鈴木貴久(すずき たかひさ)とは、元プロ野球選手である。故人。
OB | |
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鈴木貴久 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 北海道旭川市 |
生年月日 | 1963年11月20日 |
没年月日 | 2004年5月17日 |
身長 体重 |
175cm 84kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1984年 ドラフト5位 |
引退 | 2000年 |
経歴 | |
選手歴 | |
コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
旭川大学高等学校に進学。チームの中心選手として活躍し、2年時には夏の甲子園に出場。北北海道勢として初めて夏の甲子園大会2勝を挙げている。
卒業後、電電北海道に入社。チームを社会人野球日本選手権大会初出場へと導くなど、主力選手として活躍を見せた。
1984年ドラフト会議にて、近鉄バファローズから5位指名を受け入団。
1986年、一軍に定着し、63試合に出場。9本塁打、15打点を記録し、長打力をアピールした。
1987年、外野のレギュラーに定着。打率.262、21本塁打、54打点を記録。
以降も強力な助っ人外国人にもポジションを譲ること無く、猛牛打線の中心選手として活躍を続け、1987年から1990年まで4年連続で20本塁打以上を記録。1988年の10.19と呼ばれた優勝の掛かったダブルヘッダーでは、第1戦目に3安打1本塁打を記録し、9回には果敢な走塁で勝ち越しのホームを踏んでいる。
1990年にはオールスターゲームに初出場を果たし、引退までに3度オールスターゲームに出場してる。
1992年、1993年は成績を落としたが、1994年には打率.263、19本塁打、73打点と復活。その後もレギュラーとして活躍を続けた。
1998年、大村直之や礒部公一らの台頭もあり、出場機会が徐々に減少。
2004年5月15日の練習後、体調不良を訴え帰宅。そのわずか2日後(17日)、容態が急変し、急性気管支肺炎により死去。享年40歳。奇しくも同年シーズン終了後、近鉄バファローズは解散の憂き目にあことになる。
鋭いスイングから強烈なライナーを放ち、長打を量産したスラッガー。ここ一番に強い勝負強さや、フェンス際での守備やキャッチャーのブロックをも恐れない、体を張ったガッツ溢れるプレーも魅力であった。こういったプレースタイルから「北海の荒熊」の異名を持つ。
工藤公康のノーヒットノーランを2度阻止している。また、大阪ドームの公式戦第1号本塁打を記録している。
北海道出身ということもあり、アルペンスキーの腕前には自信があったという。
通算:15年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1501 | 5357 | 4777 | 520 | 1226 | 192 | 657 | 33 | 45 | 38 | 449 | 48 | 812 | 126 | .257 | .324 |
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最終更新:2024/05/15(水) 23:00
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