隼鷹(じゅんよう)とは、旧日本海軍の空母及び「艦隊これくしょん」に登場する艦娘である。
飛鷹型航空母艦2番艦であるが、飛鷹とは姉妹である言及は無い。
実は海軍の公式資料では隼鷹型1番艦で、飛鷹の方が2番艦だったりする。あえて2人を姉妹扱いしていないのは、そのためかも知れない。
同じ軽空母仲間の飛鷹や龍驤と同じ、陰陽師系のスタイルである。(ちなみにこの3人は、ミッドウェーで蒼龍と飛龍が戦没後、第二航空戦隊を引き継いだ軽空母トリオだったりする。同じスタイルなのはそのためかもしれない)
黒髪ロングで毅然としたお嬢様と云った趣の飛鷹とは対照的に、明るいピンク髪のツンツンな少年漫画的ボーイッシュさを感じる。明朗快活な性格であり、登場時の「ヒャッハー!(正確には「ひゃっはぁー!」)」や「飲んでないよ、シラフだよ!」発言のためかネタキャラ扱いされる傾向が強い。しかし、仕事はキッチリ行うタイプであり、秘書艦として各種報告を行うセリフには、ノリの良さの中にも押さえるべきポイントは端的に押さえる抜かりなさも見え隠れする。ちょっかいを出してきた提督に対して仕事量の多さ(艦載機の整備など)でぼやく一幕も。
公式コミックでは赤城に脅されたり、雨漏りに被弾してぶっ倒れる(式神戦闘機や巻物甲板がいずれも紙なので水に弱い?)等不憫な傾向がある。4コマ内では千歳ともども大酒飲みキャラへ。第六駆逐隊に飲み会の準備や片づけを手伝わせたり、鳳翔さんが今晩の夕食は焼き鳥に決めた段階で二人揃って何を飲むか相談するなど、ア艦これ状態へと陥っている。んでもって空母寮の先輩の加賀に毎度シメられている模様。
レアリティの面から見た場合、比較的入手し易い部類に入る。最初から4スロットの装備欄を持ち、千歳航改二・千代田航改二と並び軽空母トップクラスの艦載機の搭載・運用能力がある。航行不能だったとはいえ終戦まで残存していたため幸運値が高めで、改造すると全艦娘の中でも上位に位置する。[1]
戦力として充分な能力を持ち、かつ(正規空母と比較した場合)低燃費なので、戦闘だけでなく遠征に回っても優秀である。
欠点として、航空母艦でありながらも低速である点(飛鷹型の他に低速なのは鳳翔のみ。ただし、低速のデメリットは回避に影響するとされているが実際には不明確である。)と、装甲の最大値が低い(あくまで正規空母との比較で)という点が挙げられる。
要するに、「軽空母では最も優秀な空母娘の一人」である。入手している提督は、派手な外見や酔っ払いのような言動に引くことなく、是非活用して頂きたい。
2013年7月には早くもMMDモデルが完成している。
おそらく軽空母の艦娘では初のMMDモデル化だと思われる(というか、全体を通しても島風に続く2番手と思われる)。
なお、このMMDモデルは残念ながら諸事情により8月21日で配布終了し、現在入手は出来ない。
冒頭の自己紹介の通り、元は日本郵船の大型高速貨客船「橿原丸」であり、建造途中で海軍により改装、1942年(昭和17年)5月に空母「隼鷹」として竣工する[2]。
常用48機の艦載機は正規空母である飛龍・蒼龍に次ぐ機数であり、客船改造した空母の中で最大のサイズ[3]であり、大型の艦載機も運用出来る能力から、正規空母4隻を一気に失ったミッドウェー海戦以降はほぼ正規空母として扱われ、前述の通り第二航空戦隊として各地を転戦する。
日本空母として初めて電探(レーダー)の本格運用を行ったり、外側へ29度に傾斜させた煙突と一体化した近代的な大型の艦橋(後年空母大鳳・信濃や各国で建造された空母にも採用されている)を備えたりするなど、意欲的な設計・改修が行われている。
そして最大速度こそ控えめだが、戦争がなければ豪華客船として竣工する予定だっただけに、姉妹ともども型式は違えども、後述の通り駆逐艦島風と同等の高圧高効率機関を搭載。18ノットで12000海里以上と非常に長い航続距離も誇る。日本海軍最優秀空母の翔鶴型空母が同じ速度で9700海里、戦時量産空母の決定版である雲龍型が8000海里であることを思うと、居住性の良さも含めて彼女らが本当は客船となるはずだったことも伺える。
まさか酒豪キャラ設定なのは、このあたりの燃費の良さ(肝臓の強さ)が反映されたんじゃ…
1944年(昭和19年)12月。既に搭載する航空機が無くなってしまった隼鷹は、輸送船代わりに使われていた。艦これで「天山とか流星とか欲しいよね」と言うのは上記の通り運用する機会がほぼ無かったため(流星に至っては艦載機としての運用すらされていない)
その輸送任務でマニラに行った隼鷹は、佐世保への帰投途中で米潜水艦「シーデビル」と「レッドフィッシュ」からの雷撃を受ける。魚雷2発が命中し、艦首が10m吹っ飛ぶ程の損傷を受け、5000トンもの浸水が発生するが、「あぁ~ん!こんな格好いやだ~!」と悲鳴を上げつつ何とか佐世保に帰投することが出来た。その後船体は修復されてドックからは出られたが、損傷した機関部の修理がままならず[4]、佐世保に係留されたまま終戦を迎え、1947年(昭和22年)8月1日解体完了。波乱万丈の一生を終える。
本来の役目だった橿原丸として復旧し、戦後復興に励む人々を乗せて平和な大海原を駆けるという願いはついに叶うことはなかった。
↑二航戦
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最終更新:2024/03/29(金) 14:00
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