オホーツク海縦貫線とは、なんとしても鉄道を残すために北海道が考え出した妄想苦肉の策である。別名をオホーツク本線ともいう。
概要
1981年8月に網走・宗谷・上川の各支庁によって陳情がなされた構想で、以下の4路線を通しで運行する観光列車を創設したり、水産物を運搬する貨物列車を走らせたりすることで需要を創出し、国鉄または第三セクターとして生き残ろう、というものである。
「生き残る」と書いた通り、これらの路線はすべて国鉄再建法に基づいて廃止対象とされた路線であり、興浜線に至っては一部(北見枝幸〜雄武)が未完成で興浜北線と興浜南線に分かれている(そして共に大赤字)であった。しかしそれも直通してしまえば、多少赤字を出すとしても新しい需要を産めるので残す価値はある…という算段である。
もしも実現すれば流氷やサロマ湖を眺めながら優雅な鉄道旅行…というのもできたのであろうが、そもそも水産物の貨物輸送は右肩下がり(同じ北海道の留萌本線が良い例である)、稚内と網走を直通する需要も見込めず、とあっては構想は画餅に過ぎず、直通を果たせぬまま1985年に興浜線、1987年に湧網線、1989年に天北線と名寄本線、と全て廃止されてしまった。
ちなみに他にオホーツク海沿いを走っている(いた)路線は以下の3路線があり、こちら側(地域を管轄する釧路支庁)にも構想への参加呼びかけがあった。
関連項目
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