袁紹とは、三国志に登場する人物である。
概要
字は本初。生年不明もしくは154年前後、没年202年。
四世三公(四世代に渡り三公という役職を輩出したという意味。三公とは「太尉、司徒、司空」の要職で、当時の最高位)を輩出した名門袁家の御曹司。
反董卓連合軍盟主
出世の機会を与えてくれた何進が十常侍に殺された事を機に、宮中の宦官を皆殺しにした。
董卓が帝と洛陽を抑えてからは反董卓連合の盟主として指揮を振るうが、董卓が弘農王劉弁を殺して長安へ遷都すると連合軍は瓦解した。
土竜戦法
韓馥を利用して実質、地位を奪う事に成功した袁紹は、
劉虞を帝として擁立する案を出すも、袁術や公孫瓚が反発して対立。
公孫瓚が劉虞を殺し、河北での争いが始まる。
192年の『界橋の戦い』に始まり、戦争は持久戦に発展した。
堅く守る公孫瓚のいる『易京の戦い』では土竜(モグラ)作戦を敢行し、地中から潜入し、城を落とす。
幽州を手中に収め、公孫瓚を滅亡に追い込む。この時199年である。
こうして袁紹は冀州を根拠地として南は曹操に任せ、北に公孫瓚を斃して幽州を、東は青州黄巾や孔融を破って青州を、西は黒山賊を討って并州を確保することに成功した。
官渡の戦い
河北を制圧した袁紹、河南から北上を計る曹操、両軍の激突は避けられなかった。
この頃、曹操は洛陽で献帝の密勅を受けた董承・劉備によるクーデターの鎮圧や
その他の対立勢力のために転戦。そのため後背ががら空きになっていた。
この決定的なタイミングで田豊は
「今こそ曹操を急襲すべきですぞ!ここで一挙に根絶やしにするのです!」
と進言している。しかし、袁紹は
「息子が病気で死にそうなんじゃ・・・そんな事に構っておれん・・・」
と言って無視してしまった。田豊は
「この千載一遇の好機をそんな理由で無為にするとは・・・無念だ」
と杖を床に打ちつけて悔しがったという。
そうこうしている内に曹操は河南を平定し勢力を安定させてしまう。
そんな中で官渡の戦いが勃発する。田豊、沮授は
「河南を安定させたとはいえ、我が軍との戦力差、物量差は明白。
持久戦に持ち込み周囲からじわりと包囲を狭めていけばいずれ根を上げるでしょう」
と進言するがこれもまた無視。
緒戦で顔良・文醜の二枚看板を失ったが、圧倒的兵力を誇る袁紹にはまだ安心感があり、
集団包囲戦で戦力を削り取り、周辺勢力を動かして後方を脅かし、
不利と見た曹操が決戦を挑むも総兵力の2割強を失う大敗北を喫する。
曹操が官渡に籠城すると、周囲に砦を築き、櫓を組み、矢を文字通り雨のように降らせた。
この時、曹操陣営は「盾を頭上に掲げなければ外を歩けない」と評されるほどだった。
その重厚な戦略は流石の曹操を撤退をも決意させる寸前まで追い込んでいる。
もしも荀彧の進言が無ければ撤退していた可能性が高かっただろう。
機動力に勝る相手は苦手だが、攻城戦や大兵力による総力戦、
外交による後方撹乱は曹操をも上回るほどの巧者だった。
しかし、時勢が読み取れず猜疑心が強くなり、田豊を獄に入れたり、郭図の讒言を聞き入れてしまう。
配下だった許攸が曹操軍に寝返り兵糧庫の所在を暴露されたのが致命傷となり、
兵糧を焼き払われてしまい敗走した。
多少世迷言があっても突き進められたのも、兵力があってこそ。
この「許攸寝返り」がどれほどの意味を持つのかおわかりいただけたであろうか。
袁家滅亡
その後、冀州各地で起こった反乱を抑えつつも、兵を整えて曹操との再戦を準備する中、没してしまう。
ここから袁家は凋落の一途を辿る事となる。
後継者を指名していなかった(史料によっては三男である袁尚を指定した)ので、
袁紹の軍師であった郭図らが自らの功を狙って袁譚派と袁尚派ができてしまい、後継者争いが勃発。
曹操に漬け込まれる絶好の機会を与えてしまい、袁家は滅亡した。
内政手腕に優れていた袁紹は河北の民に評価されており、
魏どころか、晋の時代になっても「袁氏の治世が懐かしい」との声が有ったという。
しかし、陳寿の評では「袁紹は優柔不断で思慮に欠けていた」とされ、
多くの史料では、内政面にあまり触れておらず、過小評価されている。
袁家と愉快な仲間達
ダメ息子ども
袁譚:袁紹の長子。演義では無能に描かれている。
袁煕:次男。妻・甄氏を曹丕に取られた。
袁尚:三男。幹部や地元からは長男よりも人気があったとか。
袁買:四男?曹瞞伝では袁尚の兄の子と書かれている。袁尚に従って遼東に逃げたようだが詳細不明。
二枚看板
顔良:かおよし。イケメン。武勇に優れた武将だったが関羽に斬られる。
文醜:ブサイク。ブサメン。顔良を超える武勇の持ち主だが、脳筋。
袁紹に仕えた者たち
郭図:「出ると負け軍師」は彼の有名な代名詞。後継者争いでケンカ。
沮授:賢い進言をしたが相手が悪かった。
審配:郭図と袁家の後継者争いでケンカ。
辛評:曹操のスカウトに応じていれば憤死することもなかったのに…。
田豊:持久戦を提案し諌めるが袁紹を激怒させ投獄の後、死亡。
淳于瓊:兵糧を守ってた人。悲惨な処罰を受ける。
陳琳:曹操を挑発する激文を書いて怒らせようとしたつもりが逆に喜ばせてしまうくらい素晴らしい内容だった。
張郃・高覧:袁紹の下で働いていたのは彼らにとって黒歴史ともいえよう。
許攸:「m9(^Д^)プギャー!! 袁紹ざまぁwwwww 官渡で曹操が勝てたのは俺のおかげ!」←死亡フラグ
逢紀:田豊とケンカするだけでなく、「袁紹ざまぁwwwww 俺の言う事聞かなかった結果がこれだよ! と田豊が言ってました」とチクった野郎。
高幹:袁紹の外甥。袁紹からは息子並みに厚遇されていた。鄴陥落後に曹操に降伏したが反逆して死亡。
高柔:高幹の従弟か従子。高幹の反逆に従わなかった。90歳と長生きし曹奐の時代まで生きていた。
漫画・ゲームの袁紹 関連動画
漫画「横山光輝三国志」
当時の連載誌の都合もあって、官渡の戦いそのものが省かれた。
アニメ版では官渡の戦いが挿入され、ダメダメぶりを見る事が出来る。
さらには、袁紹の「そうに違いない! いや そうに決まった!」などの迷言も残している。
漫画「蒼天航路」
必見。袁紹はどういう心情で官渡直前のあの変わり果てた容姿となったか、曹操の反応など非常に興味深い描写がされている。
コーエー「三国志」シリーズ
曹操との一大決戦を控えた官渡シナリオでは、兵力は曹操軍を大きく上回っているが家臣の能力が低いので、真っ向からぶつかると普通に力負けしたり、策略をくらって窮地に陥ることも多々。長期戦になるほど曹操軍は瞬く間に強化されなおさら不利になる。それぞれの作品のシステムを理解した上で攻略する事が求められる。
また、本シリーズを用いた『ニコニコ歴史戦略ゲー』シリーズでは意外にも袁紹主人公のオリジナル作品が少ない。
「三国無双」シリーズ
名族名族うっさい 8では袁術が特殊NPC(DLCでPC化)して名族要素がそちらに吸収された結果、大分落ち着いた(当社比)
セガ「三国志大戦」シリーズ
三国志大戦2までは袁家として独立していた。しかしVer3.0稼動当初は袁紹軍が削除。デッキジプシーもいたが、多くの大戦ファン・袁家好きを落胆させた。
Ver3.1でファン待望の袁紹が復活するが、R(漢の大号令)ではリスクのある最大士気減少が使いたいと思うプレイヤーをさらに減らし、当時のverでは、SR皇甫嵩に大きく差を開けられてしまった。
Ver3.5から登場したSR(逆境の大号令)は、旧カードのインパクトなイラストから「金殿(R殿の方は銀殿)」「プギャー」と呼ばれている。最大士気を減らした上体で号令を打つと武力が大幅に上がる。漢軍にSR張郃が追加され、最大士気を減らせば減らすほど彼が輝くので、袁紹のデッキに多様性が増えた。
同じくR(憂国の大進軍)、こちらは最大士気ではなく国力を減らす号令。王の位に就いた事はないのに「我が王たる所以、お見せしよう」と喋るイケメンさん。
どのカードもクセが強く、戦略眼も求められる中・上級者向け。頂上対決でもあまり見ない。
4では初期に漢軍が存在せず、CPU専用武将として登場。
しかし5/5指揮だったり、何故か知力1の攻城兵になったりと色々ネタにされてしまっている。
撤退台詞が実に名族。
1.1.0「天槍の共鳴」における漢軍復活に合わせようやく使用可能に。7/6/2魅力槍兵。
計略は懐かしの「栄光の大号令」に変わった…のだが、士気消費が7に上がってしまった。
ただ現状の漢軍が漢鳴>士気関連と言うバランスの悪いカードプールになってしまっており、おまけに士気関連の優秀なパーツが足りない事もあり相変わらず皇甫嵩との使用率の差がデカい。
恋姫†無双シリーズ
髪型がゴージャスで金塗りの鎧をつけたお嬢になっており、顔良及び文醜と三バカトリオを結成している。主人公陣営に返り討ちにされ流浪の身に。
「真恋姫」では史実通り曹操との戦いで一敗地に塗れるが、蜀シナリオだといつの間にか主人公側に保護されることになる。干されているが。
こう見えても、自分を差し置いて中央を押さえた董卓を憎み、血祭りにあげようとした張本人である(真恋姫での話)。
袁家を称える替え歌
関連項目
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