ラジオ日本(株式会社アール・エフ・ラジオ日本)
川崎1422kHz
住所:神奈川県横浜市中区長者町5丁目85番地
東京支社:東京都港区麻布台二丁目2番1号 麻布台ビル
略称:RF(コールサイン:JORF)
系列:独立局
株式会社アール・エフ・ラジオ日本は日本のAMラジオ局。通称1422ラジオ日本。
旧社名はラジオ関東。今も50代以上のリスナーには旧愛称の「ラジ関」の方が通りがいい。
非常に立派な社名(NHK国際放送やニッポン放送とまぎらわしく、ニッポン放送とは裁判沙汰になった。また日本テレビの系列を一目で連想させる名前だが社名変更当初は関係は薄かった。いろいろあった末現在は子会社)ではあるが、TBSラジオ・文化放送・ニッポン放送などの在京局とは違い、電波は川崎市から出ており、あくまで神奈川県域局である。
地味。
とにかく地味。
東京支社を主な番組制作拠点にしたりして、がんばって在京局のふりをしているが、ちょっと無理。横浜本社に放送設備が何一つなくて、怒られたこともある。
「ラジオ関東」時代は「全米トップ10」という洋楽チャート番組、「大滝詠一のGO! GO! Niagara」「スネークマンショー」といった先鋭的な若者向け番組もあり、在京局にはないテイストを持つマニアックなラジオ局であった。
日替わりパーソナリティを売りにした夜ワイド番組「電撃わいどウルトラ放送局」で演歌界の重鎮であった三橋美智也をパーソナリティに起用し話題を呼んだ。これにより当時の若者が三橋を再評価し、彼の再ブレイクを起こすきっかけを作った。また女性アイドルの番組も多く放送されていた。
1977年11月に後楽園球場での巨人戦独占中継権を獲得、以後読売新聞とのつながりができる。この時にTBSラジオが筆頭のJRNやニッポン放送及び文化放送が筆頭のNRNにわがまま言ったせいでただでさえ微妙な関係だったのが、更に悪化してしまい、締め出しを喰らうことになる。更にラジオ関西が巨人戦の中継が出来なくなり、やむなくラジオ関東の条件を呑んだことでNRNから除名処分となる事態を起こす(ただし、複雑な事情があったので完全締め出しでは無い)。
NRNとJRNがラジオ関東の締め出しを図ったが、巨人戦が聴けない全国の巨人ファンからブーイングを喰らうこととなり、結局TBSラジオは読売新聞とラジオ関東の要求を呑む形となり、1979年春からTBSラジオは巨人戦の中継をすることが可能になった。
こうして、巨人戦という最高の稼ぎ頭を手に入れたラジオ関東は、調子に乗ったのかローカルっぽい名前はイヤだということで「ラジオ日本」に変えようとしたが、ニッポン放送と紛らわしいとか、NHKの国際放送と同じ名前だとかいうことでクレームが付いて、結局社名の頭にコールサインが由来の「アール・エフ」が付けられた
局名変更以後からラジオ日本の状況は激変となる。「遠山の金さん」のモデルになった江戸時代の町奉行・遠山景元の子孫とされる、遠山景久がワンマン社長として君臨し、無茶苦茶な経営を行って倒産しかかったことがある。
1982年に「社会の木鐸」なる宣言を発表し、反共・タカ派の色が強くなり、若者向けのロック・ポップス・アイドル番組などを大幅に削減、ついに1989年春改変以後、若者向けの番組を完全排除する方針に移行。この大混乱により多くの人気番組が打ち切られ、1991年7月にはとうとう「演歌・歌謡曲・ジャズと巨人戦しか放送するな」という遠山の鶴の一声が飛び出し、3月に始まったばかりの「林原めぐみのHeartful Station」が突然打ち切りになる(同年10月からラジオ関西で再開、現在も放送中)。
そして、自分の意に反する社員を閑職に追いやり、最終的に辞めさせるというパワー・ハラスメントも行った。
年配やドライバー、保守層からは支持を得たが、無茶苦茶な編成を行ったために元々高くはなかったラジオ日本の聴取率は更に急降下した。しかし、巨人戦という大きな後ろ盾があったためになんとか倒産の事態は避けられていた。
1990年代に入り、長年の遠山の行動に幹部は反感を持ち、中波ラジオ局が欲しかった読売新聞と結託して、クーデターを決行。まず、1993年春に読売がNRN系列に巨人戦の放送権を与えて、ラジオ日本の弱体化させた(この時、TBSも煽りを喰らう羽目になった)。そして、1993年末の取締役会で会長になっていた遠山氏を「代表にはふさわしくない」という名目で解任し追放。挙げ句の果てには「無謀な経営によりラジオ日本へ損害を与えた」と訴訟を起こされ、自宅などの資産を差し押さられるという末路に至った。なお、解任された当日、本人は遅刻にも関わらず、定時開催を要求していた。
その後、読売新聞は立て直しという名目で会社に関わるとなり、幹部は遠山の追放、読売は中波ラジオ局の獲得という両者の目的は達成された。
現在は同じ読売新聞傘下の日本テレビの子会社となり、日本テレビのアナウンサーがラジオ日本に出向してラジオ場組を持つなどの関係になっている。
クーデターから20年近く経つも未だ不安定なところも目立ち、相変わらず予告なしにいきなり打ち切りという状況は発生しているものの若者向けの番組は復活しつつあり、かつて放送されていた洋楽チャート番組も復活している。また近年のアイドル戦国時代にのっかり、2012年以降女性アイドル番組を急増させている。またプロ野球中継では巨人戦だけでなく千葉ロッテ戦の中継も行うようになった。
その一方、現在も演歌番組やジャズ番組が幅を利かせ、長年継続していたミッキー安川の番組は息子に代替わりして続いており、遠山時代の名残が見え隠れするが、ビートルズやプレスリーを特集する番組も放送されており、高齢者向けの編成の一環とも言える。
同じ独立系AMラジオ局であるぎふチャン、ラジオ関西と協力関係にある。
現在は細々とやっている状況であるが、2013年には新番組を始めていたりと何かと続いている。
かつては「ウハウハ大放送 アニメストリート」という90分番組が長年放送されていたが、事実上終了してしまった。
一時期、ラジオ大阪制作のアニラジをネットし、「1422 V-STATION」という枠名で放送されていたことがある。
2009年秋に始まった「菊地亜美の1ami9」を皮切りに、女性アイドルがパーソナリティを務める番組を深夜帯を中心に放送するようになり、特に2012年以降急激に数を増やしている。
※2013年10月現在の番組
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最終更新:2025/12/15(月) 07:00
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