は1931年11月17日、浦賀船渠で竣工した。一等駆逐艦に類別された潮は、その後姉妹艦の朧、曙、漣と共に第七駆逐隊を結成する。
潮の初陣は第一次上海事変だった。そこで長江水域の作戦に参加し、続けて日中戦争においては上海、杭州湾上陸作戦、仏印の作戦に参加した。
そして太平洋戦争が勃発。ここから姉妹艦、曙との数奇な運命が始まることとなる。
あの真珠湾攻撃と時を同じくして、潮は第七駆逐艦隊旗艦として漣と共にミッドウェー砲撃に向かった。この時空母レキシントンが同島到着まであと1日と迫っており、潜水艦アルゴノートと遭遇するも気づかずにスルーするなど潮は早速持ち前の運の良さを遺憾無く発揮することとなる。
砲撃後は給油艦尻矢と合流して補給を受け、暮れには日本に帰投。続く12月30日、豊後水道沖に米潜水艦出現との緊急連絡を受けて作戦行動中、桂島錨地にて爆雷を誤って投下 してしまう。だが運よく爆発が起こらなかったためか爆雷は放置された。これが後に戦艦陸奥が爆沈した地点と同じであるため、この時潮が投下した爆雷が陸奥のスクリューか何かに反応して爆発したのが陸奥爆沈の原因なのではないかとする説もある。(現在ではほぼ否定されているようではある)
翌12月31日には室戸岬沖で対潜哨戒中にナチスドイツ仮装巡洋艦ホルスト号と遭遇し、神戸港まで護衛した。潮、激動の年の瀬である。
年が明けると、潮は南方進攻作戦に参加することになった。 1942年2月27日、潮は妙高、足柄、そして第一水雷戦隊、第四水雷戦隊の面々と共に陸軍今村兵団と海軍陸戦隊が搭乗する輸送船50隻を護衛。しかしスラバヤ港沖で連合軍艦隊と遭遇。これが後世電と雷が名を馳せることになるスラバヤ沖海戦の始まりだった。潮も魚雷9本を発射したが戦果はなく、逆に前部煙突を半分ほど吹き飛ばされてしまった。
一方、潮も3月2日にパウエマン島西で浮上航行中のアメリカ潜水艦パーチを発見、翌日にかけてこれを撃破した際にパーチ乗員を救助している。電にも似た潮の優しい性格はここからきていると思われる。
一見似ている両者の行動だが、雷と電は他の艦が沈めた艦船の乗組員を救助し、その後すぐに連合国病院船へ引き渡したのに対し、潮は自分が沈めた船の生き残りを捕虜にした、と言う点で違いがある事には注意。ただし、戦時中であったため例え救助したとあっても敵兵は捕虜にするのが当たり前だったことにも考慮する必要があり、どちらかと言うと雷、電の例の方が特殊なケースだったのである。
日本軍の東南アジア占領後、潮は珊瑚海海戦に参加した。 この海戦にて潮は当初、翔鶴を護衛。それを途中から曙に託し、自分は瑞鶴の直衛に回る。
その後潮一行はたまたまスコールに隠れた事により敵艦載機の目を逃れてほとんど被弾がなかった。一方、曙の方は逆に米軍艦載機が殺到。翔鶴が猛爆撃を受けて米軍が2度も「敵空母轟沈」と誤報を出すほどフルボッコにされてしまった。結局翔鶴はものの見事に大破。曙が全然関係ない事まで責任を押し付けられて死ぬほど怒られまくる一方、潮は一切お咎め無しで済んでしまった。
あのミッドウェー海戦には、アリューシャン攻略部隊として参加。その後は南方に進出している。8月の米軍ガダルカナル島上陸では第七駆逐隊を率いて8月8日午前1時にルンガ沖に突入。しかし米軍輸送船団はツラギに退避していたため、空振りに終わる。 しかし翌日に第八艦隊が再度突入した際には米軍も戻ってきており第一次ソロモン海戦が勃発。潮はタッチの差で被害を免れている。
1943年には、トラック泊地から日本に戻る戦艦陸奥を護衛。
ちなみにこの半年後に陸奥は爆沈しているが、その原因が潮であるとの説があるのは前述の通りである。
戦艦の運をも吸収した潮は1944年10月、再び曙と共にレイテ沖海戦に参加。曙はおそらく何か嫌な予感がしたことだろう。
ここで先に突入していた西村艦隊が一気に叩かれて全滅。曙は沈没寸前の最上の救助へ回ることとなった。曙は奮闘したが最上の損害は激しく、結局曙は断腸の思いで最上に雷撃処分を施すハメになる。
一方、潮の方はと言うと損傷した阿武隈の救援に向かう。随伴中は近くにいた最上に米艦載機の攻撃が集中するなど阿武隈を守りながら行動したが、ミンダナオ島で阿武隈の応急修理を行った後にコロンを目指して航行していたところ米艦載機隊に遭遇。阿武隈は艦上にいた人間のほとんどが戦死し、『死の船』と言われるほどの大損害を負ったものの潮はちゃっかりかわして阿武隈の生存者を救出。お前まだ運を吸うか。
結局潮は西村艦隊(と、さっきまでの阿武隈)に全力を叩き込んだ米軍に余力が残っていなかったために損失無しであったと言う。
その後は海上護衛・輸送作戦に従事。その中で曙と共に第二次多号作戦に参加することとなる。曙はもう泣きたくなっていたに違いない。が、この時は潮の運が勝ったか、それとも別行動をとらなかったのが功を奏したか補給艦1隻を失っただけで作戦は成功している。その代わり、次の第三次多号作戦はあの島風も沈むなど全滅に近い大損害を被った。
1944年11月5日にマニラ湾で空襲を受ける。これを何とか切り抜けた潮は沈没寸前の曙を壊滅状態のドックまで曳航した。
これだけならちょっといい話で終わるのだが一週間後の13日に再びマニラ湾で空襲を受け、この時に曙は沈没。 流石に運も切れてきたのか潮も右舷主機を損傷、片肺のような状態になってしまう。12月7日に応急修理を完了し、本格的な修理の為に重巡洋艦妙高と共に日本を目指す。(この頃第十八駆逐隊から霞が第七駆逐隊に編入されている。)しかし妙高は潜水艦の攻撃を受け艦尾を切断、日本への帰還が不可能となってしまう。妙高と別れた潮は単独で日本を目指し、途中で輸送船団と出会い護衛をしながら高尾や呉を経由し、無事に横須賀港に辿り着いた。
横須賀に辿り着いた潮であったが、ここでも主機の修理をする事は叶わず、最後の時までそこで過ごす事になる。航行不能の潮は霞や第六駆逐隊から編入されてきた響と行動を共にすることも出来ず、彼女が出来た事といえば度重なる損傷で大破した響の主砲の代わりに自身の主砲を託す事くらいであった。霞と響は天一号作戦に参加し、霞はそこで戦没、響は道中で損傷した為参加できず、修理後は日本海の警備任務に回される事となる。
1942年4月20日、彼女が最初から最後まで所属し、彼女の歴史でもあった第七駆逐隊は解隊される。
同年6月に予備艦となる。早い話が処分待ちであり、艦艇としての潮の役目はほぼ終わってしまう。それでも何か用途が考えられていたのか、実際に潮が解体されたのは戦後復員船として働いた北上や鳳翔よりも遅く、賠償艦として海外に渡った響と雪風を除けば一番最後だったりする。
7月18日、彼女の居る横須賀軍港が米軍の空襲に見舞われる。この時の潮は主砲や機銃も全て陸揚げされておりほぼ全裸といっても差し支えない状態であったが、ロリに興味は無かったのか敵の攻撃は潮と同じく横須賀に停泊していた戦艦長門に集中。長門は大破するが潮には大した被害は無かった。呉の空襲では伊勢姉妹に榛名利根青葉と大破着底祭りだった事を考えれば、ここに至るまで彼女の運が尽きていなかったのか、或いは沈んでいった特型駆逐艦姉妹達の思念が彼女を守ったのだろうか。とにかく彼女は沈まなかったのだ。
8月15日、ついに運命の日を迎え、彼女の戦いは終わりを告げる。9月には除籍され、彼女は港の片隅から戦後のどん底に沈む日本を見守り、その復興を最後まで見届ける事なく1948年に解体された。艦これでの彼女の轟沈時の台詞は、激動の時代を潜り抜けた自身の一生を振り返ってのものだと(損傷以後を追記した)筆者は考えている。
潮…、みんなを守れた…か…な。
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最終更新:2025/12/07(日) 06:00
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