長谷川勇也(はせがわ ゆうや)とは、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(外野手)。背番号24。
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2006年の大学生・社会人ドラフト5巡目で指名され専修大学からソフトバンクに入団。背番号30。即戦力野手として期待されるが、1年目は怪我でほぼ棒に振る。
2年目は春先に一軍昇格すると、低打率ながらたびたび好機に好打を放ちアピール。対右投手時はスタメンで出るなど、若手野手の中でも期待されていたが、夏場に小指を骨折して離脱、そのままシーズンを終える。
3年目の2009年は多村仁の出遅れと新外国人の不振により開幕直後からレギュラーの座を掴み、逆方向へのシュアなバッティングで高打率をキープ。6番か7番(チーム状況により5番)でセンターを定位置として143試合に出場、打率.312でパ・リーグの打率ランキング4位に入った。またオールスターに選手間投票で初選出を果たし、試合では内野安打1本と好守を見せた。
しかし2010年は、事実上の2年目のジンクスに陥り、レギュラーで起用され続けたものの打率は上がらず、打率.255、3本塁打と前年より大きく成績を落としてしまった。
2011年は前年の不振と内川聖一の加入から開幕スタメンを逃し、福田秀平の台頭もあって序盤はやや影が薄かったが、5月半ばからセンターのレギュラーを確保。しばらくは打率もなかなか上がらず苦しんだが、夏場からじわじわ尻上がりに成績を挙げ、シーズン終盤は故障者が続出する中で5番も任された。最終的に規定打席に到達し、打率.293、4本塁打34打点、13盗塁と好成績にまとめた。クライマックスシリーズでは、制覇のかかった第3戦で起死回生の同点タイムリー、そしてサヨナラ打を放つ5打数4安打2打点の大暴れで特別賞を受賞した。
2012年からは背番号24に変更。もともと24を希望しており、念願叶っての変更であった。例によって春先は不調で5月には二軍落ちも経験したが、6月からは調子を上げ、一時は3割を伺うところまで打率を上げた。最終的には126試合で打率.278、4本塁打37打点、16盗塁。出塁率は例年通り高く.352をマークした。守備では柳田悠岐の台頭で、ライトで出場することも多かった。
2013年はキャンプ中に打球が直撃して頭蓋骨を陥没骨折するというアクシデントに見舞われるが、脅威の回復力で開幕に間に合わせる。この年は春先から好調で、4月半ばから1番に入り3割前後をキープ。交流戦に入った5月半ばからは1番に中村晃が抜擢され5番に回ったが、これが機能し、交流戦を通してヒットを量産。交流戦史上最高打率となる.418をマークし、交流戦MVPを受賞した。
愛称は「ハセ」。ネット上では「ハッセ」と呼ばれることが多い。
ホークス野手では珍しい、じっくりと球を見極めて出塁を狙うタイプで、出塁率の高さが最大の武器。王監督(当時)に「もっと積極的に打ちにいけ」と言われてもそのスタイルを変えなかった勇者である。
アベレージヒッターの印象が強いが、一軍1年目は低打率だがパンチ力のある打者として売り出していた。その年に骨折した小指がまっすぐ伸びなくなったことで握力が低下してしまったため、上半身の力に頼っていたフォームを修正し下半身を強化することで翌年アベレージヒッターとして開眼したという経緯がある。とはいえ元々パワーはあるので、現在でもときたま意外なところで一発を放り込むことも。
2013年は頭蓋骨を陥没骨折しながら開幕に間に合わせ、例年調子の悪い春先から好調を維持したため、上記の小指の件と合わせて「長谷川は骨折するとパワーアップする」と冗談交じりに言われることも。
バントが大の苦手。無死一塁でバントを指示され、2回失敗してヒッティングに切り替えてからヒットを打つのは様式美。最初から強攻させろよと言ってはいけない。……とか言ってたら2011年の日シリではバント大好き秋山監督をして「性格的に打たせた方がいいと思った」と言わしめた。しかしその後もたびたび秋山監督は長谷川にバントを指示しては様式美を繰り返している。
守備ではセンターを守っているが、飛び抜けた俊足・強肩というわけではなく(それなりに俊足ではあるがあくまでそれなり、肩は微妙)、打球判断もあまり早くない。2008年には飛球を追って多村と交錯、骨折させてしまったり、連携ミスで柴原の腰痛を悪化させたりとチームへの影響大なやらかしが目立った。きわどい打球の好捕は結構見られ、打球判断の遅さを球際の強さでカバーするタイプだが、やらかしもするのでイマイチ信用がおけない程度の守備力。また打撃好調時は守備も冴えるが、打てなくなると守備でもやらかす場面が目立つ。そのため、勝っている試合の終盤では城所龍磨がセンターに入り、長谷川はレフトに回るのがパターンになっているが、守備でやらかす場面はレフトのときの方が多い。2012年からは柳田悠岐の台頭でライトに回ることも多くなっている。
読売ジャイアンツで同じく2009年にセンターとしてブレイクした松本哲也は大学の同期。
| ソフトバンク 応援歌 |
(2012年終了時点)
| 年度 | 所属 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008年 | ソフトバンク | 71 | 245 | 221 | 28 | 52 | 13 | 1 | 4 | 24 | 2 | 4 | 1 | 28 | 1 | 47 | 1 | .235 | .295 |
| 2009年 | 143 | 584 | 509 | 69 | 159 | 31 | 3 | 7 | 44 | 10 | 11 | 1 | 57 | 6 | 89 | 7 | .312 | .387 | |
| 2010年 | 134 | 519 | 443 | 48 | 113 | 17 | 0 | 3 | 32 | 14 | 10 | 3 | 51 | 12 | 97 | 8 | .255 | .346 | |
| 2011年 | 125 | 455 | 392 | 51 | 115 | 23 | 1 | 4 | 34 | 13 | 6 | 2 | 47 | 8 | 87 | 2 | .293 | .379 | |
| 2012年 | 123 | 473 | 403 | 41 | 112 | 15 | 3 | 4 | 37 | 16 | 16 | 5 | 40 | 9 | 87 | 4 | .278 | .352 | |
| 通算:5年 | 599 | 2276 | 1968 | 237 | 551 | 99 | 8 | 22 | 171 | 55 | 47 | 12 | 213 | 36 | 407 | 22 | .280 | .359 | |
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最終更新:2025/12/11(木) 07:00
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