イタリア軍とは、イタリアの軍隊である。
日本やドイツと違い、第二次世界大戦後に軍が解体されなかったため、イタリア統一王国成立当初からの組織をそのまま引き継いだ形となっている。
概要
イタリア軍は、陸軍、海軍、空軍に加え、国家憲兵隊(カラビニエリ)を加えた4軍によって構成されている。
イタリアの軍事費は、世界第7位であり、世界的に見ても軍事費の高い国家のひとつである。
ただ、国家憲兵隊は軍警察と言われることもあるように、戦時には歩兵や憲兵として動員されることを除き、基本的にやっていることは警察組織のそれであり、その費用が軍事費として計上されるせいで高くなっているという事情もある。
イタリア軍の装備
イタリアはNATOにも参加する西側諸国の一員であり、装備もそれに準じている。
しかし、主力戦車であるアリエテ、装甲車であるチェンタウロやプーマ、また歩兵用のアサルトライフルであるベレッタ社のAR70/90など、特に陸軍においては独自の兵器開発も行っている。性能についてはいずれも先進国標準のレベル。
また、火砲については伝統的に質が高く、世界各地の陸軍で榴弾砲等が採用されている他、OTOメラーラ製の76mm、127mm艦載砲は、自衛隊の護衛艦にも採用されている。
近代のイタリア軍
とはいえ、上で述べた現代イタリア軍については、よほどの軍事オタク同士の会話でもない限り、口に上ることは少ないと言ってよい。
特に昨今のインターネットにおいては、イタリア軍が語られるのはほぼ第二次世界大戦の終戦以前の話である。
イタリア軍最弱伝説?
イタリア成立から第二次世界大戦までにかけて、イタリア軍について様々な伝説がネット上で語られているが、あれらはほぼ全てネタである。ネタでない部分についても、意図的に事実をぼかしたり、誤解をするような書き方がなされているため、真偽の判定をする知識がないのであれば、とりあえず全て嘘であると考えておいたほうがよい。
以下に、有名な話のいくつかについて解説を行う。
- 砂漠の真ん中でパスタを茹でたせいで水がなくなって降伏した
もちろん真っ赤な嘘。前線の兵士は飲み水にすら困る有様であり、食べ物はビスケットと缶詰だけであり、飢えや渇きで多くの死者を出している。
ちなみに、戦線の後方にあり物資も豊富にあった司令部ではパスタを食べていた。ただしここで言う「パスタ」は、大量のお湯ではなくスープと一緒に煮る煮込みパスタなので決して水を無駄遣いしているわけではない。
そもそも補給が潤沢に受けられる後方部隊が前線部隊より良い環境にあるのは国や時代に関わらず当然なことで、(我が国にも本土から料亭や芸者を呼び寄せ後方司令部で毎晩宴会を催していた司令官がいる)イタリアばかり糾弾するのはどう考えても不公平であろう。
- 槍とマスケット銃で武装したエチオピア軍に大敗し、戦車や毒ガスを使用してやっと勝った
この伝説にはいくつかの嘘が重ねてある。まず、イタリアが第一次エチオピア戦争のアドワの戦いにおいて決定的敗北を喫し、併合を断念して撤退したというのは真実である。だが当時のエチオピアは、アフリカで唯一植民地化を免れていた地域であり、またエチオピア皇帝は、イタリアが植民地を得ることを快く思わないフランスと取引をし、なんとイタリア軍の装備よりもさらに最新式の機関銃やライフルで武装していた。先述のアドワの戦いにおいても、イタリア軍約1万5千に対し、エチオピア軍は約8倍の12万名を動員。しかもその内7~8万名が近代兵器で武装していたといわれており、戦力差ではエチオピア軍が圧倒的に有利であった。
毒ガスを使用したのは第二次エチオピア戦争ではあるが、この戦争において毒ガスは進軍速度を早めるために使ったにすぎず、奇襲やゲリラ戦でいくらかの被害は出したものの、主要な戦いのほぼすべてで完勝をおさめている。
なお余談ではあるが、結局毒ガスはあまり有効ではなく、進軍速度にはほとんど影響がなかったらしい。
- 勝手に北アフリカで戦争を始めてドイツに迷惑をかけた
ヒトラーが、バトルオブブリテンに合わせての北アフリカ英軍攻撃を要求したのが理由であり、イタリアはドイツの要請に応えただけである。
- 武装した漁船と戦うも、返り討ちにあって降伏した
降伏したというのは潜水艦「ガリレオ・ガリレイ」の話であり、この一文は概ね事実であるが、降伏に至るまでの経緯はそう単純なものではない。戦闘の数日前、「ガリレオ・ガリレイ」は英軍艦艇の爆雷攻撃を受けて損傷しており、その影響で発生した塩素ガスのせいで乗員達は体調不良に悩まされ、しかもガスを換気する必要性から長時間の潜行が不可能な状態であった。当日、英航空機に発見された「ガリレオ・ガリレイ」は武装漁船もとい、武装トロール船「ムーンストーン」の爆雷攻撃を受ける。ガスのせいで潜行不能になった「ガリレオ・ガリレイ」は浮上し決死の砲戦を挑むが、体調不良のせいで乗員達はまともに戦えず、逆に「ムーンストーン」の砲弾が司令塔に直撃して艦長以下司令部要員が全滅し指揮系統を喪失。最後はガス中毒の乗員が甲板に這い上がり、シーツを振り回して降伏したという。
武装漁船という言葉から誤解されがちな「ムーンストーン」だが、実際には排水量約600tのトロール船に艦砲や機銃、爆雷を搭載した事実上の掃海艇であり、港町で見かけるような漁船とは全く異なるものである。
など、有名なところだけ見てもいかに嘘が多いかわかって頂けるだろう。
これを読んで巷のイタリア軍伝説について疑問を持った方は、是非他の伝説についてもその目で真偽を確認していただきたい。
イタリア軍最強伝説!
第二次世界大戦において、イタリア軍は連合軍を相手に大活躍をしている。
ここでもいくつか具体例をあげさせていただきたい。
- 『アオスタ侯アメデオ2世』快速師団 サヴォイア騎兵連隊(東部戦線)
ドン川流域に陣地をしいていたイタリア・ドイツ連合軍だが、ヒトラーのスターリングラード攻略作戦のためにドイツ軍は引き抜かれて、イタリア軍やルーマニア軍など、ドイツ軍と比べると装備の劣った同盟軍だけが残された。
当然、ソ連がこのような隙を逃すはずもなく、積極的に攻撃を仕掛け、川を挟んでの攻防戦となった。騎兵部隊であるサヴォイア騎兵連隊は、機動性を生かすために回り込んで側面を突こうとしたが、同様に浸透攻撃を図ろうとしていたソ連の狙撃兵大隊2部隊と遭遇、重迫撃砲の支援を受けたソ連軍と交戦となった。サヴォイアの司令官はひとつの決定を下した。
「各員、抜刀して突撃せよ!」
その命令に応えて騎兵隊は抜刀、なんとサーベル突撃で、サブマシンガンやライフルで武装した歩兵を蹴散らしたのである。さらに反転して再度突撃、兵士にも軍馬にも被害を出しながらも、ソ連軍を撃退することに成功した。これは欧州戦線における、最後の成功した騎兵突撃である。
なお余談であるが、装甲車を装備した機甲部隊としてサヴォイア騎兵連隊は今も残存しており、チェンタウロの1台ごとに、この突撃の際に戦死した馬の名前をつけている。イタリア兵は心も優しい。
- モンテ・チェルヴィーノ山岳スキー大隊(東部戦線)
イタリア軍の北側の国境は山である。当然、陸軍は山で戦う部隊を専門に育成している。モンテ・チェルヴィーノは、その中でもギリシャ攻撃に参加したものを選抜して作られた真のエリート部隊だった。
雪中迷彩を身にまとい、スキーで山岳を縦横無尽に駆け巡り、ソ連の戦車を足止めし、歩兵を射殺する彼らは、劣勢であったスターリングラード失陥後の戦闘においても奮戦し、ソ連からは『白い悪魔』(イタリア語ではディアヴォロ・ビアンコ)と恐れられたという。
もちろんこの他にも、北アフリカ戦線で活躍したアリエテ戦車師団やフォルゴーレ空挺師団、地中海でイギリス軍を苦しめた第10MAS部隊など、大活躍した部隊はたくさんある。
なぜ勝てないのか
一言でいえば、装備と物資の不足である。
第一次世界大戦から第二次世界大戦まで、イタリアは度重なる戦争で軍も経済もぼろぼろであった。開戦初期で比べれば、日本よりもさらに物資の備蓄や工場の生産力は低かったのである。
さらに、輸送においても機械化が不十分で、北アフリカ戦線では港に物資が十分あるにも係わらず、前線に届けることができなかった。
なにを隠そう、イタリアも、根本的な敗戦原因は日本と同じだったのである。
関連動画
関連商品

関連コミュニティ
![ニコニコミュニティは2024年8月に終了しました。]()
関連項目
- イタリア
- 軍事 / 軍事関連項目一覧
- 軍用車両の一覧
- アリエテ
- セモベンテM40
- ダルド歩兵戦闘車
- チェンタウロ戦闘偵察車
- L3 / M13/40
- 軍用機の一覧
- 軍用艦艇の一覧