アレックス・オチョアとは、中日ドラゴンズ、広島東洋カープに所属した助っ人外国人選手(外野手)。右投右打。
日本での登録名は「アレックス」。
MLB時代は守備要員として重宝され、メッツ→ツインズ→ブルワーズ→レッズ→ロッキーズ→ブルワーズ→エンゼルスと様々な球団を渡り歩いた。メッツ時代にサイクルヒットを記録、エンゼルスではワールドシリーズ制覇を経験している。
2002年オフ、中日が獲得したはずだったケビン・ミラーが来日を拒否してレッドソックスに入団してしまったため、その代役として中日ドラゴンズに入団。「オチョア」というファミリーネームが間抜けな響きだったため、登録名を「アレックス」とした。
中日では1年目からセンターに定着し、毎年20本前後の本塁打を放つパンチ力で主に5番・6番打者として活躍。そしてそれ以上に、見る者の度肝を抜く驚異的な強肩で知られた。2004年にはレフトの英智、ライトの福留孝介と鉄壁の外野陣を形成して優勝に大きく貢献、ゴールデングラブ賞も受賞。また同年にはサイクルヒットを達成、NPBとMLBの両方でのサイクルヒットは史上唯一の記録である。
2006年、打撃成績・守備ともにやや衰えが見え始め、2億円超の高額年俸もネックになって、この年限りで中日を退団。2007年はアメリカに戻り3Aでプレーしていたが、シーズン途中で広島東洋カープが獲得した。広島での年俸は約2000万円で、一気に年俸が1/10に。広島では規定打席未満ながら打率.300をマークし活躍し、翌年も残留。
2008年は中軸として活躍し、なにげに来日以来初の打率3割(.306)をマークしたが、21併殺とゲッツーマシンでもあった。最大の武器であった肩にも衰えが見え始め、翌年から広い新球場となることもあって契約は更新されず、この年限りで現役を引退した。
引退後はボストン・レッドソックスでコーチをしている。2012年からはファーストベースコーチを担当。
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最終更新:2025/12/11(木) 15:00
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