ナリタブライアン
94年 菊花賞。
ナリタブライアン、七馬身差の衝撃。
群れに答えなどない。
―2011年菊花賞CMより
ナリタブライアンとは、日本の元競走馬、元種牡馬である。日本競馬史上5頭目の牡馬クラシック三冠馬で、主な勝ち鞍は皐月賞、日本ダービー、菊花賞、有馬記念。通算成績は21戦12勝。
父ブライアンズタイム、母パシフィカス。半兄に菊花賞・天皇賞(春)等を制したビワハヤヒデ、全弟にラジオたんぱ賞(GIII)を制したビワタケヒデ、従妹に二冠牝馬のファレノプシスがいる。
愛称・呼称は「ブライアン」「ナリブ」「シャドーロールの怪物」
※当記事では、ナリタブライアンの活躍した時代の表記に合わせて、特に記載が無い限り年齢を旧表記(現表記+1歳)で表記します。
ナリタブライアンが栗東・大久保厩舎に入厩した時、すでにナリタブライアンは注目の3歳馬の一頭だった。
これはブライアンの能力よりも半兄のビワハヤヒデが皐月賞・日本ダービーと二着していたのが大きく、ブライアン自身は臆病だったことが災いしてデビュー戦で2着、函館3歳ステークス(GIII)6着、デイリー杯3歳ステークス(GII)3着とここまで5戦2勝に留まり、能力の片鱗を見せることしか出来なかった。
自分の影を恐れるという欠点を抱えていたナリタブライアンだが、そのための対策として陣営はシャドーロールを装着させることを決定。京都3歳ステークスに駒を進める。
ブライアンはこのレースを従来の3歳レコードを1.1秒縮める好タイムで完勝。さらに続く朝日杯3歳ステークスを圧勝し、名実共に3歳王者の座についた。
3歳王者に輝いたナリタブライアンは4歳初戦を一月の共同通信杯4歳ステークス(GIII)に決定。ここも楽勝し、続く皐月賞トライアル・スプリングステークス(GII)も完勝。兄の勝てなかった皐月賞・日本ダービー制覇への期待が高まった。
そして迎えた牡馬クラシック第一戦・皐月賞。ハイペースの中好位から追走し、直線で抜け出すとサクラスーパーオーら後続勢を一蹴し、前年の菊花賞を制したビワハヤヒデに続いて兄弟クラシック制覇を達成。
さらにクラシック第二戦・日本ダービーでは4コーナーで大外に持ち出すとエアダブリンら2着以下を突き放す圧勝。その勝ちっぷりから史上最強馬の声も出始め、シンボリルドルフ以来10年ぶりの三冠達成、兄・ビワハヤヒデとの現役最強の座を賭けた対決への期待が高まっていった。
ダービー後のナリタブライアンは避暑のために札幌・函館競馬場へ移送(通常ならば出走しない競走馬の競馬場滞在は許されないが、ナリタブライアンは実績が考慮されて特例で許可された)
しかし、この最中にナリタブライアンは体調を崩してしまい、一時期は陣営が菊花賞回避を考えるほどに体調が悪化していた。
これが原因となって調整が遅れてしまい、ナリタブライアンは秋緒戦の京都新聞杯(GII)でスターマンにまさかの差し切り勝ちを許してしまう。
さらに菊花賞の前週・天皇賞(秋)で兄のビワハヤヒデがライバルのウイニングチケットと共に故障発生。同レースを惨敗。屈腱炎を発症していたビワハヤヒデはそのまま引退し、有馬での夢の兄弟対決は幻となってしまった。
ミスターシービーのように秋初戦で大敗した後、体調を立て直して三冠に輝いた例もあるが、タニノムーティエのようにもはや立て直しもままならず惨敗した例もある。また前々年のミホノブルボンのように京都芝3000のスペシャリスト、ライスシャワーに阻まれたという例もある。過去に何頭もの二冠馬が挑戦を前に挫折し、また挑んでは敗れた菊花賞。三冠馬になるには絶対的な能力だけでなく、当日の体調、そして運も必要である。ナリタブライアンの能力を以ってしても三冠の壁は厚いのか、それとも……僅かな不安を抱えたまま、1994年11月6日を迎えることになる。
しかし、そんな不安はナリタブライアンにとって杞憂にすぎなかった。
菊花賞では最後の直線で逃げるスティールキャストを捕らえると、そのまま後続に影さえ踏ませぬ完勝。故障で引退した兄に続く菊花賞制覇、そして10年ぶり5頭目の牡馬クラシック三冠制覇を達成した。
さらに初の古馬との対戦となった有馬記念では追いすがるヒシアマゾン以下を一蹴。この年、文句無しの年度代表馬に選ばれた。
年が明け、5歳になったナリタブライアンは始動戦の阪神大賞典(GII)を圧勝。この年の古馬戦線はナリタブライアンが主役だというのは疑いようのない事実であるはずだった。
しかし、天皇賞(春)へと向けた調整中に右股関節炎を発症。春シーズンの全休が決定し、天皇賞(秋)を目標に調整されることになった。更に追い討ちをかけるように、主戦を務めていた南井騎手が落馬負傷。そして迎えた秋、ブライアンは天皇賞(秋)へ直接向かうことになるのだが……
主戦の南井騎手の落馬負傷の影響で、天皇賞(秋)は的場騎手に乗り替わる。1番人気に支持されるが、故障の影響かブライアン独特の走法である低い重心のフォームは見られず、兄の同期である勝ち馬・サクラチトセオーに大きく離された12着に沈んでしまう。
さらに続くジャパンカップは武豊騎手に乗り変わるも、勝ったランドどころか有馬記念で一蹴したはずの2着馬・ヒシアマゾンにすら迫れず、6着と敗退。5歳最終戦となった有馬記念でも、同じブライアンズタイム産駒で一歳年下のマヤノトップガンの前に5着に沈んでしまう。
あの強かったナリタブライアンはもう戻ってこない。そう思わせるほどの惨敗続きで、ナリタブライアンの5歳シーズンは終わった。
6歳になり、復活を期した陣営が緒戦に選んだのは前年に圧勝している阪神大賞典。楽勝が予想された前年と違い、有馬記念を勝ったマヤノトップガンが出走していることもあってナリタブライアンは2番人気。
4コーナーでマヤノトップガンと共に抜け出したブライアンはマッチレースの末下し、1年ぶりの勝利を挙げる。
このレースを指して日本競馬史における名勝負の一つとする声があるものの、一方では全盛期のナリタブライアンならばマッチレースにすらならず楽勝していたとしてそれを否定する意見もある。(一方でマヤノトップガン側も「ナリタブライアンは復活勝利を期してある程度仕上げてきたはずだがこちらは調整段階。結果も気にしていないからこうなっただけの事」とこちらもその意見に負けずに吹いている。まあ仕上げたらめっちゃイレ込んだんですけどね)
ともあれ、強さが完全に影を潜めていた前年秋と比べればブライアンが良化していたのも事実で、次走の天皇賞(春)では一昨年の有馬記念以来のGI制覇を期待されて1番人気に推された。
しかし、同レースでブライアンはトップガン共々折り合いを欠き、3コーナーでスパートしたこともあってかサクラローレルの差し脚についていけず2着敗退。
この後、ブライアンは宝塚記念に向かう。誰もがそう思っていた中、発表された次走は、なんとこの年に中距離GIIからスプリントGIに変更されたばかりの高松宮杯(現・高松宮記念)だった。
過去に天皇賞馬タケシバオーがスプリンターズステークスを勝利した例があったものの、距離体系の確立された現代競馬において中長距離のトップクラスの馬がスプリントGIに向かうのは異例中の異例で、ファンや専門家から抗議の声が上がるほどだった。
そして同レースでナリタブライアンは高い能力を生かして善戦はしたものの“本職”の短距離馬たちに勝てるはずもなく、勝ったフラワーパークから離された4着に終わる。(敗因は、ファンファーレの演奏が酷かったからとの指摘もある)
そしてレース後、ナリタブライアンは屈健炎を発症。引退し、種牡馬となるものの1998年に胃破裂により安楽死の処置がとられる。
早逝の影響で産駒は2世代しか残されておらず、重賞を勝った馬はいない。GIでの最高戦績もダイタクラフラッグの皐月賞4着だということもあって、2019年11月20日現在、オルフェーヴルの産駒の種牡馬入りが未定であることを除けば後継種牡馬を残せなかった唯一の三冠馬となっている。
*ブライアンズタイム 1985 黒鹿毛 |
Roberto 1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Bramalea | Nashua | ||
Rarelea | |||
Kelley's Day 1977 鹿毛 |
Graustark | Ribot | |
Flower Bowl | |||
Golden Trail | Hasty Road | ||
Sunny Vale | |||
*パシフィカス 1981 鹿毛 FNo.13-a |
Northern Dancer 1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco |
Lady Angela | |||
Natalma | Native Dancer | ||
Almahmoud | |||
Pacific Princess 1973 鹿毛 |
Damascus | Sword Dancer | |
Kerala | |||
Fiji | Acropolis | ||
Rififi |
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最終更新:2021/01/28(木) 04:00
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