三国志を知る多くの人に、「淳于瓊?誰それ」とか「ああ、官渡でヘマをやらかした奴でしょ?」なんて印象で覚えられている武将。
数あるヘボ将の一人に過ぎないはずだが、名前が三文字なお陰で何と無く記憶に残っている事が多い。
実際はそんなに酷くないのに・・・・・。演義によって著しく評価を落とされた人物の一人である。
まず、あまり知られていない、本当に知られていない事に、この西園八校尉が挙げられる。
これは漢の霊帝が創立したいわゆる皇帝直属部隊で、淳于瓊はこの内の一校尉に列せられているのだ。
他のメンバーには名門である袁紹や、後に中原の覇者となる曹操、その他それなりに地位と名声のあった者達がいるため、
決して淳于瓊は無能などでは無いのである。
淳于瓊は、みなさんご存知の通り官渡終盤での兵糧の輸送、護衛の任務に当たっていた。
演義では酒を飲み喰らい、阿呆な事ばかりやっていたから、いきなり攻めて来た曹操に対応が出来ず負けた事になっているが、史実では違う。
確かに結果的に負けはしたが、それでも良く防いでは居たのである。
処刑される前、曹操に才を惜しまれたと言う逸話も(魏志では無いが)残っている。
やはり淳于瓊は凡愚ではなかったのだ。
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最終更新:2024/05/02(木) 12:00
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