牟田口廉也とは、旧日本軍の陸軍軍人である。最終階級は中将。連合軍が生み出した伝説のスパイであり、ネトウヨどころか本物の左翼からも嫌悪されるというとんでもない大物である。「鬼畜米英からも恐れられた無敵皇軍」の連中でさえ根を上げるほどの卓越した指揮を執り、帝国陸軍を崩壊させて連合軍を勝利に導いた一人。
現代では、史上稀に見る愚将として有名。あまりにも盆暗で、日本兵からは「鬼畜牟田口」「無茶口」と罵られた。
終戦後に戦犯として捕まったが、無能さを理由に不起訴処分となった。
駄目な日本軍人を語る場では必ずと言っていいほどこの人の名前が出てくる。
彼の愚将としての評価を定着させたエピソードが、日本軍が大敗したインパール作戦である。作戦を立案した際にも、補給が出来ない事が理由で、参謀長や指揮下の師団長などのほぼ全員が反対、にも関わらず主張を変えなかった(そして、反対派の参謀長を更迭してしまった)。その主張の内容は、つき詰めていえば「イギリス軍は弱い、必ず退却する。補給について心配するのは誤りである」。現場の将兵にとって不幸だったのは、無謀な作戦を中止させるべき存在であるはずの軍上層部が、悪化する一方であった戦局の打開をこの作戦に期待して、牟田口を制止するどころか後押ししてしまったことである。なお、インパール作戦におけるイギリス軍は、日本軍を自分たちの領域に十分に引き付けて、補給が出来なくなった時点で反撃する方針を早々と決めていた。
この戦いにおける戦死者は、日本軍が38,000でイギリス軍が17,500。
そして、牛に荷物を運ばせ、食料としても利用するジンギスカン作戦を実施させたが、現地の牛がジャングルや荷物運びに適応せず、エサも用意出来ずに大失敗。牟田口を代表するエピソードの一つになっている。
ちなみに、当の本人は終戦後に中華料理店「ジンギスカンハウス」を開店した。マジ自重しろ 。
牟田口は、次のような迷言も残している。彼は兵士たちに「周囲の山々はこれだけ青々としている。日本人はもともと草食動物なのである。これだけ青い山を周囲に抱えながら、食糧に困るなどというのは、ありえないことだ」と大真面目で訓示したという。言い換えれば、「野草がいくらでも食える」という論理である。
前線はイギリス軍の作戦通り、補給不足で大苦戦。空腹の将兵たちは、上述の呆れた訓示でも実施せざるをえず、タケノコ、野イチゴはもちろん、ヘビ、カエル、カタツムリ等、食べられるものは何でも食べて、飢えをしのいでいた。そんなときに牟田口は芸者と料亭で豪遊。 その様子をイギリス軍がスピーカー越しに流し続け、日本軍のやる気を激しくダウンさせ、兵士の身だけでなく心まで削る偉業を成し遂げた。
挙句の果てに、作戦の失敗が確実になると、作戦指揮そっちのけで戦勝祈願の呪文を唱え始める始末。戦勝を祈願していたことから、勝つ気はあったのかもしれないが、軍司令官が神頼みを始めた、ということから「いよいよこの作戦はダメだ」と将兵たちは感じたという。
各戦線は、補給不足から絶望的な戦いを強いられていた。指揮をとっていた師団長たちも、作戦中止を具申したら更迭された者、マラリアで健康を害したという理由で交替された者(後に死亡)、いよいよ呆れ果てて師団主力を撤退させたために更迭された者(作戦終了後、軍法会議にかけられそうになったが精神錯乱という扱いで回避)など、いずれも酷い目にあっている。…とはいえ、生きて帰れた者はまだマシというもので、もっとも悲惨な目にあったのは「白骨街道」とまで言われた死屍累々の道を歩む羽目になった一般兵士達であったのは言うまでもない。
さらに牟田口本人は敗戦の色が濃くなるってくるや一目散に逃亡。そして言い訳。
「逃げたんじゃねぇよ!補給路を確保したかったんだよ!それを卑怯だなんて、ぼく悲しいなぁ」(意訳)
インパール作戦失敗後の7月10日に将校を集め訓示。
そのときの内容。
…皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリックしても無駄)
訓示は一時間以上も続き、栄養失調で弱っていた将校たちは次々とぶっ倒れていった。
ちなみにその全文はwikipediaにすら載っていないほど長い。内容は推して知るべしなので見る価値もないだろう。
…もはや書ききれないので、もっと知りたい人は各自で調べられたし。
実は、インパール作戦が失敗するまでの牟田口の功績・評価は、現代ほど低いものではなかったとされている。開戦当初のマレー作戦においては、「マレーの虎」山下将軍の指揮下で戦果を挙げ、その勢いのまま一気にビルマ(現在のミャンマー)を制圧するなど、順調な時にはかなり活躍していた。だが、逆境の中でこそ人間の本性が現れる、とは昔からよく言ったものである。彼の愚将としての評価は、このインパール作戦において決定的となったのである。というか、日本軍って補給能力は人事評価に全く影響を与えなかったので、こうなるのはある意味当然。
さらにインパール作戦に参加した日本軍にとって弱り目に祟り目だったのは、牟田口中将が更迭されたあとの後任、木村兵太郎中将も牟田口中将に匹敵する無能者で、兵力を激減させた日本軍に対してイギリス軍の追撃が行われたことをしった途端恐怖で手が震えて口が聞けない有様。第一線に出て指揮をとってほしいという部下の進言も無視して、現地日本人文民や在留邦人などすべてを置き去りにしてトンズラ。方面軍司令部が連絡途絶するという前代未聞の展開へ。まともな反撃指揮がとれない日本軍はさらに壊走する羽目になる。
なお、木村兵太郎司令官は逃亡先のモールメインにて大将に昇進した。(ただ、木村の軍人としての作戦立案・指揮能力については、相手であるイギリス側のスリム中将からは賞賛されている。イギリス独特の嫌味かどうかは別ではあるが)
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/06(土) 23:00
最終更新:2025/12/06(土) 23:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。