サッカーメキシコ代表とは、メキシコサッカー連盟(FEMEXFUT)により編成されるサッカーのメキシコ代表チームである。愛称はエル・トゥリ(El Tri)。ユニフォームは、ホームではシャツが緑、パンツが白。
サッカーのナショナルチーム | |||
メキシコ代表 | |||
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基本情報 | |||
国旗 | ![]() |
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協会 | FEDEFUTBOL | ||
大陸 | CONCACAF (北中米カリブ海) |
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FIFAコード | MEX | ||
FIFA加盟 | 1929年 | ||
監督 | ハビエル・アギーレ | ||
FIFAワールドカップ | |||
出場 | 17回 | ||
最高成績 | ベスト8(2回) | ||
CONCACAFゴールドカップ | |||
出場 | 24回 | ||
最高成績 | 優勝(12回) |
北中米を代表する強豪であり、FIFAワールドカップには第1回から参加しており、欧州勢と南米勢以外では最多となる17回出場している常連国である。1970年と1986年の二度自国でワールドカップを開催しており、二度ともベスト8に進出している。CONCACAFゴールドカップでは最多優勝の12回を誇る。また、招待国として出場したコパ・アメリカで2度準優勝を果たしている。
1994年大会から2018年大会のワールドカップでは7大会連続でグループリーグを突破するだけの安定した強さを持っている一方で7大会全てベスト16で敗れており、ベスト8が大きな壁となっている。また、オリンピックでは2012年のロンドン大会で金メダルを獲得した実績を持っており、2021年の東京五輪でも銅メダルを獲得。
世界的なスター選手は少ないものの、各年代で技術の高い選手を揃えており、テクニックの高さを活かしたパスワーク主体の攻撃的なサッカーを志向している。小柄な選手も多いことから、たびたび日本サッカーが模範とすべき国に挙げられている。また、個性的な選手が登場することでも知られている。
ホームスタジアムとしては首都メキシコシティにあるエスタディオ・アステカ(アステカ・スタジアム)を使用。かつては13万人が収容可能な巨大スタジアムであり、2度ワールドカップ決勝を開催した場所でもある。同じ北中米の強国であるアメリカ代表とはライバル関係にあり、両者の対戦は北アメリカ・ダービーと呼ばれている。
初の国際試合は1923年のグアテマラ戦で3-2で勝利している。FIFAワールドカップには第1回の1930 FIFAワールドカップ・ウルグアイ大会から出場。結果は3戦全敗、13失点という内容でグループリーグ敗退に終わっている。1934 FIFAワールドカップは予選敗退で、1938 FIFAワールドカップは棄権しいずれも出場していない。
1950 FIFAワールドカップから1966 FIFAワールドカップまで5大会連続で本大会に出場するが、全てグループリーグで敗退しており、その間勝利した試合は1962年大会の1勝のみと世界との差を見せつけられる時代が続いていた。一方、1965 CONCACAFゴールドカップでは、第2代目の優勝チームに輝き、初のタイトルを獲得している。
7回目の出場となった1970 FIFAワールドカップは開催国としての出場となり、グループリーグで初戦のソ連戦を引き分けると、エルサルバドルとベルギーを相手に連勝し、初のグループリーグ突破を果たす。開催国としての面目は保ったが、準々決勝では強豪イタリアの前に1-4と完敗。それでも過去最高の成績を残した大会となった。
自国開催のワールドカップから1年後の1971 CONCACAFゴールドカップでは2度目の優勝を飾る。しかし、1974 FIFAワールドカップでは予選敗退で本大会出場を逃す。2大会ぶりの出場となった1978 FIFAワールドカップは3戦全敗で1次リーグ敗退。1982 FIFAワールドカップではまたも北中米予選敗退で本大会出場を逃している。
1986 FIFAワールドカップは当初コロンビアでの開催予定だったが、代替として二度目の開催国に選ばれる。ユーゴスラビア出身のボラ・ミルティノビッチが監督に就任し強化を進め、レアル・マドリードでエースとして活躍するウーゴ・サンチェスを擁したチームは、グループリーグを2勝1分の首位で突破。ラウンド16ではブルガリアを破り、1970年大会以来のベスト8進出を果たす。準々決勝でも強豪西ドイツを相手に互角の戦いを見せるが、最後はPK戦で敗れる。
1988年ソウルオリンピックに年齢制限に違反した選手を出場させ、その制裁により1990 FIFAワールドカップの出場を許されなかった。一方、エクアドルで開催されたコパ・アメリカ1993に招待国として初出場すると、グループリーグを3位で辛うじて突破。決勝トーナメントに入るとペルー、エクアドルを相手に決勝まで進出。決勝ではアルゼンチンに敗れたが、初出場で準優勝という快挙を果たす。さらにこの年、自国開催となった1993 ゴールドカップでも優勝している。
1994 FIFAワールドカップ・アメリカ大会では派手なユニフォームと小柄ながらも圧倒的身体能力を持つGKホルヘ・カンポスが話題となる。4チームが同じ勝ち点で並ぶ大混戦となったグループEを総得点で首位通過し、自国開催以外では初めて決勝トーナメントに進出。ラウンド16でブルガリア相手にPK戦で敗れる。1998 FIFAワールドカップ・フランス大会でもラウンド16まで進むが、ドイツを追いつめながら終盤に逆転を許し、2大会連続ベスト16となる。また、この大会ではクアウテモク・ブランコが披露したカニばさみドリブルが話題となった。翌年のFIFAコンフェデレーションズカップでは、開催国として出場し初優勝を飾っている。
5大会連続で招待国として出場したコパ・アメリカ2001では、グループリーグでブラジル相手に勝利し、2度目となる決勝進出を果たしている。2002 FIFAワールドカップ・日韓大会では世代交代に失敗し、一時は予選敗退の危機に立たされるが、途中から監督に就任したハビエル・アギーレがベテラン勢を呼び戻したことで復調し、本大会出場権を獲得。本大会ではイタリア、クロアチアという強豪と同組になりながらも首位でグループリーグを突破。しかし、またもラウンド16で宿敵アメリカに敗れてしまう。
リカルド・ラ・ボルペが監督に就任すると、2003年のCONCACAFゴールドカップではブラジル代表を破り、2004年のコパ・アメリカではアルゼンチン代表から歴史的な勝利を挙げている。2005年のFIFAコンフェデレーションズカップでもグループリーグでブラジルを下しており、FIFAランキングで最高4位を記録するなど実力を付けていた。しかし、2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会ではラウンド16でアルゼンチンと名勝負を繰り広げながらも延長戦の末に逆転負けを喫し、4大会連続ベスト16となる。
2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会の予選では苦戦を強いられ、スヴェン・ゴラン・エリクソン監督が解任になる事態に発展するが、再登板となったハビエル・アギーレのもとでチームは予選終盤5連勝で盛り返す。本大会では前回準優勝のフランスを破ってグループリーグ2位で突破するが、前回と同様にラウンド16でアルゼンチンに敗れる。
2011 CONCACAFゴールドカップでは、6戦全勝という圧倒的な強さで9回目の優勝を飾る。ところが、2011 コパ・アメリカ2011では開幕直前までゴールドカップが開催されていた影響でU-22代表として参加したが、キャンプ地のホテルでコールガールを呼びパーティーを開くという不祥事を起こした8人の選手がメキシコサッカー連盟によって6か月の出場停止及びそれぞれ50,000ペソの罰金が科せられる。その影響もあり、コパ・アメリカはグループリーグ3戦全敗で敗退となる。そんな問題児軍団のU-23代表だったが、2013年のロンドンオリンピックではオーバーエイジとして参加したオリベ・ペラルタの活躍もあって決勝でブラジルを破り、初の金メダルを獲得。
2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会の予選では、オリンピック金メダリストを多く擁しながらも前回以上の大苦戦を強いられ監督交代が相次ぐ異常事態となる。終盤まで予選敗退の危機に立たされるが、最後は大陸間プレーオフでニュージーランドを下し、出場権を確保。本大会では、予選での苦戦が嘘のような戦いぶりを見せ、開催国ブラジルと引き分けるなど、グループリーグを2勝1分で通過する。しかし、またも鬼門となっているラウンド16でオランダ相手にギジェルモ・オチョアの神懸かったセーブもあって試合終盤までリードするが、終了間際の2失点で逆転を許し、ベスト8進出をあと一歩のところで逃す。
ブラジルW杯翌年の2015 CONCACAFゴールドカップでは大台となる10回目の優勝を果たす。ところが、戴冠の翌日にミゲル・エレーラ監督が空港で記者に暴行を働き、解任されるという事件が起きる。フアン・カルロス・オソリオを後任とした2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会では初戦で前回優勝のドイツを相手に勝利するなど見せ場は作ったが、7大会連続でベスト16止まりとなる。この大会を最後に20年もの間代表を支え、W杯に5大会連続で出場したラファエル・マルケスが引退。
ヘラルド・マルティーノを監督に招聘した2019 CONCACAFゴールドカップでは、大会6試合をわずか2失点で乗り切る堅守を武器に決勝で宿敵アメリカを破り、2大会ぶり11度目の優勝を果たす。さらに2021年の東京オリンピックでは、U-23代表が3位決定戦で開催国の日本を破り銅メダルを獲得。
2022 FIFAワールドカップ・カタール大会では、初戦のポーランド戦でオチョアがロベルト・レバンドフスキのPKを止めるなど見せ場を作ったが、2試合を終えて1分1敗の無得点と崖っぷちに立たされてしまう。勝利が絶対条件のサウジアラビア戦では2-1で勝利したものの、得失点差で2位ポーランドに及ばず、7大会続いた連続決勝トーナメント進出の記録は途絶え、1978年大会以来44年ぶりのグループリーグ敗退となる。この結果を受け、マルティーノ監督は解任となる。
後任に同じアルゼンチン人のディエゴ・コッカが就任するが、2023年のCONCACAFネーションズリーグ準決勝でアメリカに0-3で完敗。サポーターの怒りは収まらず、3位決定戦のパナマ戦では応援をボイコットするという事態に陥る。収まらない批判によってコッカ監督は解任となり、ハイメ・ロサノが暫定的に監督に就任。ゴールドカップ2023では決勝でパナマを破り、12回目の優勝を果たす。しかし、コパ・アメリカ2024では1勝1分1敗で得失点差によってグループ3位に終わって敗退。ロサノ監督も解任となってしまい、2年間で3度の監督交代が起きるという混乱状態の中、2024年7月にハビエル・アギーレが14年ぶり3度目となる代表監督に就任。
太字はワールドカップで指揮を執った監督。国旗が付いているのは外国人監督。
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最終更新:2025/03/26(水) 08:00
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