関羽とは、中国後漢末期に劉備に仕えた武将である。字は雲長。「美髯公」とも呼ばれる。
軍☆神☆関☆羽、関羽Pは専用の項目があるのでそちらを参照の事。
概要
生涯
演義では劉備、張飛と桃園の誓いを結び義兄弟となった後、黄巾討伐に義勇軍として参加する。反董卓連合軍にも参加し、華雄を斬り(正史では華雄を斬ったのは孫堅)さらに劉備・張飛と共に呂布にも挑んだ。その他、関羽千里行などのエピソードが残る。
正史では呂布討伐後、曹操から徐州を奪い独立した劉備が敗れ行方不明となった際、関羽は劉備の夫人と共に曹操の捕虜となる。条件付で曹操軍として働き、官渡の戦いの緒戦で顔良を斬る戦果を挙げる。(ちなみに顔良は袁紹軍の武将だが、そのとき劉備は袁紹軍にいたため殺されかける。まあうまくチョロまかしてトンズラしたが)劉備の存命の報を聞き、曹操の元を去る。曹操は関羽を配下とするため、溺愛といってもいいほどの厚遇で彼をもてなしたが、最後まで願いが届く事は無かった。
赤壁の戦いの後に劉備が益州に入ると、関羽は荊州の守備を任され、魏の曹操・呉の孫権に睨みを効かせていた。
劉備が漢中王となった後、関羽は呂常の守る襄陽と曹仁の守る樊城を包囲する。この戦いで魏の于禁率いる数万の軍勢を撃破し、さらに龐徳を斬った。魏は司馬懿らの献策で形式上魏に臣従していた呉に対し荊州を攻略し関羽の背後を突くことを勧め、呂蒙が孫皎、陸遜、朱然、潘璋、蒋欽らを率いて麋芳と士仁を降し、南郡を呉の領有とする事に成功する。樊城でも救援に来た徐晃によって包囲網を打ち破られ、後に輜重が呉に奪われたことを知ると襄陽の包囲も解いた。臨沮で退路を絶たれた関羽は呉の馬忠に捕らえられ、処刑された。曹操は送られてきた関羽の首を、諸侯の礼をもって葬った。
殺された関羽の仇討ちとして、劉備は大軍を率いて夷陵に攻め入るも陸遜の前に大敗を喫し、二度と荊州を取り戻すことは出来なかった。
長男の関平は関羽と共に処刑された。次男の関興は才能を高く評価され、夷陵で戦死した馬良に代わって二十歳にして侍中・中監軍という大役に抜擢される。しかしその数年後(出師の表に名がないことから、227年までに死去したと考えられる)に病死した。
逸話
武を誇る一方で、学問を好み、『春秋左氏伝』をほぼ暗誦出来る等、文武両道の面を持っていた。また敵方でありながら張遼、徐晃とは親交があり、彼らとは互いに尊敬しあっていた。
劉備と曹操だけでなく、各国の幕僚達から最も評価・警戒されていた将が関羽であった。曹操や孫権をして、共同作戦なしには関羽と南郡を正面から破ることはかなわなかった。これは215年に魯粛と呂蒙が荊州を攻めた際、徹底的に関羽本隊との衝突を避けた(甘寧ら遊軍を水際に配置して牽制した)ことからも推測できる。219年に関羽が周辺の賊や異民族などを煽動しつつ北進した際には、関羽に呼応した叛乱も相次ぎ、間近に迫った関羽による許昌陥落を警戒した曹操が遷都すら考えた。関羽は方面司令官として約8年に渡って荊州を治めたが、呂蒙は関羽の荊州統治について「威信と恩徳がよく行き渡っており、正面から太刀打ちするのは容易ではない」と評価している。
一方、廖立は関羽を「自尊心がとても高く、相手をよく見下す。猪突猛進な性格で兵をよく失う」と評しており、演義の関羽贔屓を語る上でよく引用される。但しこの発言は閑職に移された後の誹謗中傷の言であり、長沙太守だった廖立が呂蒙の急襲を防げずに、関羽の下に滞在せず蜀まで逃げていることからすると、私怨の可能性も否定できない。とはいえ、その高過ぎるプライドとそれに見合う武勲により、荊州諸将の中でおおっぴらな批判が許されぬ雰囲気が有った事は事実であろう。良くも悪くも極端に抜きん出た存在だったと言える(蜀書を見る限り諫言をできる雰囲気はあったようだが)。また、陳寿も度を越した剛毅さが死の遠因だったと評している。また、孫権から提案された孫権の息子と自身の娘の婚姻話を本国に報告せず、独断で一方的に断った上、使者を面罵し孫権の顔を潰している。これも、荊州急襲の遠因とされており高すぎるプライドが元で起こったと言える。(実際には関羽は軍事の専断権は与えられていたものの、外交の権限は有しておらず、孫権が劉備を通さず関羽に直接縁談を申し込んだのは、事実上の引き抜きに近い。忠義に厚い関羽が激怒したのも当然ではある)
なお、聖人君子だったり、性格に問題が有ったと色々と言われるが、人間味に溢れたエピソードも残っている。
まだ、劉備と出会っていない時、罪を犯して役人に追われていた関羽は川で洗濯をしていた老婆に出会う。彼は老婆に「役人を誤魔化す良い手はない物か」と相談する。すると老婆はある、と一言答えるといきなり洗濯棒で彼の顔面を殴り始めた。血が吹き出し、顔の形が変わるほど腫れあがった処で役人が到着する。しかし、関羽の顔を見ても誰だかわからない。結局彼は見逃された。礼を言おうと振り向いたときには老婆は既に居なかったとされる。この顔が「棗のような赤い顔」の元になったといわれている。
また、曹操の客将時代、敵将の妻が大変な美人と聞いた関羽はこの妻を褒美として貰いたいと申し出た。曹操は快く受諾するが、病的な人妻マニアの曹操。一目見るなり気に入ってしまい自分の側室にしてしまったという。もっとも関羽はこの時点で30過ぎなのに子供がおらず、子孫を残す事を重視する当時にあって焦るのも当然であり、この敵将の妻は既に男子を産んでいる事からそこを重視したともとれる。
そろばんを発明したという伝承もあり、今もなお関羽を『商売の神様』として人々から崇められている。後世には数々の諡号を贈られており、長いものでは明代の「三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君」などがある。関帝廟は中国国内だけでなく、華僑らによって世界各地に建てられている。
関羽の子孫
正史三国志には子として関平・関興が存在している。また、関羽には娘が存在し、民間伝承では、関銀屏という名とされる。
関興の死後はその子である関統が後を継いだが、子がなく死去したため、その母違いの兄弟である関彝が後を継いだとある。
王隠という東晋の歴史家が書いた『蜀記』(※蜀志ではない)という史書によると、関彝ら関羽の子孫は、龐徳の子である龐会によって、蜀征伐後に皆殺しにされたと書かれている。
しかしこれは恐らくガセだと思われる。
蜀征伐の指揮官である鍾会は蜀の人士の殺傷を厳禁とする命を下しており、また儒教社会で子孫の有無(=祖先祭祀が続くか絶えるか)というのはかなり重大なことなので、正史のほとんどの人物伝には末尾に後嗣とその大体の動向が書かれている。
関羽の子孫皆殺しなんて大事件がほんとにあったとしたら、記述されないなんてことはまず考えられないだろう。
てかそもそも『蜀記』は、かの裴松之にもあまりにも作り話が多いと叩かれてる書物である。おまけにこの王隠という人物だが、彼が父親と共に書いた『晋書』(※現行の二十四史とは別)についても、後世「父親が書いた部分は読む価値あるが、本人が書いた箇所は意味不明」と酷評されており、その信憑性はお察しと言える。
なお、某大手企業のゲーム内説明に、「正史では子孫が皆殺しにされた」などと書いてあったりするが、間違いである。
上記の通り、正史ではなく別の(怪しい)史書出典。
なお『新唐書』(こちらは一応正史とされる史書)によると、唐代では、関播という唐王朝の宰相となった人物が関羽の子孫と伝えられており、関播は関羽・関興を先祖として、その後裔は河北の信都に移住したとされる。
正史に綴られる子孫は以上だが、その他フィクションにも関羽の子孫という設定の人物はけっこういる。
中でも特に有名な関索については該当項目参照、水滸伝については後述。
漫画・ゲーム等の関羽
横山光輝三国志
基本的に理知的な性格で、事ある毎に暴走する張飛を宥める役回りとして描かれることが多いが、自身も許田の巻き狩りで曹操の帝に対する無礼傲慢さに腹を立てて斬りかかろうとしたり、劉備と親しく接する孔明に嫉妬したりと、張飛程ではないにしろ感情に走ってしまうこともある。
なお、ニコニコでは赤壁の戦いで敗走する曹操が関羽と鉢合わせとなった際に発した
げぇっ!関羽!
という驚愕の台詞と顔芸がネタにされている。
しかし残念ながらアニメ版ではこのセリフはばっさりとカットされている。
他に曹操のもとを去る時に関所を押し通ろうとして発した台詞「そんなものはない」は、淡々と言い放つ表情とあいまってやけに味があり、ネット界隈でもスラングとして広まっている。詳細は該当記事を参照のこと。
水滸伝
北宋末を舞台にした『水滸伝』では「大刀・関勝」という関羽の子孫にあたる人物が梁山泊の主要な人物の一人とされており、人物は地味だが、関羽の子孫に恥じぬ武勇の持ち主とされている。水滸伝の最後では北宋軍にもどり、高位の地位につく。落馬で死んだとはいえ、妻子もあり、子孫はいたようである。水滸伝の著者違いのスピンオフ続編にあたる『水滸後伝』では、また、王となった李俊のもとで、高位につき、子孫は繁栄したと考えられる。
コーエー三國志シリーズ
どの作品においても高い能力で安定しているため、敵として戦うプレイの方が攻略しがいがある。呂布のような一騎討ち補正があるシリーズは少ない。ただし、兵法や特技などではどのシリーズでも傑出した能力を持っている。
三國無双
軍神らしくなかなかの強さ。張遼、徐晃とは敵味方を越えて互いに尊敬し合っている。
息子として4からは関平 6からは関索が参戦し、7では関索、関銀屏も参戦し、関ファミリーが勢揃いした。7の樊城の戦いでは息子と娘の成長を喜ばしく想う関羽が見られる。死亡フラグとか言ってはいけない。
夏侯惇とライバルという独自設定がある。
無双OROCHIでは軍神ということもあってか上杉謙信と仲が良い。
相手は関羽動画
2では各キャラごとにセリフが違うデモが多数(例:長坂の戦いでの仁王立ちなど)あり、樊城の戦いのデモでは「自分が相手とは…」とメタなセリフを言う関羽や「愚かな弟」と言い放つ劉備など様々なパターンを楽しめた。6猛将伝では3以降の追加武将や一部の既存武将のセリフが新録されている。
三国志大戦
『三国志大戦2』までの蜀関羽はどのカードも計略・スペックが悪く、あまり使われなかった。
どちらかと言うと「鬼神降臨」持ちの魏関羽の方が使われる傾向にあったが、魏の2.5コストと言うなかなかデッキ構築に悩ましいスペックだった為、特別使用率が高いと言う程でもなかった。
『三国志大戦3』でも前作に引き続き多くのカードが登場するが、反省を踏まえデッキとして期待されたカード・SR関羽(忠義の大号令)がスタッフの調整ミスにより、多くのファンから顰蹙を買った。研究を重ねれば重ねるほど、このカードを打開するにはかなりのテクニックを要す事が判明し、そんな対策スキルを磨くくらいなら忠義を使った方がマシとまで多くのランカーに言われてしまい、忠義デッキの一人歩きが長期化してしまった。この時期に開かれた全国大会では出場者の多くが忠義デッキで参戦し、スタッフ・ギャラリー共に頭を抱える結果となってしまった。
調整された現在のVerでは全盛期より効果は薄いが、三国志大戦シリーズに残した傷跡は予想以上に深くなってしまった。
ちなみに魏関羽も程なくして帰ってきたが、スペックインフレの時期にまさかの完全据え置き。
新・三国志大戦では蜀関羽が稼働初期から、魏関羽が2017年3月から参戦。
ちなみに今回はまさかの両方3コスト。
蜀関羽は今回は槍。武力9・知力8・征圧力4・勇猛防柵魅力持ちと言う異常スペック。
武力10は捨てたもののその征圧力は尋常ではなく、ただ前に進むだけでどんどん自軍色に染まる。
計略「武神の大号令」は範囲内の蜀の味方が少ない程武力上昇値が上がる号令。本人のコストが重い為枚数が少なくなり易い為使いやすい。撤退者が出ていても打てる点がポイント。
武神でドーザーする単純なデッキでも十分強く、初期は危うく武神大戦の再来になりかけたもののその後の調整が効いたのか、現在は単純に強いデッキの一種と言う形で収まっている。
なお、CVの安元洋貴はSDガンダム三国伝でも関羽ガンダムを演じている。
魏関羽は引き続き馬。武力9・知力6・征圧力3・勇猛持ちと相変わらず蜀時代より心持ち弱め。
計略は「武の咆哮」に変更された。武力+6・征圧力-1・移動速度強化で敵を撃破する毎に撃破地点を自軍色に染めると言うなかなか面白い計略。蜀時代とは別ベクトルで征圧に長ける性能の持ち主である。
欠点は将器がどれも弱く、現在はまだ活用の余地がある突撃術一択になってしまっている点。
なお、CVはチョーである為、誰が呼んだか関雲チョー。
「恋姫無双」シリーズ
女性化し、トレードマークの黒髭は艶やかな黒ロングポニテに変更されている。ついたあだ名が美髯(びぜん)ならぬ美髪(びはつ)公。
無印ではメインヒロインを張ったが真恋姫では劉備の登場によりダブルヒロインの片割れにされ、ファンディスクの萌将伝に至っては新規CGなしというハブられよう。彼女が何をした?
その他
補足
コーエーの三國志シリーズにおける関羽の能力一覧。
さすがというか何というか、軍神の二つ名に恥じない統率・武力を誇る。
能力一覧 | 統率 | 武力 | 知力 | 政治 | 魅力 | 陸指 | 水指 | 身体 | 運勢 |
三國志 | - | 99 | 83 | - | 70 | - | - | 96 | 39 |
三國志II | - | 99 | 83 | - | 91 | - | - | - | - |
三國志III | - | 98 | 82 | 64 | 96 | 100 | 78 | - | - |
三國志IV | 100 | 98 | 82 | 65 | 96 | - | - | - | - |
三國志V | - | 99 | 83 | 64 | 96 | - | - | - | - |
三國志VI | 96 | 98 | 80 | 72 | 96 | - | - | - | - |
三國志VII | - | 95 | 81 | 72 | 93 | - | - | - | - |
三國志VIII | - | 97 | 80 | 69 | 93 | - | - | - | - |
三國志IX | 93 | 97 | 77 | 64 | - | - | - | - | - |
三國志X | 96 | 97 | 76 | 64 | 93 | - | - | - | - |
三國志11 | 95 | 97 | 75 | 62 | 93 | - | - | - | - |
関連項目
- 三国志
- 三国志の登場人物の一覧
- 劉備
- 張飛
- 桃園の誓い
- 曹操
- 徐晃
- 張遼
- 杜氏
- 関平 / 関興 / 関索 / 関銀屏
- 貂蝉(関羽の妻になった、関羽に救われて故郷にもどったという民間伝承が存在)
- 花関索伝(子の関索が主役の演義小説)
- 水滸伝(子孫が活躍)
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