エイチ・ツー・オーリテイリング(株) 英:H2O Retailing Corporationとは、阪急阪神東宝グループ傘下の小売部門の持株会社である。
概要
本店所在地は大阪府大阪市北区角田町8-7 梅田阪急ビル(阪急百貨店うめだ本店と同じ敷地内)だが、本社機能は向かい側の「大阪梅田ツインタワーズ・サウス」(阪神百貨店梅田本店の真上)に位置する。
2007年、阪急電鉄・阪神電鉄が2006年に経営統合し阪急阪神ホールディングスとなったことで小売部門もご多分に漏れず経営統合が行われ、阪急百貨店・阪神百貨店はエイチ・ツー・オーリテイリング傘下の事業となった。
その後、イズミヤや関西スーパーマーケット等の関西ローカルスーパーマーケットを次々と傘下におさめ拡大を続けている。
社名の由来は、地球環境になくてはならない「水」をイメージしそれを示す化学式のH2O、また阪急阪神はイニシャルがHであることからHが2つという意味でもこの社名がふさわしいものとして採用された。本社所在地の
日本一の実力を誇るといわれるアマチュア吹奏楽団「阪急百貨店吹奏楽団」でもその名を知られ、ニコニコの動画ではこれの類が多くを占めている。
ブランド
エイチ・ツー・オーリテイリングでは、以下の屋号・ブランドにて事業展開している。
ポイントカード
阪急阪神グループが展開する「Sポイント」に加盟しており、ポイントカードを持参すれば阪急阪神百貨店やイズミヤ、関西スーパーマーケットをはじめ、阪急阪神ホールディングスグループが展開する阪急三番街、グランフロント大阪、阪急西宮ガーデンズなどの店舗で付与・使用が可能。
阪急百貨店
1920年に阪急梅田駅(現阪急大阪梅田駅)の駅ビルに、東京の百貨店のひとつであった白木屋(現東急百貨店)の梅田出張店を誘致し営業開始したのが事実上の阪急百貨店の始まり。
1925年に白木屋が契約満了により退去し、阪急がその跡地に直営で食料品店・食堂を備えたマーケットをオープンした。当初の駅ビルは地上5階建てだったが阪急百貨店開店直前には地下2階・地上8階建てと大幅に増築・増床した。
そして、1929年に正式に阪急百貨店としてオープンした。後の全国的に広まった屋上大食堂、古美術展など阪急によって始められたものも多い。
歴史的経緯から、元々阪急資本でスタートした店舗・阪急以外の資本で誕生したものを阪急が買収した外様的存在の店舗の2つが存在する。
ファッションに力を入れ、伊勢丹と提携していた時期もあった。それゆえ東の伊勢丹、西の阪急といわれ、ファッションにおいて絶対的なブランド力を得ていた。後に村上世彰による阪神グループの敵対的買収(要は利鞘を分捕るハゲタカファンド)の影響を受け、阪神グループと統合し、庶民派の代表的存在だった阪神百貨店(しかし、富裕層の顧客も多く、世間のイメージとはだいぶ違う)も阪急グループの一員となり、激戦区梅田にて、梅田本店とともに共存共栄している。立川駅とJR蒲田駅にある「グランデュオ」はJR東日本傘下のショッピングセンター「ルミネ」と阪急百貨店が合同で出資している。
現存する店舗(開店の早い順)
- 阪急うめだ本店
1929年開店。阪急大阪梅田駅と直結する、阪急百貨店第1号店。
売上高は2019年3月決算時点で約2500億円で年間来店客数は約5000万人。三越日本橋本店や西武池袋本店も凌ぐ電鉄系最強の百貨店であり、また阪急百貨店の売上の半分ほどをこの店で稼いでいる。
ファッションに強みを持っているが、実は食品の売り上げも阪神百貨店より高かったりする。創業当初からアイスクリーム工場を直営で運営するなど、食品にも長年力を入れてきたからである。現在も「バトンドール」(神戸阪急、博多阪急、高島屋大阪店、高島屋京都店でも販売)「カレーパンノヒ」など独自商品が充実している。売り場面積は96000平方メートル(メンズ大阪を含む)と、全国3位の規模になっている。
開業当初から増床を繰り返し巨大化していたが、目と鼻の先のライバルである大丸やJR大阪三越伊勢丹(現ルクアイーレ)等に対抗する為建て替えを決意。2005年から事業を開始し、2012年にようやく全館の建て替えが終了、大阪梅田ツインタワーズ・ノース(旧名梅田阪急ビル)という高さ約187メートルの超高層ビルの低層部(地下2階~地上13階)に入る形となった。 - 神戸阪急
1936年、阪急三宮駅(現阪急神戸三宮駅)の駅ビルの核テナント「三宮阪急」としてオープン。食品が中心の小型店だったが、神戸本線の線路が入居するビルの2・3階部分を貫通しており、三宮の駅のシンボルとして長年に渡り市民に親しまれた。しかし、1995年の阪神・淡路大震災により倒壊・閉店してしまった。
1992年、同市内のハーバーランド地区の大型ショッピングモール「Umie」の南館であるサウスモールに場所を移し核テナントとしてオープンした。うめだ本店に次ぐ大型店だったが、平日の客が少ない、駅からの動線の分かりにくさなどから経営不振に陥り、黒字になることはなかった。賃貸契約満了となる2012年をもって閉店した。
2017年、阪神神戸三宮駅の真上「三宮阪神ビル」などに位置していた「そごう神戸店」(1933年~2019年)をエイチ・ツー・オーが買収。2019年、この店の屋号名を「神戸阪急」に変更し、再度神戸の地に阪急百貨店が帰ってきた。そごうの名残として、「ロフト」などが入居する一方、阪急が得意とするモードファッションがブルーボトルコーヒー(アメリカのコーヒーチェーン)を含む、一風変わった形で展開されている。本館・新館と別れているうえ、本館そのものも3つ、新館も2つの建物から構成されており、複雑な構造である。 - 阪急大井食品館
1953年、東京都品川区の大井町駅前に「阪急百貨店東京大井店」(大井阪急)としてオープン。1971年には増築で阪急グループのホテルもオープンするなど経営規模を拡大。阪急百貨店の首都圏第1号店。2000年に百貨店としての営業を終了し、阪急大井町ショッパーズの核テナント「阪急大井食品館」に転換した。2008年にいったん閉鎖し、2011年に再オープン。ホテルゾーンも地上30階建てと超高層化した。現存する阪急百貨店の店舗の中では最も売り場面積が狭い(約2000平方メートル)。 - 千里阪急
1970年の日本万国博覧会開催数日前に、大阪府豊中市の千里中央駅前にオープン。開店理由は言うまでもなく日本万国博覧会に便乗したものである。2018年の日本経済新聞の報道によると、近隣の「千里セルシー」と同時に再開発・リニューアルを検討中とのこと(ちなみにその後セルシーは同年発生した大阪北部地震の影響で休館し、以前から耐震性能に問題があったことから急遽閉館への流れになり、2019年5月をもって公式には閉館となったが、一部店舗はそれに異を唱え営業を続けていた。ようやく2022年5月、最後まで抵抗し続けていたパチンコ店がようやく閉店し、ようやく再開発への第一歩を進み始めた)。 - 阪急メンズ東京
1984年、東京都千代田区の有楽町駅前再開発事業によって建設された「有楽町センタービル」、通称「有楽町マリオン」の核テナントとして有楽町西武百貨店と共に、「有楽町阪急」という屋号名でオープンした。電鉄系百貨店どうしが直接バトルする形となった出店により両者は必然的に切磋琢磨する事となり、有楽町のシンボルとしての地位を確立した。2000年、食料品売場を閉鎖しファッション専門店へ業態変更。しかし、2007年にライバルの丸井が有楽町店をオープンしたことにより婦人服需要を丸井に奪われ、2010年に西武百貨店が有楽町の地から撤退。2011年、有楽町阪急としての営業を一旦終了し、逆に現在のメンズファッション専門の「阪急メンズ東京」とリニューアルをしたことにより業績V字回復に成功、生還を果たす。その後同年には西武の跡地にJR東日本傘下のルミネが進出したが、ルミネはメインターゲットが20~30代の女性なので阪急メンズ東京には特段脅威と化してはいない。むしろ丸井のほうがルミネにとっては脅威だろう。 - 川西阪急
1989年、兵庫県川西市の川西能勢口駅前にある「アステ川西」の核テナントとしてオープン。現在ではアウトドア用品やオーガニック商品などの自然豊かな能勢地区の玄関口である強みを生かした営業展開を行っている。 - 宝塚阪急
1993年、兵庫県宝塚市の阪急宝塚駅のリニューアルと同時にオープン。売り場面積は約7000平方メートルでワンフロアに収まるほどの小ささだが、かつては1階部分もあった。堅実な営業を続けていくと思われたが、西宮阪急開業後は1階の閉鎖など縮小が続き、2022年には婦人服売り場が廃止され、(既存の食料品売り場のほかは、)無印良品とKALDIになってしまった。 - 都筑阪急
2000年、神奈川県横浜市都筑区のセンター北駅前にある「モザイクモール港北」の核テナントとしてオープン。しかし、市内にライバルとなるショッピングモール(ノースポートモールやルララ港北、港北東急ショッピングセンター、ららぽーと横浜、マークイズみなとみらい等)が多数存在したことで客の奪い合いになり次第に規模を縮小。2020年に百貨店業態での営業を取りやめ、現在は大井食品館同様に食料品専門店として細々と営業を続けている。 - 西宮阪急
2008年、兵庫県西宮市の西宮北口駅の南東部に保有していた阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)のホームグラウンド野球場「阪急西宮スタジアム」跡地に誕生したショッピングモール「阪急西宮ガーデンズ」の核テナントとしてオープン。西宮市は文教都市・子育て環境に良い都市であることから、知育商品や子供服へ注力しているのが特徴。 - 阪急メンズ大阪
2008年、阪急うめだ本店の付属施設として、「Hankyu Men's」(阪急メンズ)という屋号名でオープン。離れのHEP NAVIO内に存在する。その名のとおり、メンズファッションのみを取り扱う建物となっている。2011年に有楽町阪急は阪急メンズ東京と屋号名を変えた為、大阪の文字が加えられた。 - 博多阪急
2011年、福岡県福岡市の博多駅ビルである「JR博多シティ」の核テナントとしてオープン。関西圏以外で初めて大成功を遂げた主力店舗。元々博多駅ビルには地元百貨店の「井筒屋」(本社は北九州市)が1966年から存在したが、駅ビル建て替えにより2007年に撤退。それまで天神に圧されっぱなしだった博多エリアにとって新たなカンフル剤となった。阪急百貨店の強みを活かしているため客層が若い一方、「阪神名物イカ焼き」を扱うフードコートが存在するなど阪神百貨店の強みも生かした店舗だが、「福岡ソフトバンクホークス」の優勝セールも行われている。 - 高槻阪急
2017年、大阪府高槻市にある「西武百貨店高槻店」別名「オーロラモール」(1974年~2019年)をエイチ・ツー・オーが買収し、2019年に名前も阪急百貨店とした。グループの関西スーパーマーケットが地下に入居するが、これは西武セゾングループ総帥だった堤清二が同社の食品に感動して西武百貨店に入居させたものが、偶然同じグループになったもの。
かつて存在した店舗(閉店したのが早い順)
- 天満橋支店
1946年~1961年。かつては京阪電鉄系のデパートであったが、陸上交通事業調整法による鉄道事業者の戦時統合に伴い京阪電鉄・阪神急行電鉄が1943年に合併したことにより現在の阪急電鉄のもととなる「京阪神急行電鉄」が誕生。
それに伴い当時の京阪本線のターミナル駅であった天満橋駅ビルに「阪急天満橋マーケット」としてオープン。1947年に阪急百貨店天満橋支店と屋号名を変更。
1961年、京阪本線の淀屋橋駅延伸に伴い閉店し、1966年には松坂屋大阪店がオープンするも2004年撤退。現在は京阪シティモールというショッピングモールとして現存する。 - 四条河原町阪急
1976年~2010年。京都府京都市の阪急河原町駅(現阪急京都河原町駅)直結の百貨店としてオープンし、京都市民の待ち合わせスポットとして親しまれた。しかし、1980年代に取った若者向け戦略が人気ブランドの移り変わりの早さについていけないなど裏目に出て経営が悪化。フロア面積が狭かったことやデパート離れ等も災いし、2010年に閉店となった。
その後、同業ライバルの丸井が2011年に進出するも、やはり面積の狭さから十分な結果は出せずに2020年撤退。そして2021年にエディオンが進出し、難波・四条河原町の2大フラッグシップストアを構える事となった。 - モザイク銀座阪急
1956年~2012年。東京都中央区に「数寄屋橋阪急」としてオープン。首都圏初の阪急百貨店であった。その後、2004年に百貨店としての営業を終了しモザイク銀座阪急というファッションビルに業態変更。その後、2012年にビル家主との賃貸借契約満了に伴い閉店。現在は再開発により2016年に東急電鉄系の「東急プラザ銀座」というショッピングセンターが存在する。 - 阪急イングス館
1982年~2012年。阪急うめだ本店の別館として阪急梅田駅(現阪急大阪梅田駅)の隣、JRの線路のすぐ北側に存在し、スポーツ用品・スポーツウェア・子供服専門店として営業していた。本館ビルの建て替えに伴いイングス館は本館内に統合された。
現在でもビルは存在し、跡地にはABCマートやH&M、ダイソーが入居している。 - 堺北花田阪急
2004年~2017年。大阪府堺市のダイヤモンドシティプラウ(現イオンモール堺北花田)の核テナントとしてオープン。オープン当初は本来ライバルであるはずの大手ショッピングモールの中に有名とはいえ外様の百貨店が入ること自体が珍しいものとして注目された。いったんは経営が軌道に乗ったものの、別のイオンモールが近くにできた影響もあって、2015年から赤字転落し、回復することなく2017年に撤退となった。いくら電鉄系百貨店の巨人のブランド力をもってしても、髙島屋や近鉄百貨店のテリトリーで、阪急阪神沿線外である大阪府南部で存在感を示すのが難しかったのではないかとも言われている。 - 三田阪急
2005年~2021年。兵庫県三田市の「キッピーモール」の核テナントとしてオープン。しかし近隣ライバルであるイオンモール神戸北や神戸三田プレミアムアウトレット等との競争に負けたことやコロナ禍にトドメを刺される形で2021年に閉店。同時に出店した、同グループのスーパーマーケット部門の阪急オアシスは引き続き1階に入居。
阪急オアシス
1960年に阪急子会社のひとつとして設立されたスーパーマーケット事業。翌1961年に大阪府高槻市内に第1号店をオープン。その頃、阪急グループ内では阪急共栄ストア(後の阪急ファミリーストア)等も存在していたが、阪急オアシスは郊外、阪急ファミリーストアは都市部と出店地域の棲み分けを行っていた。その後、2006年に大阪の大手医療機器・ガラスメーカーの「ニプロ」が保有していたスーパーマーケット事業の「ニッショーストア」が阪急グループに譲渡され仲間入り。その後、スーパーマーケット事業は統合され「阪食」となり、その阪食が阪急オアシスに社名変更、2021年株式交換で関西フードマーケットにより完全子会社化されエイチ・ツー・オーリテイリングの完全孫会社となり今に至る。
阪神百貨店
1926年、阪神梅田駅(現阪神大阪梅田駅)構内に白木屋(現東急百貨店)の出張店を開いたのがその起源。その後1933年に阪神電鉄グループの「阪神マート」として営業を開始。1951年に現在の阪神百貨店に屋号名を変更。
2000年同業ライバルで電鉄系でもある「京王百貨店」と業務提携を結ぶ。この業務提携がきっかけで、新宿京王百貨店内に阪神タイガースショップがオープンし、首都圏のタイガースファンの心の拠り所と化している。
ほかにも阪急百貨店が入居を断念した国鉄→JR三ノ宮駅の三宮ターミナルビル(後にダイエー系列のプランタン、OPAが入居。現在は解体)、奈良県大和郡山市のイオンモール大和郡山の核テナントとして出店を表明していたものの撤回している。
ブランド力の強い阪急との合併は、阪神にとっても大きな影響を受け、庶民派として健闘してきた阪神が阪急に吸い取られるかの如く、規模縮小を余儀なくされている。かつて売上1000億円以上を稼いでいた阪神梅田本店は、阪急本店の拡大やグランフロント開業のあおりで、現在600億円にまで縮小した。また、沿線の支店も苦戦を続けており、西宮店はまだ健闘しているものの、阪急が同じテリトリーに進出したために売上減、阪急空白エリアの尼崎に進出したりしたが、沿線のカラーもあり色々と迷走(裏を返せば、阪急が相手にしていなかった)、また庶民イメージを挽回しようと超高級住宅地の御影にも進出してみたものの、年間売上高は5.59億円と全く冴えていない。
現存する店舗(開店の早い順)
- 阪神梅田本店
言うまでもなく阪神百貨店の旗艦店で、阪神百貨店グループ全体の売上の約9割はこの店舗が占めている。コロナ禍になる前は売上高は年間900億円前後で推移していたが、2020年度は建て替えとコロナのダブルパンチで7割減の大ダメージを負ってしまった。2022年の建て替え完了後は、2階入り口の香りが話題となり、香水(フレグランス)として数量限定で販売されている。
デパ地下グルメに力を入れており、「食の阪神」として関西人から愛されている。また、同じく地下には「スナックパーク」という立ち食い式のフードコートが存在しており、その中でも特にイカ焼きはスナックパークの象徴とも言える存在。 - 阪神・にしのみや
阪神西宮駅ビルの「エビスタ西宮」の開業を機に2003年オープン。これまで梅田店のみで営業を続けてきたが方針を転換し梅田以外へ攻勢をかけるようになる。
食料品の販売をメインとしており、梅田本店レベルのグルメを販売。2003年にダイエー(店名はサカエ→グルメシティ→ダイエー)が進出するまでは阪神西宮駅周辺にスーパーマーケットが無かったことから、長年に渡り阪神西宮駅周辺の食料品販売需要を独占してきた。近年では2階の服や化粧品の売上高が減少しているが、それでも阪神百貨店グループの中では年間売上高は高いほうである。 - 阪神・御影
2008年、御影クラッセの核店舗としてオープン。ここも食料品を主軸としたうえで衣料品や生活雑貨も取り扱う小規模な百貨店として運営していた。しかし、いくら最寄駅が特急停車駅(快急は通過するが)であるとはいえオープン当初から苦戦しており、翌年には食料品売場の4分の3を同グループの阪急オアシスに転換。そして2011年には衣料品・雑貨フロアを閉鎖し、かつての面影はなくなった。ギフトとデパ地下スイーツ、RF1(地元の東灘区の企業でもある)の惣菜しか売っておらず、年間売上高もたった5億円ほど。もはや百貨店と名乗ってていいのか分からない状態になっている。 - あまがさき阪神
2009年、ココエ尼崎(現尼崎キューズモール)の核店舗としてオープン。H2Oリテイリングがこれまで手を出さなかったJR西日本沿線への初進出である。大阪梅田まで新快速でたったの5分で着くぐらいの近さから、梅田本店と客の奪い合いにならないように敢えて更に庶民的・低価格な展開をしておりもはやスーパーマーケットレベルと言ってもいいのではないか?というような経営戦略を取っていた(同じフロアに100均のセリアや、阪急グループの100円パン屋等を同居)。そのような戦略を取っても食料品以外は苦戦しており、2016年には2階の婦人服・子供服売り場を閉鎖してしまう。
かつて存在した店舗(閉店の早い順)
- くまもと阪神
2003年~2010年。通称「くまはん」。熊本県熊本市にあった「岩田屋伊勢丹ショッピングセンター」が経営不振で撤退するのに際し、受け皿になることを阪神百貨店が表明。これにより「くまもと阪神」として2003年に九州初進出を果たす。2010年、支援提携満了により「県民百貨店」と屋号変更。それと同時に高島屋系の「ハイランドグループ」に鞍替えするも、2015年閉店。その後再開発で取り壊され、2019年跡地に「サクラマチクマモト」がオープンした。 - さんのみや・阪神食品館
2006年~2010年。阪急百貨店と業務提携を結び、同年には神戸市の「神戸新聞会館」ことミント三宮のテナントとしてオープンするも、2010年に早々と撤退。
関西フードマーケット
兵庫県伊丹市に本社を構えるスーパーマーケット事業者で、「関西スーパーマーケット」の屋号名で京阪神・奈良市にて事業展開している。エイチ・ツー・オーリテイリングが58%の株式を保有する筆頭株主である。
元々は1959年に大阪府東淀川区にて創業した「相互産業」がその起源。その後、伊丹市に本社を移転し同市内にて第1号店をオープンした。かつては日本の寿司業界を席巻していた「小僧寿しチェーン」のフランチャイジーでもあり近畿地方にて事業展開していた(1973年~1988年)。
2016年、エイチ・ツー・オーリテイリングと業務提携を結び、2021年株式交換により同業ライバルの「イズミヤ」「関西フードマーケット」を完全子会社化すると同時にエイチ・ツー・オーリテイリングの完全子会社となった。
イズミヤ
大阪府下を中心に兵庫県・京都府・奈良県・滋賀県・和歌山県内にて事業展開している。基本形態のイズミヤのほか、大規模店舗の「イズミヤスーパーセンター」「カナートモール」、小規模店舗の「カナート」「デイリーカナート」「カナートスーパーはやし」、徹底したコストカットを行ったディスカウント店舗の「まるとく市場」「まるとく市場はやし」のブランドを保有する。かつては近畿地方以外(中国地方・九州地方・中部地方・関東地方)にも進出していたが、2020年までに撤退している。
1921年、「いづみや呉服店」という屋号名で大阪府西成郡(現大阪府大阪市西成区)にて創業したのがイズミヤの起源。イズミヤの屋号名の由来は、聖書に登場する「ヤコブの泉」から。というのも創業者は敬虔なキリスト教徒だったからである。
2014年、株式交換によりエイチ・ツー・オーリテイリングと経営統合した。元々呉服店だったことから、衣料品の販売を中心にしており、茨木店(閉店)やくずはモール店のように衣料品しか扱わない店舗もあった。しかし、不振のため、衣料品売り場の閉鎖・縮小、テナント等への貸出によって阪急オアシスのような食料品主体の運営に切り替えている。
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