篠原貴行(しのはら たかゆき)とは、横浜ベイスターズに所属する投手。左投左打、背番号34。
三菱重工長崎から、福岡ダイエーホークスを逆指名し1997年のドラフト2位で入団。
ルーキーイヤーから51試合に登板して中継ぎとして頭角を現すと、1999年はセットアッパーに定着。「解っていても打てない」と言われたキレキレの速球を武器に、驚異的な勝ち運で白星を積み重ね、中継ぎ登板のみで14連勝し松坂大輔と最多勝を争った。また勝率10割達成も目前だったが、カズ山本の現役最終打席でHRを打たれ敗戦投手となり、最終的には14勝1敗で最高勝率のタイトルを獲得。防御率も1.25という神成績であり、吉田修司・藤井将雄・ペドラザと強力リリーフ陣を形成してチームの日本一に貢献した。
2000年は前年ほどの直球のキレが無く、セットアッパーを吉田修司に譲るが、相変わらずの勝ち運でチーム最多タイの9勝を挙げ優勝に貢献。2001年は先発転向を志願したが故障で失敗し成績が大幅に悪化する。
最大の武器であった直球のキレを失ったため、スライダーを軸とした投球スタイルに転換して、2003年の後半戦に復活。岡本克道とダブルストッパーを組んで日本一に貢献した。しかしその後は2年間を故障で棒に振り、2006年以降はワンポイントでの起用が多くなる。が、若手時代からの制球の悪さやスライダー一辺倒の投球もあって、左投手なのに左打者からの被打率の方が高いという状態だった。
2009年は一軍登板なしに終わり、オフに戦力外通告。全盛期に投手コーチとして指導を受けた尾花高夫が新監督となる横浜ベイスターズに移籍した。横浜1年目の2010年はワンポイントでの起用が中心になり、何度か派手に打ち込まれ、20試合で2勝2ホールド、防御率11.70に終わったが残留。
崖っぷちの2011年、まさかの大復活を遂げる。開幕一軍こそ逃すがすぐに昇格すると、ルーキーの大原慎司とともに左の中継ぎとしてシーズンを通してフル回転。シーズン終盤にはワンポイントながら要所でのセットアッパー的な役割も任されるなど、35歳にして自己最多の67試合に登板、1勝0敗17ホールド、防御率1.84と1999年に次ぐ好成績を残した。
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最終更新:2025/12/06(土) 23:00
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