タヤスツヨシとは、1992年生まれの日本の競走馬・種牡馬である。
大種牡馬・*サンデーサイレンスに初のダービータイトルをもたらした馬である。
主な勝ち鞍
1994年:ラジオたんぱ杯3歳ステークス(GIII)
1995年:東京優駿(GI)
※馬齢表記は当時のものに合わせて旧表記で記載しています。
注目の新種牡馬・*サンデーサイレンス産駒の一頭として夏の札幌でデビュー。新馬戦を連続3着した後に中京で勝ち上がると、タヤスツヨシは次の目標を阪神で行われるもみじステークスに定めた。
さて、重賞でもなんでもないただのオープン戦である同レースだが、このレースには一頭の注目馬が出走していた。
それがタヤスツヨシと同じ*サンデーサイレンス産駒で、新馬戦を圧勝してきたフジキセキである。
当時すでに旋風を起こしていたサンデー産駒でも一番と言われたフジキセキは、当日は1番人気に支持された。ちなみにタヤスツヨシは3番人気。
しかし競馬は人気投票じゃない。新馬戦を圧勝してその後鳴かず飛ばずだった馬なんて星の数ほどいる。
そう思ったかどうかは定かではないが、直線で先頭に立ったフジキセキを追い詰めるタヤスツヨシ。
だが、そんなタヤスツヨシに対してフジキセキ余裕綽々だった。なにしろこの馬、タヤスツヨシが必死で追いすがってるのに涼しい顔して先頭をキープしているのだ。結果こそ1馬身差だったものの、このままレースが続いても永遠に差は縮まらないんじゃ……と思わせられるほどの完敗をしてしまったタヤスツヨシ。
だが、負けて落ち込んでいるわけにもいかない。次走のエリカ賞を快勝したタヤスツヨシは、暮れの最後の3歳重賞・ラジオたんぱ杯3歳ステークスに駒を進める。
ここは直線でナリタキングオーを直線でハナ差競り落とし、タヤスツヨシは初めての重賞タイトルを手にした。
着差こそあんまりつかなかったとはいえ、「*サンデーサイレンス産駒の有力馬の一頭!」と当時のファンに思わせるには十分な勝利だったと言えるだろう。
4歳になり、タヤスツヨシの次なる目標は当然ながら皐月賞、そしてダービー。もみじステークスで完敗したフジキセキへのリベンジマッチに向け、この年のタヤスツヨシはナリタブライアンも制した共同通信杯4歳ステークスから始動した。
このレースは対抗馬とされたのが一度撃破しているナリタキングオーであり、当然のように1番人気に支持された。
しかし、シャドーロールを装着して前年の三冠馬によく似た姿に変貌したナリタキングオーの前にまさかの2着。
「まあ、それでも2着には粘ったんだし、今度は勝つよね」と再び1番人気に支持された皐月賞トライアル・若葉ステークスでは斜行に巻き込まれたいせいで、フジキセキやタヤスツヨシと同じ*サンデーサイレンス産駒のジェニュインの前に5着と完敗してしまう
しかもこの時の斜行で、タヤスツヨシは内ラチに激突して走る気をなくしており、精神的な後遺症が心配されるという有様だった。
一方その頃、フジキセキは弥生賞を横綱相撲で完勝。さらにタヤスツヨシが前走で負けたナリタキングオーはスプリングステークスを快勝と皐月賞に向けて悪い材料が重なる一方だった。
だがこの直後、今年の三冠はこの馬で決まりと言われたフジキセキは故障を発症してまさかの引退。さらにフジキセキ不在で皐月賞の本命に躍り出たナリタキングオーは皐月賞前日に出走取消と、にわかにタヤスツヨシに追い風が吹き始めた。
後の心配は激突の後遺症だけなのだが、本番の皐月賞では4番人気と評価を落としながらもメンバー中最速の末脚を繰り出し、勝ったジェニュインにクビ差の2着と意地を見せる。
続く日本ダービーは、皐月賞の走りが評価されてジェニュインを抑えて1番人気。その期待に応え、タヤスツヨシは14番手から上がり3F34.5秒の末脚を繰り出して2分27秒3のタイムで優勝。鞍上の小島貞博騎手に二冠馬ミホノブルボンに続くダービー2勝目をプレゼントした。
だが、タヤスツヨシが称賛されたのはゴール直後まで。レースが終わり、秋を迎える前にタヤスツヨシの強さに疑問符が付き始めてしまう。
実は、1週間前に行われた4歳女王決定戦・オークスでダービーと同じ距離、同じ馬場状態にも関わらず、勝ったダンスパートナーが2分26秒7とダービーよりも優秀なタイムをたたき出していたのだ。
たかが0.6秒差とはいえ、単純に考えるとオークスのダンスパートナーはダービーのタヤスツヨシより3馬身前でゴールしているということになる。
ただでさえ大本命のフジキセキが離脱、2番手ののナリタキングオーも順調さを欠いているという状況でこのタイムである。
この年のオークスはハイペース、ダービーはスローペースと単純に比較は出来ないはずなのに、タヤスツヨシには「オークス馬よりも弱いダービー馬」というレッテルが貼られてしまう。
そんなレッテルは実力ではね返せばいい、と臨んだ秋初戦・神戸新聞杯。タヤスツヨシは1番人気の支持を集めながら夏の上がり馬・タニノクリエイトの前に5着に沈む。
さらに次走・京都新聞杯では再び1番人気となるものの春のリベンジに燃えるナリタキングオーの前に7着と惨敗。
あまりの不甲斐なさにスポーツ紙に当時放送されていたアニメを捩って「ツヨシ、しっかりしない!」 と書かれる有様で、「最弱のダービー馬」という評価をする者も少なくなかった。
この惨敗で評価を下げたタヤスツヨシは本番の菊花賞では5番人気と人気を落とす。しかもこの時の1番人気は牝馬としては18年ぶりに菊花賞に出走してきたダンスパートナーである。
とうとう馬券の人気面でもオークス馬に負けてしまったのだ。タヤスツヨシはさすがにこれで奮起……ということになるわけでもなく、マヤノトップガンの前に6着と完敗。
ダンスパートナーが5着だったので「オークス馬より弱いダービー馬」が実現してしまうというオマケ付きだった。
この後は屈腱炎を発症し引退。サンデーサイレンスの後継として期待されながら種牡馬入りした。
タヤスツヨシを評価する際に、「最弱のダービー馬」と呼ばれることがある。
大先輩とか同じサンデーサイレンス産駒の後輩とか一番最近のアイツほど派手な連敗をしていないにも関わらずそんな評価をされているのは、やはり前述の通り同年のオークス馬・ダンスパートナーにタイム、人気、直接対決で全て負けてしまっているのが大きい。
さらに、春のクラシック直前にフジキセキ、ナリタキングオーという有力馬が故障、レース回避をしたのもそんなことを言われる原因だろう。
ついでに言えば、ダービーで破ったジェニュインが後にマイル~中距離以下を得意とする馬として開花したことで「ダービーはジェニュインにとって適距離じゃなかったんじゃ?」とか思われたこともけっこう痛い要素かもしれない。
だが、タヤスツヨシはダービー馬の意地を見せて種牡馬としてダートを中心に活躍する産駒たちを輩出。海外GIと地方GIを合わせて2頭のGIホースを輩出した。また母父としてもスプリンターズSを制したスノードラゴンを出している。
*サンデーサイレンス Sunday Silence 1986 青鹿毛 |
Halo 1969 黒鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Cosmah | Cosmic Bomb | ||
Almahmoud | |||
Wishing Well 1975 鹿毛 |
Understanding | Promised Land | |
Pretty Ways | |||
Mountain Flower | Montparnasse | ||
Edelweiss | |||
マガロ Magaro 1980 黒鹿毛 FNo.1-r |
Caro 1967 芦毛 |
フォルティノ | Grey Sovereign |
Ranavalo | |||
Chambord | Chamossaire | ||
Life Hill | |||
Magic 1969 黒鹿毛 |
Buckpasser | Tom Fool | |
Busanda | |||
Aspidistra | Better Self | ||
Tilly Rose | |||
競走馬の4代血統表 |
掲示板
15 ななしのよっしん
2022/11/21(月) 09:16:38 ID: XC3YwjOIZt
銀と金で本命カモフラージュとは言え、岡部が乗って復活したナリタ相手にあわや勝ち負けまで行ってたのが印象深い
16 ななしのよっしん
2024/11/18(月) 02:09:48 ID: aazsjPu7qC
ついにウマ娘化
スターブロッサムでフジキセキが脚負傷中のマーベラスサンデーが乗る車いすを持ってくるようにって名前出しただけだけど
17 ななしのよっしん
2024/11/18(月) 02:13:41 ID: BMwJWBUads
同期の名前が出ただけでこいつには掠りもしてないんだが?
適当なこと言うなよ
提供: ねこぴ推し
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最終更新:2025/03/30(日) 18:00
最終更新:2025/03/30(日) 17:00
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