青木宣親(あおき のりちか、1982年1月5日-)とは、日本の宮崎県出身のプロ野球選手(外野手)である。2018年から東京ヤクルトスワローズに所属。
NPB史上初の2度の200本安打、史上2人目の200本安打、歴代3位のシーズン安打記録を持つ。
2018年現在、NPBにおける通算打率の歴代1位記録保持者(4000打数以上の選手が対象)。
| 東京ヤクルトスワローズ #23 | |
|---|---|
| 青木宣親 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 宮崎県日向市 |
| 生年月日 | 1982年1月5日 |
| 身長 体重 |
175cm 80kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投左打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| プロ入り | 2003年ドラフト4位 |
| 経歴 | |
|
|
| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| 五輪 | 2008年 |
| WBC | 2006年、2009年、2017年 |
| プロ野球選手テンプレート | |
小学校から野球を始める。指定校推薦で早稲田大学に入学するまでは投手をやっていた。
早稲田大学からドラフト4位でヤクルトスワローズに入団。背番号は23。同期に自由獲得枠で入団し、新人王に輝いた川島亮が居る。
青木と早稲田大学で同学年の選手から4人がプロ入りした(他は鳥谷敬・比嘉寿光・由田慎太郎)。
1年先輩に和田毅、1年後輩に田中浩康、2年後輩に武内晋一がいる(青木4年時は1番~6番打者が全員プロ入り)。
平成14年春から平成15年秋の4期に早大史上初の4連覇、平成15年秋には早大史上初の10戦全勝完全優勝を達成。
プロ1年目となる2004年は出場機会に恵まれず、初出場が7月、初スタメンが消化試合となる10月のことであった。しかし、二軍ではイースタン・リーグ首位打者と最高出塁率を獲得し、フレッシュオールスター(二軍&若手のオールスター)でMVPを獲得しスターへの登竜門を登った。
翌2005年は外野レギュラーの稲葉篤紀がフリーエージェントで北海道日本ハムファイターズに移籍したため、開幕から2番センターに抜擢された。6月からは宮本慎也と打順を入れ替えて1番打者に固定され、イチロー以来となるシーズン200本安打を達成。最終的に202安打を放ち、打率.344で首位打者・最多安打を記録した。2年目ではあったが前年の打席数が少なかったこともあり、新人王にも選出された。
2006年WBC日本代表に選手され、主に控えながら6試合に出場し打率.200打点1を記録。チームは優勝し世界一を経験。
そのシーズンでは2年連続首位打者は逃したものの41盗塁で盗塁王のタイトルを獲得。
2007年シーズンは、7月10日に出場373試合目での史上最速500本安打を達成し、最終的に打率.346を残して2度目の首位打者と初の最高出塁率に輝いた。
翌2008年シーズンは開幕から3番を打ち、前年を上回る打率.347を残したものの、横浜ベイスターズの内川聖一が打率.378という凄まじい数字を残してしまったため3度目の首位打者獲得とはならなかった。
2009年は第2回WBCに選出され(2回連続出場)12安打を放ち大会最多安打をマークし日本の連覇に貢献し世界ベストナインに選ばれる活躍を魅せる。
しかしレギュラーシーズンでは極度の打撃不振に陥った。しかし最終的には打率を3割台にのせ、さらに出塁率.400で最高出塁率のタイトルを獲得した。
2010年は背番号を1番に変更。今年も開幕から3番打者を務めるが、5月に成績不振で監督の高田繁が辞任すると、監督代行の小川淳司の方針で再び1番打者に戻された。一時期打率3割を切っていたがしっかり立て直し、打率.358で3回目の首位打者のタイトルを獲得した。またプロ野球史上初の2度目のシーズン200本安打を達成した。
2011年シーズンは統一球の影響もあってか、7年ぶりに打率が3割を切ってしまった。11月10日にポスティングシステムでのMLB挑戦を表明し、ミルウォーキー・ブルワーズが交渉権を獲得。球団のテストを経て1月17日に2年契約を結び、背番号は7に決定。
2012年、4月6日のセントルイス・カージナルス戦に代打での出場でメジャーデビュー。しばらくは途中出場が続いたが5月下旬からライトのレギュラーに定着し、主に1番や2番を任されるようになる。6月にはサヨナラホームランを放つなど前半戦は.301、5本塁打、11盗塁の好成績で折り返す。10月2日のサンディエゴ・パドレス戦で日本人ルーキーではイチロー以来となる30盗塁に到達し、最終的に打率.288、10本塁打、50打点、出塁率.355の活躍でシーズンを終えた。
2013年、開幕戦で日本人史上4人目となる開幕戦でのホームランを記録。メジャー2年目もレギュラーとして活躍し、6月5日のオークランド・アスレチックス戦で日米通算1500本安打、7月28日のコロラド・ロッキーズ戦で日米通算100本塁打を達成。最終成績は155試合の出場で打率.286、171安打、8本塁打、37打点、出塁率.356。12月にウィル・スミスとのトレードでカンザスシティ・ロイヤルズに移籍。背番号はヤクルト時代に付けていた23とし、登録名を「Nori Aoki」とすることになった。
2014年はアメリカン・リーグに移った影響か打撃がイマイチで、6月に軽度の肉離れで故障者リスト入りした。9月に入ってからは復調し、ロイヤルズ29年ぶりのワイルドカード進出に貢献。その後ポストシーズンでも活躍し、リーグ優勝に貢献。しかしワールドシリーズでは14打席1安打と精彩を欠いた。シーズン終了後にFAとなった。
なおこの年のみ、登録名を「ノリ・アオキ(Nori Aoki)」としていた。
2015年1月にサンフランシスコ・ジャイアンツと1年契約を結んだ。背番号23。
開幕から打率3割をマークし、8月7日のシカゴ・カブス戦で日米通算1500試合を達成。しかしこの年は異常に死球が多く、6月20日のロサンゼルス・ドジャース戦で右足を死球骨折。8月9日のカブス戦で頭部死球を受け、脳振とうを起こしてDL(故障者リスト)入り。その後復帰したが本来の打撃は鳴りを潜め打率が3割を切ってしまう。9月5日以降は脳振とうの後遺症が再発し、以降は欠場した。怪我が懸念されたのか契約オプションが行使されずFAとなった。
12月2日にシアトル・マリナーズと1年契約を結んだ。背番号は8。
2016年は開幕から打撃不振に陥り、6月24日に故障以外では初めてマイナー落ちを喫した。7月下旬に復帰し、好調を維持したが、左投手が集中する時期に2度目のマイナー落ち。メジャーで初めて規定打席に到達できず、打率.283に終わった。オフにウェーバーを経てヒューストン・アストロズに移籍した。背番号は3。
2017年、WBC(ワールドベースボールクラシック)日本代表にMLB日本人選手として唯一選出される。背番号7。
6月11日の対ロサンゼルス・エンゼルス戦で日米通算2000本安打を達成。6月30日の対ニューヨーク・ヤンキース戦で、プロでは日米通じて初めて投手として登板、1イニングを打者6人・1安打2四球3失点だった。MLBで日本人野手が投手として出場したのはイチロー以来2人目。トレード期限最終日の7月31日にトロント・ブルージェイズにトレード移籍した。背番号は23。しかしそれから1ヶ月後に自由契約となり、9月2日にニューヨーク・メッツに移籍した。背番号は11。この移籍により、青木はア・リーグとナ・リーグ全ての地区に所属した選手となった。オフにFAとなった。
余談だが「宣親(Norichika)」という名前が英語圏の人間には発音しづらいのか、アメリカでは「ノリ・アオキ(Nori Aoki)」と呼ばれる。
2018年に古巣のヤクルトに復帰。背番号は23。5月3日の試合で通算4000打数に到達し、暫定的ながら通算打率のNPB歴代1位(.327)となった。交流戦からは2番に定着した後に打撃が復調。127試合に出場し、打率.327、10本塁打、67打点を記録した。10月2日に左太もも裏を負傷し、クライマックスシリーズの出場が危ぶまれたが、10月13日のファーストステージ初戦に出場登録されて、試合に出場した。
2019年5月22日の阪神戦で、NPB通算1500本安打を記録した。プロ野球126人目で、1156試合での達成は、日本球界復帰後の松井稼頭央(東北楽天ゴールデンイーグルス)が達成した1233試合を抜く史上最速記録となった。
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| ヤクルト | 青木宣親#20 | 6026 | |
| ヤクルト(チャンス時) | 青木宣親#22 | 6212 |
| 年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2012年 | MIL | 151 | 591 | 520 | 81 | 150 | 37 | 4 | 10 | 50 | 30 | 7 | 5 | 43 | 13 | 53 | 6 | .288 | .355 |
| 2013年 | 155 | 674 | 597 | 80 | 171 | 20 | 3 | 8 | 37 | 20 | 8 | 3 | 55 | 11 | 40 | 9 | .286 | .356 | |
| 2014年 | KC | 132 | 549 | 491 | 63 | 140 | 22 | 6 | 1 | 43 | 17 | 8 | 1 | 43 | 6 | 49 | 5 | .285 | .349 |
| 2015年 | SF | 93 | 392 | 355 | 42 | 102 | 12 | 3 | 5 | 26 | 14 | 1 | 0 | 30 | 6 | 25 | 8 | .287 | .350 |
| 2016年 | SEA | 118 | 467 | 417 | 63 | 118 | 24 | 4 | 4 | 28 | 7 | 5 | 1 | 34 | 9 | 45 | 9 | .283 | .349 |
| 2017年 | HOU | 71 | 224 | 202 | 28 | 55 | 12 | 1 | 2 | 19 | 5 | 1 | 4 | 15 | 2 | 29 | 11 | .272 | .323 |
| TOR | 12 | 34 | 32 | 4 | 9 | 1 | 0 | 3 | 8 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 5 | 0 | .281 | .294 | |
| NYM | 27 | 116 | 102 | 16 | 29 | 7 | 1 | 0 | 8 | 5 | 0 | 0 | 13 | 1 | 10 | 1 | .284 | .371 | |
| 17計 | 110 | 374 | 336 | 48 | 93 | 20 | 2 | 5 | 35 | 10 | 1 | 5 | 29 | 3 | 44 | 12 | .277 | .335 | |
| 2018年 | ヤクルト | 127 | 567 | 495 | 85 | 162 | 37 | 3 | 10 | 67 | 3 | 0 | 2 | 51 | 19 | 48 | 13 | .327 | .409 |
| NPB:9年 | 1112 | 4998 | 4395 | 749 | 1446 | 229 | 25 | 94 | 452 | 167 | 28 | 17 | 468 | 90 | 539 | 60 | .329 | .403 | |
| MLB:6年 | 759 | 3044 | 2716 | 377 | 774 | 135 | 22 | 33 | 184 | 98 | 30 | 15 | 234 | 48 | 258 | 49 | .285 | .350 | |
| タイトル | |||
|---|---|---|---|
| NPB | 首位打者 | 3回 | 2005年、2007年、2010年 |
| 最多安打 | 2回 | 2005年、2006年 | |
| 盗塁王 | 1回 | 2006年 | |
| 最高出塁率 | 2回 | 2007年、2009年 | |
| 表彰 | |||
| NPB | 新人王 | - | 2005年 |
| 月間MVP | 4回 | 2005年8月、2007年4月、2010年9月、2018年6月 | |
| ベストナイン | 7回 | 2005年-2011年 | |
| ゴールデングラブ賞 | 6回 | 2006年-2011年 | |
| オールスターMVP | 2回 | 2006年第1戦、2009年第1戦 | |
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最終更新:2025/12/22(月) 07:00
最終更新:2025/12/22(月) 07:00
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