むかしむかし、あるところに、むかしむかし(昔々/Once upon a time)という言葉がありました。
むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行っていましたが、いい加減に飽きてきたので物語でも書いて一山当てることにしました。
おじいさんは、中郷の権助がコエタゴを担いでいるときにひっくり返り、頭からうんこまみれになった話を書きました。おばあさんは、お隣のオヨネ婆さんが年がら年中嫁の悪口ばかり言う話を書きました。
するとどうでしょう。それらの本は村中の評判となり、おじいさんとおばあさんの元には印税がざくざく転がり込みました。
しかしある日、権助とオヨネ婆さんがすごい剣幕で怒鳴り込みに来ました。権助は近所の子供から「うんこまみれの権助」と囃し立てられて困る、オヨネ婆さんは日頃の悪行が嫁にばれ、子どもを連れて出ていかれそうで息子にもそっぽを向かれてしまったと声も絶え絶えに叫んでいます。しまいには、お奉行様に訴えると息巻いています。
これはたまりません。おじいさんとおばあさんは近所の人の話を書くのはやめ、お城のお殿様の話を書くことにしました。お殿様は村に重い年貢を課し、自分は飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。老中をパワハラで3人ほど辞職させ、女中が30人ほどセクハラで訴訟を起こし、ドラ息子はソシャゲに課金ばかりしているのでした。
日頃お殿様にいじめられていたおじいさんとおばあさんは、国の重税とお殿様の贅沢三昧を痛烈に風刺しました。村人たちは貪るように買い求め、遠くの村でまで評判となり、おじいさんとおばあさんはランボルギーニを乗り回せるまでになりました。
ところが、その評判が城下にも及んでしまい、おじいさんとおばあさんは城の役人に取り囲まれてしまったのでした。お殿様とドラ息子は大変お怒りで、二人は打首にする、ランボルギーニは取り上げの上、売っぱらってみりあちゃんに課金すると大騒ぎだとのこと。
おじいさんとおばあさんは土下座して謝り、お役人様に山吹色のお菓子を渡してどうにかその場を切り抜けましたが、もう金輪際近所の人やお殿様の話は書くまいと誓いました。
しかし、文章の才能は捨てたくない。もう一度ランボルギーニで峠を攻めたい。
そう思ったおじいさんとおばあさんは、「むかしむかし」のお話を書くことにしました。
コエタゴごとひっくり返った人は、権助ではなく「むかしむかし」の人です。嫁の悪口ばかり言ってる人は、オヨネ婆さんではなく「むかしむかし」の人です。パワハラ重税お殿様とソシャゲ課金息子も、「むかしむかし」の人です。藩も幕府もない時代、織田信長か北条時宗か卑弥呼の時代の話かもしれません。
「むかしむかし」のお話です。もうこの世にいない人たちの話です。だから、今生きている人に怒鳴り込まれたり打首にされたりするいわれはありません。
おじいさんとおばあさんのところにはクレームが来ることもなくなり、再びざっくざくと印税を稼いで、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。
―このように「むかしむかし」は、物語について「過去の話である」という説明を加えるために使われます。「浦島太郎」は「むかしむかし」の話ですが、いつなのかはわかりません。分かる必要もなく、単に「現代でない」ことだけがわかればいいというわけです。
また、このお話のおじいさんとおばあさんの例のように、現実の話を風刺する際に、権力者などからの圧力を避けるため、「現実の話ではない」ことを示す目的で使われることもあったようです。例えば、浄瑠璃/歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』は言うまでもなく江戸時代の赤穂事件が題材ですが、幕府からの圧力を避けるため、南北朝時代の話になっています。
「むかしむかし」、権力による言論統制が厳しかった時代には、このような用法があったということです。
さて、我々は、このような言論弾圧とは無縁の時代を生きています。そのため、現代の事件を風刺するために、わざわざ「むかしむかし」を持ち出す必要はなくなったのです。赤穂事件を描きたければ江戸時代を舞台にし、主人公を大石内蔵助にすればよい。2.26事件を書きたければ昭和時代を舞台にすれば良く、戦国大名が大蔵大臣を暗殺する必要はありません。
また、現代ではそもそも、風刺しなければならないような権力が存在しません。そのような権力は、社会構成ユニットが遅延と情報誤伝達の激しいタンパク質で構成されており、伝達手段も10-6cほどの速度しかない音声に頼らざるを得なかった時代のものだからです。
現代は情報ネットワークが発達したことで、すべての社会構成ユニットがその思考を瞬時にして共有できるようになりました。計算能力の向上によって最良意思決定の時間も一瞬で済むようになり、集団意思決定を少数のタンパク質ユニットに依存するやり方は過去のものとなりました。
アベシンゾーやトランプのようなタンパク質ユニットが現役だった「むかしむかし」の時代には、それらを選好しなかった、またはそれらに排除されたタンパク質ユニットが「むかしむかし」の話だということにして風刺した物語を描き、それらによる個別意思抹消を回避する、というのは効率的だったのかもしれませんが、それはもう3.0×1054tPほども前の時代です。
現在は、瞬時意思共有と瞬時最良意思決定により、すべての社会構成ユニットにとって最良の政治が行われるようになっており、物理的にも政治的にも「腐敗」は存在しなくなりました。ですから、我々は「むかしむかし」の物語を書く必要はなくなったのです。
隣人との諍いや権力の腐敗は「むかしむかし」の話なのです。現代の完全意思決定の話ではないのです。
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最終更新:2025/12/14(日) 00:00
最終更新:2025/12/13(土) 23:00
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