鯉淵要人とは幕末の神官。桜田門外の変に関与した桜田十八士の一人。
文化10年(1810年)、茨城郡上古内村諏訪神社祠官の家に生まれる。諱は珍陳(うずのぶ)。
神官ながら剣術にも長け、子弟の教育に力を注いだ。徳川斉昭が藩主の座につくと神道が優遇されるようになり、鯉淵も斉昭を支持。天保15年(1844年)に起きた斉昭失脚に際しては幕府への嘆願運動に関わり、藩庁から罰せられ幽閉された。
金子孫二郎や高橋多一郎の井伊直弼暗殺計画に参画。安政7年(1860年)2月、友人の斉藤監物と共に脱藩。3月3日の襲撃に加わり、肩や顔面に重傷を負い、山口辰之介と共に天童藩上屋敷の近くまで逃走したが、力尽きその場で自刃した。享年51。贈正五位。
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最終更新:2024/12/27(金) 06:00
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