15世紀に長きにわたり公家社会を支えた長老格であった、甘露寺親長による日記。文明2年(1470年)から明応7年(1498年)までの29年間の記録があるが、応仁の乱の避難先でかえって焼け出され、一部を欠いている。また応仁の乱で自宅が焼け出されたため、甘露寺親長が日記を家業とする家の出身ということもあり、それ以前にも日記を書いていた可能性は高い。なお、原本は残っていないが、写本の数は多い。
内容としては後花園天皇、後土御門天皇にそば仕えした甘露寺親長による、宮廷行事を中心とした宮廷内の記録が主になっている。そのため、どちらかといえば戦国時代の朝廷がどのような状況にあったかについての一級史料である。しかし、よく読んでいくと応仁の乱から細川政元政権までの武家社会の動向を追うこともできる。
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最終更新:2024/04/19(金) 01:00
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