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カールボレス
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カール・ボレス(Carl Theodore Boles)とは、元プロ野球選手である。故人。

概要

1934年10月31日生まれ。アメリカ合衆国アーカンソー州出身。

1954年プロ入り。

長いマイナー生活を経て、1962年サンフランシスコからメジャーデビュー。同年は19試合に出場して、打率.375を記録。ただ、その後再びマイナー暮らしの日々が続き、メジャー再昇格できずにいた。

1966年近鉄バファローズに入団。

初年度の1966年に3番センターとして起用され、土井正博高木喬らとともにクリーンナップを形成。124試合に出場して、打率.261、26本塁打、57打点、14盗塁記録オールスターゲームにも出場。

1967年、前年から成績を伸ばし、打率.305、31本塁打、76打点記録し、2年連続でオールスターゲームに出場。

1968年、開幕からしばらくは好調だったものの、5月頃からスランプに陥り、小川亨永淵洋三らの台頭もあり出場機会が減少。同年5本塁打に終わり、シーズン終了後に戦力外通告を受けて退団。

1969年西鉄ライオンズに入団。

初年度の1969年打率.242、18本塁打、56打点記録。この年、同僚の永易将之から敗退行為を持ちかけられたがこれを断り、球団に報告。また、マスコミに対し「チームメイトにわざとエラーしている選手がいる」と漏らし、これが発端となって、球界全体を巻き込む黒い霧事件の捜が始まったという。

1970年打率.254、28本塁打、59打点記録

1971年チームの和を乱す行動が散見されるなど素行の悪さが立ち、球団側も慢の限界を迎えて、シーズン途中の6月に任意引退扱いとして退団。

後はサンフランシスコ・ジャイアンツスカウトを務めた後、恵まれない子供たちをリトルリーグに誘うなど福活動にを入れていたという。

2022年4月8日、死去。享年87歳。

人物・エピソード

持ち前のパワー武器に長打を量産したスラッガー。

試合を断で欠場したり、ひとりだけ宿舎ではなく高額なホテルを要したり、これを断ると移籍や引退めかすなど問題行動の多いトラブルメーカーでもあった。1970年西鉄に対しアーロンポインターを紹介した際には、契約をちょろまかすなど、がめつい部分もあったという。

乱闘の際に、大杉勝男からワンパンチノックアウトされたことがある。

通算成績

打撃成績

通算:7年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
MLB:1年 19 25 24 4 9 0 1 0 1 0 0 0 6 2 .375 .375
NPB:6年 577 2227 2038 265 540 117 294 30 10 17 136 26 216 51 .265 .319

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