ロッド・レーバーはオーストラリアの元テニス選手である。史上唯一年間グランドスラムを2度達成した選手として知られる。オープン化後の達成も男子シングルスでは彼以外いない。
概要
Rod Laver | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | オーストラリア |
出身地 | オーストラリア: クイーンズランド州ロックハンプトン |
生年月日 | 1938年8月9日 |
身長 体重 |
173cm 68kg |
選手情報 | |
利き手 | 左 |
バックハンド | 片手打ち |
デビュー年 | 1956年 |
引退年 | 1979年 |
テニス選手テンプレート |
オーストラリアの伝説的なテニス選手。テニスの世界で最も栄誉ある記録と言える年間グランドスラムを史上唯一2度達成している。1度目は1962年、オープン化前の当時、プロ選手は四大大会に出場できなかったためアマチュア選手として、男子ではドン・バッジに次ぐ2人目の達成である。その後プロ転向により四大大会から離れる。オープン化によってプロ選手が出場できるようになった1968年、さっそくウィンブルドンで優勝。翌1969年に男女通じてオープン化後初、 男子では今に至るまでオープン化後唯一となる年間グランドスラムを達成した。最終的に四大大会での優勝回数はオープン化前も含めて11回。プロ転向して出場できなかった期間が長いので、もしこの間も出場できていれば、ロジャー・フェデラーも真っ青な数字になっていた可能性がある。四大大会に出場できなかった時期、プロで最も重要な大会とされていたウェンブリー、USプロ、フレンチプロの3大会でも活躍しており、特に1967年には3大会とも優勝している。これらの事情から今でも史上最強選手として名前が挙がることが多い。
プレイスタイルは攻撃的なサーブ&ボレーヤーだったらしい。現代的なトップスピンが一般的になったのはビヨン・ボルグ以降と言われるが、彼は既にトップスピンを使っていたという。サーブはロケットサーブの異名をとったというから相当な威力があったようだ。
1970年代に入ると四大大会では勝てなくなったが、オープン化された時点で三十路だったのだから、これは仕方が無い。本格的なツアー転戦は75年までだったが、ATPのランキング制度が始まってから75年までは年度末TOP10に入っていた。現在の全豪オープン会場であるメルボルンパークのメインスタジアムコートは彼の栄誉を称えてロッド・レーバー・アリーナと名づけられている。また、2017年には彼の名前を取った団体戦大会「レーバーカップ」が立ち上げられた。
主な実績
- ウィンブルドン男子シングルス優勝4回(1961年、1962年、1968年、1969年)
- 全米オープン男子シングルス優勝2回(1962年、1969年)
- 全仏オープン男子シングルス優勝2回(1962年、1969年)
- 全豪オープン男子シングルス優勝3回(1960年、1962年、1969年)
- 1971年ウィンブルドン男子ダブルス優勝
- 全豪オープン男子ダブルス優勝4回(1959年~1961年、1969年)
- ウィンブルドン混合ダブルス優勝2回(1959年、1960年)
- 1961年全仏オープン混合ダブルス優勝
- シングルス年間グランドスラム(1962年、1969年:2度の達成及びオープン化後の達成はいずれも歴代唯一の記録)
彼のATPランキングは最高で3位だった。全盛期はATP発足前のため、実績に対してあまり高い順位ではない。70年代を通してコートに立ち続けたが、その頃には既に三十路を超えており、基本的に60年代の選手だったと言えるだろう。
関連動画
正直動画が上がっているとは思わなかった。
関連項目
- 0
- 0pt