矢野貴章とは、ブンデスリーガ・SCフライブルクに所属するわが国が世界に誇る大型FWである。
1984年4月5日生まれ。ユース世代に定評のある静岡県にいて、高校時代にSBからFWへとポジションをコンバートし、自他共に認めるヘタクソながら監督に好かれ先発で使われ続けるという異色の経歴を持つ。本人は当時の立場を「すごく肩身が狭かった」と回想している。
それでも高校卒業時には4クラブから誘われるなど実力はあった様子。
2003年に柏レイソル入り、Jリーグデビューを果たす。レイソルでは2005年までの3年間プレーするが、46試合出場4得点というFWとしてあるまじき成績を残してしまったことでサポーターから総スカンを喰らい、ほうほうの体でアルビレックス新潟へ移籍。新天地では2010年までの5シーズンで2トップの一角としてチームを引っ張り、179試合出場38得点という成績を残した。ちなみに、当時新潟でエースストライカーとして活躍していたエジミウソンは出場138試合で矢野のちょうど二倍となる76得点を記録している。
2010年8月、ドイツ・ブンデスリーガのSCフライブルクが獲得を発表。2011年3月現在、11試合に出場するも初得点はいまだ得られていない。
また、日本代表には2007年に初招集され、同年9月11日のスイス戦で初得点も記録した。それ以降は19試合出場2得点と相変わらずの安定感を保ち続けている。
前線から労を厭わず積極的な守備を行う選手というイメージが強い。前述の通り、FWとしては決定力不足という批判がたびたび上げられるが、チームのために労を惜しまない姿勢と90分を通しての運動量でそれを補っている。ごく普通のシュートを当然のように外したかと思えば、角度のない所からの難しいシュートをあっさり決めたりする。
また、フライブルクや代表での低調はそのプレースタイルと合わない起用法をされているからだ、という指摘も存在する。
元々世間一般・ネット上共にFWとしての評価はあまり芳しくなかった。
しかしながら2010年、いわゆる「サプライズ枠」で岡田武史監督に代表招集され2010 FIFAワールドカップに随行した際、「ポスト巻」と一部の人間から色々間違った期待を受けており、カメルーン戦の8分間のみ守備固めで出場という実績を打ち立ててしまったため、ネット上では完全にネタキャラとして定着してしまう。(しかしこのカメルーン戦での出場については、前線からのプレスだけでなくボールキープやドリブル突破などをして時間を上手く潰しており非常に評価が高い)
そのような事態を経て2chの実況スレッドなどでは、日本代表やフライブルクの試合で点が入るたびに「実質矢野の得点」「実質矢野の失点」などと本人の出場・欠場にかかわらず書き込まれるようになった。
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最終更新:2025/12/10(水) 19:00
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