仁志敏久 単語

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仁志敏久(にし としひさ、1974年10月4日-)とは、茨城県出身の元プロ野球選手内野手)である。

概要

常総学院高等学校では3年連続で甲子園大会に出場した。

早稲田大学では早慶戦で史上初の満塁ホームラン記録するなど活躍。3度ベストナインを受賞した。

日本生命に就職し、遊撃手から三塁手に転向した。

1995年ドラフト2位読売ジャイアンツに入団した。背番号8

巨人時代

1996年三塁手として出場し、新人王のタイトルを獲得、翌年二塁手コンバートした。積極的な守備で1999年から2002年までゴールデングラブ賞を獲得した。

2006年には小坂誠の入団、脇谷亮太の台頭もあり、出場機会は減した。

横浜時代

2006年シーズン終了後にトレードで横浜ベイスターズに入団した。背番号7

2007年は前半戦首位の原動となったが、後半戦で失速した。

2009年は打撃不振でゲッツー量産マシンと化し、名前をもじって「二死」とも呼ばれた。一時は引退すら決意する状態となり、若返りを図るチームの構想から外れ、戦力外通告を受けた。

横浜退団後

その後、メジャーリーグし知人に頼みPV制作するなど積極的に交渉を進めてきたが、結局メジャーからはがかからなかった。

その後、アトラティック・リーグランカスターからがかかり、入団した。キラッ☆

しかし右太股痛の悪化により、2010年6月8日、現役引退を表明した。

引退後

すぽると!や文化放送解説者を務めながら、2014年以降はプレミア12WBC日本代表コーチU-12やU-23の日本代表監督を務める。

2021年から横浜DeNAベイスターズ二軍監督に就任し、2023年まで務めた。

2024年からは野球解説者を務める。

プレースタイル

  • 打順に1番、2番だが、一度も3割を達成したことがない。1999年2000年共にシーズン最終打席で安打ならば3割という打席で相手の好守に阻まれている。
  • 4年連続ゴールデングラブ賞の実績が示す通り、現役時代は球界最高峰の二塁守備を誇った。何よりもポジショニングと打球判断が飛び抜けており、打者ごとに守備位置を変え、「どこに打球が飛んでくるのか最初から解っている」としか思えない位置でヒットを阻むその守備は予知とすら言われた。

人物・その他

応援歌

球団 レス No プレイヤー
巨人 応援歌のピコカキコ一覧#922 11657
11657
横浜 応援歌のピコカキコ一覧#411 9720
9720

成績

通算打撃成績

通算:14年 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1587 6526 5933 830 1591 263 16 154 541 135 127 30 413 23 875 124 .268 .317

通算守備成績

機構 守備位置 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
NPB 二塁手 1434 3043 4060 82 733 .989
三塁手 120 84 169 10 15 .962
遊撃手 3 4 6 0 1 1.000
外野手 1 2 0 0 0 1.000

表彰・記録

新人王 - 1996年
オールスターゲームMVP 1回 1998年
ゴールデングラブ賞 4回 1999年-2002年
日本シリーズ優秀選手賞 1回 2000年
東京ドームMVP 1回 2000年
その他
サイクルヒット 1回 1999年

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