概要
レズと略したり、ビアンと略したりするが、略し方でニュアンスは異なる。
レズという言葉には多分に侮蔑的なニュアンスが含まれているので、レズビアンの事をレズと呼ぶのは失礼に当たる場合がある。この場合、レズビアンと略さずに呼ぶか、ビアンと呼ぶ方が適切である。
女性声優の中にはレズビアンを標榜するものが見られるが、これは男性との交際がないことをアピールする事で、イメージの低下を防ぐためと言われている。外国の映画とかでもたまにあるよねこういうの。
女性同士の恋愛をモチーフとした作品・カップリングは百合(ユリ)と呼ぶ。
→「百合」
歴史
レズビアンという言葉は、古代ギリシャの女性詩人サッフォーの出生地レスボス島(Lesbos)にちなむ。また古くは、サッフォー自身からとってサフィストとも言った。サッフォーは同性愛的な叙情詩を多数残したことで知られている。
しかしながら、サッフォー以降から近代に至るまで、レズビアンが史科の中に現れることは極めて少なく、ゲイと比べても差は顕著である。これはレズビアン(的な女性)が存在していなかったわけではなく、女性が主体でなかった社会状況を反映していると思われる。ようやく19世紀、イギリス人女性アン・リスターが、レズビアンとしての史上最初の近代的な記録と言われる暗号日記を残したが、彼女は当時では数少ない、社会的・経済的に自立した独身女性だった。この暗号日記は、約150年後に解読されることになる。
文学やポルノの中には次第に書かれるようにはなっていたが、その中にレズビアン自身による(と分かる)ものはないに等しく、20世紀までは一般的に、現実的な存在だとは考えられていなかった。西洋各国のソドミー法(同性愛処罰法)には、女性は規定外にあるか、あっても実質的には対象外であった。しかし女性の社会進出ととも着実に、レズビアンらの交流も活発になっていたようである。
20世紀初頭、フロイトによってレズビアンが論じられると、爆発的に認知度が高まり、それと同時にレズビアン差別も活発になった。特にアメリカで、不可視性を保っていたレズビアンらに多大な警戒が払われるようになり、教育での矯正や病気として治療の対象にもなっていった。当時のアメリカのレズビアン像は、文学やポルノの影響も手伝って、「ブッチ」と呼ばれる男役と、「フェミ」と呼ばれる女役から成り立っており、これは中下流層のレズビアンたちのアイデンティティーにも多大な影響を与えた。ブッチは男よりも紳士的で、フェミは女よりも淑女的な存在とされたのである。一方でフランスのパリ上流社会では、レズビアンは異端でもなかったようで、むしろかなりの権威を振るう者もいた。20世紀のサッフォーと呼ばれた文学者ナタリー・バーネイ、および彼女と関係を持った高級娼婦リアーヌ・ド・プージィや詩人ルネ・ヴィヴィアンなどが有名である。
第二次世界大戦後、西洋全体でフェミニズム運動が盛んになっていったが、これには多くのレズビアンも加わった。おおよそ70年代から90年代までにはゲイと同様にレズビアンの平等権が認められるようになり、また現在では同性愛結婚、それに準じたパートナーシップ制度や、人工受精や養子縁組などの権利も広まりつつある。アイスランドでは2009年、レズビアンであることを公言している政治家ヨハンナが首相を引き継ぎ、総選挙にも勝利。2010年に全会一致で法制化した同性結婚を果たした。創作上では『Lの世界』に代表されるレズビアン作品も先進国一般に親しまれるようになり、日本では絶賛百合ものブームである。
なお、日本の前近代においては、西洋以上にレズビアンの姿が見えてこない。江戸時代の艶本にはごく少数、今で言うレズものみたいなのが確認されている。明治末期から昭和初期にかけてレズビアンの作家も現れ、特に『屋根裏の二處女』『花物語』の吉屋信子が有名である。ただし、公的に打ち明けることはなかった。現代において、レズビアンを書くレズビアンの創作者としては中山可穂が著名。
関連項目
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