15世紀後半から16世紀前半にかけて長生きし、長らく公家社会に影響を及ぼした中御門宣胤による日記。84歳の長命を全うしたにもかかわらず、応仁の乱の大火、明応大火の2度にわたり自邸を失い、日記の残存期間が少なく欠失が多い。おおよそ文明12年(1480年)から大永2年(1522年)正月までのうち、27年分のごく一部が残っている。
自筆原本は京大博物館の勧修寺家文書に後半六冊があるほか、写本も内閣文庫や京都大学をはじめとした諸大学に収蔵されている。さらにいえば現存するものはすべて活字で読むことが可能である。
中御門宣胤は勧修寺家の一員として乱後の朝議の衰退を憂い、復興の際に備えて有職典礼の記録と後進への伝達に努めたため、各家に写本が多く存在する。内容は戦国期公家の経済生活についてわかるほか、細川政元暗殺、細川澄之敗死、細川澄元没落といった、永正の錯乱についての刻一刻と変化する畿内情勢がつぶさに伝わってくる。
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最終更新:2024/11/01(金) 09:00
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