馬良単語

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バリョウ
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「馬良」(バリョウ 187 222)とは、三時代の政治家であり、

氏五常、最良。(氏の五常、最も良し)

の逸話で知られるい人である。

字(あざな)は「季常」。

登山家称でいじられている馬謖」。

正史では

襄陽県の出身で、い毛があった事と、秀才と呼ばれた氏の5人兄弟の中でも特に優秀な人物だと評価されていた事から、

氏の五常、最も良し」

と評価され、同じような中にあって最も傑出している人や物の例えである故事成語」の元となっている。

※一般的には字(あざな)に「季」が使われている事から氏の5人兄弟の四男とされているが、長男とする説もある。

赤壁の戦いを経て劉備が荊州を攻略した後に従事として仕えるようになり、諸葛亮劉備の後に続いて益州攻略に向った際は、

聞雒 祚也。
期贊世 配業 魄兆遠矣。
慮 審垂明 以簡才 宜適其時。
遠 邁德壤 使時閉聽 世 高妙之音 正鄭、衛之 並利相奪倫 管弦之至 牙、曠之調也。
雖非鐘期 敢不擊節。
:訳
はすでに陥落したと聞きおよんでおりますが、が与えてくれた幸いであります
諸葛亮)は機運に応えて世の立て直しにを貸され、大業の立に加わり、国家をもたらしておられますが、成功のはあらわれています。
そもそも、変化に対して必要なのは優れた思慮であり、判断において必要なのは明察を広く働かせることです。才のある者を選べば、時代の要に適合するでありましょう。
もしも英智をあらわにせず、遠の日を喜ばせ、地にまで徳を発揮し、この時代の人々が従を当然と考え、世間が理に帰し、高な音を並べて鄭・衛の淫らな音を正し、全ての音がその機を果たし、他の音を乱すことなく調和を保ったならば、これこそ至高の演奏であり、伯牙・師曠の調べであります。鍾子期ではないものの、拍子を取らないでおれましょうか。

と言う手紙を書いて諸葛亮を励ました。

諸葛亮の事を「尊」と呼んでいる事について裴松之は「諸葛亮義兄弟の契りを結んでいたのでは」としている。

その後、使者として孫権の元へ赴く事になった際に、諸葛亮に対して

今銜命 協穆二 幸為良介軍。
:訳
国家の命を受けて、二をはかることになりましたが、どうか私を孫将軍紹介して下さい。

と言うと、諸葛亮は試しに自分で紹介文を書くように薦められた為、

寡君遣掾馬良通聘繼好 以紹昆之助。
其人起士 荊楚之造次之 終之美 願降心存納 以慰命。
:訳
が君は掾の馬良を派遣して、ご挨拶を送り友好関係を継続し、よって昆氏・の時代の諸侯)の勲功を受け継ぐ所存です。
この人は立な人物で、荊楚出身の善土です。一時のやかさには乏しいとは申しながら、最後まで持続する美しさを具えております。願わくは御心を曲げて受納せられ、お取り次ぎ役に宜しくお取り計らい下さい。

と言う稿を書きあげて孫権に拝謁した際に提示した。孫権は馬良に対して敬意をもってもてなした。

劉備皇帝となると中に任命され、関羽の弔い合戦の為に劉備自らが出兵した際に従軍して、武陵五渓の異民族らの懐柔工作を担当し、印と称号を与える事等で懐柔に成功して沙摩柯らを味方につけた。

しかし、劉備が夷陵で陸遜に大敗を喫すると、乱戦の最中に懐柔していたはずの異民族の手にかかって36歳の働き盛りで戦死した。

陳寿がその実さをたたえたの死に、劉備は馬良の息子秉を騎都尉に任命する事で報いた。

演義では

伊籍の推挙で劉備に仕え、荊州四英傑の荊州南部攻略する事を進言した。

赤壁の戦いに参加した後に劉備諸葛亮攻略すると、荊州に残った関羽の補佐を担当し、襄陽攻略に参加した際は、矢をうけた関羽が麻酔しでを削ると言う佗の治療を受けた際に、集中することで痛みを忘れさせる麻酔代わりのの相手を務めた。

呂蒙により関羽が窮地に陥ると、劉備への救援養成の使者として成都に向ったものの関羽は敗れて処刑されてしまった。

その後は、夷陵の戦いに従軍して正史と違って生還したものの、諸葛亮孟獲征伐の為に南蛮に向った際に、補給物資を輸送してきた馬謖から病死した事が諸葛亮に告げられた。 

その他「馬良」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照exit

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コーエー三國志シリーズにおける馬良の力一覧。

統率 政治 身体 運勢
三國志 47 93 44 51 48
三國志II 43 91 83
三國志III 45 80 92 85 73 69
三國志IV 72 41 85 94 87
三國志V 28 92 93 88
三國志VI 57 25 87 93 82
三國志VII 22 84 91 80
三國志VIII 40 84 92 82
三國志IX 39 32 84 90
三國志X 46 25 84 91 86
三國志11 46 23 85 90 86

三國志11でのの「馬謖」との較。お互いに分野が異なる事がよくわかる。

  統率 政治  特技 戟兵 騎兵 兵器
馬良 46 23 85 90 86 C C B C B B
馬謖 61 67 87 68 67 B C B B C C

※なお三國志11での馬謖は「出」持ちなので副将としてはとても優秀だったりする。

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馬良

14 ななしのよっしん
2013/04/21(日) 23:58:04 ID: ZmVfZM/aAn
しかしかったことと最も良かったこと以外はどれくらいすごい人なのかいまいちわからんのだよな…
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15 ななしのよっしん
2013/06/15(土) 01:57:48 ID: GlQV6U77l6
氏の五常、二本最も悪し。

古代中国人昧人列伝」民明書房
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16 ななしのよっしん
2014/09/02(火) 11:53:39 ID: NUTcD+5BUS
まぁ大言壮語で有名な李邈兄弟だって三と呼ばれてた割にはほぼ実績載ってないし、名士・族の子が互いの名を上げるためにカッコイイ二つ名をもらう(または自称する)のなんて兄弟に限った話ではないわな
その中では馬良はまぁまぁやったほうだと思うよ、諸葛亮に信頼されてたのは確かだし、の不従民の扇動も上手くいったし。結局敗死しちゃったけどね
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17 ななしのよっしん
2015/12/05(土) 03:12:14 ID: 5K7//KE6ag
北方三国志では、
聡明ながらも実な文官で、その実さゆえに
策に絡めとられて死んでいく様が切なかった。

この作品中かどうか定かでないが、
諸葛亮が、馬良のことを
「まるでと接しているようでしみが持てる」
という描写があり、確かに馬良諸葛瑾
人物像が非常に似ている気がする
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18 ななしのよっしん
2016/02/12(金) 08:18:28 ID: GsZkEALfER
>>4
ソースは知恵袋だけど荊南諸雄記
長男順(伯常)馬良の補佐役
次男:統(仲常)に仕えるが曹仁とうまくいかず隠遁、五常の中で評価は最低だったが武人としては優れていた
三男:安仁(叔常)に招かれていたのを固辞していたが、順亡き後馬良の補佐役になる。夷陵で奮戦して戦死。明るい性格で議論剣術に長けており、五常の中では馬良の次に望があった
ちなみにそれぞれの字である伯・仲・叔・季・幼はそれぞれ一郎・次郎三郎・四郎・五郎的な意味合いらしい
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19 ななしのよっしん
2017/06/09(金) 17:37:22 ID: sTLg0ksd1I
死後、諸葛亮から間接的に姜維以下と評されてしまった人でもある
まぁ落したとは言えから中堅族が手に入れば嬉しくもなるか
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20 ななしのよっしん
2017/10/30(月) 19:00:38 ID: VvKZiiTsWT
意外に吉川三国志だと戦死採用してるんだよな

亭あたりで馬謖の人物説明に「夷蛮との戦いで死んだ馬良」ってある
ただ、演義同様南蛮行で馬謖喪服で来たエピがあるから夷陵の頃死んだってわけじゃないんだろうけど
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21 ななしのよっしん
2021/02/04(木) 19:54:17 ID: GlQV6U77l6
>>20
2回死んだんじゃね
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22 ななしのよっしん
2021/02/07(日) 15:30:31 ID: 3kihuktNaP
ネタに事かかないべると地味なお方
より有能だったとはよく言われているが
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23 ななしのよっしん
2021/05/17(月) 21:27:41 ID: Nq8Us2MHpb
そりゃあハードルがあの恥さらしでは低すぎてハードルの用をなさんだろ
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