田尾安志 単語


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プロ野球選手一覧 > 田尾安志

田尾安志(1954年1月8日~)とは、中日ドラゴンズ、西武ライオンズ、阪神タイガースに所属していた元プロ野球選手であり、東北楽天ゴールデンイーグルスの初代監督である。

現役時代は広角に打ち分ける打撃と甘いマスク、さらに打席でバットをぐるぐる回して構える「円月打法」で高い人気を誇り、イチローも憧れた選手だった。

概要

OB
田尾安志
基本情報
出身地 大阪府
生年月日 1954年1月8日
身長
体重
173 cm
75 kg
選手情報
投球・打撃 左投左打
守備位置 外野手
プロ入り 1975年
引退 1991年
経歴
選手歴
  • 大阪府立泉尾高等学校
  • 同志社大学
  • 中日ドラゴンズ(1976年-1984年)
  • 西武ライオンズ(1985年-1986年)
  • 阪神タイガース(1987年-1991年)
監督・コーチ歴
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス(2005年)
プロ野球選手テンプレート

高校時代は入部時部員が5人しかいないという弱小野球部に身を置きながら、3年生時には地方大会でベスト4に入るほどの活躍を見せ、大学時代は投手と外野手と4番を兼任するという超人振りを発揮し、特に打者としては大学3年次に首位打者を2回獲得しており、このうち春のリーグでは打率.548という数値を記録している。

1975年に中日ドラゴンズからドラフト1位で指名され、そのまま入団。
プロ1年目の76年は当初2軍でプレーすることが多かったが、後半戦はスタメンで起用される機会が増え、打率.277、3本塁打21打点という成績で新人王を獲得した。

78年からはレギュラーに定着し、80年までは主に3番を打っていたが、81年からは1番打者に定着する。

82年は開幕からコンスタントに安打を放ち、9月1日には一時打率.354で首位打者に立ったほど好調で、チームも巨人との激しい優勝争いを繰り広げ、10月18日の最終戦で首位打者と優勝を懸け大洋との勝負をするのだが、ここで大洋は田尾を5打席連続で敬遠するという暴挙に出てきたため、中日は試合に勝ち優勝を決めたものの、田尾は最多安打、最高出塁率こそ手にしたものの首位打者を逃した。(詳細は後述)
この年は1番打者として打率.350、14本塁打41打点という成績を残したが、MVPは中尾孝義に譲っている。

83年、84年は両年共1番打者として最多安打を記録するなど文句なしの活躍を見せていたが、84年のオフに田尾は突然西武ライオンズへのトレードを告げられる。
原因は諸説あるが、田尾自身の球団に対する歯に衣着せぬ物言いがフロントの不興を買ったからと言われている。

ともあれ田尾は杉本正、大石友好とのトレードで西武に移籍するが、85年は打率.268、14本塁打60打点という成績で優勝に貢献したものの4年連続最多安打は逃した。
86年は前年より成績を落とすものの初めての日本一を経験、だが翌87年は吉竹春樹、前田耕司とのトレードで阪神タイガースに移籍、徐々に出場機会は減少していくが、88年は年間4本塁打の内、3本がサヨナラ本塁打と意地を見せている。
その後も主に代打としてプレーしていたが、91年に現役を引退する。

初代楽天監督

引退後は解説者やタレントなどで活動していたが、2004年に創立した楽天イーグルスの監督就任を要請され、田尾はこれを了承し3年契約を結ぶ。 
しかし楽天は統合したオリックスブルーウェーブと近鉄バファローズの選手の内、まず25人をオリックスバファローズ側にプロテクトされ、さらにそこから分配ドラフトを行うなど実質的に1.5軍レベルの選手や盛りを過ぎたベテラン選手を押しつけられた形となり、さらに楽天のオーナー陣は野球の素人であったため、実質的にGMとしての役割も兼任し、オリックスを戦力外となっていた山崎武司をトライアウト無しで入団させたり、中日から無償トレードで小山伸一郎、関川浩一らを獲得するなどして戦力確保に駆けずり回った。

結果的に35歳以上の選手が17人もいるなどというチーム構成にはなった上、計算できる戦力はオリックス側のプロテクトを拒否した岩隈久志と礒部公一のみという悲惨な状態であったため、山崎武司には自らフォーム改造を指導し、栄養費の問題から他球団が指名をためらった一場靖弘を自由枠で獲得するなど戦力の底上げに奮闘。

迎えた3月26日のロッテマリーンズのと開幕戦は岩隈久志の好投もあり3-1で勝利するが、翌27日は打線が渡辺俊介の前に1安打1四球に抑えられ完封、投手陣にいたっては先発の藤崎紘範や中継ぎの有銘兼久、小倉恒、徳本敏、マイエットらが打ちこまれ、無失点に抑えたのは福盛和男だけという惨状で、結果的に0-26というとても野球とは思えないようなスコアとなってしまった。
 
初年度の楽天は田尾の指導で復活した山崎武司、礒部公一、吉岡雄二らベテラン打者は一定の成績を残したが、投手陣は唯一計算できる岩隈久志がシーズン途中で故障し、さらに期待されたルーキーの一場靖弘も2勝しか挙げられず、他の投手も軒並み炎上を続ける有様で、シーズンでは11連敗を2度、8連敗・7連敗をそれぞれ1度、5連敗を4度記録するなどの負けっぷりで最終的に38勝97敗1分け勝率は.281という結果に終わる。

この結果を受けて田尾は3年契約を破棄され解任されることになるが、上記のような悲惨な戦力で必死に戦った田尾に対してあまりにも酷い仕打ちとして解任反対の署名運動も起こり、シーズン最終戦では田尾が選手たちによって胴上げされていることから、たった1年ではあるが田尾の戦う姿は確かに東北の人の心に響いていたのである。

優勝決定戦でまさかの5打席連続敬遠

1982年、この年近藤貞雄監督率いる中日ドラゴンズは藤田元司監督率いる読売ジャイアンツと激しい優勝争いを演じていた。
シーズン当初こそ巨人は首位をひた走り、中日は7月まで3位4位をうろうろするという対照的な状態だったが、8月には中日が調子を上げ一時的に首位を奪取、すぐに巨人はその座を奪い返すものの10月になっても両者の激しい争いは終わらず、そのまま巨人は10月9日に2位で全日程を終了する。

そして迎えた10月18日の大洋戦、「中日が勝てば中日が優勝」 ・「大洋が勝てば巨人が優勝」というまさに運命を懸けた一戦、中日の一番打者はこの年開幕から順調に安打を重ねていた田尾安志。田尾はこの試合において優勝以外に争っているものがあった。大洋に所属していた長崎慶一との首位打者争いである。
両者は10月16日からの直接対決開始時点では長崎が打率.352、田尾が打率.344と長崎がリードしていたが、長崎は16日の試合に代打で出ただけで17日18日は欠場、一方の田尾は16日は3打数2安打、17日は5打数4安打という驚異的な追い上げで打率を.350にまで上昇させ、18日の試合で1安打放てば長崎の打率.351を逆転して首位打者を獲得することができる状況にまで持ちこむ。

そして迎えた大洋及びシーズン最終戦、田尾はもちろん1番打者としてバッターボックスに入るが、次の瞬間田尾は衝撃的な光景を目にする。
なんと大洋のバッテリーはいきなり田尾を敬遠したのである。当たり前のことだが田尾は1番打者であり試合はまだ1回のためランナーはおらず、アウトカウントも点灯していない。
大洋は長崎に首位打者を獲得させるため「田尾を全打席で敬遠する」というとんでもない行動を起こしたのだ。
先にも行ったがこの試合で中日が勝てば中日が、大洋が勝てば巨人が優勝を決めるというゲームにおいて、相手チームの先頭打者を歩かせるという行為は中日、そしてそれ以上に巨人にとってはわざと中日を優勝させようとしているのではないかと思いかねない事である。

田尾は打席で敬遠されるたびに淡々と一塁に向かっていたが、8回表の第5打席、ついに怒りが込み上げてきたのかカウントノースリーから明らかなボール球を空振りする。球場はいったんどよめいた後に観客の怒声であふれかえったが、田尾は次のボール球も空振りする。
こうなると田尾よりも大洋のバッテリーがまいってしまい、球場の怒声もますます大きくなる。事態を重く見た中日の黒江透修コーチが「このままだと大変なことになる、もういいだろう」と田尾を説得、田尾は次のボールを見送り無言のまま一塁へと歩いて行った。

結局試合は11-0で中日が圧勝し優勝を決めるのだが、田尾が敬遠されたイニングの内3回と7回は田尾をきっかけに点が入っているため巨人ファンなどから「敗退行為ではないか」との声が上がったが試合結果が覆ることは無かった。
結果的に田尾と激しく争った長崎慶一は首位打者を獲得するものの、批判を浴びることとなり、誰も得をしない最終戦となってしまった。

人物

御年60を過ぎても若々しく温厚そうな風貌を保っているが、本人は相手が誰であっても言いたいことははっきりという人間であり、中日時代はフロント、西武時代は森祇晶、阪神時代は村山実と衝突し、楽天監督時代には3年契約にもかかわらず1年で解任され、その際に「違約金を払う代わり、球団の悪口を言わないという誓約書を書け」と言われたがこれを突っぱねている。

通算成績

選手通算

通算:16年 試合 打席 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率 出塁率
NPB 1683 5977 5414 1560 149 574 58 55 28 467 36 644 .288 .344

 監督通算

通算:1年 試合 勝利 敗戦 引分 勝率
NPB 136 38 97 1 .281 Bクラス1回

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関連項目

  • プロ野球選手一覧
  • 中日ドラゴンズ
  • 西武ライオンズ
  • 阪神タイガース
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス
  • 楽天イーグルス初年度
  • 山崎武司
  • 長崎慶一

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