本当の弱者は助けたい姿をしていないとは、福祉や社会、政策に関する格言である。
「福祉が必要な人は助けたい姿をしていない」「本当に福祉を必要とする人は救いたい形をしていない」など様々な表記ゆれがあるが、概ね意味は同じである。
「見た目や個人的な印象だけで支援の必要性を判断するのではなく、法律や制度によって定められた基準を機械的に適用し、公平な支援を行うべきである」という心構え。
現実世界で福祉や公的補助が必要となる人は必ずしも助けてあげたくなるような人ばかりではない。
時には、そのような福祉を必要とする人が「精神疾患で暴れる」「介護関係の人に偏見がある」などの理由で、救いの手を振り払い、助けようとする人を敵視し攻撃してくるような場合もあれば、福祉が必要となるような人は、素行が悪く社会から放逐されたような人や、現在の自助努力の足りない人の場合もある。
本来であればそういった人々にも等しく福祉の手は差し伸べられるべきだが、残念なことに人の手が入る以上どうしても感情面で差異は生まれてしまう。そうして弱者の中にも「救われる弱者」と「救われない弱者」といった選別が行われ結果として「救われない弱者」は更に悪い方向に落ちていってしまう。
そういった同情を向けられにくい「救われない弱者」こそが本当の弱者であるという考えである。
なので、役所の福祉課や、介護士などの介護関係などの仕事はそれこそ「見た目や個人的な印象だけで支援の必要性を判断するのではなく、法律や制度によって定められた基準を機械的に適用し、公平な支援を行うべき」なのである。
掲示板
241 ななしのよっしん
2025/05/18(日) 18:13:40 ID: v6wg7MfZkw
客観的に見ると助けた方がいいはずなのに当人のマイナス方向の資質のせいで誰からも助けたいと思われなかった弱者が本当の弱者
242 ななしのよっしん
2025/05/18(日) 18:41:41 ID: nwmxjbu+au
厳密には要素的な見た目が醜いとか忌避感だけではなく「救わなくても良いという世間の風潮」も含まれる
一昔前には虐待案件に女児は要救助、男児ならハングリー精神が育つだの逆境がバネになるなどと嘯かれていた
救助側が被救助者に対して要素を絡めると途端に自覚・無自覚の選別が始まるから駄目なのだというお話
243 ななしのよっしん
2025/05/19(月) 13:55:55 ID: ZUMptmMCeb
客観的見ると助けた方がいい人は弱者にはいない
強者だから失われたら人類の損失になるわけで
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最終更新:2025/05/19(月) 21:00
最終更新:2025/05/19(月) 21:00
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