舞の海 単語


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舞の海秀平とは、大相撲の元力士である。最高位は小結。
現在はタレント「舞の海」として活躍している。
現役時は小柄な身体から「平成の牛若丸」
多彩な技を披露した事から「技のデパート」と呼ばれ人気を博した。

概要

1968年青森県に生まれる。
日本大学の相撲部に所属し、大学相撲で活躍。
小柄な体格のため一旦は大相撲入門を諦め、山形県の高校教員試験(社会科)に合格していたが、
大学の同郷の後輩が急死したのを機に入門の意思を固める。
当時身長が168cmであり新弟子の合格基準(173cm)に満たなかったため、
手術で頭部にシリコンを入れて身長を水増しし合格、出羽海部屋に入門。
彼の合格以後、同じ方法で検査パスを試みる希望者が増えたが、
健康上の理由ためこの方法を用いる事は禁止された。
その代わり体力テストなどによる第二新弟子検査が導入され、大相撲入門の門戸が広がった。
後に豊ノ島が第二検査で入門した初の幕内力士として活躍している。

1990年5月、幕下60枚目付出で初土俵。
以後負け越し無しで番付を上げ、1991年9月新入幕。この場所技能賞を獲得。
翌11月場所では100kg以上の体重差がある曙に対し三所攻めで攻め勝利し、観衆を沸かせた
(なお、何故かこの取り組みの決まり手は『内掛け』となった)。
この場所も勝越し、2場所連続で技能賞を獲得した。

当時の幕内平均より50kg以上も軽量であったが、
現役時は「猫騙し」「後退する立ち合い」「回転作戦(くるくる舞の海と言われた)」
立ち合いでジャンプする「八艘飛び」など変幻自在な取り口を見せ、観衆を大いに沸かせた。

しかし1996年7月、200kg近い体重差がある小錦との一番で、
小錦が舞の海の左膝にのしかかりじん帯を損傷する大怪我を負ってしまう。
翌日から休場、翌場所も全休を余儀なくされる。
その後は十両に陥落し、1997年5月に幕内復帰するも、下位に停滞。
1999年11月に負け越し幕下陥落が濃厚となった事で現役引退。
引退後は協会には残らず「舞の海」という現役名のままタレントに転身する。
以後はスポーツキャスター、NHKの大相撲解説、旅番組、俳優業、各種講演など
多彩な方面で活躍をしている。
また大学の非常勤講師なども務め、かつて志した教職の仕事にも就く形となった。

現役時、普通親方は弟子に対し、頭から当って前へ出るよう指導するが、
当時の出羽海親方は舞の海にだけはそのような立ち合いを強制せず、
「何をしてもよい、好きなようにやれ」と指導していた。

NHKの解説時は、これも相撲解説者としてよく知られた北の富士とのやり取りが有名であり、
ある種大相撲中継の見所の一部となっている。

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最終更新:2025/12/14(日) 22:00

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