青木宣親とは、東京ヤクルトスワローズ所属のプロ野球選手(外野手)である。宮崎県日向市出身。
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早稲田大学からドラフト4位でヤクルトスワローズに入団。背番号は23。
青木と早稲田大学で同学年の選手から4人がプロ入りした(他は鳥谷敬・比嘉寿光・由田慎太郎)。
1年先輩に和田毅、1年後輩に田中浩康、2年後輩に武内晋一がいる(青木4年時は1~6番打者が全員プロ入り)。
平成14年春から15秋の4期に早大史上初の4連覇、平成15年秋には早大史上初の10戦全勝完全優勝を達成。
しかし、プロ入り後は野村ヤクルト黄金期後の若松ヤクルト唯一の優勝時にも間に合わずシーズン優勝経験がない。
ルーキーイヤーにフレッシュオールスター(二軍&若手のオールスター)でMVPを獲得しスターへの登竜門を登った。
2年目の2005シーズンに稲葉篤紀が移籍した穴を埋めるためセンターに抜擢されブレイク、イチロー以来となるシーズン202安打を放ち打率.344で首位打者・新人王に輝いた。
2006年WBC日本代表に選手され、主に控えながら6試合に出場し打率.200打点1を記録。チームは優勝し世界一を経験。
そのシーズンでは2年連続首位打者は逃したものの41盗塁で盗塁王のタイトルを獲得。
2007シーズンは打率.346で首位打者、2008シーズンは打率.347ながら首位打者は内川聖一(打率.378)に奪われた。
そして第2回WBCに選出され(2回連続出場)12安打を放ち大会最多安打をマークし日本の連覇に貢献し世界ベストナインに選ばれる活躍を魅せる。
しかしその後の2009シーズンでは極度の打撃不振に陥った。しかし最終的には打率を3割台にのせ、さらに出塁率.400で最高出塁率のタイトルを獲得した。
背番号を1番に変更した2010年シーズンは交流戦半ばから1番に固定。一時期打率3割を切っていたがしっかり立て直し、打率.358で3回目の首位打者のタイトルを獲得した。また2度目のシーズン200本安打を達成した。
2011シーズンは統一球の影響もあってか、7年ぶりに打率が3割を切ってしまった。
俊足巧打の安打製造機、流し打ちが巧く内野安打も打てるがプロ入り後は長打力も伸ばしている。
2008年は自己最高の.347の高打率をマークしながら得点圏では.277と苦手で唯一ともいえる弱点。
他球団ながら川崎宗則や早稲田の同級生の鳥谷敬とちょくちょく食事に行くと語っている。
自分を抜擢してくれた若松元監督には大変感謝している。
ファン感謝デーではチームメイト川島慶三、岡本秀寛と一緒に「羞恥心」を熱唱。
2006年元日のプロスポーツマンNo.1決定戦の種目「ショットガンタッチ」で世界新記録、総合で3位。
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最終更新:2025/12/24(水) 06:00
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