「おー!提督じゃん!ちーっす!」
鈴谷(すずや)とは、大日本帝国海軍所属の最上型重巡洋艦3番艦「鈴谷」をモデルとした、ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」に登場するカレー好き艦娘(かんむす)である。CV:ブリドカットセーラ恵美
最上型重巡四姉妹の三女。2013年7~8月のイベントにて、3面クリア報酬として実装された[1]当時は、同じく4面クリア報酬の戦艦「大和」と同様に、持っている提督はそこまでおらず、加えて「大和」との圧倒的な知名度の差のため、あまり話題に上がることも少なかったりした。
約1ヶ月の間を置いて、10月5日のメンテナンス以降、建造が可能となり、夏イベント新登場の水上艦娘としては先陣を切って一般にも入手可能になった(潜水艦2人はその前からドロップが実装されていた。また、妹の「熊野」の建造・ドロップが実装されたのはその後)。
最上型重巡洋艦の一種なのだが、妙にレア度が高い。現在ではドロップ海域が増えてきたものの実装当時では期間限定のイベントを除くと、5-3のボスドロップと建造以外に入手経路は無く、妹の熊野ともどもレア艦として提督を悩ます存在となっていた(なお熊野の方はボスドロップすらせず、完全に建造頼みなので入手難度は熊野が上だった)。
その後、長らく待たされて2月26日のアップデートで追加された5-4「東京急行」、5月23日で追加された2-5「沖ノ島沖戦闘哨戒」のボス撃破でも(妹の熊野とともに)ドロップが確認されたが、どれもドロップで入手するには高い練度が要求される海域となっている。(とはいえ五指に入る難易度を誇る5-3で狙うよりはよっぽど現実的)
そのため鈴谷を狙う提督たちは建造に望みを託す事になるのだが、艦隊へ迎え入れるには恐怖のWBCを打ち砕く強運が必要となる。ヒエー!
一応、戦艦レシピや大型艦建造のハズレとして入手できる可能性はある。全く別の艦娘を狙って建造をし、鈴谷を入手した提督も結構多い。思わぬところで出会いがあるかもしれない。しかし大型艦建造でもWBCの魔手は迫る。
妹の「熊野」と同じ茶色のブレザーに身を包む。水色のロングヘアが印象的な艦娘。口調がやや乱暴で「~じゃん」「ちーっす」「あざーっす」「きんもー!」と、いわゆるギャル語を連発するのが、お嬢様然とした「熊野」とは好対照である。
姉の「最上」「三隈」と服や絵師が異なるのは、史実にあるとおり「鈴谷」「熊野」は設計変更されたためであろう。
中破絵(特に改造後)を見ると判るが、「熊野」とは違って結構立派なものをお持ちである。ただ、中破するとそれまでのイケイケな感じから一転して本気で恥ずかしがるところから、遊んでいる風で実は処女という二次設定が付けられたとも。また、好対象な妹・熊野とのイチャイチャコンビで活躍する二次創作も多い。公式にもこの二人の関係は認知されたようで、四コマでは熊野とじゃれあったり、さらには熊野とともに二人が主役のマンガまで連載されることが決定した。
最上型重巡なので、航空巡洋艦に改装可能である。改装レベルは「熊野」と同じくLv35。
航空巡洋艦となると、「熊野」同様に飛行甲板を含めた艦後部を模した装備を身につけるが、何故か「鈴谷」は飛行甲板が下を向いた状態で持っており、その形からアイロンとか言われている。
改装後は、雷装を除く全ステータスが向上する。航空機搭載の際に主砲ではなく魚雷発射管を撤去でもしたのか、雷装値だけは重巡時代と変わらずである。弾は命中しなかったのに、至近弾で魚雷や弾薬に引火して沈没したという薄幸な出来事に基づいて鈴谷は運は5しか無かったが、改装をする事で標準並みに上がる。航空巡洋艦なので瑞雲や試製晴嵐といった水上爆撃機を搭載可能。対潜や開幕の航空攻撃に参加出来るようになる。4月23日に行われた水上機に関する大幅なアップデートによって水上機搭載の重要性も飛躍的に増しているのだが、水上爆撃機を搭載していた場合、敵方に潜水艦がいた場合、他の敵艦そっちのけで潜水艦を狙うというメリットともデメリットとも取れる行動をするようになる。水上爆撃機を搭載せず水上偵察機を搭載すれば普通に敵艦を狙うようになるが潜水艦への対抗手段は無くなる。自分に似合う方を選ぼう。
ちなみに姉である最上と三隈は航空巡洋艦に改装された際には専用の台詞が追加されるのだが、鈴谷(と熊野)にはなぜか追加されない。航空巡洋艦になっても編成時には重巡と言い続けるばかりである。どこぞの不幸姉妹も水上機発進時に「主砲、副砲、撃て!」と叫んだりするが。
とある任務に、航空巡洋艦が2隻必要になる。航空巡洋艦の枠組みに当てはまるのは、現時点では最上型重巡の最上改、鈴谷改、三隈改、熊野改の4種。さらに2014年4月23日にて利根型重巡姉妹が改二で航空巡洋艦に改装できるようになったことで6種類に増えた。比較的容易に手に入る最上改で1隻は何とかなるにしても、残りの最上型重巡は軒並みレア艦で入手が難しい。利根型重巡姉妹は最上と同程度の入手難易度であるものの航空巡洋艦への改装に必要なレベルと他の条件をクリアする難易度が高い。もし運良く鈴谷が手に入ったのなら大切に育てておこう。慢心ダメ、ゼッタイ。
時報セリフを聞く限り、夜は早めに寝てしまう「熊野」とは違って夜型らしい。どこぞの夜戦バカと話が合うのかもしれない。
最上型重巡3番艦「鈴谷」は、1934年11月20日に進水。ちなみに妹の「熊野」とは同日の竣工であり、この2人は金剛型戦艦の「榛名」「霧島」と同様に双子と言えなくもない。
建造中に友鶴事件が発生し、その結果極めて無理のある設計と判断された鈴谷には急遽設計の変更がなされた。甲板の高さを低くすると同時に重心を降下させ、重量を軽くするなど改良。性能が改善された。1935年11月10日から各種公試運転を開始した鈴谷であったが、その2ヶ月前の9月に第四艦隊事件が発生。姉妹の最上と三隈が巻き込まれ、二隻の被害こそ軽微であったが帝國海軍を揺るがす大事故を前に、鈴谷は再度設計の見直しを迫られる事となる。公試運転を中止し、第四艦隊の惨劇を軽微で乗り切った最上・三隈に準じた船体の改装を行った。そして1937年10月31日に改装完了。横須賀海軍工廠で竣工した。
前述したとおり、「鈴谷」「熊野」は最上型とはいえ設計変更されているところから、改最上型、もしくは鈴谷型と呼ばれることもある。
ちなみに、本人も図鑑で言っている通り、名前は樺太の鈴谷川[2]からとられている。現時点で実装されている艦娘では、現在の日本領土以外の地名からとられた唯一の艦となっている。いや間宮さんは給糧艦だし……ごめんなさい忘れてましたorz。
余談だが、鈴谷川は事実上ロシア領となった現在も、現地では「ススヤ(Сусуя)」と呼ばれている。
さて、同日に生まれた「鈴谷」と「熊野」は、以降ずっと共に、激戦をくぐり抜けていくことになる。
開戦後はマレー上陸作戦の支援、アナンバス攻略作戦支援、パレンバン攻略支援、北部スマトラ上陸支援、バタビア沖海戦などに参加。緒戦の快進撃を支え、東南アジアから連合国海軍を一掃する事に成功する。
そして鈴谷と熊野は東インド洋に行動範囲を移し、ベンガル湾を中心に通商破壊を開始。7隻のイギリス商船を撃沈した。その時、鈴谷の艦長を務めていた木村昌福大佐は人命第一の戦術を取った。攻撃を受け、白旗を揚げた敵商船を確認すると攻撃をやめさせ、乗組員がボートで脱出してから敵商船を砲撃・撃沈した。
また攻撃の仕方も、高角砲で敵船の船底部を撃ち抜くという被害の少ない方法で撃沈。砲撃を加えている敵船に脱出する船員がまだ残っていた事を知った時には、わざわざ射撃の中止を命じ、完全に脱出が終わってから改めて攻撃の命令を出している。
1942年4月11日、通商破壊を終えてシンガポールへ帰投。続いて呉軍港へ向かい、入渠する。同年5月22日、ミッドウェー攻略支援のため柱島を出撃し、グアム経由で作戦海域へ向かった。
数々のエピソードを持っている鈴谷だが、その中でも特筆すべきエピソードは、かのミッドウェー海戦。
当時所属していたのは第2艦隊第7戦隊。ここにはミッドウェー海戦の前に「最上」「三隈」も転属してきて、最上型4姉妹揃い踏みとなっていた。しかし、これが最初で最後の揃い踏みとなってしまう。
ミッドウェーでは4空母が沈没したのが有名だが、悲劇はそれだけでは終わらなかった。撤退命令が出た直後、敵潜水艦を発見して回頭した「最上」と「三隈」が衝突、「最上」が大破してしまう。
艦首が折れた「最上」と、その護衛に付いた「三隈」は駆逐艦「朝潮」「荒潮」と合流しトラック島方面へ撤退していたが、今度は米軍の大空襲を受け[3]、これによって「三隈」は大破する。
一方、その場から全力で離脱した第7戦隊の旗艦「熊野」に、しかし「鈴谷」は従わなかった。「我に続け」の信号旗を掲げる「熊野」に対し、「鈴谷」の艦長は「我機関故障」と伝え、わざとゆっくり進み、その後反転して姉を救うべく戦場に戻った。結果的には間に合わず、「三隈」は燃え尽きて廃墟と化していたが、その乗組員を救出した後、「三隈」に自ら雷撃処分を行い、介錯をしている[4]。
ちなみにこのとき、旗艦「熊野」で2隻をトラック島方面へ撤退させる決断をしたのが、後の栗田ターンで有名になる栗田少将、そして味方を助けに戻った「鈴谷」艦長こそ木村昌福大佐である。木村大佐はその後、第3水雷戦隊司令を経て、第1水雷戦隊司令に着任し、「キスカ撤退作戦」に携わることになる。
ただし、この「鈴谷」反転に関しての情報源は、今のところ鈴谷乗組員の証言のみで、他に裏付ける記録はまだ発見されていない。
ミッドウェー島攻略が失敗に終わった後、鈴谷は1942年6月13日に一度トラックへ寄港。その後、同月23日に呉軍港に帰還し船体と兵器を整備した。第3艦隊第7戦隊へと配置換えとなった鈴谷はシンガポールへ向かい、再度ベンガル湾にて作戦行動を行う。
それからは「最上」が修理のために戦隊を離れ、「鈴谷」は「熊野」と共にソロモン方面の作戦に従事。第二次ソロモン海戦や南太平洋海戦に参加。南太平洋海戦では空母を護衛する前衛艦隊として参戦していたが、その途中で敵航空隊によって左右両方から同時に魚雷を放たれる。どちらに回頭しても、もう一方の魚雷群に命中してしまうという絶体絶命の危機に、木村艦長は「まっすぐ行け」と命令。鈴谷は直進した。それでも命中は必至・・・だったのだが命中確実と思われた方向の魚雷群が深度の設定を誤ったらしく鈴谷の船底を通り抜けるという奇跡が起きる。その結果、一発も被雷する事無く危機を脱した。それなのに運が5って一体・・・。
1942年11月には「摩耶」と共にガダルカナル島のヘンダーソン飛行場に砲撃を行っている。しかし重巡の砲撃程度では飛行場を完全に破壊する事は難しく、戦果は駐機していた敵航空機を幾つか破壊するに留まった。
年が変わって1943年では、特に海戦には参加しておらず防空隊の輸送や物資輸送、訓練、船体の整備など、南方方面の各拠点や内地を行き来している。1943年11月に発生したラバウル空襲で鈴谷と最上は損傷。最上を護衛しつつトラックへ移動する。
1944年6月、マリアナ沖海戦が生起。鈴谷もこの大海戦に参加。熊野や最上も一緒に参戦したが特に戦闘は起きなかった。しかしこの海戦で帝國海軍の機動部隊は壊滅する事となってしまう。海戦後、沖縄の中城湾へ帰投。
その後、1944年10月にレイテ沖海戦が生起。「利根」「筑摩」の利根型姉妹を加えた陣容でサマール沖海戦に参加した第7戦隊だったが、引き続き旗艦を勤めていた妹の「熊野」が駆逐艦の雷撃を受けて艦隊から離脱。そして、これが、これまで常に行動を共にしてきた「熊野」と「鈴谷」の今生の別れとなった。
離脱した「熊野」から第7戦隊旗艦を受け継いだその直後、「鈴谷」も米軍の猛攻撃を受ける。直撃こそなかったものの、至近弾によって右舷の魚雷が誘爆し、さらに左舷の魚雷、弾薬が次々と誘爆、手が付けられない状態になり、航行不能、そしてついに爆発轟沈する。
余談だが、このとき最期に「鈴谷」を護衛し、そして乗組員の救助にあたっていたのは夕雲型駆逐艦14番艦「沖波」(艦これ未登場)と、「自分は生き残るが周りは皆死ぬ」とまで言われた 例の駆逐艦である。
ちなみに、「鈴谷」の名を持つ艦としては2代目。初代は日露戦争で擱座したロシアの巡洋艦Новик(ノヴォーク)を引き上げ、修復した通報艦「鈴谷」である。
戦後は、ご存知の通り樺太はロシアに取られたためか、その名を継ぐ艦は現時点ではない。
鈴谷(艦これ)に関するニコニコミュニティを紹介してください。
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最終更新:2025/12/11(木) 09:00
最終更新:2025/12/11(木) 08:00
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