- プロ野球選手一覧 > カール・ボレス
カール・ボレス(Carl Theodore Boles)とは、元プロ野球選手である。故人。
概要
OB | |
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カール・ボレス Carl Boles |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | アーカンソー州 |
生年月日 | 1934年10月31日 |
没年月日 | 2022年4月8日 |
身長 体重 |
180cm 79kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1954年 |
引退 | 1971年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1934年10月31日生まれ。アメリカ合衆国アーカンソー州出身。
長いマイナー生活を経て、1962年、サンフランシスコからメジャーデビュー。同年は19試合に出場して、打率.375を記録。ただ、その後再びマイナー暮らしの日々が続き、メジャー再昇格できずにいた。
初年度の1966年、主に3番センターとして起用され、土井正博・高木喬らとともにクリーンナップを形成。124試合に出場して、打率.261、26本塁打、57打点、14盗塁を記録。オールスターゲームにも出場。
1967年、前年から成績を伸ばし、打率.305、31本塁打、76打点を記録し、2年連続でオールスターゲームに出場。
1968年、開幕からしばらくは好調だったものの、5月頃からスランプに陥り、小川亨や永淵洋三らの台頭もあり出場機会が減少。同年5本塁打に終わり、シーズン終了後に戦力外通告を受けて退団。
初年度の1969年、打率.242、18本塁打、56打点を記録。この年、同僚の永易将之から敗退行為を持ちかけられたがこれを断り、球団に報告。また、マスコミに対し「チームメイトにわざとエラーしている選手がいる」と漏らし、これが発端となって、球界全体を巻き込む黒い霧事件の捜査が始まったという。
1971年、チームの和を乱す行動が散見されるなど素行の悪さが目立ち、球団側も我慢の限界を迎えて、シーズン途中の6月に任意引退扱いとして退団。
帰国後はサンフランシスコ・ジャイアンツのスカウトを務めた後、恵まれない子供たちをリトルリーグに誘うなど福祉活動に力を入れていたという。
人物・エピソード
試合を無断で欠場したり、ひとりだけ宿舎ではなく高額なホテルを要求したり、これを断ると移籍や引退を仄めかすなど問題行動の多いトラブルメーカーでもあった。1970年に西鉄に対しアーロン・ポインターを紹介した際には、契約金をちょろまかすなど、がめつい部分もあったという。
乱闘の際に、大杉勝男からワンパンチでノックアウトされたことがある。
通算成績
打撃成績
通算:7年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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MLB:1年 | 19 | 25 | 24 | 4 | 9 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 6 | 2 | .375 | .375 |
NPB:6年 | 577 | 2227 | 2038 | 265 | 540 | 117 | 294 | 30 | 10 | 17 | 136 | 26 | 216 | 51 | .265 | .319 |
関連項目
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